「無駄な足掻きはよせ」
牢獄に立ち入り、口角を上げるジャック。しかし、かつての友であったジェイミーが耳を貸す事は無いようだ。
ジェイミーに差し出されたのは、鏡映しのシェリーが使用していた蘇生剤。数分ほど前、彼は俺にその理由を明かした。
『あんたもいずれ、片腕を失う事になるからだよ』
それは戦いで失うのか、あるいはもっと別な理由なのか──現時点では全く予想がつかない。
彼は俺に考える猶予を与えず、重々しそうに片手を掲げた。
「はあ、これで身軽になるよ」
ジェイミーが指揮のように軽く手を上げる。すると、虚空から見覚えのある二種の武器が舞い降りた。
その正体は、俺が所持していた大剣と長剣だ。一見手ぶらだったので気付かなかったが、わざわざ俺の武器を回収し、魔法で預かってくれていたのだろう。
彼のおかげで(首輪から)解放された俺は、すぐさま自身の武器を受け取る。ジェイミーが首と肩を動かす辺り、相当重かった事が窺えた。
「あの魔法、荷物を軽くできたら良いんだけどねー」
「ありがとな。お前のおかげでまた戦えるよ」
「友を裏切り、盗みを働かすとは貴様も下劣な者よ」
「で? あんたはさっきから何が言いたいの?」
ジャックの方へ向き直り、だるそうに佇むジェイミー。その傍らで俺は長剣を構えるが、これぐらいで慄く蛇野郎ではない。それどころか、勝ち誇るような口ぶりで仰いだ。
「悦べ、貴様にとっての褒美だ」
「いや意味わかんねえーから」
先手を打ったのはジェイミーだ。手を振り下ろす事で、樹の衝撃波がジャックに襲い掛かる。
しかし、ジャックは表情一つ変えずに結界を展開。衝撃波は呆気なく結界に呑まれ、ジェイミーに舌打ちさせる事となる。
「なに、お得意の召喚?」
「そう焦るな。貴様が最も求める存在よ」
ジャックの前に現る黒い靄。それは人の──いや、少女の姿を形成させていく。
鮮明になっていく輪郭。背丈は俺の胸ほど、髪型はショートヘアだ。なだらかなくびれは、やや大き目な胸と腰を強調させる。これだけでは、何者か判断する事はできない。
しかし──。
靄が晴れた瞬間、俺は──特にジェイミーは息を呑んだのだ。
「ま……マジかよ……」
外ハネが目立つ茶髪に、浅緑色の大きな瞳。朽ちたこうじ色の鎧に身を包む彼女は、アンナとそっくりだった。
だが、彼女と大きく異なる点はいくつか存在する。スカートも非対称的で、スリットからは色白の脚が露わとなる。花姫が腹部をも布地で覆うのに対し、この女は平然と見せびらかすようだ。この鎧は、もはや防具と言うよりアクセントに近いだろう。
女性に疎く、アンナに恋するジェイミーにとってこれ程刺激が強いものは無いはずだ。……けど、お前なら本物の区別はつくだろ?
「おい、動揺してどうする!!」
「無理だろ! いくら偽者だからって、俺様には……」
「ふははははは! 己の醜さに嘆き、雄に慰められる事を望む──これぞアンナの本性だ。偽者という保証はどこにある?」
「……落ち着け、全部妄言だ。ああ! 俺様の知るアンナは、簡単に欲に溺れる女じゃねえ!!」
「ほう」
ジェイミーは拳をわなわなと震わせ、唾液を飛ばす勢いでジャックを睨む。一方でジャックは中空で座り、他人事のように俺らを見下すのみだ。
俺は剣を握り直し、間合いを詰めようと一歩進む。だが友は自身のプライドがあるのか、「良い」と俺の前で片腕を広げた。
「こいつは俺様が殺る。あんたはあの蛇を狙いな」
「くれぐれも果てんなよ?」
「あんたもね!」
俺はジェイミーの元を離れ、ジャックの元へ大きくジャンプ。
剣を振り下ろした刹那、彼は再び結界を展開しだした。
「飼い主に抗うとは良い度胸よ」
「餌付けと散歩に付き合ってやったんだ。満足だろ?」
変わらず結界に弾かれるが、これはただの剣なんかじゃねえ。
マリアらが用意してくれた無属性の剣──このまま押すぜ!!
「おらよぉ!!」
「っ!?」
もう一度剣を振り下ろし、結界に圧力を掛ける。
先ほどまで余裕の表情だったジャックだが、次の瞬間に驚愕を見せた。
結界に亀裂が走り、瞬く間に崩れ落ちる。
さすがの彼も危険と感じたのか、颯爽と着地して俺と対峙する。
「ふっ……犬の分際で」
ジャックが鼻で笑う傍ら、魔法の衝突音が聞こえてくる。しかし、その実はジェイミーが劣勢だろう。時折聞こえる苦鳴が証拠であり、アンナの乾いた笑い声が鼓膜を掠める。
もし俺が神なら、同時にジェイミーを助けられただろう。それが儘ならねえなら、目の前のクソ野郎を殺る他あるまい!
