ティアに玉砕された翌日、俺たち防衛部隊員はフィオーレに在る本拠地へ戻った。だがそこで待っていたのは受付嬢からの歓迎では無く、コルクボードに貼られた一枚の依頼だった。
【EMERGENZA】《緊急》
アルタ街にて一体のデーモンが出現。各部隊、騎士団と共にフィオーレへの侵入を食い止めよ。
「なっ……デーモンですって!?」
「どおりで連中がざわついてるワケだ」
ティアとジミーにつられ周囲を見てみれば、誰もが困惑した様子で話し合っている。『どうする?』と尋ねては『絶対に無理!』と返す奴らばかり。……ティトルーズ防衛部隊はその辺のギルドより強い冒険者が集まってる筈が、何故どいつもこいつも弱気なんだ。
その傍らで、ジョゼは訝し気に依頼書を見つめる。
「報酬は、これまでと比べ物にならないほど高額です。……しかし、我々人間が相手にすれば五体満足での生還は極めて困難でしょう」
「う……」
杖を掴み、脚をガクガクと震わすティア。その時、昨晩彼女と交わした言葉が脳裏をよぎる。
『どうも胸がざわざわするのよね。明日、あたしらの身に何か起こるんじゃないかって』
『例えば?』
『口にしたくないわ。でも、国を災いから護るのがあたしらの仕事。きっと杞憂よ』
……彼女が予感していたのって、まさかこの事だろうか。だが、デーモンなんて魔界ではよく見かける存在だ。人間が過剰反応しているだけとしか思えない。
だから余計バカらしくなって、思わず溜息をついてしまう。するとマスターが俺の方を見てきたので、こんなやり取りをした。
「どいつもこいつも情けねえよ」
「あんた、デーモンと戦った事ないのか」
「あんなもん、魔界で何度も見てるからな」
「ふん、だったらあんた一人で行くか?」
「ダメです、マスター!!」
マスターに向かって怒号を上げたのは、同じ隊員のティアだ。マスターはいつもの冗談を言ったつもりだろうが、彼女にとっては本気に聞こえたのだろう。
「いくらアレクが強いとは云え、彼一人に任せるなんて無責任すぎます! 皆さんで力を合わせればきっと……!」
「ああ! 国を護らんで何が防衛部隊だ! おれも連れてってくれ!!」
「私も同行しましょう。よろしいですか、マスター?」
「無論、わしも行くさ。だがティア、あんたは此処にいろ」
「ど、どうしてですか!?」
勝気のティアは、その言葉がマスターなりの配慮である事を知らないようだ。確かに当時の俺も『女は足手纏い』と思っていたが、ある程度の武術にも長けるティアは例外。……それに、好きだった女に何か起きるのだけは俺も御免だ。
しかし、時が待ってくれる事はない。
一人の兵士は突如本拠地に入り、大きな声でこう発した。
「報告します! デーモンがフィオーレへ侵入! 至急救援願います!!」
「ど、どうしますか隊長!!」
「ふむ……」
別部隊の者から目線を送られたマスターは、腕を組んで考え込む。だがその時間は極めて短く、彼はすぐに答えを出した。
「勇気のあるヤツは全員出撃しろ。各隊員、騎士団と連携を取り対象者を滅ぼせ!」
「「承知!!」」
あれだけ怖気づいていた奴らも、隊長の命令には逆らえまい。誰もがマスターに向かって敬礼すると、すぐさま本拠地を離れ騎士団と合流した──。
この頃のフィオーレには、まだ蒸気機関など存在しない。魔力によって作動する路面電車も、情緒あふれる家々も、全てデーモンによって砕かれていた。一部の騎士団は住民たちを誘導するが、中には逃げ遅れて哀れな末路を辿った者もいる。
「畜生! おれらの街を滅茶苦茶にしやがって!!」
「私達が到着した頃とは違う光景……急いで倒しましょう!」
「ええ!」
俺たちの部隊も騎士たちと合流し、荒れ果てた街中へと突き進む。そして暫く走っていると、ブリガ方面へ向かわんとする巨大な影が在った。
三メートル弱の身長に、紫の皮膚に覆われた筋肉。六本の手を生やすそいつこそがデーモンだ。腕を豪快に振り回しては、建物を次々と破壊。広がる青空はたちまち黒く染まり、嗅覚は鉄の臭いに支配される。
幸い、デーモンはまだ俺たちの存在に気づいていない。リーダーとされる騎士が俺らに「止まれ」と指示すると、弓を構える騎士が横一列になって前方に出た。
リーダーが片手を振り上げた刹那、弓兵たちは一斉に射撃。矢の雨は高速で降り注ぎ、デーモンの背に集中砲火を浴びせようとした。
しかし──。
──ンンゥゥウウ!!!
