「来ると思っていたさ。純真な花の連中よ」
小雨が降り出す中。濡烏色の髪を優雅に揺らし、黄金の瞳を月光の如く輝かす女が佇む。
そのエルフの名はヒイラギ。本来の名を捨て、銀月軍団の下でティトルーズ王国を襲撃した彼女は今、祖国にあるガルティエの遺跡で待ち伏せていた。
そんな彼女は刀の切先を此方に向け、紅色の唇を綻ばせる。
──まるで、血縁と死に別れる覚悟を決めたかのように。
「ベレ! もうこんな事はやめて!」
真っ先に叫んだのは、ヒイラギの姉であるエレだ。彼女の下がった眉と震える唇からは悲痛さが伝わってくる。
しかし、その言葉が妹の不敵な笑みを崩すことは決して無かった。
「いくら姉貴でも、うちを止めるヤツには容赦しない。覚悟!」
ヒイラギが地面を蹴り、瞬時でエレに迫る。
無論、俺はその瞬間を逃さなかった。
刀を振り上げる刹那。
エレの前に立ち、庇うように剣身をかざす!
──カァァアン!!
鼓膜を突き刺す、刃の衝突音。ヒイラギは一歩後ろへ下がり、蔑むような視線を俺に向けた。切先を地に下ろす彼女の振る舞いは、余裕を示すためのものだろう。
「おやおや。誰かと思えば、いつぞやの悪魔じゃないか。うちの事も服従させようってかい?」
「姉妹喧嘩を見たくない。ただそれだけだ」
「あははっ、人間みたいな事を言うんだな! その綺麗に見せかけた心、うちが直々に打ち砕いてあげるさ」
釣り目で俺を見つめ、乾いた笑いを浮かべるヒイラギ。
彼女が前方へ跳躍すると同時に、刀が俺の頭部へ振り下ろされた。
俺が後ろへ大きく避けると、ヒイラギは着地と同時に舌打ちする。
そして間髪入れずに迫り、銀色に光る軌道を何度も描き始めた。
その度に受け止めては躱し、瞬時に生じた隙を伺う。毛束を掠める事はあれど、自分の身体に傷がつく事は無かった。
攻防を繰り返すうちにヒイラギの呼吸が乱れ、剣舞から鈍りが垣間見える。
そしてついに──
俺と彼女の、刃を振り上げる瞬間が重なった。
この緊迫した状況でありながら、ヒイラギは品定めするように上目遣いをしてくる。
「ふふっ。こうして見れば、あんた良い男じゃん。大人しくうちの下僕になれば良いものを!」
「願い下げだ」
拒絶の意を剣に込め、ヒイラギを弾き飛ばす。その流れで彼女は少しよろめいたが、すぐに地を踏みしめる事で体勢を保つ。
刀を鞘に収めたかと思いきや、次は扇子を取り出し呪文と思しき言葉を発した。
「疾風の波!」
彼女が放つのは、東の国における樹魔法だろう。8を描くように腕を何度も振ると、翡翠色の衝撃波がその分扇子から放出される。
それは、ビュンビュンという風の唸り声と共にあらゆる方角から迫った。一発一発を剣身で受け止めるたび、自分の身体が徐々に後ろへずれる。
そして──
「はぁああっ!!」
腹の底から絞り出すように叫び、扇子を大きく振り下ろすヒイラギ。締めの衝撃波は、暴風のような勢いで俺の防御態勢を突き崩した。
思わず剣を顔から離してしまった時、彼女の手中には既に大弓が収まっていた。
「射る!」
一本の矢が、ヒイラギの指先から離れて直線上に飛ぶ。
こうなったら覚悟の上だ。
顔を守るべく、もう一度剣身をかざ
──ゴォォオ!
風と風が、ぶつかり合った……? ヒイラギが見つめる方──上空に目線を向けると、翼を広げたエレが妹同様大弓を持っていたのだ。そんな彼女は妹を睨み、怒号を浴びせる。
「アレックス様に何する気なの!?」
「……男でキレるなんて、姉貴にしては珍しいじゃないか。ならばっ!」
ヒイラギが消えた?
否。彼女はエレの元へ飛び交い、神速で踵を突き出す。瞬きする間にエレが苦鳴を上げ、背中が石畳に叩きつけられた。
追撃が始まる前に、俺が行かねば!
