蒸気機関車に乗り込み、リタ平原を通過。暫く南下した末、へプケンに隣接する街に辿り着いた。空気はフィオーレよりカラッとしてて、気温も少し高め。茶色のコートを着る私は、前面のボタンを全て外す事で内に籠る熱気を逃がした。
道沿いにずらりと並ぶ露店の多くは、へプケンからの輸入品だ。どの店も焔の都のように活気づいていて、つい物色しそうになる。
それにしても、みんなの目線が私に向いているのは気のせい? ──と思ったら。
「おお、べっぴんさん! ちょっと見てかない?」
「えっ! あ……」
「失礼、今は取り込み中なのでね」
「す、すいませんっ!!」
男性店主の視線に圧倒されるも、後ろを歩く衛兵の一人がぴしゃりと断る。店主は衛兵のきびきびとした態度に慄き、背を丸めながら別の事に専念したようだ。
「その……ありがとう、ございます……」
「いえ、この通りには女性や子どもを狙う店もございますから」
「こちらで定期的に取り締まっているのですが、向こうも巧く躱してくるんですよねぇ」
うう。色んな人が見てくるのは、私がカモになりそうだから……? とにかく、衛兵たちが護ってくれて良かったよ。
……って、お肉の匂いがする! あそこで売ってるのは豚の串焼き? さっきお城で朝食取ったけど、せっかく来たし一本ぐらい──。
「お嬢様、今は寄り道してはなりませんよ」
「はう! そうでしたわ……」
ダメダメ! 今の私は小切手を持ってるんだし、間食なんてはしたないわよ! でも、次行く時はアレックスさんと一緒に食べ歩きでもしたいなぁ。
そんな事を考えながら、角を左に曲がって通りから外れる。そこは、石造や木造住宅が点在する狭い通路。歩けば歩くほど、喧騒は次第に遠のいていった。
道の片隅に咲く小花たちは、気候の暖かさを物語る。……あの人はきっと、この先にある国で沢山の血を見てきたのでしょう。
呆然と彼について考えていると、衛兵の言葉が私を現実へ引き戻す。
「こちらになります」
左手に構えるその店は、この昔ながらの家が並ぶ中で一際目立っていた。洗練された白い建物に、朱色の屋根──長方形の窓が並ぶそこは、アパルトマンのような構えだ。直方体の煙突からは白煙がうすらと昇る辺り、何かを作っている最中かもしれない。
「他にどなたか住んでいますの?」
「どうでしょう。アルディ殿は、自ら孤独を選んでいると伺っております」
「ヴァンツォ隊長には及びませんが、彼女もまた数百年と長生きしているそうですよ」
「ずっと独りで?」
「ええ」
何百年も独りだなんて……寂しくないのかな。私なら気が気じゃなくなってしまいそうだけど──。
とにかく、今はアルディさんとお話する方が大事。この赤い扉を開けば、彼女がきっと出迎えてくれるはず!
扉に刻まれた獅子の彫刻は、あたかも他者を拒むような気迫だ。黄金のドアノブだって、迂闊に指を入れたら食い千切られてしまいそう。
まずは小階段を三段昇り、息を大きく吸う。そして不安を押し出すようにゆっくりと吐くと、少し緊張が和らいだ気がした。
「失礼、します……」
良かった、ドアノブに触れても噛まれはしない……って当たり前か。
冷え切った金属を時計回りに回し、引いてみせる。すると軋む音と共にドアベルが私を出迎えてくれた。
「ひ、広い!」
ベージュが優しく灯る店内は、想像以上に広い。大理石で造られた壁の随所には四角形の切り込みがあり、その溝に魔術具や薬品を陳列していた。魔術に疎い私でも、何が置かれているか一目で判別できそう。
中央には、上階へ繋がっているであろう螺旋階段。魔女の経営する魔法専門店ってもっとおどろおどろしてると思ったけど、こんなにお洒落なお店があるなんて!
見た事のない内観に目を輝かせていると、頭上からヒールの音が聞こえてくる。その正体は中央階段からだ。ゆっくりと舞い降りたのは、黒いスーツを身に纏う一人の女性。脚を交差させながら歩く彼女は、モデルさんのようにとてもすらっとしていた。
紙たばこを咥える女性は、睨むように私を見つめる。刺々しい視線からは逃れられず、反射的に背筋が伸びた。
「えっと……!」
「ふっ。大層な連中を連れて冷やかしか」
鼻を鳴らす彼女の顔には、生きた証が幾つも刻まれている。つばの広い帽子から垂れるベールで顔の半分が隠れるものの、綺麗な顔立ちを完全に覆う事はできないようだ。
それに、スーツだってよく見れば他と違うところが幾つか存在する。例えばジャケットには襟が無いし、スカートの裾だって膝まで伸びている。似たようなそれは沢山見てきたけど、この服は決して安易に入手できるものじゃない事は見て取れた。
編み込んでひと纏めにした髪は、繭のように白い。もし私が不老の薬を飲まなければ、この人のように綺麗な歳の取り方ができたでしょうか。
彼女は紅い唇から煙草を離し、紫煙をくゆらせる。鋭い碧眼で私を見つめた末、低い声で名を名乗った。
「デルフィーヌ・アルディだ。お前も名乗れ」
「はい! わ、私は、シェリー・ミュール・ランディと申します……! その……マリアからのお願いで、“心映しのレンズ”を買いに来ましたの!」
「ふむ、お前こそがティトルーズの知人にしてミュールの末裔か。だが、いかなる身分であれ交渉は受け付けない」
「承知、しておりますわ!」
マリアの言う通り、すごく気難しそうな人だ……。こんな怖い店主さんは初めてかも。
だけど落ち着いて。私は冷やかしに来たわけでもないし、割引を求める事だってない。必要な理由をきちんと説明すれば良いんだから!
