騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第七節 波に阻まれし愛 〜悲運の亡霊〜

公開日時: 2021年4月16日(金) 12:00
文字数:4,385

 メルキュール迷宮の三階から四階に繋がる螺旋階段。それをシェリーと共に昇り切ると、手前にはせいの紋章──雪の結晶を波のような枠で囲っている──を模った二枚扉があった。

 シェリーの横に立つ俺はドアノブに手を伸ばし、重い扉を押してみせる。すると、僅かな蒸し暑さを打ち消す冷気が入り込んだ。


「何ですの、これ……」

 見上げたシェリーがいぶかしげに呟く。俺も視線を移してみると、巨大な泡が高い天井に密集していた。


 各々の泡には、子どもや獣人ら複数の人々が閉じ込められている。そのうちの一つには乳白色のローブを纏った女性や鎧姿の騎士が収まる事から、彼らが人質である事をすぐに察した。誰もが項垂うなだれており、もはや意識があるかどうかも判らない。

 これは、多くの風船が天井から吊り下げられた光景を彷彿させる。けど、こんなものを見せられたところで『綺麗』と思うどころか、反吐へどが出ちまいそうだ。


 壁はこれまでと違って砂浜のように白く、天井は青空模様の絵画が垣間見える。(三階のように)バルコニーや吹き抜けは無いものの、天井近くの格子窓が照らすおかげで明るさが保たれる。両側に連なる窓は、まるで屋敷にある一部屋のようにも見えた。


 鼓膜をくすぐるような音が背後から聞こえる。振り向いてみれば、紋章の扉が凍ることで俺達の退路が遮断されてしまった。



「あなたが男を連れてくることは、とっくに判ってたわ」



 奥から聞こえた少女の声。からの泡に優雅に乗る彼女は、水災を引き起こした亡霊ルーシェだった。彼女は錆だらけの三叉槍を召喚すると、卑しい目つきでこう続ける。


「やっぱり自分の身が一番可愛いのね。誰が犠牲になっても!」


 ルーシェの手に残像が走るのと同時に、長柄の影が上空に放たれる。不穏を直感した俺はただちに翼を広げ、影が向かうほう──北の方角へ先回りした。


──キィィイイン!


 ……何とか間に合ったようだ。長剣で横に払うと、影の正体──三叉槍は真下へ落下。石材の床と衝突することで、甲高い金属音が響き渡った。ルーシェは表情を歪ませ、舌打ちしている様子だ。


「俺が勝手に付いて行っただけだ。彼女に死んでもらっちゃ困るんでね」

「きーっ! 庶民の分際で騎士を引き連れるなんて、いい度胸よ!!」


 ルーシェは椅子代わりの泡から降りてキッと俺を睨んだあと、片手を広げて槍を浮遊させる。その槍が意志を持つように主の手中に収まると、彼女は後方で浮く泡に目を向けた。


「約束を反故ほごした罰よ。もし私との戦いが長引けばどうなるか、今に見てなさい!」


 余った手を人質に向けて突き出すルーシェ。直後、泡の中で目を瞑る一人がくわっと瞼を開き、苦しそうにもがき始めた。泡は一見何も変わってないし、何が起きてるんだ……!?


「ルーシェ! 彼に何をしたの!?」

「真空の魔法を掛けておいたのよ。もちろん無能な愚民は何にもできないし、このまま放置すれば破裂するかもね。真っ赤に染まった部屋で二人の愛を確かめる……最高の場だと思わない?」


「……下衆げす貴族が」

「なんですって?」


「『下衆の妹もまた下衆』ってな。その辺で止めねえと、てめえの身体に穴を開けるぞ」

「あら、それは怖いわ! 仕方ないから寸止めしといてあ・げ・る」


 呼吸を許されない人質は自身の首を片手で掴み、もう片方の手を伸ばして救いを求める。一方でルーシェは掲げていた手をゆっくり下ろすと、泡の中の酸素が戻ったようだ。

 無論、それで怒りを鎮めるシェリーではない。彼女の両手には既に二丁拳銃があり、獲物を捉えるように堂々と構えた。


「罪のない人にそんなことをするなんて……許さない」

「あら、幼馴染に銃を向けるの? 血も涙も無い物言い、まさに悪魔ね」

「私は決めたの。この力で君を元の場所に帰し、人々と守り抜くって!」


 互いに剣幕を見せる両者。空気はさらに凍り、『一触即発』という単語が脳裏をぎる。俺は中空から見守るように、シェリーの背中に目を凝らした。伸びた背筋から迷いが感じられない。あの整った呼吸は、銀月軍団シルバームーンの魔物を倒す時と同じそれだ。



