俺たちの前に立つ男は、和服と呼ばれる東の国の民族衣装を身に纏っていた。波をあしらった和服は砂埃のせいで薄汚れており、頭部は竹などで作られた笠で覆う。
ダークエルフと化したヒイラギは腰に下げた東の刀剣の柄を握り、じりじりと近づく。
その時、男は顔を上げ──赤い眼光を以って彼女を睨んだ。
「っ!!」
ヒイラギは反射的に刀を取り出し、剣身で光を弾く。その刀はどうやら俺の剣のように魔法から身を護ることができるようだ。
二人は、天井なき神殿で宙を舞う。
そのタイミングが重なったと思いきや、互いが急速に迫り出す!
「やぁぁぁあぁぁっ!!!」
ヒイラギが雄叫びを上げるのと同時に、銀の軌道を描く。
だがその一閃は、無言の男によって打ち消される。
何度も──いや幾度も刀がぶつかり合い、火花を散らす。
彼女の小麦色の肌から汗が飛び散る一方、男は束ねた髪をただ揺らすだけだ。
彼らは間合いを取り、沈黙を貫く。
鳥の囀りすら聞こえない自然の中で、ヒイラギの乱れる呼吸だけが聞こえてきた。
「ここは俺たちに任せろ」
「あんたらは手を出すな。あいつは魔法が効かない」
「あの男、いったい何者ですの?」
「ヤツは“屍侍”と云って、本来なら東の国に棲む魔物よ。此処で例えるならゾンビね。……でも此処にいると云うことは、ベレが来るのを見越しているに違いないわ」
随分と出来上がった筋書きだな。もしかしてこの神殿に……
いや、今は考えるのをやめよう。何もできないのは心苦しいが、いつでも彼女をフォローできるように態勢を整えねばならない。普通なら俺らを潰すべく魔物が湧き出るはずなのに、そんなことが起きないのもまた不思議だ。
肌が枯渇した屍侍は、依然と体勢が崩れない。それどころか、徐々にヒイラギを追い詰める一方だ。それにより、彼女の足場がとうとう崩れることとなる。
「くそ……っ!」
ヒイラギは一階へ落ちそうになるも、床に手を掛けることで何とか落ちずに済む。だが、それも長くは持たないだろう。
侍は、白い眼球でただヒイラギを見下ろすだけだ。
このとき俺はある考えを実行するために、敢えて花姫たちにこう指示する。
「すまん、やはり俺らでは太刀打ちできそうにない。逃げろ」
「「ええっ!?」」マリアとシェリーは勿論、エレも驚くような表情だ。
「アレックスさん、ベレさんを見捨てる気ですか!?」
「元々銀月軍団の一員だったんだ。あのような目に遭っても仕方なかろう」
「…………」
エレが俺に対し、声無き圧を掛ける。『絶対に此処を離れない』と言わんばかりに石床を踏みしめ、まさに悪魔のような形相で俺を睨むのだ。
ただ、マリアだけは違った。初めはシェリーら同様声を上げていたのだが、悟りを開いたように表情を無に変える。そして彼女は淡々と言葉を放った。
「アレックスの言う通りよ。奴に始末を任せて、次に行きましょう」
「そんな、マリアまで!」
「戦争なんて、犠牲がつきものよ。……エレ、納得できないならそこにいなさい。斬られても良いならね」
ああ、これはマリアも察してくれたのだろう。エレはヒイラギの姉である以上、口を開けて目で必死に訴えかける。
許せ、ヒイラギにエレ。その先に向かうように、静かに侍らを横切った。
「おいっ! うちらをどうする気だ!!」
「……すまん、これも国のためだ」
「何が『国のため』だ! あんたもやっぱり本当の悪魔だったんだな!!」
ヒイラギの怒号が背に刺さるが、今はその声に耳を傾けてはならない。
彼女の声が段々と遠くなり、魔物の気配も消えていく。それから角を左に曲がり、足を止める事にした。シェリーは眉間にシワを寄せたままだが、マリアは変わらず冷静だ。
「此処まで来れば、あいつも気づかないでしょう」
「ああ。シェリー、お前はあいつが暴れたら霊術で援護してくれ」
「えっ? 先程から何を仰って……」
「こうするしか無かったんだよ。あの侍に不意をつくためにな」
「…………!!」
ようやくシェリーも察してくれたようだ。真に受けてしまった恥か、彼女は途端に俺から目を逸らす。
「ごめんなさい……そうでしたとは知らずに……。だから、マリアも落ち着いてたんだね」
「エレ達は仕方ないけど、そこは恋人のあなたが信じてあげなきゃ」
「そう、だよね……。私もアレックスさんのお考えに従いますわ」
「ありがとう。マリアは他に魔物が現れないか、見張っててもらえるか?」
「ええ。じゃあ、すぐに戻りましょう」
俺は息を殺し、先ほど行った場所へ急速に戻る。
ヒイラギはまだ落ちることなく抗っているようだ。エレにも随分と迷惑を掛けてしまったな……。呪文は、口に出さねば発動する事はできない。だから、今は侍から後退りするのみだ。
これ以上は長引かせまい。
この剣で、侍の背を突き刺す!!