だが、それは罠だった。翼を展開してヒイラギに接近した直後、胸ぐらと腕を掴まれ真下へ投げ飛ばされる。
激痛が全身を駆け巡る中、彼女の追撃はエスカレート。
扇子を眼下の俺に向けた瞬間、地中から無数の蔓が現れ四肢に絡みつく。蔓から発する独特な香りは鼻腔をくぐり、戦意を急速に奪っていくのだ。
「さあヴァンツォ。うちと良いことしようじゃないか」
おい、何する気だ!?
馬乗りする彼女の脚部に自然と目が行くのは、もはや男の性だ。その肌の白さはまさに姉譲り……って感心してる場合じゃねえよ! つか耳に息吹きかけるな!!
「ふふっ、そのまま楽になっちまえよ。こういうの、ホントは大好きなんだろ?」
甘美な声で鼓膜を揺さぶられ、必然的に情欲が掻き立てられる……。
生ぬるい液が耳の外側を駆け巡った瞬間、俺は思わず声を漏ら
「それ以上はおやめなさいっ!!」
──す前に、シェリーの制止が現実へと引き戻す。俺の中で理性と衝動がせめぎ合うが、緊迫した空気によって戦意を奪還できた。
「へえ?」
ヒイラギは視線をシェリーの方に移し、俺から離れる。シェリーは銃口を元同級生に突きつけるが、手先の微かな震えが次の一手を引留めた。
「どうせ昔のよしみで撃てないんだろう?」
「そんな事は……!」
それを良いことに、一歩一歩と近寄るヒイラギ。彼女が俺に背を向けた直後、俺に絡む蔓を爪のような何かが切り裂いてくれた。
「隊長、お怪我は!?」
「俺は問題ない。それより、エレは無事だよな?」
「はい。今しがたアンナが手当をしています」
俺を助けてくれたのはアイリーンか。彼女は背中に腕を回し、打撲だらけの身体を起き上がらせる。それからエレを見てみると、確かに彼女はアンナから受け取った治癒薬を飲み干したところのようだ。
もう一度シェリーらの方に視線を戻そう。今、彼女とマリアはヒイラギを挟撃している。マリアが体術でヒイラギを攻めるのに対し、シェリーは銃で牽制だ。挟まれたヒイラギは扇子を振り回し、樹魔法を放っていた。
肝心の敵はその状況を愉しんでいるようだ。何度も拳を繰り出されるも、鉄壁の守りが崩れる事はない。
マリアが攻撃を止めてひと呼吸置く瞬間、ヒイラギは扇子を振り上げ高らかに叫んだ。
「疾風の刃!!」
回転する刃が複数飛び交い、マリアとシェリーを確実に捉える。咄嗟の反撃に対応できない彼女らは、為す術も無く身体の各所に傷をつける事となる。
ヒイラギは刀に持ち替え、よろめくシェリーにそのまま突進。
しかし、切先が彼女の腹部に触れる直前──
シェリーは両手を広げ、一瞬だけ宙に浮いた。彼女を囲む光の膜が、ヒイラギを後方へ吹き飛ばす。
ヒイラギは転回で受け身を取ると同時に、空中から弓矢を射出。マリアが力を振り絞って防御壁を張ると、鼓膜が破れそうな音を立てて双方の魔法が無に還った。
エルフは弓を持ったまま降り立ち、魔術師に向けて暴言を吐く。
「……この童顔が」
「何よ貧乳。またシェリーをいじめるなら容赦しないわよ」
「あはは、随分と過保護な事。可愛いシェリーちゃん。良い子のあんたなら、うちの話を聞いてくれるだろ?」
「そう言って油断させるつもりですか?」
「まあまあ、あんまりピリピリするな。ジャック様があれからどうなったか知りたいだろ?」
「え……っ?」
「シェリー! まともに耳を傾けてはダメよ!!」
マリアが叱責するも、シェリーはヒイラギに向けた拳銃を下ろしてしまう。その一方で、ヒイラギはあたかも『攻撃しない』といった素振りで余った片手を仰いだ。
「ほら食いつくと思った。でもね、そんなに良い話じゃないよ。なんせジャック様は三年間うちを愛してくれたからね」
「!!」
シェリーが息を飲み、銃を持つ手先がさらに震えだす。それでもヒイラギは、恥じる様子も無く実情を口にした。
