【前回のあらすじ】
シェリーが行方不明になって以来、初めて彼女の家を訪れたアレックス。しかし彼の望みは叶わず、シェリーが現れる事は決してなかった。
直後ヴァルカと会い、喫茶店グロッタにて清の都ウンディーネの近況について聞かされる。謎の魔族に襲撃された都を救うべく、アレックスは代役としてヴァルカを任命。帰宅後、ある人物からメッセージを受け取るのだった。
果たしてその人物とは? 一人の悪魔騎士に、更なる試練が訪れる。
リビングのテーブルに置かれた通信機は、一通のメッセージを俺に届ける。仕方なく端末を握り締めた時、差出人の名を見て心臓が止まりそうになった。
〈明日の午前10時、私たちがお別れした場所で待っています〉
「……本当に、シェリーなのか?」
開いた口は塞がらず、凍り付いた手はやがて震え出す。待ちに待った彼女からの連絡なのに、どうも心が躍らない。それは、『お別れした場所』というワードに引っかかるからだろう。
此処で言う『私たち』は、俺とシェリーではなく──俺とアリスを指すと思われる。俺らが最後に逢った場所と云えば、南東に位置するリタ平原。四か月前はそこでシェリーと愛を育んだのに、わざわざ『お別れ』という言葉を使うなんて……まさか……。
「いや、確認を取ろう」
せっかく向こうから連絡が来たんだ。ここでチャンスを逃せば、いつ連絡がつくか判らない。
だから俺は指を動かし、通信画面に移って信号を送ってみる。
だが──迎えてくれたのは彼女の声では無く、遮断を報せる無機質なシグナルだった。
「……んで、だよ」
俺を拒絶しているのか? 違う、通話できない場所にいるだけだ。
なら、メッセージを返せばいい。シェリーは付き合ってからずっとこまめに連絡してくれたんだ。今回だって、必ず返してくれる!
〈お前は今どこにいる? 俺も皆も、お前が突然いなくなって心配してるんだ。シェリー、頼むから返事をくれ〉
お願いだ、このメッセージを見てくれ。
嫌われても良い、お前が無事かどうか知りたいんだ!
なあ、応えてくれよ──!
~§~
──翌朝。
どんなに目を瞑っても、駆け巡るのはシェリーの安否。またしても俺は一睡もできずにいたのだ。
冷え切る空気が上半身を起こし、ナイトテーブルに手を伸ばす。それから端末を広げるが、その結果は俺の期待を見事裏切った。
2nd.Lap, A.T.348
AM6:18
……大丈夫だ、信号を送れば出てくれるかもしれない。
意識が呆然としながらも、画面を操作して端末を耳に当てる。余る片手でカーテンを大雑把に開ければ、灰色の空から雪がはらはらと舞い降りていた。
窓を眺めても、変わらず彼女からの声が聞こえてこない。
それどころか、昨晩同様に遮断のシグナルが続くだけだ。
「……直接来いってか」
心苦しいが、とりあえず約束の場に向かわねばならない。
まずはシャワーを浴び、支度をしてからコーヒーを飲む。最後に黄枯茶のコートを羽織ってリビングを後にしようとするが──不覚にも、棚に置かれたフォトフレームが目についてしまう。数枚の額縁を繋ぎ合わせたようなそれには、ジェイミーが撮ってくれた写真やひまわり畑でのツーショットが飾られていた。
「……また、一緒にいられるよな……?」
写真の中の彼女は、慈悲深い笑みを浮かべてこちらを見つめる。今ではそれがまるで嘘のようで、余計に胸を締め付けられるのだ。
本当に足が棒になっちまう前に、家を出よう。直接会って、俺なりの想いをきちんと伝えれば良いのだから──。
俺はアパルトマンを出てから翼を翻し、リタ平原へ向かう。蒸気機関車を使えば数時間、悠長に乗る暇など無い。長年の戦闘経験があるが故、長時間の飛行は決して苦にはならなかった。
