・ガゼボ :外に置かれた建築物。屋根と柱のみで構成されており、雨宿りや日陰の提供を目的としている。イングリッシュガーデンに設置されることが多い。
・騎士将棋:この世界における”チェス”を指す。ルールや使用する物は実際と同じ。
二歳の頃にマリアと会ったことはちょっと話したけど、頭の中を整理するためにもう一度振り返ってみよう。
まず、フィオーレから少し離れた先にマリーニの丘がある。ある日、お母さんと一緒にベゴニアのお花畑へ向かったら女の子がいた。その子は私と同じくらいで、上品な服──後になってメイド服だと知った──を着た女の人と一緒だった。
でも、お母さんはその子たちを見てビックリしてたっけ。なんせ『姫様が遊びに来てる』って言うから、なんだかワクワクしちゃったの。
ベゴニアのお花畑はとにかく綺麗だった。雲ひとつ無い空の下で、赤にピンク・白と鮮やかに咲いてたんだ。もう十六年前の事だけど、あの景色は今でも昨日のように憶えている。だからマリアみたいに絵を描いて表現できたら良いんだけど、私が描くと『これじゃない』って感じなんだよね……。
あうう、ちょっと逸れちゃった。其処でお母さんが私のために花冠を作ってくれたから、喜んで被ったんだけど……誰かが見てる気がしてね。
振り向いたら、やっぱりお姫様が私のことをじーっと見てた。紅いドレス姿で、桃色の髪を肩まで伸ばしている。当時の髪型は、彼女と似てたから親近感が湧いたの。
私と彼女の間にはそれなりの距離があったけど、お互い目を逸らすことは無かった。その時、お母さんが「シェリー」と窘めてくる。
「そんなにジロジロ見たら怖がっちゃうよ?」
「…………」
「あっ、ちょっと!」
足が勝手に動いて、お姫様の元へ走る。彼女はそんな私を見て「ひっ」と声を上げてたけど、メイドさんは歓迎するように微笑んでくれた。
そして彼女の前で足を止めたとき、息を大きく吸ってこう言ったんだ。
「あーそぼっ!」
……でも、彼女は頷いてくれなかった。それどころかメイドさんの後ろに隠れちゃったし、お母さんにも怒られるしで。否定された気分で泣きそうになったけど、唇を噛んで堪えるしかなかったの。
だからさっき居た場所に戻って、しばらく空を眺めていたんだけど……信じられない事が起きた。
私の肩をちょんちょんと叩く人がいて、気が付けば──お姫様がそこに立っていた。
彼女は両腕を後ろに組んで、首を傾げたまま話し掛ける。
「一緒に……あそぼ?」
なんて可憐な子だろうって思った。睫毛は長くて目も大きいし、赤くなった顔や声だって可愛い……。本当に、姫って感じの見た目だった。
「あたし、マリア……。あなたは?」
「シェリーだよ!」
「えっと。シェリー……あたしと、お友達になってくれるかな?」
「いいよ!」
それが私と彼女の出会いで、お互いにとって初めての友達でもあった。それからマリーニの丘に行くのが楽しみになって、会うたび一緒に遊んでたっけ。
私もマリアもある程度お話できる年頃だったから、とにかく『音楽が好き』って事で話が弾んでいた気がする。『いつか一緒に演奏しようね』とも約束した。私がピアノを、マリアがバイオリンを弾く。夢が膨らむ一方だった。
翌年──すなわち私たちが三歳になった頃、両親と共に両陛下に謁見させて頂いた。この日を境に城へ遊びに行くようになり、お泊りするようにもなった。
また、メイドさん達が礼儀作法を教えてくれる日もあった。お辞儀の仕方に言葉遣い、テーブルマナーなど……。憶えるのに大変な時もあったけど……マリアと一緒だったし、みんな優しかったから乗り越えられたよ。
そのおかげもあったからか、七歳の頃ルドルフ兄さんに『姫が二人いるみたいだよ』って言われたなぁ。……思い返せば、ただの社交辞令かもしれないけどね。目はマリアの方を向いてたし。
話を戻すとして。四歳になった春、城のバラ園でのんびり過ごしていた事があった。ただ、この日に限ってマリアはいつもと違う雰囲気だったんだよね。服装はいつもの令嬢服だけど、終始顔が赤くて。
だからガゼボの中にある木のベンチに腰掛けて、隣で話を聞いてみることにした。
「何かあったの?」
「……えっと……」
なんで、もじもじしてるんだろう? まずいことでもしたのかな……?