「「!!?」」
男の心臓を背後から貫いたとき、彼女らは目を大きく見開いた。そんななか俺は剣を引き抜き、直ちにヒイラギを引き上げる。
「俺がお前らを見捨てるわけないだろ」
「ったく、驚かせるなよ」
彼女を安全な場所に連れて行ったあと、エレにも「ごめんな」と声を掛ける。彼女は目尻に涙を浮かべながらも、笑顔で大きく頷いてくれた。
エレが自身の妹を薬で治療する傍ら、俺は侍の前にまわる。ヤツは胸と口から血を噴出させながら、片膝をついて抗う意思を示していた。
首を斬ろうとした刹那。
彼は立ち上がり、一気に距離を詰める!
「やらせねえよ!」
侍が繰り出す横薙ぎを、自身の剣で弾き飛ばす。
その隙に俺が突こうとするが、彼はご丁寧に受け止めてきやがった。
間合いを取った直後、彼が迫りくる。
振り上げられた白い軌道を、今度はこの刃で押さえた!
──キィィイイン!!
俺と侍の間で鍔迫り合いが始まる。でも、それがどうした!
「ふんっ!」
勢いよく侍を弾き飛ばすと、彼が後ろへ倒れそうなほど怯む。
「シェリー!」
「はい!」
シェリーが片手を突き出したとき、青白い光が彼女の手に収束する。光は空中に向かって弾けると、侍の足元にある床に亀裂が走った。
──ズガァァァッ!!!
床が崩壊すると一気に瓦礫の山を形成させ、侍を打ち上げる。彼は未だ刀を握り締めるも、その大柄な身体が吹き飛ぶことで体勢が崩れた。
俺はそのまま高く跳び──
屍の首に向かって横に払う!
「これで終わりだ」
肉を断つ音に、飛び散る血飛沫。
あれほど力を有していた不死者。
しかし、頭と身体を切り離されたせいで無へと還った。
土と石床の境目に降り立ち、血糊を振り払う。
魔物の気配が消えた今、草木を揺らす息吹だけが聞こえた。
剣を鞘に納めたとき、誰かの指先が俺の肩を叩いていることに気づく。背後にはいつの間にかエレがいて、笑顔で俺の腕に絡んできた。負傷した右腕の動きはややぎこちなく、しかし、温もりが確かに伝わってきたのだ。
彼女は何かを発そうと唇を動かす。声こそ聞こえてこないが、それは『ありがとう』と言いたいのだとすぐに判った。
「いいさ。共に乗り越えよう」
何となく、俺はその華奢な肩に手を添えたくなった。無論下心から来るものではなく、『エレをいち隊員として支えたい』という思いそのものだ。
妹も納得してくれたのか、強気な出で立ちとは裏腹に優しく微笑む。温かな無言の中、マリアが「さて、次に行くわよ」と声を上げた事で次へ進んだ。
しばらく歩けば、随所で倒れる大木が散見される。太い幹に絡む蔓は、この地の風化を物語るかのよう。下敷きとなった石材のタイルは既に体を成しておらず、幹が此方と遠くの地を繋ぐ橋となっている。倒れた木は何本もあるが、きちんと繋がっているのは一カ所だけだ。そこを渡れば、先へ行けるだろう。
「……この先に、無視できない場所がある気がしますわ」
「うちもそう思うよ。心してかかりな」
「勿論。くれぐれも逸れないようにね」
俺たちは何も言わず、粗い木肌の上を歩いていく。
タイルに着地すると、木造の小さな家々がいくつも佇んでいた。いずれも俺の膝下程度の高さであり、小人ですら入れない程の大きさだ。
マリアも俺らの背後で立ち止まり、意味深い単語を呟く。
「妖精の理想郷……」
それは、太古に存在した妖精の住処。
悲しい歴史を遺したこの地で、俺たちに想定外の災禍が訪れる。
(第四節へ)
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