※この節には残酷描写が含まれます。
探索してどれ程の時間が流れただろうか。腕時計によれば既に日の入りの時間で、もうじき寝床を確保しておかねばならない。このような神殿にも、女神に護られし憩いの場があるはずだが……。
「それにしても、アレックスったらよく地図無しで歩けるわね」
「なに、お前方向音痴なの」
「失敬な! 地図があれば一人でも歩けるわよ!」
俺とマリアで会話していると、目下で歩く幼きアイリーンが付け加える。
「実はね、陛下って地図が読めな──」
「何を話してるのかしら〜?」
「お前が教えてるんじゃねえのか?」
「何度も教えてるのに、すぐに寝ちゃうの」
「確かに、マリアは土地の話になるとすぐ欠伸するよね」
「だってつまらないんだもの……」
「それは理由になるのか?」
陛下も人の子ってわけか。まあ、地図が読めない国王なんて洒落にならないのでいずれ俺からも教えるとしよう。
シェリーも加わって雑談をしていると、アイリーンが話題を変えるように話し掛けてきた。
「ところで隊長、この先に罠があるから気を付けて」
「わかった」
「罠はこの通路の右側にある。一列になって歩けば大丈夫だから」
「ありがとう」
俺たちは一旦立ち止まった後、一列になって左の壁沿いを歩く。
罠と思しき箇所を突破した後、左の方から何やら気配を感じ取った。しかし、その気配は明らかに魔物では無い事が判る。
「もう少しですわね」
霊力を持つシェリーなら尚更感じ取れるのだろうか。俺の直感が当たっているようでホッとした。せっかくだし、このまま例の場所に向かおう。
月の紋章を小さく模った扉が眼前にある。ドアノブに手を掛けて引いてみると、円形の部屋に辿り着いた。
菫色のステンドグラスが一室を囲い、月光が射し込んで神秘的な印象を与える。中央にあるのはアルテミーデの女神像。この場所こそが憩いの場だ。
「わあ……!」
「やっと着いたのです!」
アンナが恍惚の眼差しをステンドグラスに注ぎ、蛍灯を解除する。他の花姫たちも溜息をついて思い思いにくつろぎ始めた。シェリーがアーチ窓の下で三角座りをしているので、俺は彼女の隣に向かう。彼女らも囲うように座ると、誰もが懐から小さな紙箱を取り出した。
「アレックスさん、お疲れ様」
「お前もな」
俺たちは指先で銀紙を剥がし、分厚い板チョコレートを露わにさせる。ダークブラウンの長方形をしばらく見つめていると、マリアが声を掛けてきた。
「改良してあるから、より美味しくなってるはずよ」
「……その言葉、信じて良いのか?」
「大丈夫よ。自分も食べたけど平気!」
アイリーンがそう言うなら本当なのだろう。周りを見れば、確かに笑顔で頬張るヤツが多い。だから俺も半信半疑で齧ってみたのだが、以前よりちょっと甘い気がした。
「こうして皆様と一緒に食べると、より美味しくなるのです」
「ああ」
向かいのエレが口角を上げ、俺に視線を注ぐ。一方アイリーンは小さな両手でチョコレートの端を掴み、リスのように齧りついていた。
「うふふ、可愛いわね」
マリアは隣に座るメイドを見つめるが、当の本人は気にも留めていない様子。相当腹が減っていたようで、口の周りにはチョコがこびりつく。
「ほら、ちゃんとお口拭いて」
「うー」
細い指でアイリーンの口周りを拭くマリア。思考回路まで童心に帰るアイリーンは、時間を惜しむように口を尖らせた。
「どうしたら元に戻るんだろうな」
「あたしはこのままでも一向に構わなくてよ」
「でも、銀月軍団は手加減しないだろうしね……」
アンナの言う通りだ。魔女の呪いを解くまでは出撃を控えるべきだが、仮にも純真な花の一人だ。欠ければその分戦力は落ちるし、大事な儀式やらで苦労する事はあるだろう。
口周りを拭いてもらったアイリーンは、食べ終えてすぐに立ち上がる。
「さ、早く行こう!」
「今日の探索は終わりだ。今のうちに休まねえとバテるぞ」
「やだやだ! 早く呪い解きたいもん!」
「あはは、とても元気だね」
「ほら、早く寝るわよ」
マリアがアイリーンを抱いて横たわる。アイリーンは「えー」と頬を膨らますが、マリアが髪を撫でると早々と眠りについた。その無邪気な寝顔が可愛い余り、俺はつい考えを漏らしてしまう。
「俺らの子も、あんな風になるのかな」