くそ、こっちに気づいたか!
高く伸びたツノを持つデーモンは、振り向きざまに片足を上げる。弓兵の多くはけたたましい咆哮で硬直し、そのままヤツの下敷きになってしまう。
「「ぎあぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!!!!」」
「ぐ、放せえぇぇえ!!!」
「今助けるわ!!」
「焔撃!」
デーモンに捕まれたリーダーが両手を振って抵抗を試みる。遠距離を得意とするティアは青い光の矢を、ジョゼは剛速球の炎を(デーモンの)腕に向かって放った。
だが巨体の悪魔は余る腕で振り払うと共に、暴風を巻き起こす。その風圧に逆らえる者は俺含め誰もいない。空中へと投げ出された俺は──いや防衛部隊員は、すぐさま受け身を取って体勢を立て直した。
その瞬間──骨肉が潰される音が聞こえ、俺たちの前に赤黒い人形が投げ飛ばされる。地面に棄てられたのは、先程掴まれたリーダー。彼から広がる血だまりは、瞬く間に石畳を汚していった。
「ううっ……!!」
リーダーの亡骸を見つめ、口を手で覆うティア。戦闘に慣れた彼女と云えど、床を更に汚すかと思いきや──。
「ティア!」
「大丈夫……こういうの、ずっと見てきたから!!」
ジミーの呼び掛けにより持ち直したようだ。……どこか無理しているように見えるが、今は気に掛けるよりヤツを止める方が先決だ。
「俺が引きつける。その間にティアとジョゼが攻撃してくれ」
「「はい!」」
俺が真正面に立つ事で、デーモンの意識をこちらに向ける。デーモンは唸り声を上げて幾度も爪を振り下ろすが、難なく懐へ入れた。
「ふんっ!」
「こいつを喰らいな!」
その間にマスターが飛び掛かり、長い爪で左腕に傷を入れる。それだけではない。ジミーが巨大斧をブーメランの如く投げ飛ばしたおかげで、右腕のうち一本が吹き飛んだ。
なお俺も間髪入れずに大剣で脛を突き刺す。骨を貫くまでには至らなかったが、何とか追い込みに成功したようだ。
「行くわよ、ジョゼ!」
「はい!」
今度はティアとジョゼの連携だ。ティアは杖を媒体に、青い光でデーモンを仰け反らせる。その隙にジョゼが陽魔法を詠唱すると、天から雷が落ちてきた。
デーモンは雷によって身を焦がし、ついに後ろへ倒れる。これを機と見たのは、圧倒的な跳躍力を持つジミーだった。
「これでとどめだぁぁぁあぁぁ!!!!」
ジミーは斧を両手で持ち、助走をつけてから大きくジャンプ。
これで全てが終わる──誰もがそう予想していただろう。
その直後、
「うがぁ……!!」
「「ジミィィイイイイィィィ!!!!!」」
ジミーの鍛え抜いた肉体は一気に散らばり、斧がデーモンの身体へと急降下。デーモンが立ち上がる瞬間、斧はヤツの頭部に突き刺さ──
「は、弾き飛ばした……!」
ジョゼが腰を抜かすのも無理も無い。デーモンは紅いオーラを身に纏う事で、硬質な皮膚へと変化させた。
再び立ち上がるデーモンを前に、残るメンバーが唖然とする。僅かに恐怖感が沸き上がった刹那、男の張りのある声が背後から響き渡った。
「第二陣、撃てぇぇえ!!!」
高台に建つ騎士たちは、小銃を構え一斉に発砲。破裂音が聞こえた頃、デーモンの全身に無数の銃弾が叩き込まれていった。
