※この節には残酷描写が一部含まれます。
桃色と水色に分かれた花柄の柱に、青空を描く天井。中央の巨大な一枚絵は、縛られた裸の女が体内のパーツをぶちまけるという、おぞましいものだ。その女の顔は袋で包まれている以上、一体誰なのかはわからない。
でも、問題はそこでは無かった。聖書台の前に立つのは、白い司祭服に身を包む仮面男と、柳色の長髪を持つ女。いずれも神官を彷彿させる格好で、仮面男の方は杖を持っている。何故かわからないが、シェリーと思しき人物──蒼い髪を腰まで伸ばしてはいるものの、顔が見えない──もその近くで祈りを捧げるように両膝を床に着ける。
その時、後ろから人々がぞろぞろとやってきた。暗い顔をした者たちが次々と木製の長椅子に座り、誰もが聖書台の方をじっと見つめる。
俺も座るべきなのか?
直後──
「動くな」
「!!」
何者かの手が俺の口を覆い、後ろ手を組まされる。背後で金属音が聞こえると、両手首を動かせなくなった。
俺の脇に立つのは、複数の衛兵たちだ。
何故?
なぜ俺が捕らわれて……。
周りは俺を気に掛ける様子もないし、助けを求めようにも声を出せない。いったいどうなってんだよ……。
「それでは、始めましょうか」
淡々と言葉を放つ女神官。直後に教皇が杖を高くかざすと、金色の光が少女の全身を覆い始めた。
刹那、彼女の肩がビクッと上がり――
「ああぁぁあああぁあぁぁああ!!!!」
少女が絶鳴を上げ、すぐさま頭を抱えてうずくまった。
「───よ。全てを───し、──を────なさい。貴女に─────の───び──せば、────こ──しょう」
「来ないで……来ないでぇぇええ!!!」
おい、何が起きてる!?
とにかく放せ!!! こんなのをずっと見てられる性分じゃねえんだ!!!
「ぐふっ!」
槍の柄が脇腹に衝撃を加えたせいで、身体が少しよろめく。
だったら──。
だが意識を集中させた途端、手首に稲妻が走った。
「ふがぁぁ!!」
「大人しくしてろ」
くそ、力を封じるための手枷だったのか!
激痛と同時に、無力な自分への苛立ちが込み上がる。
「アレックスさん……助けて……! ─────────なんか───くない……!」
大事な言葉が聞き取りにくい状況、昨晩の時と同じじゃねえか!
いや、今は言葉云々よりも苦しむ人を助けるのが最優先。例えこの身が滅ぼうとも、あの少女を助けに──
『失せろ』
冷酷な男の声が脳内に入り込む。この主はまさか──
『最高の筋書きだ。最愛の女は邪魔者から離れ、共に永遠の愛を紡ぐ。ふふふふ……はははははははははは!』
他人を嘲笑う声と共に、自身の足元に大量の蛇が絡みついてきた。
やがて蛇どもは俺の首元まで這い上がり、牙が自身の首筋に喰い込む。
激痛。
それは血管一本一本を鋏で断つような感覚で、もはや立つことすら赦されなかった。
もう、無理だ。
抗う力なんて、俺にはもう────。
「はっ……!」
瞼を開けると、無地の天井が視界に飛び込んだ。柔らかな何かが全身を支え、少し硬いモノが頭を持ち上げる。恐る恐る右手を上げてみると、今体験したものが夢だと判った。とりあえず上体を起こしてみるのと同時に、大きな溜息が勝手に溢れてきた。
ふと右を見れば、カーテンから光が漏れている。胸糞の悪さを打ち消すべくカーテンを開けてみれば、眩むほどの光が目を突き刺してきた。
……いや、今の俺にはこれぐらいが丁度良いのだろう。本当は部屋の片付けとか散歩とかしたかったけど、昨晩のデュラハン戦で疲れてそのまま寝ちまったんだよな。
やはり陛下が手配するだけの事あって、冷蔵庫やコンロ・冷房といった便利なモノも最初から在る。これらも蒸気で動くというのだから、時代の変化を実感せざるを得ない。なんだかんだで手厚い歓迎をしてくれるのだから頭が上がらないさ。
意識が戻るにつれて、昨日の出来事が想起される。
魔術戦隊“純真な花”。エレメントの女神に認められた花姫たちは、初めて会ったときと違う姿で戦っていた。
俺らのような戦士とはまた異なる雰囲気。俺が敵を斬れば何もかもが汚れるのに、彼女らが手を下せば黒い花びらと化す。街中を包んだあの花吹雪は、損壊した建物や負傷した人々が元に戻ったのだ。
それに……あの酒場で給仕する少女は、姿から立ち振る舞いまで俺を虜にした。酒場で笑顔を見せたかと思いきや、不意に悲し気な表情を見せてきて。手を胸に当てる仕草は、これまでに何度も夢に出てきたあの女とそっくりだ。
なぜ彼女を見るたび、胸が締め付けられるのだろう。
『触らないで』と言われた以上、苦しくなるだけなのに……また会いたいと願う自分がいる。
今晩もランヘルに顔を出してみるか?
