夕焼けが見えた頃。皇配殿下が俺とアイリーンに殺された事で、使用人たちの洗脳が解けた。結局ルドルフはマリアへの独占欲に溺れ、侵略してきたジャックと手を組んでしまったのだ。彼の部屋で監禁されていたはずのマリアは、現在自室のベッドで横たわっている。
陛下の部屋に訪れたのは、指で数える程しかない。今となれば、この薔薇の壁紙ですら鮮血を想起してしまう。天蓋の下で目を瞑る彼女を見るたび、『本当に“死”が訪れてしまったのでは』と良からぬ考えが過るのだ。
髪を下ろした彼女は雪肌を露わにし、その大きな胸を包帯で覆っている。中心に咲き誇る赤黒い花は、周囲で見守る彼らにも不安を与えた。
「これ、かなりやべえんじゃねえの……」
「そんなの、絶対にやだよ……」
重苦しい沈黙を破ったのは、ジェイミーとアンナだ。ベッド付近には、アイリーンとクロエ、そして跪くルナがいる。
「ああ、陛下……」
「大丈夫よ。彼女ならきっと……」
己の過ちを嘆くルナに対し、アイリーンがそっと肩に手を添える。クロエはただ唇を噛み締め、涙を必死に堪えている様子だった。
一方で、ヒイラギは壁に寄り掛かり腕を組んでいる。エレは椅子に腰掛け、膝上で拳を作るのみだ。
いくら広い部屋と云えど、八人もいれば所狭しとなる。中でも俺は、ルナから少し離れた場所で国王を見守る他なかった。
だが、それも直に終わりを迎える。ついに瞼をゆっくりと開け、人形のような顔をこちらに向けたのだ。一同は息を呑み、乙女色の大きな瞳をまじまじと見つめる。
生死を彷徨った彼女は、膨らんだ唇をついに開かせた。
「……皆、心配を掛けてごめんね……」
予想外の出来事に立ち上がるエレ。その時、木製の椅子がひっくり返るが、気に留める者は誰一人いなかった。
「陛下……!!」
「大丈夫よ、エレ……。もう少しすれば、きっと治る、から……」
「陛下っ!!」
ルナが顔を上げ、言葉を遮るように国王を呼ぶ。マリアは少し驚いたのか、肩がピクリと上がった気がした。
「全ては私の過失です。どうか裁きを──!」
「気にする必要は無いわ……。あなたが目を覚ましてくれれば、それで良いもの……」
「しかし……!」
「あら……このあたしに、口答えする気?」
自身を傷つけた者に向かって、静かに微笑むマリア。独裁的な物言いとは裏腹に、罪人を赦すかのような慈悲深さが伝わってきた。
その笑みは俺やアイリーンにも目を向け、言葉を続ける。
「あなたたちも同様よ。戦争は既に始まっているのだから」
「……陛下は、本当にそれでよろしいのですか?」
「ええ。あのまま夫を生かしても、この国が傾くだけよ。それに……あたしもずっとあの場所に閉じ込められるのは、嫌だったから……」
マリアは目線を逸らし、天蓋を見つめる。その際、先程の笑顔から悲しげな表情に一変。彼女の横顔からは、夫に監禁された苦しみが窺えた。
「あなた達が来てくれたおかげで、あたしの中にある大切なモノは守られたの……。助けを呼ぶことも、魔法を使うこともできなくて……あたしは、危うく──」
「あんたがうちと同じ道を歩まなくて済んだ。……うちがあんたなら、そいつを殺してるだろうからな」
マリアとヒイラギの会話の中で、ジェイミーも察しがついたようだ。男の俺達はただ口を結ぶほか無く、彼女らも物憂げにマリアを見守るだけ。
マリアは先程の苦痛を思い出したのか、瞳に涙を浮かべる。それに勘づいたクロエは、俺達の前に立ち退室を促し始めた。
「お言葉ですが、どうか陛下を一人に──」
「クロエ、アイリーン。あたしは今、アレックスと二人きりで話がしたいの……」
「承知いたしました」
先程、男性不信に陥るような話をしたんだ。まさか、『俺と話したい』と口にするとは思ってもみない。誰もが俺とマリアを交互に見つめるが、彼女の命令である以上は退室せざるを得なかった。
彼らは一礼してから立ち去ると、ついに俺だけが取り残された。彼女がゆっくりと上体を起こそうとするので、片手を背に回して支えてやる。そこでマリアが「ありがとう」と言ってやんわりと除けた後、俺は椅子──エレが座っていたもの──を近くまで寄せて腰掛けた。
