廊下を歩くたび、麻服に身を包む者と白衣の者たちが徘徊していた。手を包帯で覆う人間に、松葉杖を突いて進む獣人。俺たちは彼らと距離を取りながら、ある部屋へと向かっていく。
「此処ね」
マリアの言葉で誰もが立ち止まり、扉に打ち付けられたドアプレートを目視する。そこには『Luna』と刻まれていた。先頭の俺が扉を三度叩くと、アンナが顔を出して「入っていいよ」と手招きしてくれた。
「失礼するぜ」
そう言って扉の先をくぐれば――茶髪でポニーテール姿の少女が上体を起こしていた。両腕に白銀の義手を嵌める彼女は、自分の手を静かに見つめている様子。しかし、俺たちの存在に気づいたのか、ハッとしたように視線を上げた。
彼女こそがルナである。ジェシーに両腕を切断されたのち、マリアが急きょ義手を開発。それから(俺含む)純真な花の全員は資金の調達に専念した。元々はあの国王一人でやるつもりが、他の隊員たちにも漏れて今に至るらしい。ただ、俺もエレに言われるまでは全く気づけなかっただろう。
ルナは俺たちを見据えたまま、凛々しい声でこう話し掛ける。
「貴方たちが魔術戦隊『純真な花』であられますか?」
「ああ。俺は隊長のアレクサンドラ・ヴァンツォだ」
「なんということだ……!」
両脚をこちらに向け、深く頭を下げる彼女。
「陛下に隊員の皆様。未だ腕を動かせぬゆえ、ご無礼をお許しください。私こそがルナと申します。この義手を贈ってくださったのも貴方たちだと聞き及びました。この度は……心より感謝を申し上げます」
「それは俺じゃなくて、マリアらに言ってくれ」
「あら、ただの暇つぶしよ」
嘘つけ、本当はお前が率先して造ってただろ。マリアはさも何もしていないかのように振舞うが、見え透いた演技である。
それにしても、ルナの瞳の焦点があまり定まっていない。エレとシェリーが空気を和ませるように、ベッドに近づいて朗らかに声を掛けた。
「あまり緊張なさらないで! わたくし達は、あなた様が元気でいればそれで良いのですから!」
「そうですよ、ルナさん! 私たちとも友達になってほしいくらいですわ」
「恐れ多いことを……なぜそこまで気にかけてくださるのでしょう?」
「それはね、ルナがとても素敵だからだよ! 子どもの頃から『ボクだけの騎士でいる』ってずっと言ってくれてたし、あの時もボクを見捨てなかったでしょ」
「ふっ、何を言う……。友であるお前を守るのが、私の使命だからな。見捨てるわけがなかろう」
ルナがアンナの肩に触れる。慣れない手つきだが、確かな友愛が感じられた。
「皆様、このご恩は必ず返させていただきます」
「そんなの気にしないで。それよりも、リハビリが終わったら皆でお食事しましょ。必要あらば、稽古に付き合うわ」
アイリーンが優しく微笑んだ。
「それは誠ですか!?」
「剣と武の鍔迫り合い……ぜひ見てみたいですわね」
ルナとアイリーンの模擬戦闘か……。シェリーに限らずとも、俺も気になるな。
そんな中、ルナは冷静さを取り戻すようにトーンを下げる。
「ジェシーに腕を切られたときは、『もうおしまいだ』と思っていました。『これではアンナを守れない』とも。ゆえに、貴方たちはまごうことなき恩人でございます」
助けた当初はアンナから『もうボクの知るルナじゃない』と聞かされていたが、こうして腕と希望を手にしてくれて何よりだ。今後もあらゆる痛みを乗り越え、より強い剣士となるだろう。
拳で約束したいけれど、ここはグッと堪えて言葉だけで約束を交わしてみる。
「じゃあ俺からも。お前との一戦を楽しみにしてるぜ」
「は、はい!」
「そう緊張するなって。今まで通りお前らしくやってくれたらいい」
「ありがとうございます。私もその日に備えて鍛えて参りますので!」
また頭を下げるなんて……とても良い子だ。一見アンナとは対照的だが、真っ直ぐな態度は彼女とそっくりである。
「よし、そろそろ出るぜ」
「うん! 皆、本当にありがとう!!」
俺たちは軽く手を振るアンナに背を向け、静かに部屋を去った――。
病院を出た頃には、陽が少し沈みがかっていた。それはまるで、アンナが陽の力に目覚めた日のときのような――しかし、その時とは違って皆の表情は晴れやかだ。
何やらシェリーとマリア、アイリーンで盛り上がっているようだが……何があった?
