樹の神殿内で遺跡“妖精の理想郷”を見つけたが、俺とシェリーは妖精が絶滅した直後の世界に引き込まれる。そこにいたのは“シエラ”というエルフの怨霊。かつて花姫として戦っていた者の一人だ。俺たちは何とか彼女を倒してみせたが……シェリーは胸に穴が開くという重傷を負った。
何とか彼女の傷を癒したあと、相変わらず霧が濃いこの森の中で脱出を試みる。
「此処までの事をする理由など、あるのでしょうか」
「相手は敵を徹底的に追い込むタイプかもしれん。……確かに、そういうヤツは俺の身近に一人いたがな」
真っ直ぐ歩いていると、分断された柱のようなシルエットが何本か見える。その影は、先ほど訪れた神殿にあるものとそっくりだ。辿り着けば、何か手掛かりが見つかるだろうか。
その時、小さな影どもが地面から這い上がり、俺らの視界を遮るように飛び交う。蟲のような群れの正体は妖精の屍であり、彼女らは最期を遂げたままの状態で襲い掛かった。
「!? まさか……!」
「もはや不死者じゃねえか……殺るぞ」
焼け爛れた者から目玉を抜かれた者、身体の一部を奪われた者まで様々だ。妖精とは思えない、抑揚と生気を失った低声があちこちで聞こえてきた。
俺は担いでいた大剣を取り出し、柄を握り締める。しかし両手はたちまち汗ばみ、両脚がガクガクと震え出す。不死者なんぞ数えきれないくらい斃したってのに、何故今更──。
『命ヲ……寄越セ……』
『私タチノ、大切ナ場所……』
「良いか、絶対に耳を貸すな」
「……はい!」
どうせなら、一思いに浄化させるまでだ。
意に反するように剣を持ち上げ、横に一振り!
「ふんっ!」
『アァァァァァアァァア!!!!!』
『ヤメ……グォ……!』
千切れていく小さな身体たち。骨肉の断つ音は少女たちの苦鳴に掻き消されるどころか、生々しく鼓膜を打ち付けてくる。乾いた身体から噴き出るのは血ではなく、灰のような粉だ。まさに何者かがこの森を燃やした証にもなり得るだろう。
一方で、シェリーは霊術で瞬発力を向上させたようだ。二丁拳銃を持つ手から躊躇が見えるものの、的確に撃ち落としていく。
しかし──。
「何これ……記憶が、入ってくる……!」
「まやかしだ。苦しいが、しっかり振り切れ!」
「わかってます、けど……!」
声を荒げながら大剣を振り、次々と妖精を灰に還す。妖精は長い爪を立てて咬みつこうとするが、元々戦闘能力が乏しいのか俺たちに近づくことも儘ならない。その代わり、俺の脳内にも流れてくる断末魔や炎の映像で干渉するようだ。
「だから、どうしたってんだ?」
斬る、斬る、斬る。
こいつらが俺らの命を奪おうと、元々は被害者だ。何の苦しみも与えず、この大剣で眠らせるまで。それは三ヶ月ほど前にミュール島で信者を片っ端から殺したことを想起させるが、今はただ血も涙も無い悪魔となるまでだ。その傍ら、少女が風を切る音と重厚な銃声を交互に響かせた。
ようやく数が減ってきたところで、俺の息が上がり始める。幸い無傷とはいえ、油断は許されない。偶然にもシェリーと背中を合わせて月白色の景色を一望したとき、亡骸を燃やすような異臭が立ち込めた。
「今度は……火!?」
すぐに察知したのはシェリーだ。長いこと鬱蒼としていた景色は、燃え盛る世界に一変。炎は木々を覆い、枯れ葉をも巻き込んでいく。中には熱に耐え切れず、一部の木が倒れる始末だった。
神殿への道は──南の方向か。此処は一旦大剣をしまおう。
そしてシェリーの手を引き、全速力で煉獄を駆け抜ける!
「一気に抜けるぞ! 絶対に離れるな!」
「はい!!」
何処へ行っても火の海……いや、火の森だ。
いつになれば神殿へ辿り着く? 俺たちは本当に抜け出せるのか?
いや……弱気になるな、アレクサンドラ!
隊長が希望を持たねえでどうする!
『愚か者どもよ、我から逃げる気か?』
おい、そんなわけ……!
