※この節には残酷描写が含まれます。
三灯のシャンデリアが吊るされた大広間は、冷気に包まれていた。正面奥に並ぶアーチ窓は白昼の雪景色を映し、冬の始まりを訴える。菱形模様のフローリング上に立つのは、礼装を纏う男女では無く──ひとりの少女だ。
俺たちが大広間に辿り着いた頃、副メイド長も騎士団長も氷の彫刻にされていた。鎧を纏う騎士たちも各々の武器を振り上げるが、今となっては凍てついてしまっている。そのせいか、床を踏みしめるたび霜特有の軽やかな感触を足の裏が感じ取るのだ。
「そ、そんな……! ルナ……クロエさん……!!」
初めに声を上げたのはアンナだ。彼女は動かぬ人形と化した幼馴染を見つめ、愕然としている。しかし少女は流れる髪を靡かせ、ブーツを鳴らしながら俺たちの元へ近づいた。
「うふふ、やっと来てくださいましたわ。純真な花の皆さん」
その話し方や声を、俺はこれまでに何度聞いた事だろう。唇の端から頬を覆う横髪に、腰まで伸びた髪。メリハリの利いた体格に加え、背徳の紋章を刻む左腕は間違いなくシェリーだ。
花姫としての姿を持つ彼女は、妖艶な笑みを浮かべて拳銃を舐める。だが、彼女は今までに見てきたそれと異なる点があった。空色の髪は朽ち果てたように暗く、淡い水色の鎧は酸化しきっている。ひざ丈のスカートには血痕があり、裾はさざ波のように破れていた。
『魔術か何かで彼女を眠らせ、そのまま何処かへ連れ去りました』
俺を助けてくれた防衛部隊員の言葉を思い出す。……もしかして、彼女も洗脳されてしまったのだろうか?
ミュール島から戻ってきた際、ルドルフも、ルナも、多くの使用人たちも、ジャックに操られていた。だけど、俺たちはほとんどの洗脳を解いてきたんだ。今から俺が和解を試みれば、きっと──!
「隊長! 彼女はお嬢様なんかじゃ……!」
アイリーンは俺を止めようとするが、恋人が侵された以上は立ち止まれない。
一歩、一歩と踏み入れ、変わり果てた恋人の前に立つ。彼女は驚くどころか、ただ俺を嘲笑うだけだ。
「まあアレックスさんったら。もうあなたに用はございませんが、特別に話を聞いて差し上げますわ」
「……頼むから戻ってくれ、シェリー! 俺には、お前がいなきゃダメなんだよ……!!」
こう言えば、彼女はきっと戻ってくれる。
付き合ってきた頃のように、優しい笑顔を取り戻してくれる……!
……だがそれは、俺の思い違いだったようだ。
彼女が次に放った言葉は、胸中にある均衡を容赦なく突き崩す。
「あっははははははは!! そんな辛気臭いことをまだ仰るつもりですの? もう判ってるでしょう。私の身も心も、全てご主人様のために在るという事を。……そ・れ・と・も、私のしもべになる事をお望みで?」
俺の脳裏をよぎったのは、俺に迫られて動揺する彼女の表情。
いつも俺にだけ向けてくれた、看板娘の笑顔。
そして──艶めく吐息と慈しみのある温もり。
それら全てに亀裂が走り、ガラスのように呆気なく崩れ落ちていく。
『こうして男の人と歩いたのは、とても久しぶりです』
『ウソだろ?』
『本当ですよ。もう三年ぶりですわ』
あの頃に放ってくれた言葉も、
『彼への想いを棄て、銀月軍団をこの手で壊滅させます』
俺に掛けてくれた発信信号も、
全部ぜんぶ嘘だって言うのか?
これが、本当の彼女だと云うのか……?