それにせっかく通信機を手に入れたんだし、連絡してみるのも良いかもな。
ベッド脇にあるナイトテーブルに手を伸ばし、折り畳まれた端末を掴む。
シェリーと文通すべくモノクロの画面を開いてみると、ある人物からのメッセージが届いていた。
差出人はアイリーン。メニューで彼女とのログに触れることで、やり取りを行える。ちなみに俺のメッセージは右側に、相手のそれは左側に現れる形だ。
さて。これが初めての連絡になるわけだが、どんな内容だろう? おそらく任務に関する連絡に違いない。
〈昨日は御助力頂き、どうもありがとうございました。早速ですが、お伝えしたい事がございますので、本日も弊所へお越し頂けないでしょうか。ご返事お待ちしております。〉
この文面、昨日俺に見せた訝しげな態度とは大違いだ。本当は彼女も、俺という得体の知れない男と連絡すらしたくないだろう。それに皇配殿下と何かあるみたいだし、少しでも解消させるべく早速向かおう。
城下町フィオーレは今日も多くの人たちで賑わっている。市場で価格交渉する獣人と話し込む人間、種族を超えて遊ぶ子ども達など。どこもかしこも温かい雰囲気で、自然と顔がほころぶ。
やっぱ平和が一番だよな。開放的な光景を目の当たりにすると、つま先に軽い何かが当たる。
「ん?」
膝を折って拾ってみると、丸くて赤い果実──林檎が落ちてあった。
それだけでなく、バナナや葡萄など他の果物も床に転がっている。とりあえず、通りすがりの奴らに合わせて俺も拾ってあげよう。
しかし、その持ち主が意外な人物であることに心底驚いてしまった。
「いたたた……」
「シェリーちゃんじゃねえか。大丈夫か?」
林檎を渡すにしても、随分と目のやり場に困る格好だな……。
短いプリーツスカートから覗く、ほっそりした太ももと白のニーソックス。その先に秘める何かを必然的に考えてしまう自分が憎い。
彼女は俺と目が合うと、魔物を見たかのように大きく声を上げた。
「あ、アレックスさん!? どうしてこんな所に……!」
「これが俺の近くにも落ちてた」
林檎を差し出したあと、しばらく見つめる彼女。自分の状況を呑み込んだらしく静かに受け取るが、一向に立ち上がる気配がない。転んだ時の痛みを引きずっているのだろう。
そこで俺は彼女を助けるべく、目の前で手を伸ばしてみる。
「その……ありがとう、ございます……」
「立てるか?」
「ええ」
きめ細かな感触は、長いこと剣の柄を握った俺にとって心地良いものだ。いかにも女の子って感じの手で、このまま力を入れれば折れてしまうかもしれない。
「すみません、ご迷惑をおかけしましたね……」
「気にするな」
シェリーは、憂いな表情をしたまま立ち上がる。そして俺の手から離れると、大事そうに紙袋を両手で抱きかかえた。
この子ってオフの時だと髪を下ろしてるのな。髪型も服装も、すっげえ似合ってる。
この際だし、二人で会う約束でも取り付けてみるか?