「アレックス様との子……」
「あ、待て! そういう意味じゃ……」
エレが顔を赤らめ、片手を頬に添える。シェリーとアンナも同様に赤面するが、剣士は嫉妬を表情に浮かべてエレを睨むのみだった。
(マリアとアイリーンを除く)花姫たちは雑談に花を咲かせていたが、やがて眠気に襲われ横たわる。俺とシェリーもつられて横になるのだが、睡魔は一向に訪れなかった。
彼女らが熟睡中なのを良いことに、俺は頬杖をついてシェリーを抱き留める。床は硬くて冷たいが、恋人の温もりのおかげでそこまで気にならなかった。
「アレックスさん」
シェリーの囁きが俺の本能を揺さぶる。周囲への配慮なのか、それとも誘惑なのか──艶に抗うべく、普段より低い声で応えた。
「どうした?」
「えっと──」
おい、そのトーンでねだられたら余計……! しかもこのタイミングで上目遣いは卑怯だ。
『俺もだよ』と言いたいとこだが、さすがによそう。仮にも魔術戦隊の隊長である俺がハメを外せば、花姫たちに白い目で見られるだろう。
「戻ったらな」
「すみません……」
恥じらいを隠すように、胸の中に埋まろうとするシェリー。ちょうど俺も眠くなってきたところだし、頭を床につけて彼女を抱き締めた。
するとシェリーは脚を絡ませ、華奢な手で俺の──
「「…………!」」
触れる前に、誰かの足音が響き渡る。二人揃ってドアの方を睨むと、足音はだんだんと近づいてきた。
此処は女神の加護によって魔物は入れないはずだが、念のため警戒しよう。俺は静かに立ち上がると、シェリーも同じように動く。
「お前は中にいろ」
「いいえ、私も戦いますわ」
その間にも足音は大きくなっていく。
話し合う暇など無いので輪から外れると、俺たちは各々の武器を取り出した。
少しずつドアに近づき、そっと耳を当てる。
暫く続いていた音が突如消え、この近くで立ち止まっている事を察した。この感じだと一人だろう。ドア越しで耳を澄ませていると、シェリーが片手を胸に当てて目を瞑る。
そして彼女の呼吸が聞こえたのと同時に、ドアの向こうで風が唸った。
何者かが倒れる音。
シェリーはすぐさま立ち上がり、ドアを開けてから拳銃を構える。
俺も廊下に出てからドアをそっと閉めると、魔族のような存在が廊下でうずくまっていた。
角と長耳を生やした金髪碧眼男で、髪型は俺のように癖っ毛だ。加えて無駄に整った顔と貴族のような服装から、インキュバスだと認識した。
彼は片手で腹部を押さえ、悲しそうな表情をシェリーに向ける。
「美しいお嬢さん、某に銃を向けるなんて惨いと思わないかい?」
「何者ですの?」
「まずは貴女の隣にいるゴミ男を排除するところから始めよう」
「誰がゴミ男だ?」
インキュバスは痛みが引いたのか、立ち上がって不敵な笑みを浮かべる。氷のような目線をシェリーに注ぐが、彼女は全く意に介さないようだ。
「やれやれ。彼に黙ってお邪魔しようと思ったのにバレちゃったか」
「そもそも女神の加護があるんじゃ入れねえだろ」
「と思うでしょ? 某は女神さまにも愛されているから、加護なんて気にしないのさ」
何故この種族はイラッとくるヤツばかりなんだ。此処は長剣なんかじゃなく、大剣でサクッとぶっ飛ばそう。
「ああ! そんなに怒らないでよゴミ男くん。ちょっと貴方のしもべたちを貸すだけで良いからさ」
「しもべじゃねえ。仲間だ」
「おや? 貴方も美女たちを侍らせる悪魔かと思ったよ」
「一緒にするな」
この貴族気取りに付き合っている暇は無い。
剣を一振りすると、空を切る音が鳴り響く。しかし刃がインキュバスに触れる直前、蝙蝠の群れとなって俺たちの視界を阻んだ。
「ふふふ……某を侮らないことだね。ゴミ男くん」
「いちいちうるせえな、俺には『アレクサンドラ』って名前がちゃんとあるんだよ」
大剣で薙ぎ払うたび、分断された蝙蝠たちが悲鳴を上げ、床に堕ちていく。
だが──視界が晴れたとき、あってはならない光景が始まろうとしていた。
インキュバスはシェリーを壁へ追い込み、彼女のシャープな顎を指で持ち上げる。流石のシェリーも男の腕力に逆らえず、顔に苦渋の色を浮かべていた。
双方の唇が重なろうとする刹那。
俺は大剣を担ぎつつ地面を蹴り、ヤツに向かって飛び蹴りをかます!