けれど、彼女は私の予想を上回る行動に出る。
「わっ!!」
いきなり抱きつかれて、頭の中が真っ白だったよ……。さすがの私も恥ずかしくなるのに、全然離れようとしない。それどころか、マリアはこんなことを言ってきた。
「あたし……大きくなったら、シェリーと結婚する」
『結婚』。その言葉を聞いた時、僅かな違和感が生じた。相手も人数も不問なのは教えてもらったけど、どうしても『男の人とするもの』という認識が先に思い浮かぶ。
私が、おかしいのかな……。せっかくマリアがこう言ってくれてるのに、『ダメだよ』なんて言えるわけが無かった。
だから──。
「ありがと」
笑顔でお礼を伝えるしか無かった。
するとマリアが私の顔を見て、首を傾げてくる。不安げな表情が、私に罪悪感を与えてきたんだ。
「シェリーは、あたしのこと……好き?」
「…………うん」
嘘じゃ、ないんだけど……なんだか嘘をついているような気がした。
マリアは私の言葉を真に受けて、頬に軽い口づけをしてくる。ますます胸が苦しくなった私は泣きそうになって、思わずベンチから飛び降りちゃった。
「ごめんねマリア、そろそろ帰らなきゃ」
私は彼女に背を向けて言ったけど、きっと声が震えていたかも。不安にさせたくないから、急ぐフリしてそのまま城を抜け出したんだ。
「待って! 行かないで!!」
今と違って引っ込み思案だったマリアが、初めて大きな声を出した瞬間。
でも、立ち止まる暇なんて無い。
走って、走って、走って、走って──。
気が付けば家に着いてたけど、どうやって帰ったか憶えていない。とにかく、息が苦しい……。
私の存在に気付いたのか、玄関のドアを開けたお母さん。後々話を聞いてみると、ひどくビックリしてたみたい。
ただこの時は──友の気持ちに応えられない悔しさと、嘘をついた後ろめたさがずっとぐるぐるしてた。四歳だった私はそこまで明文化できなかったけど、頭の中が終始気持ち悪かったのは確かだ。
視界がぼやけて、何も見えない。
これ以上……我慢できなかった……。
「……うあああぁぁぁぁん!!!」
もしマリアのプロポーズが譫言だったら、どれだけ幸せなことか。
いくら幼かった私でも、あの子が本気なのはわかってた。
だから……
お互いが成人を迎えたとき、彼女は私を──。
あの事をそれ以上思い返すのはよそう。仲直りできたんだし、今も一緒にいられるわけだから。
あれから三年後の時を経た春、アングレス兄妹がティトルーズ城へやってきた。ルドルフ兄さんに、妹のルーシェだ。
金のショートヘアに碧眼・深緑の貴族服という出で立ちで現れた少年は、とても綺麗な顔立ちだった。切れ込まれた目尻と高い鼻筋は、まるで御伽話に出てくる王子様のよう。
でもその彼が『許嫁』と知ったときのマリアの反応は、すごく嫌そうだった。当時は『ワガママだなぁ』なんて考えていたけど、今思い返せばそれも『私と結婚したかったから』なのかもしれない。
「お兄様、本当にこの女と結婚するの?」
「そう言わないでくれ、ルーシェ。彼女はきっと緊張しているだけだ」
兄の袖にしがみつく少女ルーシェは私たちと同じくらいで、金髪碧眼で左目の下に泣きぼくろ──と共通点がある。目つきはマリアみたいに釣り上がっているせいで、初めて見たときはちょっと怖かったよ。でも彼女はツインテールが似合うし肌は綺麗だしで、『どうして神様は平等じゃないんだろう』と思ってしまう……。
それがルドルフ兄さん達との出会いで、何故か彼と会うたびドキドキしちゃった。そんな素敵な人とキスできるマリアが羨ましくて、ちょっと妬いてた事もあったっけ。
私と兄さんが抱き合い、ベッドの上で深い口づけをする。それから彼が私を押し倒して──。
……なんて事を考えた時期があったし、その頃には芽生えてた気がする。だんだん胸の中が苦しくなって、新しく入ったばかりのアイリーンさんにだけ打ち明けてたな。
この頃のアイリーンさんは、今と違ってすごく無愛想だった。赤橙色のうねった髪に青空のような瞳で、『動きやすいから』という理由でショートボブにしていたらしい。
でも無愛想なのは雰囲気だけで、実際は何でも知ってる物知りさん。兄さんへの気持ちを話したときも、『胸の中にしまっておきなさい』と教えてくれたの。当時の私はよく三つ編みにしてたから、『綺麗に編まれていますね』と褒めてくれたこともあった。
あーあ、マリアが嫌がってるんだから私が結婚できたらな……。
そんな淡い希望を懐きつつ、兄さんにやたら話し掛けてた気がする。
例えば、一緒に薔薇の庭園を見た時とか。まだそんなに暑い時期じゃないのに、彼の隣だからってつい汗かいちゃったんだよね。
「すごく綺麗だね」
「えっ!?」
「此処の薔薇、いつ見ても綺麗だなって」
「そ、そうだね……」
「おや? シェリー殿、大丈夫かい? すごく汗をかいているみたいだけど……。良かったらこのハンカチを使って」
「良いの……?」
「うん、代えはいっぱいあるから」
「……ありがとう」
いつもにこやかに応えてくれて、とても優しい人だと思った。その屈託のない笑顔には、『花を咲かす程の力があるのではないか』とも。あはは、ちょっと大げさだったね。