昨今は上空を飛び交う魔物も少なからず存在する。しかし、俺が今日会いに行く事を察したかの如く、魔物に遭遇する事は決して無かった。……ひょっとすると、シェリーは朝早くから機関車に乗っていたのだろうか。もし俺が焔魔法の一つや二つ憶えていれば、彼女を温められたかもしれねえのに。
自責に駆られていると、緑で覆われた土地に辿り着く。相変わらず此処だけは自然溢れているが、流石に積雪は免れないらしい。枝葉に積もった雪は見た目より重いようで、今にも垂れ落ちてしまいそうだ。
此処は南東だと云うのに、城下町を超えるような寒さだ。早くシェリーを見つけ、機関車でゆっくり帰ろう。
一面が雪景色に移り変わる時、西の方から足音が近づいてくる。その影はだんだんと鮮明になり、蒼い髪を靡かせる少女が姿を現した。
……間違いない。あの鼠色のコートは、以前アルタ街に行った時と同じものだ。
俺が深く呼吸をすれば、口から白い息が漏れる。吐息は淡く消え、肺の中に澄んだ空気が入り込んだ。
そして──少女はついに、俺の前で足を止める。彼女の表情には翳りがあり、大きな瞳からは雫がこぼれそうだ。
理由は、判っている。俺はコートのポケットに入れていた片手を差し出すが、彼女はその手を振り払った。
「触らないで……」
震える少女の声が俺の胸を突き刺し、ある記憶を呼び覚ます。
彼女がその言葉を初めて放ったのは、俺が着任したばかりの頃。銀の満月に照らされた彼女は美しく、どこか悲しげでもあった。
だが今は、あの頃と違って肌を重ねる程の間柄だ。何度「愛してる」と言ったか判らないし、飯を作ってもらった日など数えきれない。
それなのに──彼女は俺から目を逸らし、唇を噛むだけ。流れる蒼髪に絡む雪を払おうとして、思わず手を下ろしてしまう。
何も言えぬまま口を開けていると、彼女は言葉を続けた。
「もう、嫌なんです。どんなにあなたが愛してくれても、私は二度と言葉を交わせないの。その唇だって──」
視線を下ろす彼女の瞳から大粒の涙が溢れる。
本当はその涙も拭ってやりてえのに──もう叶わねえのか?
四ヶ月前、あの男に全てを壊された。
俺と彼女の関係はヤツの嫉妬を買い、彼女が囚われた。
けれど、『助けて終わり』と片付くほど容易な話ではない。
身体に刻まれた存在が愛を蝕み、彼女を孤独に追い込んだのだ。
だから俺の胸中は、そいつへの殺意に支配されていた。
もはや国のためではない。自分のためだ。
「……必ずあいつをぶっ殺す。だから、それまでは耐えてくれねえか?」
「…………無理よ。だって……だって、彼は──!」
「話を聞いてくれ。俺に考えが──」
「来ないでっ!!」
両手で彼女を抱き締めようとした刹那、強く突き放されてしまう。
それだけでは無かった。
「私に近づけばどうなるか、判ってますの!?」
彼女の手中に収まるのは、一丁の魔力変換銃。ハンドガンの形をしたそれは俺を捉え、全ての思考を掻っ攫う。今の俺には、恋人の名を呟くほか無かったのだ。
「シェリー……嘘だろ……?」
「私と別れて下さらないなら……あなたとこの心を殺し、魔物として生きるまでですわ」
やめろ。やめてくれよ。
お前の口から『別れる』なんて言葉は聞きたくない。口にしたくも無いんだ。
長い時を超え、やっとお前と巡り会えたってのに……なんでそんな事が言えるんだよ……。
「……俺は端から魔族だ。ならば、共に魔物として生きれば良いじゃねえか」
「それではダメなの……どんなに一つになっても、私の宿命は変わりませんから……」
銃を持つ手が震え、端整な顔が涙で濡れていく。
これ以上近づけば撃たれるのだ。
それでも俺は──!
地面を蹴り、決死の覚悟で彼女に近づく。
例え、彼女がまた霊力を失っても良い。
あの頃のように、熱い口づけを交わしたいんだ──!