「……私は、アレクサンドラ・ヴァンツォ率いる純真な花の一人です。七か月前、隊長と共にメルキュール迷宮に囚われた人々を救い、亡霊ルーシェ・アングレスを鎮圧いたしました。そして昨今に清の都を占有していた(彼女の)子息を撃退したものの、天界に戻ったルーシェの事が気掛かりなんです」
「それで、レンズが必要とな?」
「はい。ルーシェは、銀月軍団に引き寄せられ天界から降り立った亡霊です。彼女が清の花姫としての素質を持つ以上、また利用されてもおかしくない状況ですわ」
「ほう……………」
紙たばこの先端を摘まみ、表情一つ変えず火消しするアルディさん。吸い殻となったそれを携帯灰皿に押しやると、私に再び圧を掛けてきた。
「不遜な者が天にかざせば、魂を焦がされる。お前に、それを扱う資格があると云うのか?」
「そのルーシェを殺めたのは他ならぬ私です。ですが、ジャックに不死の薬を投与された事で往来できると思っていますわ」
「大した自信だな。まあ良い、亡霊の暴走ほど厄介なモノは無いからな」
も、もしかして許された……?
アルディさんは壁に向かって歩き出し、陳列された虫眼鏡を手に取る。彼女からそれを受け取った瞬間、ずしりと来る重みが覚悟をもたらした。
金属製の取っ手には、天使たちの肖像が刻まれている。手のひらサイズのレンズは仄かに虹色に輝いており、縁部分には次の文章が刻印されていた。
『善き行いをした者に、必ず転生の機が訪れる』
……果たして、私たちは本当に天界へ行けるのか。改めてこの文を見ると、自分の中にある自信が一気に崩れてしまいそう。
取っ手を持つ手が小刻みに震えている。アルディさんはそれを悟ったのか、呆れたようにこう話した。
「最近の若者は、人格を占う道具と勘違いしてこいつを求めてくる。言っておくが、お前たちに何があろうと責任は取るまい」
「判っていますわ。支払いはこちらでよろしくて?」
私はついに懐から桃色の紙札を取り出す。高額を記した小切手をアルディさんに差し出すと、彼女は突如顎を指に当てて考え込んだ。
「もしかして、足りませんか?」
「十分だ。しかし、私の身体もかつてと比べ旧くなった。…………ミュール、この額に値する使い魔を後日差し出せ。期限は……そうだな、この足が死ぬまでだ」
「使い魔……?」
「魔女と云えど、この歳では生活に限界がある。お前ら人間どもが他者依存するように、私も不可欠な年頃になっただけだ」
この人、今までどうやって生きてきたんだろう……。そんな丈夫なメンタルがあれば私も長く生きられそうだけど。
……ふと彼女を見れば、少し寂しそうな眼をしている。『もしや』と思い、次の疑問を口に出してみた。
「あの、ルーシェの生前についてご存知なんですか?」
「ティトルーズが話したのだ、当然忘れるわけもない。……用が済んだならさっさと去れ。此処は懺悔室でも喫茶店でもない」
「うう、すみません……」
あの目つきからして、あまり悪い人じゃなさそうだけど……とにかく私とはこれ以上関わりたくなさそうだし此処を出よう。
銀行の上層部が徹夜して発行してくれたのに、結局小切手を使う事は無かった。あの話の流れからして、ルーシェを使い魔にするって事だよね?
でも、その方があの子にとって幸せかもしれない。ルドルフ兄さんもアリアもこの世にいないし、またジャックに利用されるよりかは──。
「不死の存在となれば、天界への移動が可能になるわけか。人形ごときが俺の善意を踏み躙るとはな」
「奪いましょうか?」
「放っておけ。それに、霊石を封じられた雌どもはロクに動けまい」
「ですが、あの小娘は並々ならぬ霊力を有しています。彼女がいずれこちらの戦力を削ぐのでは?」
「俺に考えがある。──これでどういう事か判ろう?」
「その種はもしや……! なるほど、流石でございます」
「利口な女だ。さあアマンダよ、今宵も俺を満たせ」
「はい、仰せのままに──」
「シェリー・ミュール・ランディ……貴様が跪かぬ限り、我々は永遠に追い続ける」
◆デルフィーヌ・アルディ(Delphine=HARDI)
・外見
髪:白髪/編み込んだシニヨン
瞳:碧眼/釣り目
体格:身長173センチ
・種族・年齢:魔女/600歳前後
・属性:焔
・攻撃手段:魔術
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