ルーシェにはよく『お兄様をジロジロ見ないでっ!!』って怒られたし、彼女と喧嘩したこともあったけど、何だかんだで私達三人──マリアとルーシェ、私──は仲良しだった。騎士将棋をしたり、一緒に本を読んだり、演奏したり……って。
そして、気が付けば夏に入っていた。
湿気の高いある日、マリアは私達のために城でお泊り会を開いてくれた。この日はあいにくの雨だったけど、いつものように中で遊んだりアイリーンさん達がアイスを用意してくれたりで、とっても楽しかった。
やがて雨が静まり、雫が地に落つる夜。マリアの部屋にあるベッドの上で、私達は話に花を咲かせた。『秘密の話だから』という理由でカーテンを閉め、蝋燭で淡く明かりを照らす。そんな状況下での話題といえば、やはり恋の事だ。
マリアは白を、ルーシェは水色のネグリジェを着てのびのびと過ごしている。ちなみに私のは……何故かマリアが勝手にオーダーメイドしたピンク。それをルーシェに話せば、「ふんっ」と頬を膨らませて外方を向いていた。
「庶民のくせに生意気ね!」
「うー、誰も『私のを作って』って頼んでないのに」
「うふふ。やっぱりシェリー、可愛い……」
「もう! マリアもそんな事言ってないで、ルーシェに何とか言ってよー」
「まあ良いわ、確かに似合ってない事はないし。ところで、あなた達に好きな人はいるの?」
「そんなルーシェは誰が好きなの?」
「決まってるでしょ? お・に・い・さ・ま・よ!」
「話題を振ったのも、あなたが言いたいだけ、よね……」
「うるさいうるさい! とにかく、マリアには絶対に渡さないんだから!!」
「シェリーは、どうなの?」
女の子の人形を抱き締めるマリアは此方を向いて、私に尋ねる。
でも……私は応えられなかった。
本当の事を話せば皆と仲が悪くなるし、だからといって『マリア』と嘘つくのも気が引ける。キスをされてから三年経ったけれど、目の前にいる彼女はやっぱり友達としか見れなかったの。
せっかくの浮ついた雰囲気だったのに、その時の空気が重く感じて……思わず皆から目を逸してこう言う。
好きな人は『いない』──と。
「…………そっ、か」
マリアは眉を下げ、人形の中に口元を埋める。さらに重苦しい空気がしばらく続くと、ルーシェはベッドから飛び降りて私達の方を向く。
「アイリーンにお茶を淹れてもらうわよ! マリア、貴女は?」
「えっと……ピーチティー、で」
「じゃあシェリーは?」
その質問にどれだけ心が救われたか。確かにルーシェはワガママだし怖いときもあるけど、やっぱりルドルフ兄さんから優しさを譲り受けていると思った。
彼女のおかげで空気が和み、アイリーンさんが淹れてくれたお茶のおかげで私達の心も晴れやかになった。
その証拠として、マリアがこんな話題を振ってくる。
「ね。来月になったら、プールで泳ごう」
「わーい!!」
「お兄様、どんな水着なら喜んでくれるかしら……」
これまでは城のプールでマリアと泳いでたけど、その年はルーシェと一緒だ。それに、ルドルフ兄さんの存在を思い浮かべないわけがない。私も『どんな柄を着よう』とか、お母さんと『何処で買い物をしよう』とか、とにかく楽しみで仕方なかった。
ルビーの月、いよいよ時は訪れた。三つに並ぶ半円の窓から強い陽射しが差し込み、水面がキラキラと輝く。臙脂色の柱が支えるのは、青空を模した天井。スペードを大きく描いたようなプールは、私達三人で使うには余りに広すぎた。
更衣室で着替えて扉を開けた後、乳白色のタイルを歩く。すると、プール近くでマリアやルーシェ・ルドルフ兄さんが楽しそうに会話しているのが見えた。
「よく似合ってるよ、マリア殿」
「そんなに、見ないで……」
「もうっ、お兄様ったら! マリアばっか見てないで私だけを見てよー!」
「ルーシェ、暴れたら危ないだろ……あっ、シェリー殿!」
やっぱり、ルドルフ兄さんの目線はマリアの方を向いている。『胸の中にしまう』というのはアイリーンさんとの約束だけど、心苦しい事に変わりは無かった。
二人の水着も可愛かったはずなんだけど、独占欲が邪魔したせいでどんな格好だったか憶えていない。兄さんがルーシェの肩に手を添えると、彼女はすぐに耳まで赤くなった。その一方で私は気持ちを悟られぬよう、平静を装って挨拶する。
「こんにちは! ルドルフ兄さんは泳がないの?」
「私は大丈夫だよ。女の子三人の中に混ざるのは気が引けるしね」
「えー! 私、泳げないからお兄様と一緒に入りたい……」
「ルーシェお嬢様。本日は浮き輪をご用意いたしましたので……」
「そういう問題じゃないのー!」
アイリーンさんはルーシェの前で浮き輪を見せるけど、肝心の彼女は言葉を遮ってまで兄を求める。こういう光景は何度も見てきたから、いつ見ても微笑ましい。
「それでは、自分はお菓子を作ってまいりますので、この辺で」
「楽しみに……してるからね、アイリーン」
「感謝致します、姫様」
……でも。
この後の出来事が私達を大きく変えるなんて、誰が予想していたことでしょう。
(第二節へ)
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