エレを救うべく、ガルティエ倉庫に辿り着いた俺とヒイラギ。手前の魔物たちを全て始末した後、いよいよ屋内へ入る事となった。
……が。そこで待ち構えていたのは、牛の頭を持つ巨漢ミノタウロスと、エレを奴隷に仕立てるジャックだ。彼は指先でエレの顎に妖しく触れ、かつて抱いた女に劣等感を投げつける。
「こんな従順な女がティトルーズ王国にいたのは意外だ。全く、妹とは大違いよ」
「よくも姉貴を……! 絶対に許さんぞ!!」
「貴様もこいつのような歌声を持っていればな……」
激昂するヒイラギは、ジャックの言葉に何を思うか。
ジャックは彼女の怒りを意に介する事無く、片手を突き出しては魔物に命を下した。
「行け、ミノタウロス。偽善ぶった魔族どもを肉塊に変えろ」
──ブモォォオオオ!!!!!
牛男の目が赤く光り、地を揺るがすほどの雄叫びを上げる。でも、それが何だと言うんだ?
「ヴァンツォ、此処はうちが引きつけよう。あんたはヤツの不意を突け」
「わかった」
ヒイラギがミノタウロスを横切ると、彼は彼女を目で追う。鼻息を荒らしながら斧を振り回すも、囮はただ颯爽と回避するのみだ。
「ほらどうした? デカブツさん」
彼女の挑発はミノタウロスの怒りを助長させるが、それは精彩を欠かせる事も表していた。さっきまで伸びてた背筋も、今じゃすっかり丸くなってやがる。脇腹を狙うことも考えたが、確実にガラ空きとなった背中を突くのが良いだろう。
俺は担いでいた大剣を取り出し、翼を展開。気配を殺してヤツの背後に迫ると、脊髄に狙いを定めた。
「ふっ!」
大幅の剣身がめり込み、前方に大量の血を撒き散らす。血飛沫はヒイラギの身体に付着してしまったが、彼女は全く気にしていない様子だ。
それどころかヒイラギは、片手を上げて何らかの黒魔法を展開。漆黒の粒子がミノタウロスの左胸に収束すると、肉と皮が剥がれ落ちる音が聞こえてきた。魔物はただ俺らの攻撃に悶絶するのみで、斧の上部を地面につけてから跪く。
「左胸だ。銀の心臓はそこにあるぞ」
「サンキュ!」
「今度はうちがあんたをいじめる番だ。喰らいな!」
ヒイラギの背後から無数の茨が現れると、凄まじい速さでミノタウロスの全身に絡みつく。棘は筋肉質な皮膚を次々と傷つけ、目玉をも抉り出した。
──グヌゥゥゥウウ!!!
「あははっ♪ 魔物をこうしていたぶるのも悪くないな!」
ヒイラギがもう俺らに敵対しないとは云え、本来の加虐性は変わらないのだろう。……正直、恐ろしい女だとは思う。
しかし、ジャックはこの状況を『つまらない』と思ったのか、再び手を突き出しヤツに命じる。──もう片方の手で、エレの華奢な身体に触れながら。
「立て。貴様に敗北は赦されぬぞ」
不覚にも、ジャックは気付いていないようだ。
元配下が彼に向けて矢を構える事に。
「射る!!」
いや、矢が狙うはエレの──首輪だ。鏃は見事皮革を千切り、花弁のように音も無く落とす。同時にエレの瞳に光が宿り、ハッとしたように声を漏らすのだ。
そして──
「気持ち悪りぃんだよこのエロ蛇がぁ!!!!」
彼女は両腕を動かせない代わりに、大きく跳躍してジャックの頭に回転蹴りをかます。
ジャックは鈍い音と共に吹き抜けから落下すると、ミノタウロスを縛る茨に身体が突き刺さった。
「がぁぁああ!!」
ジャックが口から血を噴出させる中、ヒイラギは姉の元に向かい縄を解く。
「姉貴、無事か!?」
「ありがとう、ベレ。後でアレックス様に口直しして貰うから」
待て待て、この状況下で約束されても困るだけだぞ!?
