騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
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第十九章 邪神と霊嬢の子 ~清神ウンディーネ~

第一節 憂懼のラピスラズリ

公開日時: 2021年11月1日(月) 12:00
文字数:3,971

【前章のあらすじ】

 不死の獣人アーサーが突如アルタ街に舞い降り、純真な花ピュア・ブロッサムと一戦を交える。花姫フィオラたちはアーサーに敗北した末、エレは声帯をジャックらに奪われてしまった。負傷したアイリーンとアンナを除き、残る花姫たちとヒイラギでじゅの神殿へ。エレの声を占有していたのは、亡霊と化したアーサーの妹だった。

 やがてエレが声を取り戻すと、アレックス一同は獣人を撃退。樹のオーブを手にし樹の町ウェンティーヌへと向かうが、シェリーが姿をくらましてしまう。


 何故シェリーは姿を消したのか。彼女の行方が判らぬまま、数日の時が流れる──。

 ラピスラズリの月が始まりを迎えてもなお、シェリーが見つかる事は決して無かった。花姫フィオラたちや騎士団と協力しても、メッセージを送っても安否が判らない。──それは、ペンダントを渡して以来行方不明となったアリスを飽くなく捜した事を思い出させた。

 オーブも三つ揃い、銀月軍団シルバームーンの戦力を削いでいったと云うのに何故こんな時に……。彼女がいない日は、全てがモノクロームに映って仕方がない。あの頃のように酒で気を紛らしたいと思わなくもないが、流石にこの歳でやるのは憚る。


 ただ、不眠が続くせいで勤務にも支障が出てしまったらしい。戦闘調書を書くにあたってインクをこぼしたり、重要な事を欠いてしまったりしたせいで、マリアに休むよう命じられた。当然趣味に没頭する余裕も無いのに、どう休めと言うのだろうか。


 ある日の昼下がり、俺はシェリーの家を訪ねる事にした。空はどんよりとした雲で覆われ、今にも雪が降りそうなくらいに寒い。口から吐き出る白い息は、溜息が表面化したかのようだ。


 無心で城下町フィオーレを歩いていると、可憐な一軒家に辿り着く。俺はパステルグリーンの扉の前に立ち、ドアノッカーで三度叩いた。その際に声を振り絞り、扉に向かって何度も彼女の名を呼んでみる。


「シェリー、アレックスだ。いるなら出てくれ」


 しかし──鈍い音も、俺の声も、乾いた空気の中に呑まれるだけだ。普段なら扉の向こうから『はあい』と言ってくれるのに、それすらも聞こえない。窓を覗き込めば、彼女の存在を確認できるだろうか。

 ……いや、いくら彼氏と云えど、それはダメだ。ひょっとすると、今は俺に会う元気すら無いのかもしれない。ズボンのポケットに合鍵を入れてあるのに、ただのレプリカになっちまうなんてな。


 今はそっとしておくべき……なのか? 何かあれば向こうから連絡が来ると思いたいが──。

 不安を胸に振り向いた矢先、スイーツ柄のパーカーとパニエスカートを身に纏うヴァルカが佇んでいた。俺はそれまで彼女の存在に気付かず、つい「ひえっ」と声を上げてしまう。


「うぉ、びっくりした……なんで此処に?」

「本日より御主人様マエストロのお傍につくよう、陛下から命令を賜りました」


「俺の、傍に……?」

「はい。『シェリーがいなくなってから、アレックスのメンタルが心配なのよ』という発言を記録しています」


 マリアのヤツ、俺をそこまで気遣ってくれたのか……。でも、今の俺には他の女性とデートする余裕など無いし、ましてやエレを振ったばかりだ。ヴァルカと二人きりで歩く様子を誰かが見れば、顰蹙ひんしゅくを買うかもしれない。