「とぉっ!」
ジャックが手薄なうちに素早く突く。彼はバックステップで俺の攻撃を躱しつつ、アルフレードの剣を虚空から召喚した。
動きを最小限に留め、次の手に出た。横に払えば、互いの剣が何度も火花を散らす。相変わらず隙の無い男だ。ならば、此方がもっと速く動けばいい。
「貴様と何度遊んでやった事か」
「それはこっちのセリフだ」
俺が外した事で、今度は向こうが主導権を握る。こいつの剣舞は子供騙しだ。うまいことステップで避け、がら空きになった頭部へ斬り掛かる!!
──カァァアァァアンッ!
……やっぱそうくるか。こうして鍔迫り合いになったのは何度目だろう。
もちろん諦めねえさ。封印を解かずとも、俺にだってこの手がある!
「何世紀経とうと、貴様は変わらぬ」
「それはどうかな。……氷華!」
麗しき清神様に敬意を表し、魔力を放出。ジャックの足下から鋭い氷山が芽生え、高速で彼の四肢を貫く!
「うあ……っ!!」
呼吸の余地を与えぬ速さ。氷山は黒ずくめのスーツを紅く染め上げ、対象者の身動きを封じる。
その時、彼のポケットから小さな物が落ちた気がした。吊り下げられたランプは、それを僅かに黄金のように輝かせる。
ジャックは氷山を引き抜こうと抗うが、却って痛みが増す事だろう。早速彼の足下へ近づき、手に取ってみる。
「アレク……そいつが、封印装置の鍵だ!!」
「何だと!?」
ポインセチアのような花を模った鍵。高温の空気に晒されたからか、取っ手には人肌程度の熱がこもっていた。
そんな事より、今はジェイミーだ。苦し紛れの彼に呼び掛けられ、反射的に身体を向ける。あれだけ余裕だったジェイミーは、想い人の偽者に押し倒され万事休すと云った状況だ。
「ふうん、まだそんな口利くんだね? ほら、ボクだけを見て」
「がぁぁぁあぁぁあぁあ!!!!」
馬乗りになるアンナは手を振りかざし、ジェイミーに向かって雷撃を喰らわす。一時的な攻撃が止んでもなお、彼が抗う様子は一切見られなかった。
これを機と見たのか、アンナは艶めかしく腰を動かし耳元で囁く。
「──、──しないで。今から──、本物の──と─────んだから……」
彼女の声を聞き取るには距離が遠すぎる。しかし唇の動きを見るからに、『本物』という単語を使っている気がした。
あの時と同じだ。(鏡映しの)シェリーは、あたかも自身がそうであるように振舞っていた。ジェイミーのヤツ、なに弱気になってんだよ!
でも良いか、これで借りは返せる。
当の二人は俺の存在に気づいちゃいない。彼女の背後に回り、ゆっくりと近づく。気付かれぬよう、半歩ずつ──。
「──!」
ふとジェイミーと目が合うも、彼はすぐに察したようでアンナに視線を戻す。
すまんな、俺も偽者は許せねえ性分なんだよ。
剣の切先は、アンナの左背を確実に捉える。
唇の距離はごく僅か。
この悪魔の剣で、偽りの恋路を貫かん──!
「ぐはぁぁぁっ!!」
胸中の臓物は串刺しとなり、黒いコートに紅い花弁が舞い散る。
俺はすぐさま剣を引き抜き、ステップで後退。一人分の隙間が生じた瞬間、ジェイミーはアンナの身体をがっちりと掴んだ。
「せいッ!!」
胸を負傷し、ダウンしようとするところを咄嗟に投げ飛ばすジェイミー。予測通りアンナの身体はこちらへ転がり、俺の追撃を許す事となった。
「ジェイミー、ボクを……信じ、て……!!」
「誰が信じるかよ」
「あがぁぁあぁぁあぁぁぁああ!!!!」
剣を下に向け、もう一度胸を突き刺す。血は噴水のように舞い上がり、俺の顔や鎧に付着した。
散々ヒトを殺してきた俺が、今更怯えるまでも無い。むしろ友を煽る余裕があるくらいだ。
「なにムラついてんだよ、むっつりくん」
「う、うっせえ!!」
「へえ、その割には元気じゃねえか。魔法のせいか?」
「そ、それは……」
ジェイミーは顔を赤らめ、慌てて立ち上がる。相変わらず女の不意打ちに弱い男だ。
さて、遊ぶのもこれくらいにしておこう。
氷の砕けた音によって、空気が再び張り詰める。ジャックの四肢から鮮血が溢れるも、彼は屍となったアンナに手を突き出した。
「くっ、詰めが甘かったか……ならば!」
アンナの身体は黒い靄に包まれ、灰となって消える。彼女がいた場所に血だまりだけ残ると、ジャックは俺達の方へ向き直った。
「飼い主に抗った事、永遠に後悔させてやる!!」
声を荒げ、黒い魔法陣を展開させるジャック。そこから現れた無数の鎖は、ある記憶を蘇らせる。
それは、かつてティトルーズ城でシェリーを縛り付けた時と同質のものだ。──だが、今の俺ならこんな悪趣味も断ち切れるぜ!!