「いたっ!!」
男の細い身体が宙を舞い、瞬く間に地面に叩きつけられる。
再び大剣を取り出すと、切先で彼を脅してみせた。
「何の用だ」しかしインキュバスは俺を見つめ、「ふっ」と鼻で笑う。
「そりゃあ男性である貴方ならお判りでしょう? 睡眠中がチャンスなのだから」
「やはりそうくるか。シェリー、下がってくれ」
「はい」
解放されたシェリーは冷静さを取り戻し、俺の後ろに下がる。
インキュバスが仰向けで倒れるうちに、両腿に向かって剣を振り下ろす!
「ぎあああああああぁぁぁぁあああ!!!!!」
彼の悲鳴は骨を断つ音を掻き消し、身体を大きく仰け反らせる。
戦闘が花姫たちを起こしたようで、彼女らもドア付近で佇んでいた。
「アレックス、シェリー。ご苦労様。あとはあたし達に任せて」
マリアに従い下がったあと、花姫たちは脚を失った夢魔を囲う。
そして──。
「あひぃっ!! やめて!! そ、某は……」
「わたくし達の睡眠を妨げた罰なのですっ」
「ボクたちを気持ち悪い目で見るなんて──」
「えいっ! とうっ!」
「ごめんなさいっ! ごめんなさいいいい!!!!」
な、なんて気迫だ……。笑顔でダガーを振り回すエレに、蔑むような目で剣を振るアンナ。アイリーンに関しては、疼きを発散させるように軽快に殴打していた。睡眠を阻まれたのが相当キたのだろう。実に良い気味である。
もはやインキュバスは血まみれで原形すら伴っていないが、まだ息はあるようだ。マリアがシェリーの方を向いたとき、シェリーは再び拳銃を構える。
「シェリー、後は判ってるでしょ」
「うん」
彼女は表情を一つ変えぬまま、ヤツの前で銃を構える。その手付きに迷いは無く、冷酷な声音で言葉を放つ。
「これでお別れですわ」
細い指先がトリガーを引いた直後、
夢魔の最期が無惨に飛び散るのだった──。
「隊長、お嬢様!」
あどけない声が鼓膜を突き刺し、意識を呼び覚ます。俺の肩を激しく揺さぶる者は、アイリーンだとはっきり判った。
赤橙の波打つ髪は短い。しかし、かきあげた前髪と筋の通った鼻、海の色をした猫目は成人期の面影を残したままだ。
「何、じーっと見て? 早く起きなさいよ!」
「あ、ああ……」
アイリーンの強気ぶりに圧され、上体を起こす事となる。もう朝──というわけでは無さそうだ。腕時計で確認しても、インキュバスを倒してから一時間程しか経過していない。
本当はもう少し寝たいところだが、神殿にいる以上そうはいかない。アイリーンは何を思ったのか、円形で小さなブリキケースを俺に差し出してきた。
ケースに刷られたラベルは、両手を挙げて驚く寝間着姿の少女。上部に“Svegomma”とポップ体で書かれたそれは、『目覚ましガム』と判断した。半円型の蓋を開けると、焦げ茶色で渦巻きのガムが収納されている。この手のガムには切り目が等間隔で刻まれているので、それを見つけて切り離せばいい。
端を摘まんで少し引っ張り、刻まれた点線をケースの端に合わせる。それから蓋を閉じてガムを千切った後、口の中へ放り込んだ。
だが──こんなところで地獄を経験するなど予想してもいなかった。
(第五節へ)
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