「じゃ、シェリー。あとは頑張ってね」
「ええ! 本当にあれをやるの!?」
「当然ですよ。それが隊長にとって大切なことなのですから」
俺にとって大切なこと? いまいち掴めねえぞ。
「エレちゃん、何のことかわかるか?」
「さあ?」
エレもただ首を傾げるだけで、結局誰もが解散する流れだ。
皆がそれぞれの方向へ散らばって俺一人――になるかと思いきや、シェリーだけが立ち尽くした。紅の陽が蒼い髪を照らすおかげでどこか哀愁が漂う。
ん? この光景と胸の痛み……気のせいか。
「あの、アレックスさん」
「どうした?」
「ちょっと私に付いてきてくれますか?」
彼女は顔を赤らめながら、こちらを見つめている。
これは……もしかして……!!!
期待に胸を膨らませながら、言葉通りついて行く。
路地裏でもない。
遊歩道でもない。
彼女の家でもない。
たどり着いたのは――城の礼拝室だった。
似ている。いつぞやの晩に、俺がフラッシュバックを起こした場所と似ている。ステンドグラスが記憶と一致するも、頭痛は不思議と起こらなかった。
シェリーに導かれて聖書台の前に立つと、なぜか向き合う形となる。それはまるで結婚式のようだ。
「その……右手を……」
右手??? 左手じゃないのか? とりあえず言われるがままに差し出す。すると、彼女は小さなケースの蓋を開け、深呼吸し出した。
「ああ、恥ずかしい……どうして私がこんなことを……」
手を震わせながらも、金色の指輪が徐々に近づく。
そして、中指へ――。
中石が赤く光り、温かいエネルギーが身体の中へ入り込んでいく。
女性の囁きと、抱かれるような温もり。
やがて俺の視界に、ある光景が浮かびだす。
緑豊かな草原。
俺の手を握る、銀色で長髪の女性。広がる白いスカート。
彼女は振り返ることなく、ただひたすら前へ突っ切っていた。
『ほら、アレックスさん! 早くっ』
シェリーに似た声。だが、本人と違ってかなり朗らかだ。
ここはどこだ?
それに、お前は……?
「はっ!」
「気が付きました?」シェリーが俺の手を握ったまま首を傾げる。
「その様子ですと、また思い出したみたいですね……」
「なんとなくお前にそっくりなヤツが出てきた」
「私に……似てる?」
「うん。顔は見えなかったけど、声とか雰囲気とかがな。ところで、お前が嵌めた指輪は一体なんだ?」
「本来の力を制御しつつ、翼を展開するための器具ですわ。これで、今のお姿のまま空を飛べるようになりますの」
通信機といい、剣の改造といい、また便利なものをくれるんだな。
「だったら、わざわざここに呼び出さなくても……」
「私もケースごと渡すつもりでしたが、『大事な儀式だから』とマリアやアイリーンさんがうるさくて……」
「お前がなんて言おうが、俺は嬉しいよ」
「勘違いしないで! これも使命ですわ! ……あなたに、ミュール神の御加護が……んなぁあ、もう! あなたのせいできちんと言えないじゃない!」
「俺のせいかよ!」
「やるべきことは果たしたので、これで失礼しますわ」
そうして顔を赤らめるお前も可愛いじゃん。
シェリーが俺の手から離れようとしたとき、身体が勝手に彼女を抱き寄せる。
「ちょっと、何す――……!?」
「逃がすかよ」
なぜ瞳を潤ませる? そんな目で見つめられたら、もっと狂っちまうだろ。
少女の美しい顔立ちに近づき、指先で顎を持ち上げてから――。
「……――っ……!」
この聴色の唇を、悪魔の唇と重ね合わせた。
柔らかな感触と甘い香りが衝動を煽る。
でもその先はまた別の機会にしよう。今は少しわからせるだけで良い。
刹那を堪能し、唇を離す。
徐々に彼女を解放してみるのだが、依然と立ち尽くしたままだ。
「俺も男だということを忘れるな」
彼女は小さな唇を薄く開くだけで、掠れた声を断片的に漏らすことしかできないらしい。それでも俺は待たないさ。
ただ……せっかくこんな事できたってのに、何だか胸がざわつく。
『高鳴っているだけだ』
そう心の中で言い聞かせながら、この穢れた指先を鉄黒の扉に近づけた。
(第九節へ)
◆ルナ(Luna)
・外見
髪:栗色/ロング/ポニーテール
瞳:髪の色に近い
体格:身長162センチ/B86
備考:両腕に白銀の義手
・種族:人間
・職業:騎士
・武器:長剣
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