「気持ちは嬉しいが、今は一人でいたいんだ」

「マエストロには、昨今の情勢について説明を受ける義務がございます。故に、直ちに“グロッタ”まで同行願います」


 グロッタと云えば、以前アイリーンと一緒にお茶した喫茶店とこか。国に保護される機械人形オートマタが言うなら、付いていく他あるまい。

 俺が「判った」と答えると、ヴァルカは背を向けて粛々と歩きだした。



 ──喫茶グロッタ、店内。


 此処に来たのは、およそ半年ぶりだろう。静かな空間に漂う木の薫りも、少し甘いコーヒーの味もあの時と変わっちゃいない。勿論、この木製のカフェテーブルや白いカップだってそうだ。

 俺が以前と同じものを注文する一方、ヴァルカはココアを飲むようだ。チョコレートにも似た香りが鼻腔をくぐるせいで、チョコレートケーキ一つ頼もうか揺らいでしまう。だが不要な糖分を避けねば不測の戦闘に支障が出るので、角砂糖を入れる事で気を紛らした。


「それで、大事な話ってなんだ?」

「こちらをご覧ください」


 ヴァルカが可愛らしいカバンから取り出したのは、四つ折りにされた鼠色の紙。彼女の色白な手からそれを受け取り、見出しが見えるように広げてみた。一番最初に目を引く見出しには、セリフ体でこう書かれている。


 謎の魔族、ウンディーネの街を凍らす


 真下に写る写真はモノクロだが、情緒溢れる街並みが氷漬けの状態なのはよく判る。細長い建物が並ぶこの場所は、せいの都ウンディーネだ。これまで同様、元素女神の名を冠したこの街にもアルタ川が流れ、此処から南西に突き進めば旧ルーセ王城がある。

 景色はアルタ街と似るものの、こちらも元々は違う国の所有地だ。細部については割愛するが、この時世を生きる住民たちは銀月軍団からの侵略に日々怯えているかもしれない。だからこそ、ヴァルカが俺をグロッタへ連れ出す理由も納得が行った。


 この有り様は、清の邪神アイヴィがブリガを凍らせた時とそっくりである。屋根に立つ者は長髪を靡かせ、頭部に牛のようなツノを生やす。背中に生えた悪魔の翼と尾から伸びる尻尾を見る辺り、竜人か何かだろう。

 性別はどうだろうか。顔見れば女──しかし、広い肩幅と細い身体だけ見れば男とも取れる。敵の性別など然程興味は無いが、これまでの配下と比べて掴みどころが無いように思えた。


 本文を見る限りだと、昨日さくじつの夕方ごろに侵略されたのか。名前も種族も不明。判るのは、俺と同じく清魔法を操れる事だけだ。使用武器を確かめるべく手元に視線を移してみるが、手ぶらなので現状対策しようが無い。近日中に向かい、現地人から情報を得られると良いのだが──。


「……なるほどな。ただ、お前も知っての通り今はシェリーが不在だ。まずは即戦力として代役を探さねばならない」

「それにつきましては、一つご提案がございます」


 新聞から視線を逸らし、正面に座るヴァルカを見つめてみる。彼女はココアを口に含んだ後、願ってもみない事を話してくれた。


「霊術は未搭載ですが、私をシェリーの代役として任命させる事を強く推奨します」

「だから俺に話し掛けた。そういう事で良いんだな?」

「はい」


 確かに、げつの神殿でこいつと戦った時はなかなか手強かった。フィオーレにハーピーが現れた時も手早く倒してくれたし、此処は言葉に甘えよう。


「じゃ、喜んでお願いするよ。ちなみに、そっちはシェリーについて何か新しい情報あるか?」

「いいえ。しかし、彼女が清の都で囚われている可能性は四〇%」


「難しいとこだな……このままじゃ住民たちが凍死してしまうし、すぐに準備するよ」

「感謝いたします、マエストロ。では、貴方は玄関でお待ちください」


「いや、お前が待っててくれ。俺を気遣ってくれた礼だ」

「左様でございますか。ご馳走様でした」




 グロッタを後にすると、少し早めに夕食を済ませる。ヴァルカに「一緒にどうだ?」と尋ねたが、「銀月軍団の襲撃からお守りするのが私の役目です」と言って店に入る事は無かった。本来のオートマタは食事を必要としないため、玄関で斧槍ハルバードを構えたまま待機。少女らしい格好をしたヤツが無表情で武器を握るのだから、店を出入りする者たちが驚いたのは言うまでもない。