しかし、どの弾も金属音を立てては散るばかり。デーモンは未だ残る右腕を前に突き出すと、紫色の炎で騎士たちを焼き尽くした。
「あぎゃぁぁぁあぁぁあ!!!!」
「あちぃい!! ひぃぃいいぃいい!!!!」
誰もが銃を手放し、火だるまと化す。あの炎は一瞬にして鎧と皮膚を焼き尽くすものだ。いかに上位の清魔法で凌いでも、火傷を免れる事は不可能とされている。
それでも諦める仲間たちではない。ジョゼは今一度杖を握り締めると、自身の足下に巨大な魔法陣を展開。一方で、デーモンの殺気は彼を向いていた。
「よせ、ジョゼ!!」
「来てはなりません!! ここは私が!!」
ジョゼは悪魔のような形相で叫び、杖を振り回す。黄金の長髪が風によって揺らめく最中、俺の背後から高速で何かが迫ってくる──!
「避けろ!!」
マスターの叫び。直感で右へローリングした瞬間、ジョゼの短い悲鳴が耳を伝った。
体勢を立て直し、ジョゼの方を見た瞬間。
丸太のような杭が、彼の腹部を貫く。
彼を包み込むのは黒い靄。体内を冒された事で、もう視力も聴力も戻ってこないだろう。
デーモンは、間髪入れずに杭を引き抜く。魔術師はただ魔物に弄ばれ、体内の臓物を一気に撒き散らすのみだ。
豪快な戦士も、冷静な魔術師も、もう目覚める事はない。
残された神官は手を震わせ、凶悪な魔物に向かって憤りをぶつける。
「……さない……絶対に、許さない!!!」
ティアは杖を振り上げ、先端に霊力を宿す。収束する光は人間を呑み込むほど大きく、今にも放たれようとしていた。
デーモンも次の攻撃に移行。ヤツは全ての腕を前に突き出し、計七つの魔法陣を展開させる。六つの魔法陣に囲まれた中心部は、反時計回りに回転。黒い光を放った瞬間、稲妻がティアに狙いを定める!
間に合え、アレクサンドラ!
惚れた女を守れねえで何が男だっ!!
「させるかよぉぉおおぉおおおぉおおお!!!!!」
距離は残り二メートル。
あと少し……あと少しでティアを──!!
「あぁぁあぁぁぁぁああぁぁぁあぁあ!!!!!!」
鞭打つような音と共に、ティアの顔から肉片が飛び散る。
彼女に襲い掛かる現実は、俺の足を引き留めた。
「いや……あたしの……顔、が……」
長い事見てきた、ティアの美しい顔。稲妻はその左半分を焦がし、雪肌を真っ赤に染め上げた。
もう彼女に戦意など存在しない。女は痛みに悶え、ただ絶望を叫ぶのみだ。
「……ティア……」
ただの仲間である俺に、何ができる?
もし霊術を使えたら、彼女の傷を癒せたのか?
ティアが泣き崩れるも、俺にはどうする事もできない。
それを見たマスターは、毅然とした態度で俺の名を呼んできた。
「アレックス」
「……判ってる」
答えは一つだ。
意識を集中させ、無心に大悪魔の魂を呼び起こす。マスターも全身に氣を纏い、もう一度俺に呼び掛けてきた。
「行くぞ」
「ああ」
もう今までの俺とは違う。
これは遊びなんかじゃない。目の前の存在が、祖国の未来を踏み潰そうとしているんだ。
マスターは雄叫びを上げると、懐へ飛び込んで囮となる。
その隙に、俺は一条の特大槍を召喚。希望を握り締め、片手に全てを賭ける──!!
