【前回のあらすじ】
自身の意識に迷い込むアレックスは、シェリーと共にデーモンを撃破。その後、兄であるヘンリーと死闘を繰り広げるが、圧倒的な強さの前に倒れてしまう。
非情な悪魔と、人情深き悪魔。勝利の女神はどちらに微笑むのか。
・地獄花:彼岸花の別名。
『こいつ、本当にあのヴァンツォの息子なのか?』
これは、まだ俺が魔界に居た頃の出来事だ。
少年時代から、兄貴は既に強かった。それは親父の力を色濃く受け継いでいるのが大きく、俺が出来ない事もあいつなら簡単にやってのけた。
親父もおふくろも俺たちを大事にしてくれたけど、兄貴は何かと歪んでいた。両親の前では何もしねえ癖に、誰も居なくなるとすぐ手を上げてくる。
人間界が己の力で文明を発達させていくのと同じように、魔界や天界も徐々に順応していく。この頃の魔界には蒸気機関とか云う便利な文化など無かったが、暮らす分には何の不自由も無かった。
……それなのに、兄貴は俺からありとあらゆるモノを奪った。
自尊心、勇気、名誉、そして友情──仲間だと思ってた奴らはみんな兄貴に流され、誰もが俺を苦しめるのに夢中だった。
ある日。俺は『修行』という大義名分のもと、兄貴を始めとした連中に殴られまくった。魔法の実験台にもされ、死に掛けた頃には兄貴が回復魔法を使ってくる。そうすれば、俺はまた砂袋のような扱いを受ける事となる。この無間地獄に終わりなど無かった。
この日も兄貴は俺の頭を踏みつけ、踵でグリグリと追い打ちを掛けてくる。
『実に惨めだ。我がこれだけ修行に付き合ってやっても尚、力をロクに使えやしないのだからな』
『血、繋がってないんじゃないの?』
『こんなヤツ、人間界に突き落とした方がマシじゃね?』
『うふふ。ダメよ、人間は悪魔を嫌うのだから余計辛くなっちゃうでしょ』
魔族共の嗤い声が胸に突き刺さる。けど、俺にはもう立ち上がる力すら残っていなくて、この石畳に染みを落とすしか無かったんだ。
『だったら餌になるのが精一杯だろ。おい、お前』
地に響き渡る足音。それは、取り巻きの一人が使役していた人喰いの巨人──オーガのものだ。
オーガはその太い手で俺の首根っこを掴み、醜い顔をさらに歪ませる。俺の身体は反射的に震えていたが、横で嘲笑う兄貴が気に留めるわけが無い。
『喰らうのは肉だけにしろ』
そしてオーガは俺の胸元に牙を突き立て──
『ぎぁぁああぁぁああぁぁああああぁあ!!!!!!!』
奴は律儀に兄貴の言葉に従い、骨が露出する程度に留めてきたのだ。
なぜお前らはそんな愉しそうなんだ?
なぜそんなに嗤っていられるんだ?
それから俺は長い時間捨て置かれ、虫の息になって初めて命拾いされた。
生と死を彷徨う最中、誰かが脳裏を過ぎったのだ。
おそらく女だったろう。うなじまで伸ばした銀髪が風に揺られ、こんな俺に手を差し伸べてきた。そう、やんわりと口角を上げたままな──。
ああ、今回もきっと同じような道を辿る。
兄貴はきっと、この小休止が終わったらまた回復させて痛めつけるんだ。あの頃のように……
『あなた』
……この声はシェリー? お前、まだ生きていたのか?
『どうか希望を捨てないで。あなたなら、この国を──いえ、この世界を救えますわ。だって本当は……────ですもの』
おい、何言ってるんだ!? 何故俺が世界を救うことに? それに最後の言葉はよく聞き取れなかったし、そもそもお前は本当にシェリーなのか?
『さあ、お立ちになって。今こそ、あなたに眠る真の力が目覚める時です』
彼女に似た女の声に躊躇していると、温かい風が俺を包み込んでくる。これまでに受けた身体の傷を全て癒やし、封じ込められた大悪魔の魂がドクリと脈打った気がした。
誰だか知らないが、お前が望むならいくらでも応えるさ。
目覚めよ、俺の力──
今度こそ……この手で兄貴をぶっ潰す!!