「……キミは、もうボクの友達なんかじゃない」
今の俺は、感情も記憶も奪われてしまっている。
その傍らでアンナは通信機を握り締め、シェリーを睨みつけた。
「ボクたちの願いも踏みにじるなんて最低だよっ!! アイリーンさんもエレも……そしてボクも、キミたちが結ばれる事を願ったんだ!! ボクたちは、こんなヤツに好きな人を譲った覚えはない!!」
「勝手に惚れたのはそちらでしょう? それに、私はあなたを友達と思った事など一度もございませんわ」
「それが本当でしたら、わたくしの気持ちを返してください。さもなくば、あなた様の頭を撃ち抜きますよ」
「やだ、相変わらずあなた方はこの私を傷つけるのがお好きね! だからアレックスさんはあなたに振り向かなかったのよ!!」
「……この女……!」
「良いわ、エレ。皆、開花の準備をなさい! 今すぐに!!」
わなわなと身を震わせるエレと、それを制止するマリア。女王の号令に合わせて誰もが通信機を手にし、「開花」と叫ぶ。──しかし静寂が続いた末、アイリーンらが困惑の声を漏らした。
「……霊石が、硬化してる……!? そんな事、起こり得るの!?」
「こ、こちらも反応が無いのです!」
「どうしよう! これじゃあ魔法が使えない……!」
「まさか、あなたの仕業ね!?」
「人聞きが悪いですわ、マリアさん。それはご主人様が与えて下さった試練でしてよ」
……散々俺たちを振り回しておいて、何が試練だ。
通信機に埋め込まれた霊石が反応しない以上、俺がこの剣を抜くしかない。それを見たシェリーは、早速俺に銃口を向けてきた。
「まず初めに、あなたをもう一度撃たねばなりませんわね!」
彼女は言葉に憎悪を込め、拳銃を発砲。咆哮と共に放たれたのは、銃口よりも大きい氷の弾。
しかしマリアが乙女色の髪を揺らし、俺の前に立つ。彼女はすかさず焔魔法を詠唱し、炎の幕で銃弾を溶かした。
「ふざけないで!! 本当のあなたは、こんな事したくないはずよ!!」
「うふふ、ふざけているのはあなたでしょう? 臆病なあなたが今度はお姉さんと関係を持つなんて、どこまでふしだらですの?」
「っ!!」
マリアの心に棘が刺さったのか、弾を塞ぐ炎が弱まる。シェリーはもう一丁の拳銃を召喚すると、舞うように氷撃を乱射させた。
「……さっきから黙って聞いてりゃあ!!」
張りのある低声と共に、ヒイラギが縦横無尽に駆け回る。彼女は全ての弾を刀で弾き落とすと、唾液を飛ばす勢いで同級生に怒鳴った。
「うちはぶりっ子が大っ嫌いだからね、本性が見えて嬉しいさ!」
「はっ、何とでも言いなさい! 私の顔を傷つけた事、ここで償っていただきますわよ」
互いがにらみ合い、跳躍するタイミングが重なる。シェリーは二丁拳銃で氷の銃弾をばら撒くが、ヒイラギはもう一度刀で弾き落とした。
「疾風の波!!」
彼女は瞬く間に扇子に持ち替え、8を描いて腕を振る。扇子から放出された数発の衝撃波は、高速でシェリーに迫るが──。
「笑止!」
樹の衝撃波が宙を舞う中、シェリーは隙間を縫って回避。彼女は紺碧色の翼を翻し、一気に距離を詰めた。
「くっ……!」
ヒイラギが刀を持ち直す一方、シェリーは徐々に相手を追い詰めていく。ついにヒイラギの跳躍力が途切れた瞬間、シェリーは踵を上げてヒイラギの溝を突いた。
「やぁっ!!」
「ぐあぁぁ!!!」
和装を纏うエルフの身体が一回転し、床に激突してしまう。ヒイラギは腹這いで倒れてもなお、床に転がる刀に手を伸ばそうとしていた。
だがそれを止めるのは、他ならぬシェリーだ。彼女は着地と共にヒイラギの右手を撃ち抜き、腕を急速に凍らせる。
「あぁぁあぁぁ!」
「可愛い悲鳴ですこと……手を裂かれても、これまで通り傲慢でいられるかしら?」
歯を食いしばり、目尻に涙を浮かべるヒイラギ。一方でシェリーの手には、既に東の刀剣が握られていた。
「やめ、ろ……!!」
「あなたには私の靴を舐めるのがお似合いですわ。勿論、あなたの血肉で汚してからね!!」
刀が今、ヒイラギの手に振り下ろされようとしている。
ならばこの際だ。
「受け取れ!! 一足早ぇ誕生日プレゼントだ!!!!」
美しい髪も、整った顔も、柔らかな肌も──全てこの手で触れてきた。
だったら、恋人らしく最高の贈り物をくれてやろうじゃねえの!