「それで、話ってなんだ?」
「もう気付いてると思うけど、あたしは七歳の頃から不死の存在よ」
「七歳の頃から……!? 何故、彼らにも話さない?」
「あの子に知られたら、プレッシャーになるもの。あの子が死んでも、あたしがその分を背負えば良い。……でも、その逆は耐えられないの。ただそれだけ」
「だが、俺はお前から彼女を奪った。お前は、俺を憎いと思わないのか? 彼女のために薬を飲んだ事、後悔してねえのか?」
「数え切れないくらいあったわよ、あなたと会う前からね。それでも、あの子の笑顔が見れるのが嬉しかった。特に最近は、今までよりずっと笑ってた気がする。だから後悔なんてしてないの」
……普段は変人なくせに、こういう時になるとすげえ良い女に見える。だからアイリーンやルドルフが惚れ込むのも納得いく。
だからこそ、彼女を未来永劫孤独にしてはならない。この儚げな笑顔を守れるのは、一人しかいないとも思った。
マリアは俺を見つめ、いきなりくすっと笑う。その上品な笑い方が少しだけシェリーに似ているのは、気のせいだろうか。
「あたし、あなたと出会ってからこんな夢をしょっちゅう見てきたの。あたしが魔族の力を得て、あの子を独り占め。あなたはそこでも彼女に惚れてたけど、現実と違って(あたしとは)殺し合う関係だった。あたしには隣にシェリーがいればそれで良くて、国の事なんて放ったらかし。そうしたら、銀月軍団が扇動してあたし達を捕らえたわ」
「それから?」
「シェリーはジャックに薬を打たれ、国民の前で水責めに何度も苦しめられた。彼らは怒りを爆発させて、ただジャックを称賛するばかりだったわね。だからあたしは、例え皆を殺してでもシェリーを助けたのだけど……願わくば、現実で起こってほしくないと思ったわ」
「それは……嫌な夢だ。結局、シェリーはどうなった?」
「夢の中でもあの子とあなたは恋人同士だった。でも、ジャックに引き裂かれたせいで、彼女は壊れてしまった。まあ、そんな夢もいつからか見なくなったけど」
たかが夢だと云うのに、すげえゾッとする話だ。しかも今はシェリーが此処にはいないし、似たような事が起きていないか気が気でない。彼女が明かした夢は、却って逸らせるものだった。
俺は立ち上がり、意を決するように拳を握り締める。
「……何としてでも、この手で彼女を助ける。シェリーは、俺達の希望だ」
「託したわよ。あなたが隊長でいるための条件、忘れてないわよね?」
「勿論。それに、あいつが攫われたのは俺の責任でもある」
「なら、今晩は此処で身体を休めなさい。彼女がどこで捕まってるか判らないでしょ?」
マリアの言う通りだ。確かに今すぐにでも向かいたいところだが、仕切り直さないと俺が本当に死ぬ危険性がある。
そう考えを巡らせていた時、背後からドアを叩く音が聞こえてきた。
「あれは……きっと彼女ね」
「ちょうど良いさ。そろそろ此処から立ち去るよ」
「ええ。クロエが今頃あなたの部屋を手配してるはずだから、一緒に向かってちょうだい」
「おうよ」
俺はドアノブに手を掛け、そっと扉を引く。するとそこには、メイド姿のアイリーンが佇んでいた。彼女は「失礼致します」と言い掛けた矢先、俺と目が合って声を漏らす。
「ちょうど用事を終えた。……きちんと話せよ?」
「判ってるわ」
表情を曇らせたまま頷くアイリーン。俺は彼女とすれ違うように部屋を後にすると、廊下にはクロエが待っていた。
「それでは、隊長のお部屋へご案内いたします。使いの者が訪問するまで、お待ち頂けますよう」
「ああ」
クロエは俺に背を向け、すたすたと歩き出す。
だが、着任したばかりの頃と比べて空気は以前と重苦しく、冗談を言い合う隙など微塵も無かった。
(第六節へ)
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