「お前、ばっちいんだよ!」
俺の予感を遮るように、少年の騒ぎ声が西の方から聞こえてきた。
俺達が声のする方へ駆けつければ、広場と思しき場所に着く。その片隅で、複数の少年らが誰かを囲っているのが見えた。
輪の中心にいるのは、茶髪でそばかすが目立つ丸眼鏡の男の子。歳の近い少年たちは、汚い物を跳ね除けるかのように笑いながら突き飛ばし合っていた。
「やめろ! こんな事したって、何も解決しないぞ!」
「おいおい、こいつ何か言ってるぞ。聞こえたか?」
「幻聴じゃねえの? こんなヤツが俺らと同じ言語を話すわけないじゃん」
……なんて醜い連中だ。彼らに何があったか知らんが、見過ごして良いわけがない。
公憤に身を任せ、俺が半歩踏み入れたとき。シェリーがこの腕を強く掴んできた。──蒼い瞳の奥に、過去の痛みを宿して。
「大丈夫ですわ。私が止めてきますから」
いくら小さい子相手と云えど、本当は怖いに違いない。それでも「彼を助けたい」という気持ちがその眼差しから伝わってきた。
シェリーは凛とした表情を崩さぬまま少年たちに近づく。しかし、彼らは依然といじめに夢中のようだ。
それでも彼女は、雷を落とすように声を張り上げる。
「こら! 何をしているの!?」
シェリーの怒号が連中の背に突き刺さると、彼らはとっさに彼女の方を見た。すると顔を一気に青ざめ、まさに神にすがるように怯えだす。
「……って、ふぇぇぇえ!!! もしや女神様!?」
「ぜ、全部こいつがいけないんですよ!! どうか御慈悲を!!」
「何があったのか知らないけど、そんな事して良いワケがないわ! それ以上はバチが当たるわよ!」
「うあああぁぁああん!!!」
「ごめんなさーーーい!!!」
さっきまでの威勢はどこへやら、彼らはシェリーを見て一目散に逃げだした。……きっと、声と外見でアリスに怒られたのだと勘違いしたのだろう。
街の様子といい、少年少女たちといい、ミュール島の都心部はこんなにも治安が悪いのか? この男の子に訊けば何か判るだろうか。彼は隠者姿に扮した俺を見ても怯えるどころか、此方へ駆け付けてお辞儀をし出す。
「あの、僕を助けてくれてありがとうございます!」
「気にしないで。それより、怪我はない?」
シェリーがそう尋ねると、少年は左肘を彼女に見せる。きっと家に籠もりがちなのだろう。擦り剥いたような傷が、白い肌からほんのりと浮き出ていた。
「これぐらい平気です!」
「良いわ。ちょっとじっとしてて」
少年はシェリーに患部を軽く押さえられ、顔を赤らめる。しかしシェリーは彼の反応に気にも留めず、静かに目を瞑った。
彼女を包む金色の光は粒子となり、蛍のように患部へと向かう。光の集まりはたちまち傷を塞ぐと、少年は目を輝かせた。
「す、すごい……! こんなに優しい霊術、見たことないよ! その、お手を煩わせて申し訳ありません!」
「いいえ、やりたい事をしているだけよ。私はシェリー・ミュール・ランディ。あなたは?」
「僕はアルベルト・ローレンツと申します。気軽に『アル』とお呼びください」
アルの品行方正ぶりから、育ちの良さが窺える。しかしどんなに礼儀正しく振る舞おうと、初な一面までは隠しきれないようだ。
彼は好奇の眼差しを俺達に向け、話を続ける。
「シェリーさん……やはりミュール族の方だったんですね。女神様を伝記や聖書でしか存じ上げませんが、あまりにそっくりで僕も驚いてしまいました」
「本当に似てるよな。俺も初めて見た時、ドキッとしちまったよ」
「もうっ、ア……あなたまで! 何だか、恥ずかしくなってしまいますわ……」
シェリーはいつもの癖で『アレックス』と呼ぼうとして、『あなた』に言い換える。この際なので、俺も自己紹介をする事にした。
「紹介が遅れて悪い。俺はアダム。ワケあってシェリーの付き添いをしてるよ」
「よろしくお願い致します! もしかして、ティトルーズ王国の方々ですか?」
「ああ。だからお前さえ良ければ、この島で今何が起きてるか教えてほしいんだ。どうだい?」
「すみません。此処では申し上げにくいので、一旦僕の家に来て頂けますか?」