全速力で駆け抜け、刀に向かって右腕を差し出す!
だが次に俺を襲ったのは、言葉にならぬ激痛では無く──風を切る音と、女の苦鳴だった。
「いやぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁああ!!!!!!」
絹が裂ける程の声は、必然的に俺を振り向かせる。正面に立つシェリーは、失われた左手首を押さえて泣き崩れだした。
その左手はというと、刀を握ったまま床に転がり落ちている。モノクロームの床に血だまりが広がり、生温かさが周囲の氷を解かそうとする。
そしてついに──感動の愛を妨げる、最低な男が現れた。
「アレク、そいつはシェリーじゃないよ」
バルコニーから颯爽と現れたのは、血のようなロングコートに身を包むジェイミー。ポケットに手を入れる彼は、シェリーに視線を移し軽薄な口ぶりで煽る。
「アレクたちを騙せても、俺様の目はごまかせないよ」
「ぐっ……!」
シェリーは手首を押さえたまま立ち上がり、ジェイミーを睨みつける。彼女が右手を差し出した瞬間、虚空から小さな筒のような物を取り出した。俺を始め、アイリーンやヒイラギも構えを取る。
「隊長、今度こそ彼女を!」
「んや、違うっぽい」
シェリーが取り出したのは小型注射器だ。橙色の液体を詰めたそれは高速回復剤だろうか。
彼女はそれを自身の左手首に打ち、親指でプランジャーを押す。その際苦しそうな声が上がるも、欠損した部分から左手が具現化された。
「な、何あれ!!?」
「……ふふふ。あなたがどんなに切り裂こうと、簡単にやられませんわよ……!」
「別に俺様はあんたと遊んでも良いけど? ズタズタにされてジャック様に泣きつくのは無しだかんね?」
左手を復活させたシェリーと、余裕そうに振舞うジェイミー。
二人が火花を散らそうとしたその時──。
「そこまでだ」
シェリーの背後に佇む女。
鎧を纏う彼女は、騎士団長のルナだった。
それだけではない。
「先程はよくもやってくれましたね。お嬢様のフリをする輩は、ハンバーグの挽肉にしてさしあげます」
副メイド長であるクロエもまた、シェリーを挟むように立っていた。
ルナにクロエ、ジェイミーの三人に囲まれ、流石のシェリーも動揺せずにはいられないようだ。
「……なんて卑怯な真似を。今日はこれぐらいにして差し上げますわ」
シェリーは不満そうな表情で吐き捨て、黒い靄となって消え去る。辺りが静まり返る中、氷漬けにされた騎士たちもこちらにやってきた。
「隊長、花姫の皆様! お手を煩わせてしまい、申し訳ございません!」
「良いさ、お前らが無事であればそれで良い」
「はあ、何とか間に合って良かったわ」
マリアが溜息をつきながら近づいてくる。ルナたちが復活できたのは、マリアの焔魔法によって氷が解けたからだろう。ジェイミーも息を漏らし、俺に視線を移す。
「俺様が来なきゃ、あんたの右腕は偽者にパクられてたぞ」
「私とした事が、シェリー殿だと勘違いを……」
「気にすんな、俺たちだって真に受けてたんだから。ところでジェイミー、なんであれが偽者って判ったんだ?」
「それについては後で話すよ。マリアちゃん、早速軍議を開いてくんない?」
「は、はあ!? なんであなたにまで『ちゃん』付けされなきゃいけないの! 言われなくても開くつもりよ!」
「この状況で陛下に冗談とは……桁違いの吸血鬼は考えが違うのね」
マリアはジェイミーに向かって怒鳴るが、その実は顔が真っ赤だ。男性との交流に疎い彼女にとって、俺らみたいな男に声掛けられると慌てるのだろう。
あのシェリーがフェイクと知った事で、先程味わった絶望がまさに氷のように溶けだす。
しかし、本人の行方がまだ判ったわけじゃない。懸念が残る中、マリアら城の者は俺たちを会議室へ案内するのだった。
(第四節へ)
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