もはや瞬きなど許されない。
剣を握り締め、鎖に向かって半歩踏み入れた時だった。
「何っ!?」
目の前を遮り、短く呻く黒い影。
その影はたちまち鮮明となり、自ら縛られる友を映し出した。
「何やってんだジェイミー!!」
「あんた……昔っからウゼェんだよ!!」
「ほう、貴様が庇うとはどういう風の吹き回しだ?」
彼は決して抗わなかった。
俺に背を向け、死守するように両手を広げる。今にも血が噴き出そうだ。何故動かない?
そして彼が次に放った言葉は、降参などではなく──俺への助言だった。
「アレク……階段を降りて、橋を、渡れ……! そのまま……右に曲がって、紅い扉を……!」
俺はまた、友を失うと言うのか?
否。此処で見捨てれば、一生後悔が付き纏う。だから──。
「必ずお前を助ける!」
どんなに友が拒もうと、俺は俺のやり方で戦う。
さあ突き進め、アレクサンドラ!!
「貴様が近寄ればどうなるか、教えてやろう」
「うあぁぁあぁぁぁあぁあ!!!!」
畜生!! あと一歩ってとこで何しやがる!!
ジャックが指を鳴らした刹那、鎖に熱を持たせジェイミーを焦がす。しかし、それで口を閉ざす友では無かった。
「来んな……!! 俺様が死なねえって事……判ってんだろ!?」
「バカ野郎! なんで俺を庇うんだよ!!」
「忘れんな!! あんたは、あいつの命を……未来を、預かってんだよ!! 幸せを願って、何が悪りぃ!!?」
彼は決して俺と目を合わそうとしない。だが、宿敵を見据える碧眼には、覚悟が宿っていた。
その覚悟とは何か──もはや言うまでもない。
「気が済んだか?」
無遠慮に遮る男の声。
気付けば男はジェイミーの前に立ち、何かを握り締めていた。
「此処であの犬に仕込もうと思ったが、却って都合が良い」
「おい! ジェイミーに何する気だ!?」
ジャックが俺を見遣り、ピンのような物を見せびらかす。けれど、どうせロクでもないものだ。
俺は歯を食いしばり、ジャックに向かって突進するが──。
「ぐあっ!」
これは……霊術か!?
突如身体が宙を舞い、後ろへ吹き飛ばされる。岩肌の地面に打ち付けられる前に受け身を取るも、既に打つ手が無かった。
吸血鬼の心臓を押さえ込む、蛇男の右手。
闇色のオーラは、無情にも吸血鬼の身体を包み込む。
「ジェイミィィイイイイイィィィ!!!!!!!」
諦めんな、俺!! ジェイミーがこんなヤツにやられるわけねえだろ!?
ああ、これも分身だ!! 絶対に本体は何処かにいるは──
「これで俺たちの関係は修復した。そうだろ、ジェイミー?」
「…………」
ジェイミーの目が、赤い……? それも、今までに見た事の無い形相だ。
ジャックは、ついに彼を解放したようだ。だけど、違和感だけは明らかに残っている。
その違和感はジリジリと距離を詰め、拳を突き出す。
剣で身を護ろうとした瞬間、鈍痛が腹部に襲い掛かる!
「ごほ……っ!!」
ついに壁に激突し、体勢を崩してしまう。付近には廊下へと繋がる扉、どういうつもりだ?
何とか立ち上がろうとするが、今度は片手が忍び寄る。
「ぁ……がっ……!!」
何て力だ?! このままじゃ、首がもげちまう……!
剣はまだ俺の手元にあるが、手放すのも時間の問題だ。
いよいよ視界が白くなった時──友だった存在は、言葉を放つ。
「行け」
「は……?」
幻聴か? いや、確かにそう聞こえた!
言葉の意味を探ろうとした刹那、ジェイミーは俺の身体を放り投げる。顔を上げた頃には既に背を向け、俺にこんな言葉を残した。
「アンナを……頼む」
……その覚悟はあまりに勇敢で、あまりに無慈悲だ。
俺なんていう男のために、何故こいつは人生を棒に振るんだよ……!
ああ、こいつが何て言おうと無駄だ。
なんせ俺には、まだやるべき事があるからな。だから今は──!!
「……判ったよ、いくじなし」
この手で罪悪感を覆い、右へ捻る。扉を開けてもなお、ジャックが引き止めないのは余裕の表れか。
いや、今はこの部屋を出なければなるまい。
むせ返る程の熱気は俺を迎え、使命が廊下へ引きずり込む。
そして──
この一歩が、新たな戦いの始まりへと繋がるのだった。
(第十一節へ)
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