 けれど、彼女が守ってくれたおかげで落ち着いて食事をとる事ができた。それから彼女はアパルトマンまで送ってくれた後、ひとり城へ戻る。俺は玄関の鍵を開けた後、冷え切った革靴を脱いでリビングへ入った。


「ふう……」


 黄枯茶きがらちゃのコートをハンガーに掛け、通信機をテーブルに置く。かじかんだ手で石油ストーブを点けると、いつものようにソファーに腰掛けた。


 小さな檻の中に放り込まれたマッチは、たちまち大きな炎を生む。そこから漏れる暖気はソファーまで届くが、俺の心までは温めてくれない。

 呆然と炎を眺めていると、窓辺から子どもの幸せそうな声が聞こえてくる。精霊祭が待ち遠しいのか、賛美歌を口ずさんでいるようだ。


 淡い光に照らされた部屋の中で、ソファーに背中を預ける。それは至って当たり前の光景だが、隣に穴が開いたような空虚感だけは在った。


『できることなら、今すぐ一緒に暮らしたいさ』

『ちょ、ちょっと! どうしてそんなこと平気で言えますの!?』


『俺は本当の事を言ったまでだ。美人で優しいし、料理が美味いだけじゃない。俺たちはお前の霊力ちからに助けられてるんだよ』

『もう、やめてください……! 恥ずかしくなります……』


 ……シェリーと過ごした日々が、昔の事のように思えてくる。もうすぐお前の誕生日だってのに、何処に行ったんだよ……。

 今の俺は、精霊祭を愉しむ気分になれない。例えこの国が平和になろうと、彼女がいなければ何の意味も無いのだ。


 もし彼女の行方不明が呪いと絡んでいるなら、俺はジャックを恨んでも恨み切れない。彼女と歩む未来を、あの蛇野郎に壊された気がしてならないのだ。

 銀月軍団との戦いが終息するまでに、彼女は戻ってくるだろうか。そうでなければ、俺は再び人喰い悪魔として生きるだろう。仲間との絆を全て断ち切り、ただひたすらに幸せそうな連中を──。


「……それだけは、ダメだ」


 もう一度踏み外せば、今度こそ恩人マスターに見放される。故郷に住む権利を失い、劣悪な牢獄で生き地獄を味わうかもしれない。それは、魔界で生きるよりもずっと苦しい事だ。しかもシェリーが何処かで生きていると知れば、何もかもが手遅れになってしまう。


 どうせ代役がいるんだ。彼女と会った暁にはキスをしてしまおう。それも、三ヶ月分の長く深いキスをな。俺がいない間は城の誰かに護衛を頼んで、護ってもらえば良い。彼女を大事な箱にしまわねえと、また誰かに奪われそうなんだ……!


 この感情を言葉にするなら『執念』だ。シェリーと離れた時間が多いほど俺は執念深くなり、ジャックへの殺意が増していく。誰が止めに入ろうと、彼を塵に変えるまでは一生満たされない。そこには正義ももねえさ。


 憎しみが募る中、通信機の短い振動が俺を引き留める。突発的な通知に苛立ちが込み上がり、思わず舌打ちをしてしまった。


「誰だよ、んな時に」

 これで雑談とかだったら、俺は確実に端末をぶん投げるだろう。仕方なく開き、内容に目を通してみる。



 だが、差出人の名を見た時──俺の手は、氷のように固まってしまった。




(第二節へ)





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