「っ!? アレクが、目覚めただと……!?」
「はっ。お前が驚くなんて、雪でも降るんじゃないか?」
真の姿に変化した俺は、気づけば兄貴の前で立っている。
しかも隣には──
「ヘンリー、あなたを絶対に許しませんわ」
「その力を解放しきれてない汝が何を言う?」
あれだけ傷だらけだったシェリーも、今じゃ勇敢に佇んでいるではないか。背中から生える蒼い翼も一際大きく、底知れぬ力を感じる──。
それに、彼女はある巨大な武器を右に抱えているのだ。そのフォルムは大樹のように太く、十本以上の細長い管を一纏めにしたようなもの。群青に色塗られた鋼鉄の銃器は、何処からどう見てもガトリング砲だった。
兄貴の言う『解放しきれてない』が何を指すかは判らないが、今のシェリーには無関係である事は明白だ。
兄貴は蝙蝠の翼を広げ、後退する事で間合いを取る。相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべるが、その実は焦燥が抜けきれていないはずだ。
「我の制御からやすやすと逃れるとはな。だが、所詮汝らが我に敵わぬ事を証明せねばなるまい。……はぁっ!」
彼の前に展開される、深紅と漆黒の魔法陣。俺がこの姿の時にしか使えないものだが、この男なら目覚めずとも容易に召喚できるだろう。
けど、今の俺は誰にも止められまい。同じくその魔法陣を展開させると、特大槍が現れるタイミングが……いや、俺の方が少し速かったはずだ。
射出する瞬間が重なり、二条の槍が直線状に飛び立つ!
それらが衝突を起こすと黒い爆発が起こり、この地を大きく揺るがした。
「うっ!」
人間であるシェリーはその揺れでバランスを崩すも、何とか持ち直したようだ。
血のような煙と黒い光が視界を覆う中、シェリーがガトリング砲を構える。それから彼女は目を瞑り、自己暗示するように呟く。
「大丈夫ですわ。私なら……!」
魔力を注いだのか、銃口に青白い光が集まっていく。
そしてシェリーは瞼を開け、力強い掛け声と共にトリガーを引いた!
「はぁぁあぁっ!!!」
鼓膜を破るほどの銃声が連なり、短い間隔で光弾が乱射される。
それに気付いた兄貴は左手を突き出し、巨大な紅い盾を召喚。しかし、光弾は瞬く間に風穴を開け、零れ桜のように無作為な模様を描き出す。その時、兄貴の眉間にシワが寄ったのは決して気のせいではない。
「この盾に穴を開けるとは大したものだ。ならば、これはどうだ?」
兄貴が指揮者の如く左手を振り下ろすと、盾が水平に飛行し空を切る音と共にシェリーに迫った。
しかし、その速度は鈍く見える。俺は彼女の前へ一歩踏み入れ、宙に浮く盾を爪で切り裂いた。赤黒い軌道は表面に傷を刻んだのち、呆気無く砕け散る。
「出でよ」
彼が右手を掲げると、自身の前に無数の小さな魔法陣を展開。魔法陣が光りだした刹那、シェリーはすぐさま俺らの周りに結界を張った。
魔法陣から放たれる光線は、一斉に結界へと伸びる。けれど破壊には至らなかったようで、反動による激しい横揺れだけで済んだ。
両手を広げて立ち尽くすシェリー。彼女は振り向きざまに真摯な眼差しを注ぎ、思いもよらぬ事を求めてきた。
「アレックスさん、私の身体に魔力を注いで! 私もあなたに霊力を送りますから!」
「お前、人間が魔族の力を受け取れば──」
「良いから早くっ!!」
シェリーに気圧されて戸惑いを隠せないが、覚悟を決めてるなら仕方あるまい……!
魔族が持つ魔力は、人間のそれとは比べ物にならない程邪悪なものだ。俺は目を瞑って彼女の前に両手を突き出し、少しずつ力を注いでいく。すると温かな手が握り締め、優しい氣が体内に送り込まれた。
『そう。もっと私に注いで……』
耳元で囁くような、甘くて艶めかしい声。その一音一音が霊力に換わるおかげで、俺の手先がどんどん熱くなっていった。
一方で俺はシェリーに向けて魔力をさらに注ぎ込むと、風が唸り声を上げてきた。加えて風は、こんな悪魔に過ぎたる希望を運んでくる。
『この世界を救える』
その確信が、今の俺たちにとって大きな力だ。
やがて互いが送るエネルギーが頂点に達したとき。俺たちは片方の拳を合わせ、兄貴に向かって勢いよく突き出す!
「これで終わりよ! ヘンリー・ヴァンツォ!!」
紅の光に、蒼の光。
それぞれが交差し、俺たちの手先に収束。
そしてついに──
鋭角な閃光が宿敵を捉えた!
