ジェイミーや俺含む純真な花はエンデ鉱山に向かうも、アンナと俺ら男二人は突如現れた魔手によって深淵に放り込まれてしまう。
水中にいるように息苦しく、何も見えないし聞こえもしない。
アンナやジェイミーの姿が見当たらない以上、俺は死を覚悟していたが──。
「うぉおお!?」
酸素が体内に入り込むのと同時に、見知らぬ場へと投げ出される。反射的に目を瞑った俺は硬質な床に背中を打ち付けられたせいで、しばらくは立ち上がれそうに無かった。
「い、いってぇ……」
「アレク!」
この声、もしかしてジェイミーか!?
瞼を開ければ、顔の前には褐色の手が差し伸べられている。俺はすかさずその手を取って立ち上がると、辺りを見回してみた。
……って、何だ此処? 何処もかしこも霧のせいで何も見えやしねえ。ただ、ジェイミーの他にもう一人の気配が近くにある事だけは察した。
「アレックス……大丈夫?」
「背中を打っただけだ。問題ねえよ」
吸血鬼の隣に立つのはアンナだ。彼女は土色の下がった眉と不安げな眼差しで俺を見つめるが、俺が笑顔を見せることで安心してくれた。
「ところで、此処は何処なんだ?」
「鉱山っぽいけど、下がやべーことになってるんだわ」
「やべーこと?」
ジェイミーの言葉通り、下を眺めてみると──
「げっ!!」
俺たちは今、鉄骨で組まれた歩道橋の上にいるようだ。しかしそれ以外は霧に包まれて何も見えないのだ。……いや、何も無いのかもしれない。普通は霧が濃くても多少は見えるものだが、マジで底が見えない。つかこの橋、錆びてねえか?
「まあこの面子の中で高所恐怖症がいないだけマシだよな……」
「いたら務まらないからね……」
そんな会話をしつつも、ジェイミーとアンナもやや困惑している様子だ。無理も無い、いきなりこんな場所に飛ばされたら誰だって困るのだから。
「俺らは空を飛べるが、今はこの橋を渡っていこう。魔物がいつ下から現れてもおかしくないからな」
「そうだね。ボクたちも行こう」
「うん」
しばらくは道なりのようだ。床を踏みしめる度に鉄の音が聞こえてくるが、何処か軽やかなトーンが心許ない。先頭は俺、後方にジェイミー・アンナという順で突き進み、無言に徹する事にした。
今のところ魔物の気配が微塵も感じられない。本当に存在しないのか、それとも俺らに錯覚を与えているのか──それが判らないからこそ、これまで以上に緊張感を覚えた。
鉱夫が日頃ここで働く以上休み所はあるはずだが、そこも魔物に占領されている可能性も否めない。迷宮や神殿には“憩いの場”という明確な休憩地点はあるが、そうでもない場所での探索は早いうちに疲労が伴うものだ。
「ん?」
鉄製の床を踏みしめたと思いきや、やけに柔らかいものが──
「危ない!!」
一本の……矢!?