「あなた、さっきから生意気なのよ!!」



 火蓋を切ったのは、亡霊ルーシェの方だ。


 彼女が声を荒げ、シェリーに向かって大きく跳躍! 矛は斜め下に突出するも、シェリーが前方に跳ぶことで床に弾かれる。

 シェリーは前宙する最中さなか片足を後ろへ投げ出し、踵でルーシェの背中をキック。バランスを崩したルーシェがそのまま前に倒れると、シェリーが今度こそ二つの拳銃を突きつけた。


 亡霊が起き上がり、膝を伸ばそうとしたが。

 飛び交う光弾は容赦なく彼女を追撃。小柄な身体に次々と墨色の花が咲き、口から大量の花弁が吐き出される。


 それでも亡霊は立ち尽くし、半歩ずつと進もうとする。まさに不死者アンデッドのような挙動を取る彼女は、掠れた声で呪文を詠唱しようとしていた。


 ならば、此処は俺が援護しよう。俺は彼女の後方へそっと飛行し、ライフルを取り出した。

 ブロンドの頭部に照準を合わせ、迷わずトリガーを引く!


「がぁああ!!」


 やはり、亡霊は頭を撃たれただけじゃ死なねえか。でもこれでまた倒れてくれたんだ。ここで追い打ちを


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅぅうううぅぅ!!!!!」


 ルーシェが金切り声を上げながら、勢いよく立ち上がる。槍を両手で振り回すと、彼女を中心に大渦が巻き起こった。その水圧でシェリーは勿論、宙にいた俺も後ろへ弾き飛ばされる。


「きゃあぁぁああ!!!」

 シェリーの悲鳴が響く中、俺の背中は壁に激突。痛みは瞬く間に全身へと広がり、脱力した身体は水浸しの床に晒された。



「お兄様を独占するために霊力ちからを使った女が、何故のうのうと生きてるのよ!! 邪神あいつに産まされた痛み、今ここで刻んであげるわ!!」



 視界が揺らめくものの、ルーシェの後ろ姿が何とか見える。彼女が再び前方へ跳躍する合間、俺は肺に溜まった血を吐いて片膝をついた。

 未だ横たわるシェリーは、咄嗟にローリングで回避。ようやく両足で立てた俺は、ただちに彼女の方へ飛び立つが──。


高波オンダルテ!!」


 ルーシェが高らかに詠唱する瞬間、またしても槍が床に突き刺さる。その衝撃を起点に大津波が展開されると、シェリーが目を見開いたまま立ち尽くした。

 一方で俺はシェリーに近づけたと思いきや、無音の空間あわに閉じ込められてしまう。


「うわっ!?」

 くそ、錯乱状態の割には手が早いじゃねえか! しかもシェリーが波に飲み込まれて、溺れてやがる……!


「!?」


 この泡、どんどん酸素が無くなっていく!? 足下の水位が上がってるってのに、あいつを助けられねえのかよ!

 く、苦しい……! さっきの人質は──いや、今の彼らもこんな状態だってのか!


「────!!」


 ……あの光は……! どうやら、シェリーは霊術を使って立ち上がれたようだ。

 だが、酸素がさらに奪われるせいで俺は立つことも。酸素が減った理由は、ルーシェの魔法にあるようだ。


「あなたが力を使えば使うほど、彼は窒息するわよ? ……まあ、そんな彼も見たいってなら話は別だけど」


 シェリーが此方を見て何か叫んでいるが、全く聞こえやしない。だからこそ、使役者ルーシェの声だけが聞こえるこの状況はとても恐ろしく思えたのだ。

 微かに残る酸素を頼りに、シェリーの救助を待つほかない。水面に足をつけた彼女は俺の元へ向かおうとするも、足がって移動できないようだ。


 彼女は痛みを堪え、マシンガンを召喚。歯を食い縛り、ルーシェに向けて光弾を乱射させた。

 標的となった亡霊は水上に足を着け、流れるように回避。その動作は、まるで氷上で滑るかの如く。宙を舞って一回転が終わる頃、矛がシェリーの顔に迫ろうとしていた!