「「蓮理の杭!!!!」」
その杭は彼の心臓を迅速に貫き、鮮血は地獄花のように外側へと弧を描く。口からも大量の血が溢れると共に、断続的な苦鳴がこの青紫の空間に響き渡った。
「ぐぁぁあ! が、はぁ……っ!!」
杭が消えた瞬間、彼が後ろに倒れる。四肢を広げて横たわる様は、まるで自身の敗北を認めるかのようだ。
しかし。俺とシェリーも力を使い果たしたのか、元の姿に戻ってしまう。それでも俺はいつの間にか鞘に収まった長剣を取り出し、兄貴に少しずつ歩み寄る。
俺はもう、覚悟ができていると云うのに……何故‥…。
切先を兄貴の喉元に向けたは良いが、柄を持つ両手が小刻みに震えるのだ。彼はそんな俺を見上げて鼻を鳴らす。
「小心者めが」
「っ!? おい、何処へ行く!!」
彼の肉体が黒い靄となり、天へ昇っていく。
肩透かしを食らった俺は思わず辺りを見回し、姿見えぬ彼に向かって怒号を上げた。
けれど、それは兄貴にとって無意味なようだ。
彼は次の言葉を最後に、とうとう気配を掻き消す。
『なかなか有意義であった。いずれまた会おう』
……結局俺らがあれだけ力を尽くしても、あいつにとって掠り傷かよ。
しかし、苛立ちより先に襲いかかったのは視界のぼやけ。静寂は聴覚を支配し、皮膚感覚が失われた末──
俺は再び倒れてしまったのだ。
真っ赤に染まる、鉄臭い床の上で──。
視界に広がったのは、白い天井だった。この硬い枕に月光が射し込む小さな窓辺──城内の医務室であることに間違いは無いようだ。
俺は、ようやく現実に戻ってきたのか。もうどれくらい日が経ったのだろう。他の皆はどうしてる? 俺らが眠る間に、何か事件が起こっていないだろうか。
「……はっ!?」
そういやシェリーは!?
衝動に任せて起き上がった時、雷に打たれたような激痛が全身を襲う。……きっと、ジャックにやられた時の傷がまだ癒えていないのだろう。
思わず背を丸めて布団に爪を立てていると、誰かの息を呑む声が左奥から聞こえてきた。
「隊長!」
一人の少女が声を張り上げ、俺の元へ駆けつける。肩を両手で支えるのは、次期メイド長と囁かれるクロエだった。
暗緑の髪が月に照らされ、柘榴色の瞳で顔を覗き込む彼女。いつもは罵倒してくるのに、この日に限っては眉が下がる程の不安げな表情を俺に見せていた。
「無茶をするからですよ……!」
「すまんな、クロエちゃん……。その、シェリーは今どこにいる?」
「私でしたら、此方にいますわ」
俺とクロエは、左から聞こえてきた声の方に視線を移す。
隣の寝台には、白いネグリジェに身を包むシェリーが微笑を浮かべていたのだ。
「お嬢様……お目覚めのようで、何よりでございます」
「私こそ、ご心配をお掛けしてすみません。アレックスさん、お身体の方はどうですか?」
「まだ身体があちこち痛むけど、こうして上体を起こせるだけマシだ」
「それなら、良かった……」
シェリーの目尻に浮かぶ涙。それでも彼女は俺たちに笑顔を見せるが、血が噴き出んばかりに唇を噛み締めているのが判った。
クロエは背筋を伸ばして俺らをしばらく見つめると、いつもの冷淡な態度に戻って頭を深々と下げる。
「お嬢様に隊長……僭越ながら、急用につき一旦失礼いたします」
「ああ。見張ってくれてありがとな」
「とんでもございません。それでは」
クロエは俺とシェリーを残し、急ぎ足で去る。聞こえるのは窓辺の葉が微風で擦れる音と、彼女の鼻を啜る音だけだった。
俺は意識せずとも両足を床に着け、ゆっくりと腰を上げる。療養中に誰かが脱がしたようで、今の俺は上半身裸の状態だった。
構わずシェリーのいる寝台へと足を運び、シーツの上で胡座をかく。それからこの右手で彼女を抱き寄せ、胸の中に頭をそっと埋めてやった。
「……うぅっ、ひっく」
彼女は壊れた人形のように嗚咽を上げ、細い両腕で俺を包み込む。この胸を濡らす涙は、生きている事を強く実感させる程に温かかった。
そしてシェリーは、枯れた声で俺に想いを打ち明ける。
「あなたが……好きです……」
その一言は、翳りある俺の心に光を宿した。
意識を彷徨う中で見た、荒れ果てた城下町。
それが本当に俺の本心を表すとしたら。今頃色とりどりの花弁が舞い降り、街並みが元の形に戻っている事だろう。
《あなたの心に奇跡が起こらんことを》
もし意識の中にまだシェリーが居れば、きっとこう言うかもしれない。
考えれば考えるほど胸が熱くなって、この手で強く抱き締めたくなるのだ。俺なりの想いを添えて。
「俺もお前が好きだ。ずっと一緒にいられるように、まずはこの国の平和を取り戻そう」
「……はい。これからも、よろしくお願いしますね。アレックスさん」
魔物が蔓延る今、こうして愛を誓うのは愚かな事だろう。
……いや、今だから良いんだ。
『宿命』とかいう無情な獣が、また俺らを引き離すかもしれないから。
(第八章へ)
◆ヘンリー・ヴァンツォ(Henry=VANZO)
・外見
髪:ブラック/マッシュウルフ・ストレート/昔はロング(足下まで)
瞳:ブラウン(アレックスと同様)
体格:身長191センチ
備考:羊のようなツノ(白)/やや尖った耳
・種族・年齢:悪魔/不詳(アレックスより年上)
・職業:???
・属性・能力:無/???
・武器:???
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