目の前に迫った刹那、橙色の影が俺の前に飛び込み大剣を振り上げる! 剣身に弾かれた矢は高い音を立て、底無しの地へと落ちていった──。
俺の前に立つのは、武器を両手で握りしめるアンナだ。剣を下ろして俺の方を向くと、彼女はやや弱気な声音で叱咤してきた。
「考えてちゃ、ダメだよ」
「すまない、俺としたことが……。もしお前が声を掛けなきゃ、俺は目玉を射抜かれてたとこだよ」
「考え事しながら歩くなんて、あんたにしては珍しいじゃん」
「未知の場所ってのは、なかなか疲労が溜まりやすいもんでな」
腕を組んで俺に話しかけるジェイミー。煽るような物言いだが、その実はこんな俺を気にかけているのだろう。
彼は俺が思っていた事を汲み取るかのように、穏やかな声で俺にこう言う。
「大丈夫さ。彼女らはあんたが思うほど弱くないって」
「……そうだよな」
二人が気にかけてくれたお陰で、張り詰めた心が少し和らいだ気がする。
しかし、俺が「じゃあ行こう」と呼び掛けて少し歩いた後、前方から魔物らしき影が現れた。
「こんなとこで魔物か」
出るのは当たり前だ。そう判っちゃいるが、この橋に柵が無い以上どちらが落ちても不思議ではない。
姿を表したのは、犬のような下半身を持つ女──スキュラだった。上半身は人間であり、やたら長く波打った髪で胸元が隠れている。決して悪くは無いが、此処で情欲が湧くほど無節操では無い。
「どうやって動こう……?」
「俺様に任せな」
不安を漏らすアンナに対し、自信満々で俺らの前に立つジェイミー。危険な場所だというのに、ピンと伸びた背筋は俺に安心感を与えてくれた。
「アレク、あんたは手を出すな」
「ああ、頼んだぞ」
彼は右腕を横に広げ、俺を一瞥する。その目つきから『(惚れた女に)良いところを見せたい』という本心を悟った俺は、腰に下げた長剣の柄に手を添えるだけにした。
ジェイミーはスキュラの方を向き直り、指揮をするように片手を軽く振り上げる。
直後、スキュラの身体に異変が起きた。
「なっ!?」
「えぇ!!?」
俺とアンナが驚愕するのは致し方ない。何故なら──スキュラの身体が一瞬にしてバラバラになったからだ。彼女は犬とも女性とも取れる悲鳴を最後に、肉塊の山と化す。
それからジェイミーは人差し指に息を吹きかけ、火を灯す。その指で肉塊を指すと、対象は瞬く間に燃え盛り悪臭を漂わせた。
「じゅ、呪文も唱えてないのに……どうなってるの!?」
「いつもこうやって倒して、ああいうヤツの血を吸ってるんだ。だから俺様の敵じゃないよ」
彼の力は、マリアら上級魔術師を遥かに凌駕するものだ。俺やジャックと戦った時から薄々感じてはいたが、今の光景はそれを再認識させてくれる。爽やかな立ち振舞と並々ならぬ力に若干の対抗心が湧かなくも無いが、今は素直に彼を認めよう。
ジェイミーは何事も無かったかのように振り向き、不敵な笑みを見せる。
「よし、次に行こうぜ?」
それから探索を再開する俺たちだが、魔物の殆どはジェイミーが倒す事で円滑に進むのだった──。
ある程度歩くと空洞が見つかったため、俺たちはその広い空間に入った。右手にはトロッコがあり、中には石材が大量に積んである。木材で覆われた天井に、至る箇所に置き捨てられたツルハシや空の瓶──此処が鉱夫たちの休み所なのだろうか。
「うーん、これだけ広いのに誰もいないね」
「別のとこで捕まってんじゃね?」
「そうかもしれんな。それに、魔物の気配だってある」
上部にある吹き抜けは、別の通路にも繋がっているのだろう。
だが正面に視線を移した時、鉄製の手すりには赤い髪と猫耳を揺らす少年──ジェシーが立っていた。
「君たち、出番だにゃ♪」
相変わらずの甘ったるい声と共に、黒い粒子が吹雪のように舞う。その粒子が人の形を形成させると、悪臭が立ち込めてきた。
青白い肌をツナギで包む、屈強な男たち。ツルハシを握りしめる彼らは、ゾンビと化した鉱夫だと判断した。彼らがゆっくりと歩み寄り、ついに俺らを囲い始める。吹き抜けで尻尾を揺らすジェシーは、催しを楽しむかのようにこの状況を眺めていた。
「あいつ……!!」
アンナが歯軋りする傍ら、俺とジェイミーは彼女の近くに立つ。此処は大剣が適しているだろう──そう判断した俺は、背負っていたそれを抜いて構えを取る。アンナも武器を召喚する事で、誰もがゾンビと対峙した。
「さっさと片付けるぞ」
「だね。俺様も、あのキショい猫を見ると反吐が出る」
「酷いにゃあ! 僕はただ、ジャック様を傷つけたヴァンツォちゃん達にちょ〜っとお返ししたいだけにゃのにぃ! さあ! 僕に泣き顔を見せるのにゃん♪」
「泣くのはお前のほうだ」
俺は地面を蹴り、次々と襲い掛かるゾンビどもを薙ぎ払う! この一閃で彼らの身体は真っ二つとなり、赤黒い血飛沫が噴水のように溢れ出した。
「あはは、そんなに焼かれたいのかい? なら、お望み通りっ!」
背後でジェイミーが嘲笑い、焔魔法で死体を焼き尽くす。鼻腔をくぐる焦げ臭さも、今じゃ気になるまい。その一方で、肉を断つ音が絶え間なく聞こえてくる。手が開いたらアンナのフォローに回りたいと思っていたが、その様子だと順調っぽいな。
左からの殺気──!