 もう息ができねえ……。けど、あのままじゃあいつが大怪我しちまう!


 今こそ目覚める時──。

 大悪魔の魂、いま解き放たん!


──バシャアア!!

 この身を包む泡が割れ、水滴を他方に撒き散らす。俺は黒き鎖を具現化し、鞭打つようにルーシェに向けてしならせた。


「ぎゃぁぁああ!!!!」


 意外なことに、シェリーへの攻撃に夢中で気付いてねえようだな。鎖に縛られたルーシェは苦鳴を上げ、後ろへ引っ張られる。その反動で槍は上へ傾き、彼女の手からするりと滑り落ちた。

 余った鎖が彼女の首を締めると、肌を焦がす音が鼓膜をくすぐる。鎖は薄浅葱うすあさぎのドレスを──そして白い皮膚をも焼き尽くした。


「ああぁぁぁがががががががぁ……!!」


 先程まで顔を伏せていたシェリーだが、今じゃ焼かれる幼馴染を見て唖然としているようだ。


 例え愛しい女の旧友だろうが、他人を傷つけるヤツには容赦しない。

 そのまま鎖を後ろへ振り回し、ルーシェを壁に向かって投げ飛ばす。


──ドガァアア!!

 彼女が激突した瞬間、天体衝突のような窪みが発生。彼女はそのまま水中に落ちると、壁には蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。


「ぐあっ、う、ぶ……っ!」

 首から下に掛けて焼け爛れたルーシェ。特に今は、傷口が染みて酷く痛むはずだ。それにしても、清のエレメントを持つヤツが水に溺れるなど余りに滑稽である。彼女は立ち上がったと思いきや、再び壁に当たって尻餅をついてしまった。


 そこで俺は、高速で彼女の元へ接近。片手で彼女を壁に追い込み、喉元に長い爪を突きつけた。


人質やつらを解放する気になったか」


 瞳の焦点がいまいち合わないルーシェだが、まだ口答えする気らしい。


「あなたの、せいで……この肌じゃ……お兄様に……」

「自業自得だ。大人しくあの世にいれば良かったものを」


「でも……ジャックに、言われたの。『俺のとこに来れば、兄に会わせてやる』って……私はただ……お兄様に会いたいだけなの……」

「……ふん」


 ふと目線を下に向けてみれば、剥き出しになった腹部には大きながある事に気づく。棘のような傷跡──おそらく邪神に愛された証だろう。さっきこいつは『産まされた』と言ってたし、死後も過酷な経験をしたのかもしれん。


 だとしたら、こいつの子はいったい何処に……?

 疑問を懐いた矢先──ルーシェは眉を下げたまま口角を上げ、笑声を立ち昇らせる。


「……うふふふ、ふふふふふふ……ひゃはははははははは!!!!」

「何がおかしい」


「この私を虐げるなんて、とんだ鬼畜ね!!! どうせお兄様に会えないなら、あなたも道連れにしてあげるわ!!!!」


 とうとう狂いやがった……?

 その時、水色の光がルーシェを包み込み俺の目を晦ます。この直視し難い光……どこかで見たことがあるような……。


 硬く閉ざした瞳を徐々に開けてみると、彼女の周囲で白い花弁が舞う。……けれど、その花弁には血痕のような赤黒い何かが染み付いているのだ。


 細い花弁が水中に舞い落ちたとき。

 皮膚が戻り変身を遂げた彼女は、不敵の笑みを浮かべて歓声を上げる。



「さあ、雌雄を決しましょう!! 花姫フィオラ同士、そしてお兄様を愛した者同士でね!!」



 これまで存在しなかった清の花姫。

 その素質を持っていたのは──ほかならぬ、ルーシェ・アングレスだった。




(第八節へ)






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