その想いで駆けた矢先。
「いやぁああぁああ!!!!」
悲鳴と共に、無機質な咆哮が鼓膜をつんざいた。
ついに意識を奪われ、灼けるような痛みが胸中に広がっていく。
そして──俺はようやく気づいた。
今までが、“終わりの始まり”だったという事を。
──蒼桜。
生まれてから一度も見た事無いのに、その花だけははっきりと憶えていた。
空色の花弁が吹き荒れ、石柱に支えられたバルコニーを映し出す。城壁にも似たそこは、誰かの宮殿のように思えた。
「ねえ」
鼓膜をくぐるのは、女の透き通る声。どこかで聞いた事あるその声は、必然的に安堵感をもたらしてくれた。
振り向けば、白銀のショートヘアを揺らす女が椅子に腰掛け、小型の竪琴で優雅な旋律を奏でる。花の髪飾りを身に付ける彼女は、微笑を浮かべて俺を見つめていた。その蒼い瞳で見つめられたら何もできねえのに……俺は、憎まれ口を叩く事しかできなかった。
「んだよ、そんなにジロジロ見んな」
「もう良いでしょ? 本当は、あなただって私の傍にいたい……違いますか?」
こいつは、夢か何かに何度も出てきた女だ。俺は彼女について何も知らないのに、何故胸が高鳴るのだろう。何なら、苛立ちだって込み上がる。
でも──こいつの美しい顔立ちが、何もかもを奪い去るのだ。まるで全てを見透かされているようで、結局逆らえずに肯定してしまうのだ。
「……最初から、言えよ。『私の傍にいて』とな」
「判りましたわ。……お願いです、──────。どうか、私のお傍にいてくださいな」
ああ! 何してんだ俺のバカ!!
女の上目遣いに気を取られてどうすんだよ!!
俺が女に弱いせいで、つい隣に座ってしまう。名前のような何かなんざどうでも良くて、彼女の色香を堪能したくて仕方が無かった。
此処から見えるのは、石材で造られたであろう家々。その景色はブリガを彷彿させるが、俺は今どこにいるんだ……?
ふと隣を見れば、一枚の大きな布を羽織る美女がいる。何となく自身の服装を見てみると、俺も彼女と似たような格好だ。とても今の時代に着るものとは思えず、どこか華やかな印象を覚える。
自分の考えに反し、左手が勝手に彼女の髪を撫でる。彼女は俺の肩に寄り添い、唇を近づけ──
「……────」
「────」
男女の話し声が聞こえる。片方はマリアで、もう片方は見知らぬ誰かだ。彼らの声が意識を呼び覚まし、瞼をこじ開ける。
俺の中に眠る経験は、此処が城内の医務室である事を教えてくれた。声のする方へ首を傾ければ、マリアやヒイラギ・花姫たちが俺の周囲に立ち尽くす。しかし、その中にシェリーの姿は見当たらなかった。
「アレックス様!!」
「えっ!?」
マリアは男性との会話に夢中だったようで、怖いモノを見たように跳び上がる。一方男性もこちらを見ては、「ああ、良かった」と安心する様子だった。
俺は挨拶しようと上体を起こすが、雷に打たれたような痛みが胸中を駆ける。隣に立つ白衣の医師は、「ご無理なさらずに」と背中を支えてくれた。
「マリアちゃん、彼はいったい……?」
「ちょうどリタ平原で依頼をこなしていた、防衛部隊の一員よ。銃声を聞いて、救護馬車を呼んでくれたの」
「そうだったのか……ありがとな。お前がいなけりゃ、俺はまた──いや、本当に死んでたんだな」
「いいえ。私こそ、もっと勇気があれば……」
思わずセレスティーン大聖堂での臨死を口にしてしまい、慌てて言い直す。その際、彼の『もっと勇気があれば』という発言が気になるのも兼ねて、当時の状況について尋ねてみた。
「教えてくれ。俺が撃たれた後、何があった?」
「そ、それは……」
「何でもいい。俺を撃った恋人を捜してるんだ」
「……私は薬草を採取するために、単身で森林の中を探索しておりました。ですが、東の方から銃声が聞こえましたので慌てて抜けると、銃を持つ女性が黒服の男に抱かれていました」
「っ!!」
黒服の、男……。如何なる時もその恰好をするヤツは、ジャック以外心当たりがない。でもそこにいたのは俺と彼女だけなのに、何故あいつが出てくるんだ?