けれど、ツルハシを振り下ろすその手はあまりに遅い。そのまま大剣で心臓を貫いては一瞬で引き抜くと、ゾンビはバランスを崩して後ろの彼らも巻き込んでしまう。そのままドミノのように倒れた後、清魔法でまとめて氷漬けにしてやった。
「さすが純真な花の隊長だにゃ♪ そろそろ僕を見てくれたらどうにゃん?」
「どうすればお前が諦めてくれるか、こっちはそれを考えるのに必死なんだ」
ジェシーの求愛を振り切りつつ、俺は大剣を用いてゾンビの残党を薙ぎ倒す。時に動きの早いゾンビもいたが、ジェイミーの手助けにより事無きを得る。
これでザコは全滅だ。多少の余裕ができると、ジェイミーは猫野郎を見遣る。
「そんなに寂しいなら、ジャックに構ってもらいな。もしや俺様たちを此処に引き寄せたのはあんたか?」
「大正解にゃーん! ヴァンツォちゃんはさておき、そこの女と君はこの地が墓場になるのにゃん。もっちろん、拒否権は無いにゃあ♪」
ジェシーが吹き抜けから跳躍し、転回しながら俺たちのいる場所へ降り立──
──キィィイン!!!
やはり俺を狙うか……! 幸い剣身で凌げたが、少しでも判断を誤れば鉤爪で顔を引き裂かれていたかもしれん。彼は鼻を鳴らして間合いを取った後、令嬢服の袖口から鋭利な爪をゆらゆらと覗かせた。
「ヴァンツォちゃんの手足をもぎ取ってぇ〜鎖に繋げておくのも悪くにゃいね!」
「本当に悪趣味なクソ猫だな」
今度は長剣に切り替えよう。
このイカれ猫の顔などもう見たくないが、殺らなきゃ絶対通してくれないようだ。
「ルナの仇、今日こそ……!」
「にゃ? まだ引きずってるのにゃ?」
「っ!!!」
あざとく首を傾げるジェシーの仕草に、アンナが瞳孔を開かせる。
そして──
「殺す……絶対に、殺してやるぅぅううううう!!!!!!」
彼女は大剣を今一度握りしめ、猫男に向かって突進! 空気を破るほどの怒声を響かせ、剣を振り上げる。
だがジェシーはアンナの剣撃を舞うように躱しつつ、彼女をさらに刺激した。
「もう良いじゃにゃい! 腕、作ってもらったんだし!」
「うるさいっ!! ボクが泣いてた時、ルナはずっと手を握ってくれたんだっ!! あの手でボクを抱き締めてくれたんだ!! かけがえのない温もりを奪ったのはお前なんだよっ!!!」
「それはおあいこでしょ? 僕だって君みたいにゃ人間に家族を殺されたのにゃ!」
「っ!?」
「アンナ、そいつに耳貸すな!」
攻撃の手を止めるアンナに対し、ジェイミーが一喝する。
しかし、時は既に遅し。ジェシーは鉤爪を光らせ、目にも留まらぬ速さで彼女に迫ろうとしていた!
頼む、清神!
氷の結界で彼女を守ってくれ……!!
──ガキィィイン!!!
よし、間に合ったようだ!