とりあえず俺は聞かぬフリして、右手に清の魔力を込める。
ミノタウロスの頭上に魔法陣が展開されると、俺は高らかに呪文を詠唱した。
「氷柱!」
魔法陣から降り注ぐ氷柱は剣のように大きく、ジャックやミノタウロスに次々と刺さる。うち一本は牛男の左胸を貫いたようで、彼はそのまま儚く散るのだった──。
ヒイラギが召喚した茨も消えると、ジャックはそのまま硬質な床に叩きつけられる。だが、氷が刺さってもなお死にゆく気配は一切無かった。
「く……っ!」
ジャックが手を自身にかざすと、氷柱はガラスを割るような音を立てて消滅。
黒いオーラに身を包む彼はそのまま回復魔法を使ったようで、何事も無かったかのように立ち上がったのだ。
「力に目覚めずとも、魔法の一つや二つ使えるか」
「お前と違って、女神に愛されてるんでね」
「相変わらず減らず口の絶えない男だ。ならば問おう。貴様が追っているのは、本当にあいつか?」
「は……?」
ジャックの問いに理解できぬ俺は、ただ呆然と立ち尽くすほか無かった。
しかし──
それが罠だと気付いた頃には、漆黒の閃光がこちらに接近し
「うあぁぁぁああああぁぁああ!!!!!」
「ヴァンツォ!!」
「アレックス様!!」
「ふはははははは! 女の事になると愚かになる。それが貴様の弱点だ!」
ちくしょう……! 身体のあちこちが痛てぇし、くらくらする……。
「よくもヴァンツォを!!」
「さっきのお返しなのですっ!」
「貴様らが束になろうと、俺に敵うはずがあるまい」
俺の馬鹿野郎。エレを助けに行くはずが、彼女らに助けられてるじゃねえか……。
視界が闇に包まれた今、もはや立っているかどうかすらも判らない。ただ聞こえるのは、エレたちの樹魔法とジャックの黒魔法が空気を震わす音だけだ。
「暴れるだけのメスには用は無い。とっとと果てろ」
「うあぁあっ!!」
「いやあぁああ!!」
おい! ヒイラギ、エレ……!
俺が行かなきゃならねえってのに、なんで身体が動かねえんだよ!!
革靴を踏み鳴らす音。ジャックが此方に近づいてくる。
いったい何する気だ
「ぐほぉぉ……っ!」
つま先で溝を蹴られ、思わず唾液を吐いてしまう。
「珍しく父の力を借りぬとはな。手加減のつもりか?」
んなんじゃねえ、ただ気付くのが遅かっただけだ……!
こんな時に口すら動かせねえなんて、屈辱以外の何物でも無いぞ……。
力強く髪を後ろへ引っ張られ、毛が引き抜かれそうな痛みに襲われる。
煙草の臭いが鼻腔に入り込んだ矢先、彼は俺の耳元で囁いてきた。
「貴様は未来永劫、あの女と結ばれまい」
蛇男は言うだけ言って俺を突き放し、気配を消し去りやがった。何もできない俺は頬を床に打ち付けられ、痛覚と深淵に身を委ねる事となる。
二つの足音が近づき、誰かが俺を揺さぶってきた。
「アレックス様、しっかりしてください!!」
「ヴァンツォ、聞こえるか!? おいっ!!」
特にエレは、今ごろ瞳に涙を溜めて気に掛けているのだろう。それすら見れないなんて余りにも悔しすぎる。
けど、次第に静寂が大きくなり、いよいよ彼女らの声が遠のいていく──。
「──ないで!! ───ク─様!!」
「───、────!」
もう何も見えない。
何も聞こえない。
メルキュール迷宮で起きた時のように、シェリーが意識に訴えかける事も無いんだ。
そりゃ、そうだよな。だって此処に彼女はいねぇんだもの。
ごめんな、純真な花の皆。
親父、おふくろに……マスター。
それから……シェリー。
結局、俺たちはまた結ばれぬまま幕を閉じるんだ。
再会のチャンスを、もう掴むことなど────。
これは夢か?
それにしては随分と鮮明だな。吐き気を催しそうな重い空気も、鉄の臭いも、錆びついた狭苦しい部屋も……。無論、枷に嵌められた手足の感覚だってそうだ。
何故俺は捕まっている?
それは誰に?
思い当たる節はあれど、名前すら浮かばない。
とうとう記憶喪失になったのか?
それに、側頭部に何かが足りないような──
ああ、何が起きてるのかさっぱりだ!
「ようやく目覚めたか」
この声──! 身近で何度も聞いたのに、誰だったか全く思い出せねえ!
目の前にいるのは、呂色の髪を足下まで垂れ流し、羊のような角を生やした男。マントで身を包む彼は、栗色の眼で俺を見下ろし口角を上げる。
「てめえ! 俺に何する気だ!?」
「これから汝は、我が下僕になってもらう。あの場で朽ちるには余りに惜しすぎるからな」
「ふざけんな! 俺は此処から抜け出し、あいつの元へ戻る!」
『あの場』って何の事だ?