「うぉぉおおおぉぉおおおぉぉおおおおぉおおおおおおお!!!!!!!!!!」
──数時間後、フィオーレの病院にて。
「もういやぁあ!! 殺してぇぇえぇぇえ!!」
「くっ……彼女を放すな!!」
扉越しから響く女の悲鳴。ドアプレートには、『Tia=de=Lys』と筆記体で刻まれていた。
純粋無垢な神官も、今では生きた屍。入室を許されないマスターと俺は、ただ扉の前で見守るしかなかった。
「物足りねえよ。やっと、強ぇヤツに会えたってのに」
「それだけあんたが成長した証だ」
もし俺が悪魔でなけりゃ、ジミーらと同じ末路を辿っていただろう。
あれからデーモンは俺とマスターの連携によって敗れ、フィオーレに静寂が戻る。だけど、踏み潰された魂は決して戻らない。誰もが身近な存在の死を弔い、光見えぬ明日に苛まれていたのだ。
魔界にいた頃とは違う重みが、再び圧し掛かる。
アリスにティア──想い人が次々と殺された今、何が残ると云うのだろう。
自身の両手を見つめるにつれ、視界が滲んでいく。
もう……己の愚かさを、認めるしかねえんだ。
「……俺が油断しなけりゃ……くそぉっ!!」
瞳から零れる悔恨。
掌が塩気に満ちた時、マスターが俺を抱き寄せてきた。
「マスター……どうすりゃ、良いんだよぉ……!!」
「あんたのせいじゃねえ。……わしらはただ、あいつらの分も生きるだけだ」
「うっ……あぁぁあぁぁあぁ!!!!」
ジミーに、ジョゼ。そして……ティア。
もっとお前らと笑っていたかった。また旨い酒が飲めると思ってた。
だが、それも叶わぬ未来。
ティアとの面会を永久的に断たれた事で、二度目の淡い恋は幕を閉じる──。
気が付けば、頬がびしょ濡れだ。どんなに泣こうが、過去が変わるなんざ有り得ねえのに。
あれから隊員たちは俺らを慰めてくれたが、少なくとも俺の胸中に傷は長く残った。そりゃあジミーやジョゼとも揉めた事はあったさ。でも、あんな形で別れるなんて……納得いかねえよ……。
暗闇の世界が、ぼんやりと映る。
この岩肌を見つめていると、鉄製の扉を開ける音がした。
「飯の時間だ」
ジャックが俺の視界を覆うように現れる。彼は血痕のついた革袋に手を入れると、何かを俺の横に落とした。
ふと視線を移せば、カビが酷く生えた一片のパンがある。それも掌に収まる程の大きさで、とても腹が満たせそうになかった。……そもそも、カビが生えてる時点で食い物とは思えねえ。
「言うべき事はあるだろう?」
「…………」
重くなった身体を何とか起こすも、言葉を発する気力など無い。その代わり犬扱いするクソ野郎を睨むが、直後つま先が顎目掛けて飛んできた。
「がぁっ!!」
「喰え」
「ふご……!!」
んだよこいつ! うあ、口にしただけで……!
「────っ!!」
「贅沢な味覚だな。無論、どう掃除するか判るな?」
「俺は……てめえの家畜じゃねえ」
「ならばもう一度調教するまでだ」
「ぬあぁぁあぁぁ!!!」
──それから調教は続き、言葉にならないモノを延々と食わせられた。
此処は、岩漿が流れる“灼熱の渓谷”。
魔物どもが黙々と兵器を生む傍ら、俺の中に在る大切なモノがまた壊れようとしていた。
(第七節へ)
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