「では、私はこれで」
彼女が歩を進めようとするも、俺は「待ってくれ」と引き留めた。
「近いうちにお前とじっくり話がしたい。空いてる日を教えてくれないか?」
その言葉にハッと驚くシェリー。小さく開いた唇は俺に期待を与えるが、答えは残酷なものだった。
「………そういうのは、ちょっと……」
「……だよな」
俺から目を逸らすのも致し方ない。初めて会ってからまだ一日も経ってないんだ。いくらそのつもりじゃないとはいえ、女性からすれば身構えてしまうだろう。
焦るなアレクサンドラ。これから関係を深めていけば良い。
「邪魔して悪かった。じゃあ、また」
俺は何とか笑顔を作り、シェリーに向かって手を振る。だが、当の本人は俺を不審に思ったのか無言で背を向けた。
「……ちょっと辛ぇけどな」
彼女の影が霞む中、今の心境を吐露せざるを得なかった。
城へ辿り着くと、アイリーンは応接間へ案内してくれた。安らぎを与えるミントグリーンの壁に、レンガ状の床。大きな格子窓は、向かい合う横長な赤いソファーとその間にあるガラス張りのテーブルを明るく照らした。部屋の隅にはメイド達がいるものの、気配を消すように淑やかに佇んでいる。
アイリーンに「どうぞ」と通された俺は、ゆっくりと腰掛ける。あまりにもふかふかしているせいで、疲れどころか相手への敬意すら吹き飛びそうだ。
「隊長にお越し頂いたのは他でもございません。自分たち純真な花について、もっと知って頂きたく存じます」
「むしろ呼んでくれてありがとう。早いうちに把握しておきたいし、是非とも教えてくれ」
「承知いたしました」
閉じた膝の上で両手を重ねるアイリーン。メガネを掛けたまま粛々と話す様子は、知的な印象を与えた。
ちょうどそこへ、緑色に光る黒髪のメイドが現れた。羽耳を持つ彼女の髪型は三つ編みを輪のように括り、対にしている。切れ長の赤い瞳のおかげで、シェリーらとはまた違うタイプの美人に分類されるだろう。
「ありがとう、クロエ」
「とんでもございません」
クロエと呼ばれた給仕服の彼女は、俺たちの前にティーセットを置くと速やかに去った。少女のような声を持ちながら、言葉の端々から冷徹さが感じられる。その鳥人もまた、使用人の鑑のような立ち振る舞いだった。
アイリーンはそんな彼女の姿を見送ると、目線を此方に戻して本題に移る。
「……さて、お尋ねしたいことはございます?」
そうだな。昨日から隊長になったんだし、色々質問を投げてみるか。
「なぜお前らが防衛部隊の上位に位置するんだ? エレメントの女神たちが認めたのはわかるんだが、彼らじゃどうしてもダメなのかい?」
「確かに防衛部隊には、優秀な戦士が多数いらっしゃいますが……先日のように早い段階で『銀の心臓』を壊した者は誰一人いませんでした」
卓上にある二つのティーカップからは熱い湯気が出ている。時折その紅茶で喉を潤しながら、彼女の話を聞くことにした。
「相当時間が掛かるくらいには強ぇってことか」
「ええ。魔物たちは見慣れた存在ですが、熟練者ですら歯が立たない程の強さを誇ります。討伐した数よりも、負傷者の方が上回るくらいにね……。そこで、『自分たちの中にある魔力を活かさん』と、陛下が直ちに魔術戦隊を立ち上げて下さいました。それが純真な花です」
「でも、『自分たちが花姫になれる』ってどうわかったんだ? 儀式か何かに行ったとか?」
「花姫に相応しい者は、魔物の気配やエレメントの相性に人一倍敏感なのです。例えば焔の花姫が冷たい空間に留まれば、ひどく凍えるように。これらは時に私生活において不便になることもございますが、ある時“ミュール神の奇跡”によって花姫に覚醒できることが判明しました」
は?
ミュールって、あのアリス・ミュールだよな??
「……ここであいつの名字かよ」
「そのように仰っては、罰が当たりますよ」
「とうの昔に当たってるよ。おそらくお前が生まれるずーーっと前にな」
アリス・ミュールは、この国に存在する女神ってところだ。四世紀ほど前、自身の霊力で疫病を滅ぼした有名な女でもある。
とっくにこの世を去っちまったからもう拝めやしない。それでも、彼女を崇める信者はわんさかいるんだ。
まあ、あいつに関してはこんなところで、さっさと違うことを訊こう。
「そういやお前とかシェリーちゃん、陛下のエレメントについて聞いてなかったな」
「自分は月で、陛下は焔。お嬢様は清のエレメントを……と申し上げたいところですが、事情あって清の力を発揮しかねるため、魔力変換銃で代用しております」
詳細を割愛する辺り、余程のことなのだろう。詮索はするべきじゃないな。
彼女の話を脳内で整理する最中、ドアを叩く音が聞こえる。来客か何かだろう、アイリーンは立ち上がって「それでは、玄関までご案内いたします」と告げた。
「くれぐれも、先ほどの事をお嬢様にお尋ねしませぬよう」
「わかってるよ」
そうして彼女は俺をエントランスまで連れて行った。
それにしても……純真な花も、ミュールの奇跡があってこそか。知らなきゃよかったよ。皇配殿下に頼まれたことだし、今更撤回する気もねえけどさ。
◆アイリーン(Irene)
・外見
髪:赤橙/ロングウェーブ/前髪はかきあげ
瞳:ブルー
体格:身長170センチ/B88
備考:勤務時は三つ編み(一本で纏めている)に赤いメガネ(ウェリントン)
・開花時の外見
鎧:ライラック色
ボトムス:スリットスカート
・種族・年齢:人間/26歳
・職業:王室メイド長
・属性:月
・攻撃手段:体術(特に蹴り)
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