『あいつ』って誰を指してる?
此処で捕まってるはずなのに、何故自分の発言の意味を理解できてねえんだ? そもそも、この身体は俺のなのか?
男が俺の問いに答えるわけも無く、ただ無言で長剣を抜く。
彼が徐々に歩み寄ると、無防備な胸を尖端で突き刺す痛みが襲い掛かった。
「うああぁぁああぁぁああぁぁああ!!!!!!」
彼は剣を引き抜く事無く、胸部から腹部の間を往復するように大きな弧を描く。その度に切先が食い込み、臓物が抉れるような激痛に見舞われるのだ。
「歴戦の勇将ですら、このような痛みに耐えられぬか」
「やめ、やめろぉぉおおお!!! あっ、ぐあぁぁああぁ!!!!」
切先を引き抜いたかと思いきや、それはほんの一瞬だ。
再び皮膚を貫かれ、なぞられ続ける俺は、残る力を振り絞って両手を揺さぶったのだ。
だが──。
「動くな」
「ぐぉぉ……!!」
踵で急所を蹴られ、頭の中が真っ白になる。
いま身体の中で大きく駆け巡るのは、擦れた痛みと切り刻まれる痛みの二つだ。理性を奪われた今、体内から多量の血と尊厳が急速に抜け落ちていく。
けれど、もう俺にはどうする事もできなかったんだ。
男の不敵な笑みは、まるで俺に『諦めろ』と言っているようで……もはや悔しいも何もどうでも良くなっていく。
それなのに──脳裏を過ぎるのは、あの銀髪の女だ。
柔らかな雪肌に、慈悲に満ちた甘い声。水晶のような瞳で俺を見つめ、名前を呼んでくれたと云うのに……自分の名前すら思い出せねえんだ。
俺の周りには彼女以外の女も居た気がするが、誰もかも輪郭がぼんやりとしている。
まるでそれらの記憶が幻に変わっていくかのような、悲しい感覚でもあった。
「こんなものか」
ようやく身体から剣が引き抜かれるが、生暖かい感触が皮膚の上でだらだらと溢れ出す。
そして彼が片手をかざすと、嘲笑うように言葉を紡ぎ出したのだ。
「悦べ。これより汝は、我が下僕として新たな生を受けん!」
この時、今までの苦痛が余興である事を初めて悟った。
刻まれた部分が灼けるような痛みに変わり、業火が俺の身体を包み込む。
俺はただ激痛に叫ぶしかなかった。
絶望に身を委ねるしかなかった。
炎はこれまでの生き方を──幸せを焼き尽くし、俺に邪悪な氣を刷り込ませる。
そう。
愛した記憶も、戦い抜いた記憶も、
全てが灰に変わり、俺は──
「……はっ!?」
……さっきのは、やっぱ夢……だよな?
ジャックとの戦いで受けた傷も、謎の男に嬲られた痛みも、何もかもが嘘のように癒えている。
視界に映り込むのは、青紫に包まれた神妙な空間だ。寒暖も乾湿も感じられないこの気候は、リヴィどころかティトルーズ王国でも無い。そもそも、此処が人間界かどうかも定かでは無いのだ。
立ち上がってみても、特に重力に変化はない。両脇には直方体の柱が等間隔で配置されており、時に幾何学模様の灯りを見せる。
この通路は何処まで続いているのだろうか。辺りを見回しても俺しか居ない上に、奥を見つめるだけで気が遠くなりそうだ。加えて無駄に広い空間だし、天井だって存在しているのか判らない程に高い。
ただ一つ言える事は、『とにかく前に進むしかない』という事だ。こんな所で突っ立ってても誰かが助けに来てくれそうに無いし、歩いていればそのうち出口が見つかるかもしれない。
そう信じて一歩踏み入れたとき。
目の前で広がる大きな魔法陣は、俺の淡い希望をあっさりと阻んできた。
鼠色の体毛に身を包み、白い鬣で顔を覆う獅子──ヴァンレオーネ。
『吸血獅子』と名付けられた魔獣は、猫のように耳を立て此方を睨んでいた。
幸い長剣や大剣は勿論、清のエレメントすら失っていないらしい。
だから俺は鞘から長剣を取り出し、切先をその魔物に向けた。
「またお前と戦う事になるとはな」
この時、俺はまだ知らずにいた。
秘める愛と向き合うことに。
そして、最も恐れてきた“絶望”と対峙することに──。
(第七章へ)
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