「卒業してからちょっとした後にね、ジャック様はうちを口説いてきたんだよ。『貴様の望みを叶えてやる』と。まあ、あんたの事は変わらず狙ってるだろうけど、もう昔と違うんじゃないかな。……それどころか、あんたはただの──」
「もう私には無関係ですわ」
震えを押さえるように武器を構え直し、冷淡に遮るシェリー。だが、俺からすれば随分と下手な演技だ。あれだけ俺に接してくれたってのに、瞳に涙を溜めてやがる。……まあ、それも可愛いんだけどさ。
「私には、大切な仲間たちがいますもの! そんなことより……例えお友達だろうと、傷つけるなら容赦しませんわっ!!」
「なっ……!?」
姉と共に辛い経験をしてきたヒイラギにとって、『友達』という単語は弱点かもしれん。そう思わせるくらい、彼女はたじろいでいるのだ。
そんな中シェリーは瞳の奥に熱気を宿し、元同級生の心に訴えかける。
「ベレさん。私は、あの時のように『また仲良くなれる』って今も信じています。本当のあなたはとても優しくて、芯の強いお方。……あなたが『ジャックを愛している』と仰るなら、心から幸せを願いますもの」
「…………目障りだ」
俯き、ぼそりと呟くヒイラギ。
その女を包む漆黒のオーラは、恐るべき力の解放を物語るのだ。
「良い子ぶった女は、大っ嫌いなんだよっ!!!!!」
ヒイラギの服が破れ、肌が褐色に変化。胸元など局部を覆っただけの服装は、持ち前の痩身をさらに強調させる。俺とシェリーを除いた隊員たちは、真の姿を見たのは初めてのようだ。その証拠として誰もが目を見開かせ、開いた口が塞がらないでいる。
彼女は以前のように六本の矢を召喚。シェリーに狙いを定めると、躊躇わずに指先を離した!
矢は弧を描いてシェリーを襲うも、標的にされた本人は冷静沈着に撃ち落とす。彼女の揺るがぬ意志を示すように、銃声は重く鳴り響いた。
ヒイラギが地に落ちた矢を見つめ、「くそ……」と毒づいた時。
大剣を構えるアンナが雄叫びを発し、ダークエルフの元へ駆け寄る!
「はぁぁぁあぁぁぁああ!!!!!」
アンナの存在に気づいたのか、ハッとするように顔を上げるヒイラギ。
彼女が左手を突き出すと、巨大な白い花──まさに柊──を召喚。
「ひぇっ!?」
「聞かせてくれよ、可愛い悲鳴をさ」
柊の花は弁を閉じ、刃に吸い付く事でアンナの攻撃を封じる。その様は、まるで虫を食らう植物のようでかなり不気味だ。アンナは必死に剣を引き抜こうとするが、少女の腕力では極めて困難だろう。
だから俺はアンナの元へ駆けつけ、後ろから抱き止める。
その勢いで彼女の手元から剣の柄が離れ、ついに花が剣そのものを飲み込んでしまう。
「ぼ、ボクの剣が……!」
「捨て置け! ルナと同じ目に遭うぞ!!」
武器はいくらでも作れるが、人間の腕はそうは行かない。もしあのままアンナが引き込まれたら、少なくともルナのように両腕が失われる事だろう。
「それで逃れると思ったか?」
ヒイラギの足元から生える無数の茨。
尖端を持つそれらが絡み合い、俺たちに襲い掛かる!
「うちに突っかかった事、あの世でずっと悔やんでな!!」
その時。
金色の髪を揺らす少女が俺達の前に立ち、覚悟を決めるように両手を広げ出した。
「あっ、ぐあぁ……!!」
少女の全身を貫く茨。食い込む棘が苦痛を助長させているのは、もはや言うまでもない。
茨が一気に抜かれたとき、身体の至る所から鮮血を噴出させた。
だが、それでも彼女は立ち尽くす。
家族を改心させるために。
「あんた……この国に恨みがあるからって、調子に乗んなよ?」
(第九節へ)
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