「そうだな……」
俺はマントから腕を出し、手首に巻かれた時計を確認する。うむ、約束の時間まではまだ余裕があるな。
「良いぜ。お邪魔させてもらうよ」
「ありがとうございます。それでは、僕に付いてきてください」
俺とシェリーは、アルの後を付いていく。人気の少ない通りをしばらく歩くと、都会から外れた住宅街へ。もう少し歩くと、如何にも田舎という感じの家々が並んでいた。
その一連とは別に、一軒の大きい屋根が見つかる。アルは「ここが僕の家です」と指差すと、玄関まで連れて行ってくれた。
「お邪魔しますわ」
「失礼する」
彼に家の中を通されたとき、石造りの古びたリビングが視界に広がった。草木の匂いに程良い涼しさと、両親と住んでた場所を思い出す。
決して中は狭くない。だからこそ、小さな違和感がそこにあった。テーブル席に案内されて座る間も、その正体について考え込んでしまう。
その時、アルは二つのマグカップをトレーに添えてやってきた。立ち上る湯気は彼のメガネを曇らせるが、当の本人はきちんと視えているらしい。
「宜しければどうぞ」
「まあ! ありがとう!」
「よし、頂こう」
アルが差し出してくれたのはホットミルクだ。縁を唇に当ててカップを傾けてみると、適度な熱さと濃厚な味わいが口の中を占める。優しい味で、思わず全部飲み干してしまいそうだ。
俺が一旦カップを置く傍ら、彼は俺達の向かいに腰掛けている。窓辺に見つめるその横顔は、何かに思いを馳せているようだった。
「昨年に僕の母が病死して以来、ずっとで独りで暮らしています。ですから、この家に招いたのは貴方達が初めてです」
「そんな事が……」
同じく窓際のシェリーが表情を曇らせる。
……ああ、そうか。この違和感の正体は、“両親の気配が無い事”だ。その事実といい、先程の苛めといい、天も酷い事をするものだ。
アルは此方へ向き直り、シェリーにこんな事を尋ねる。
「ご存知の通り、この国にはミュール族が多く住んでいます。然しながら、貴女ほどの温かい霊術を僕は見たことがありません。何か心当たりはございますか?」
「……信じてもらえないかもしれないけど、私にはアリスとしての記憶と能力があるみたいなの」
「──!? 本当に、そのような奇跡があるのですね……!」
「何か知ってるのか?」
息を呑むアルだったが、俺の問いで平静を取り戻す。
「失礼いたしました。女神様のお力は太古より存在するもので、永い時の流れを経て継承される──と聞き及んでおります。ですが、それはもはや伝説に等しく、これまでに確認された事がございませんでした。……どおりで、アマンダさんもあそこまで躍起になられているのですね」
「アマンダ?」
「ミュール族に仕える神官であり、彼女も霊力を持っています。毎日都心に出ては、僕やみんなに挨拶をしてくれる方でした。それが最近では片目を失い、怖い顔で街中を歩くように……」
「そういえば、あちらの方々は何かしら身体が欠損していたわね。それはどうして?」
「ひと月ほど前、でしょうか。銀月軍団という組織が現れ、突如皆さんを傷つけ始めました。家族を殺された人に、身体の一部を奪われた人。僕はそれが怖くて、ずっとずっと地下に潜っていました」
「……酷すぎるわ……。ティトルーズ王国だけでは飽き足らず、この国も支配しようと云うの?」
「どんなヤツが面を見せたか判るか?」
「申し訳ありません。僕は鐘を聞いてすぐに逃げ込んだ為、どのような者がいたかまでは……。ですが、彼らの悲鳴だけははっきりと耳にしました。『痛い痛い』と泣き叫ぶ子どもの声も、毎日のように聞こえます。近所に住む子なのですが、僕ですら見ていられなくて……」
「辛い事を思い出させてすまなかった」
「とんでもございません。……アマンダさんは、こう仰っていました。『ミュールの奇跡を与えし者がいれば、傷は癒え、失った者が蘇る』と」
ミュールの奇跡──アリスは、花姫になるための力を代償に幻視病を消滅させた。膨大な霊力を持つであろう彼女がああなんだ。もしシェリーが同様のことをすれば、今度は俺たちの国が危ない。