脳に語り掛けてきたのは、俺に似る男の声。懐かしいどころか、憎悪が増すこの話し方は──
「……兄貴、てめえが仕掛けたのか?」
『人聞きが悪い。弱者どもを楽にしてやっただけだ』
「ふざけんな! 俺の意識に入ってきやがって! まさか人間界でも好き勝手やる気か?」
『汝には関係の無いことだ。女共々、そこで灰になるが良い』
反射的にシェリーの手を離し、大剣を持ち直しつつ辺りを見回す。その時、シェリーは既に拳銃からレールガンに持ち替え、まさに悪魔のような形相で声を荒げた。
「姿を現しなさい、ヘンリー!! シエラさんを苦しめた罰、受けていただきますわ!!」
『笑止。あの男より罰を受けた所以を判らずにいるようだな』
「まさかてめぇ……ジャックと繋がってるってのか!?」
『それは汝らの目で確かめれば良かろう』
兄貴の言葉と共に、俺たちの前に巨大な魔法陣が展開される。
深緋と黒紅の稲妻が空間上で幾つも走る中、二色の入り混じった球体が徐々に膨らんでいく。
その球体が俺たちを呑み込む程に大きくなったとき、音無き爆発を起こした。
黒い光が空間を包み込む刹那、俺は真っ先にシェリーの頭を胸の中に埋める。瞼を固く閉ざす間、背筋が凍るような冷風が肌を叩き髪を靡かせる。先程までの火炎がまるで嘘のように感じられたが、風が止んだ直後に再び熱気が漂い出す。
瞼をゆっくりと開け、魔法陣が存在した場所には巨体の魔物が立ち尽くしていた。
虎の頭を三つ持ち、首に無数の蛇を纏わせる獣──ゴアケルベロス。本来は犬の頭を持つ魔物だが、虎になると更に威圧的だ。体毛は酸化した血のように赤黒く、尻尾部分にも蛇の頭は在った。獲物を狙うかのような鋭い眼差しが、俺たちに更に緊張をもたらす。
ケルベロスの大きな口元が光り、煙のようなものが漂う。
三つの口が同時に開け放たれると、紅蓮の炎を撒き散らした。俺は後方転回で、シェリーは側転で回避。彼女は体勢を整えると、俺に指示を送った。
「アレックスさん、あなたは魔力を温存してください! まずは私が撃ちます!」
「おうよ!」
シェリーは長細い筒のような銃口を突き出し、電流を纏わせる。
細やかな指先がトリガーを引いた直後、大きな衝撃音と共に蒼い閃光が獣を狙う! 反動で彼女の身体が一瞬後退するものの、地を硬く踏むことで微動に収まった。
だが、閃光が着弾する直前──ケルベロスは突如姿を消す。いや、正確に言えば彼女の真後ろだ。図体がでかい上に気配を掻き消すなんて、随分やるじゃねえか……!
「危ねえ!」
翼を展開し、一気に距離を詰める。
そしてシェリーの前に立ち、ケルベロスの手を阻む!
一瞬何が起こっているかわからなかった。
鱗が自身の首に絡みつく違和感。
これでもかと喉を、呼吸を殺してくる──!
「う……っ!!」
「今助けますわ!」
彼女はすぐに拳銃を取り出したようで、この生きた縄に風穴を開けていく。
銃声が耳を掠め、光弾が間髪入れずに撃ち込まれる。
視界に鋭利な爪が飛び込む。
今にも振り下ろされようとするが──
「これで! 消えなさい!!」
全ての蛇が千切れ、不気味な感触が瞬く間に消える。身体の一部が黒の花弁に変化したことで、ケルベロスは呻き声を上げながら怯んだ。
今が反撃の時だ。
右手を掲げ、念ずるは清の魔法。
「結晶!!」
空中に雪の結晶を描いた後、氷の縄となって獣を縛──ったはずが、ヤツの長い爪が打ち砕いてしまう。
「そんなバカな!」
「マジでどうなってんだ……?」
先程まで援護してくれた彼女も、あまりのショックで立ち尽くすほか無いようだ。
銃撃も魔法も効かないのならば、残る手段は──。
『父の力に頼ろうなど思うな。行け、ケルベロス。彼らを汝の餌食にするが良い』
──グォォオオオ!!
巨大な虎が跳躍し、炎が揺れる。
咆哮と共に牙を見せ、再び俺らの前に爪が振り下ろされる──!