その疑問に答えるように、ヒイラギが冷淡に仮説を述べる。
「ジャックからの命令だろうな。余程の脅しが無けりゃ、シェリーもあんたを撃つなんて事はしないさ」
「……シェリーは、『もう俺と一緒にいるのが嫌だ』と言っていた。俺からの通信とメッセージを全く返してくれなかった。ただ脅されてるだけとは思えねえ」
「隊長、貴方なら判るでしょ。『本来の任務を遂行するために嘘をつく人間もいる』という事を」
「……あいつの任務って、何だ……? 俺を殺すために、リタ平原に呼び寄せたってのか……?」
アイリーンの言葉を受け、頭の中がますます霧に包まれる。その問いに答える者は無く、マリアは男性にこう指示した。
「さっきの二人について話してちょうだい」
「はい。少し遠くにいたので会話は聞き取れませんでした。……しかしその女性は、男に抱かれる事を嫌がっていたようです。男はそれに腹を立てたのか、魔術か何かで彼女を眠らせ、そのまま何処かへ連れ去りました」
「だからボクも、ヒイラギさんの考えに納得いくんだ。確かにボクが連絡しても全く返事が来なかったけど、ジャックに脅されてるなら無理もないかなって……」
「それでも、アレックス様が撃たれたのは事実なのです。『脅されたから』なんて、わたくしの大切な人を傷つけて良い理由になるのですか!?」
「……シェリーがアレックスを撃ったのは、これで二度目よ。あの子はあたしの幼馴染だけど、ここは王として刑罰を下さなきゃいけないのは判ってるわ」
刑罰……か。不用意に傷を負わせた場合は、かつての俺のように何年も──幸い、俺の場合は一週間前後だった──牢獄へ入れられてしまう。仮に更生したとしても、見知らぬ輩の奴隷になるのが精々だ。それは、俺にとって納得のいくものだろうか……。
「俺は何とか生きてるんだ。エレちゃんが気に掛けてくれる事も、マリアちゃんが責務を全うしようとする気持ちもよく判る。だけど、これ以上彼女に苦しみを与えないでやってくれ。仮にもあいつは、純真な花の隊員だ」
「……あなたがそれで納得いくなら考えるわ。でも、あの子に何らかの制限を与えないとジャックに付け込まれる事だけは憶えていて。勿論、あなたと引き離すような事はしないから」
「………………」
マリアが静かに答える傍ら、エレが唇を噛んで俯く。最近の心情があるからこそ、彼女の中であらゆる感情が蠢いているのだろう。
それを察するように、ヒイラギが姉の肩に手を添える。元々ヒイラギは、銀月軍団の配下──それ故か、こういう時に冷静でいられるのかもしれない。
「姉貴の考えてる事、判ってるつもりだ。だから、会った時には頬ぐらい引っ叩いてやれば良い。……こればかりは、ヴァンツォに拒否権は無いぞ」
「良いの。そんな事をしたって、何の解決にもならないから。……でも……でも!!」
瞳から光の粒が零れるも、顔を上げるエレ。彼女は窓が映す雪景色を見つめ、震える声に憤りを込めた。
「もう、こんなの嫌なのです……! わたくし達、ジャックを倒すためにこの魔術戦隊があるのでしょう!? それなのに、どうして彼に振り回されなきゃならないのですか!? わたくしの手で銀月軍団を壊滅させられたら、どんなに幸せな事か……何もできなくて、とても悔しいのですよ……!!」
「……お前のせいなんかじゃない。俺があらゆる可能性を想定していれば、こうはならなかった」
「隊長……」
アイリーンを始め、花姫の誰もが物憂げな表情を見せる。男性は『どうすべきか』と迷っている様子だが、医務室を警護するメイドに促され静かに退室。
その時、静寂を破る程の足音が瞬く間に迫ってきた。
執事がこの部屋に駆け込み、俺たちの前で片膝をつく。マリアが執事の前に立つと、彼は慌てた様子で声を荒げた。
「何者かが城内に侵入! 至急応戦願います!!」
「何ですって!? 相手の特徴は!?」
「はっ。お嬢様に酷似した女が、魔法を操っている模様! 現在、副メイド長と騎士団長が大広間にて交戦中です!」
まさか、シェリーが!? いや、あいつは『魔術は不得意』って言ってたし、霊術を使ってるとか……?
俺がベッドから離れようとした刹那、再び胸の痛みに襲われてしまう。その際、医師は俺を制止するが、敵がいる状況下で安静などできやしない。……相手が“お嬢様に酷似した女”なら尚更だ。
「鎮痛剤を……くれ。あいつと、話をしなきゃならねえ……!」
「ですが……!」
「構わないわ! 救援が来るまでの間、頼むわよアレックス!!」
「ああ……!!」
医師はマリアの指示に従い、注射器を俺の身体に打つ。痛みが一気に引くと、俺は花姫たちと共に大広間へ駆け抜けるのだった。
「……待っててくれ、シェリー。必ずお前を助けるからな!」
(第三節へ)
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