シェリーが口を開く前に、俺が粛々と答えた。
「俺たちの国も魔物が蔓延ってて危険な状況だ。お前達のところも救ってやりたいが、シェリーの霊力を欠かすわけにはいかなくてな……」
「無理は言いません。自分の故郷を守るのは当然の事ですから」
アルは静かに微笑みながら首を横に振る。一瞬だけ落胆の表情が見えたからこそ、彼なりの気遣いが心に染みた。シェリーが片手を差し出すと、アルもそれに応える。
「ごめんなさい。私は、あなた達が受けた全ての傷を治せないかもしれない。……代わりに、銀月軍団を必ず倒すって約束するわ」
「ありがとうございます! あの、最後に一つだけお願いしても良いですか?」
「おう、なんだ?」
アルはシェリーの手を離した後、とんでもない事を口にした。
「僕の飛行機を見てくれませんか?」
「「飛行機!!?」」
偶然にも俺たちの声が重なる。ミュール島は蒸気機関があまり発達していないと云うのに、何故そんな単語が出てくるのだろう。
彼は嬉々と立ち上がり、逸るように「こちらへ」と手招きしだす。思わずシェリーと顔を合わせた後、俺達も後に続く事にした。
俺達が向かったのは裏庭だ。元々家族も使っていたとは云え随分と広い。そこに堂々とそびえ立つのは、黄色いプロペラ飛行機だった。前後には座席があり、操縦者含め二人は乗れるだろう。小型の部類と思われるが、でかい事に変わりは無い。
「すげえ……どうやって入手したんだ?」
「処女作ですが、自慢の飛行機なんです」
「もしかして、一人で造ったの!?」
「はい! ……いつか『母と一緒に大陸を回ろう』と開発を急いだのですが、結局間に合いませんでした」
自慢気に話す様子から一変して俯くアル。後方に母を乗せ、楽しそうに飛行する彼が真っ先に目に浮かんだ。
だが彼は悲しみを振り切るように顔を上げ、レンズの奥に信念を宿す。
「きっと母は一足先に旅している事でしょう。ですから、僕も彼女のように飛び回りたい。その思いで完成まで漕ぎ着けました」
「…………!!」
シェリーは息を呑み、瞳から大粒の涙を流す。俺もアルの話に胸を締め付けられ、目頭を熱くせずにはいられなかった。
単身で飛行機を造るのみならず、家族を大切にするアルベルト。もし彼が世に出れば、さらに幸せな人生を歩めるに違いない。
その予感を後押しするように、アルは次のように語る。
「それから、僕は思い切って異国で生活してみたい。勿論こちらも大切な場所ですけど、僕の知らない世界が眼下に広がっていると思うと、スパナを握らずにはいられません。アダムさん、シェリーさん。ティトルーズ王国って、どんな場所ですか?」
「きっとお前が気に入る所だ。お前の好きそうな機械が山程あるし、どの王も種族で判断するようなヤツじゃない」
「わあ! ますます楽しみになってきました! ……とはいえ、このご時世で遠征はなかなか難しいですよね……」
「だから私達は戦っているの。一刻も早く平穏を取り戻すためにね」
「僕、戦いが落ち着いたら必ずティトルーズ王国へ遊びに行きます! その日までに飛行機を造って、アダムさん達を乗せたいです!」
……始めは『大人びた少年』だと思っていたが、どこまでも真っ直ぐで胸を打たれる。彼のためにも、早いとこ銀月軍団と決着を付けよう。
「アル、今日はありがとう。私達はこれでお暇するわね」
「はい、こちらこそ本当にありがとうございました! 無事戻ってきてくださいね!」
「勿論だ」
俺とシェリーはアルと握手したあと、家を出て都心部に戻る。
向かう先は、アリスの旧居である“ミュール宮殿”。
果たして俺達の運命が如何に動くか──その答えは、天のみぞ知る。
(第三節へ)
◆アルベルト・ローレンツ(Albert=LORENZ)
・外見
髪:金茶色
瞳:青緑
体格:身長146センチ
備考:丸メガネ / 顔にそばかす / 肌は白め
・種族・年齢:人間/8歳
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