もはや覚醒も許されない以上、打つ手がない。
ケルベロスはシェリーに襲い掛かるが、彼女にはまだ抗う意思があるようだった。
「シェリー、逃げ──」
「いい加減に……して!!」
銃口から放たれた光弾は、中央の顔を粉砕する。鼻を中心に表面が割れ、切り絵のように皮膚が剥がれた後、花びらとなって頭ごと散っていった。それがこの獣にとって激痛のようで、今度こそ地面に打ち付けられた。
衝撃から顔を背けていたシェリーが、徐々にケルベロスの方を向き直る。自分でも信じられなかったようで息を呑んでいた。
『……ふむ。このくらいにしておいてやる』
「兄貴! もう一度俺らと……って、おい!!」
あの野郎……都合が悪くなったらすぐ消えやがる。次会ったときは、絶対にぶちのめさねえとな……!
「見て! 私たちの場所が……!」
「……戻ろうと、してる?」
ケルベロスの身体が靄と化すと共に、森を覆う火も消えていく。霧も晴れると、暖色と緑葉の入り混じった木々が視界に広がった。
それだけではない。そびえ立つ錆だらけの鉄塔を前に、マリアやヒイラギ・エレが立ち尽くしていたのだ。彼女らは俺たちの存在に気づいたようで、ヒイラギが「おお!」と感嘆を漏らす。
「奇遇ね。ちょうどあたし達で声を取り戻そうと思ってたところよ」
「マリア! もしかして私たち、いつの間にか中枢部に?」
「ああ、それっぽいとこに辿り着いた。あんた達が急にいなくなるもんだから、ちっとソワソワしたよ」
マリアとヒイラギがシェリーと言葉を交わすと、エレがシェリーの元へ近寄る。微笑を浮かべてシェリーの両手を握り締める様子から、俺たちを気に掛けてくれた事が窺える。
「エレさん……ご心配をお掛けしてごめんなさい」
「随分と遠回りしちまったが、俺らは何とか戦える。相手が誰であろうと、絶対に手加減するな」
俺の言葉に頷くメンバー一同。ついに塔に近づき、樹神ウェンティーヌの肖像を描いた扉に手を掛ける。枝のように広がる長髪に、エルフの耳を持った女性──彼女こそが樹神であり、どういうわけか常に目を瞑っているのだ。両開き扉の左部分には自然を、右部分は荒廃した世界を表現しているのだろう。自然が失われる事への警鐘として、元来の国の者が描いたと思われる。此処の扉を開ける事は、平和を祈る女神への冒涜とも取れてしまう。
だが、俺は僅かな迷いを振り切って扉を引く。秋風と共に鉄の臭いが運ばれる中、巨大な樹が目を引いた。季節は秋だと云うのに、この樹だけは新緑の葉で枝を覆い尽くしている。まるで世間から取り残された世界樹のようで、哀愁さえ込み上がる。
俺を現実に引き戻したのは、幹に埋め込まれた銀の心臓。不快な気分にさせる瘴気は、この宝石から放たれているようだ。
頭上から漏れる深緑の光が、薄暗い塔の中を淡く照らす。半円型の小窓が張り巡らされる中、女神像はなんと壁に彫刻されていたのだ。位置は大樹の背後かつ、三メートル上の高さに在る。もし飛行手段が無ければ、あのオーブは決して入手できないだろう。
「ウェンティーヌ様の像が見当たらないと思いきや、あんな高いところにありましたのね……」
「彼女は人間との接触を好まないの。だから、『昔の人たちは彼女のお考えを汲み取って建設した』と聞くわ」
この広々とした塔の中で、階段も部屋も一切見当たらない。他の神殿とは違う造りに戸惑う俺たちだが、ある存在が舞い降りた事で緊迫した空気に一変した。
ワンピースをふわりと揺らし、獣の足を覗かせる。目を瞑る彼女は樹神ではなく、雌ライオンの身体を持つ獣人だった。
彼女は大樹の前に立ちはだかり、瞼をゆっくりと開ける。彼女の口から漏れた声は、これまでに聞いた声と見事一致していた。
「やっと声を手に入れたの……邪魔はさせない!」
切れ長の蒼い瞳に鋭さが宿り、彼女の身体が宙に浮く。
そして両手を大きく広げる雌ライオンは、守護神の如く俺たちを阻むのだった。
(第七節へ)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!