ジェシーの鉤爪が結界に食い込み、霜が徐々に手先を侵食する。彼が必死で引き抜こうとする中、俺はアンナにこう言った。
「俺もそのネコ野郎に借りがあるんだ。一緒に殺ろう」
絶対に許さねえ。
ルナたちやマリア、アイリーンを苦しめたことは勿論──
『お兄様、僕と遊ぼうよ? 今、すっごい寂しいの……』
俺の唇を奪い、流れに身を任せようとしたこのくそったれをな!!!
「ジャック様ぁぁああ、ボクを助けてにゃああぁぁああ!!!」
「助けなんか来ないよ」
ジェシーの希望を打ち砕くように、ジェイミーが静かに答える。とうとうジェシーは表情を歪ませ、此処には居ない想い人(こうは言いたくねえけど……)に助けを求めるほか無かった。
上級魔術師が氷の結界に向けて右手を突き出した時──稲妻が氷に絡みつき、ジェシーを感電させる!
「にぎゃぁぁぁぁああぁぁあああああ!!!!!!」
「アレク、とどめをさせ!」
「おうよ!」
猫男が絶鳴を上げるうちに、俺はジェシーに聞こえぬよう呪文を唱えた。
「解放」
氷の結界が破裂し、すべての破片がジェシーの全身に突き刺さる。尖った破片は彼の胸や肩、腿などを容赦なく貫いていた。傷だらけの彼は後ろへ倒れるも、雷魔法のせいで全身をひくつかせている。
……けれど、彼はまだ抗う様子だ。
ジェイミーもそれを察したのか、瞬間移動ですぐさまアンナの前に立つ。俺もジェイミーの隣で長剣を構え直すと、ジェシーはぼそりと呟いた。
「ふふ……こんなんで、死ぬと思った?」
ジェシーの身体が光った刹那──
「はぁぁああ!!!!」
野太い声と共に、光の矢が降り注ぐ!
俺は多少の傷を覚悟して目を瞑ったが……何かが全ての矢を弾き落とした事に気付く。
それは、ジェイミーが展開した結界だ。シェリーらが使う防御壁よりも層は厚く、あれだけの矢を受け止めてもなお亀裂が一切見られない。
満身創痍のジェシーは舌打ちした後、両手を後頭部に当てて石ころを蹴った。
「あ〜あ、つまんにゃいのー。僕も今日は疲れちゃったから、この辺にしといてやるにゃ」
「ジェシー! 今度こそお前を……!」
「よせ、今は脱出が先だ」
再び激昂するアンナ。俺が引留める間、ジェシーは黒い靄となってこの場から消え去った。ジェイミーは結界を解くと、俺たちの方を向き直って「ひとまず此処で休もう」と提案してくる。ジェシーがまたもや逃げた以上、アンナは腑に落ちない様子だった。
「あいつを倒すまで、ボクは……」
「気持ちは判るよ。でも、あんたらがボロボロになるのは見たくないんでね」
「そうだな。此処は臭いのがネックだが、ずっと身体を動かしてるよりはマシだろ」
俺がその場で胡座をかくと、ジェイミーやアンナもつられて座り込む。あれだけ復讐心剥き出しだったアンナの表情も既に和らぎ、優しい笑みを浮かべてくれた。
「二人ともありがとう。もしボクだけ此処に迷い込んでたら、きっと生きて帰れなかったかも」
「何言ってんだ。隊員が困ったら助けに行く──それが俺の務めなんだから」
「それに、俺様も魔法を使わないと鈍っちゃいそうでね」
「ウソつけ。あと百年ぐらい魔法を使わなくても何とかなるだろ」
「適当な事言うな! それに……アンナは俺様が守りてえし……」
「えっ? なんて言ったの?」
「こ、こっちのセリフだ!」
どうやら、アンナは『俺様が──』の下りを聞き取れなかったようだな。果たして、この王子はいつ彼女に想いを打ち明けるんだか。
決して良い休み所とは言えないが、彼らとの談笑は俺の心身をしかと癒やしてくれた。
(第九節へ)
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