騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第二節 神語り‐全てを蝕む闇

公開日時: 2022年3月10日(木) 12:00
文字数:5,239

※この節には残酷描写が含まれます。

「……今までありがとさん、アンナ。ずっと好きだったよ」


 ジェイミーが紡いだ言葉は、アンナの思考を一気に奪い去った。

 アレックスとシェリー、そしてマリアの三人は天界に在る楽園へ向かい、大天使ガブリエラと共に天の宮殿へブンリー・パレスへ。一方、王城より帰宅したアンナはジェイミーからの電話を受けるのだった。


 彼の言葉には、これまでの関係を砕く力が在ると云えよう。

 果たしてアンナは恋人としての関係を取るか、それとも──。


 しかし恋愛経験が浅い故、適切な回答を見つけられずにいた。ジェイミーはそれを察したのか、幾分か声を漏らし言葉を添える。


「判ってるよ。あんたにとって、俺様の気持ちが迷惑って事にね」

「ち、違うよ! ただ……」


「ただ?」

「ボク、判らないんだ……男の人にそんな事、言われたこと無いから……」


 アンナは受話器を片手に、エメラルドの瞳を泳がす。緊張に耐え切れず、やがて余る指先でコードを弄んでいた。


(うああ、すっごいドキドキしてる……。でも『だった』だし、どう返したら?)


「なんで、過去形なの……?」

「……電話じゃ、言いたくない」


「じゃあ、会って話してくれるって事だよね?」

「勿論さ。あんたに多くは求めない。俺様んちに来てくれたら、全部話すよ」

「い、家……!?」


『異性の家を訪れる』──それがアンナにとって如何に敷居が高いか言うまでもない。彼女の手から受話器が滑り落ち、棚にぶつけてしまう。スピーカーからは「おい!! どうした!?」と安否を問うジェイミーの声が絶え間なく響いた。

 アンナは衝撃音に驚き、再び受話器を取り直す。それから「ご、ごめん!」と謝った後、こう付け加えた。


「ボク、まだ君に答えを出して……」

「だよな……あんたを不安にさせてすまんかったよ。それに、帰りに何かあっちゃヤベえからな……」


「その……ボクの家に来ても良いよ。本当に、何もしないなら……」

「あんたを泣かす趣味は無いって。手紙に書いてあったとこに行きゃ良いっしょ?」

「うん」


(どうしよう、ついボクから……)


 今会わなければ、もう会えないかもしれない。

 そう悟ったアンナの答えは、『友を自宅に招く事』だった。これまで二人は時に文通をおこなっていたが、それが今に繋がると誰が予想できるか。


 彼女は「また後で」と切り出すと、受話器を定位置に戻す。そしてすぐさま階段を降り、赤い石油ストーブにマッチを放り投げるのだった。



 程なくして、ジェイミーはアンナの家を訪れた。ドアを叩く音がすると、アンナは来客を招き入れる。それからダイニングのソファーへ通すと、彼女も隣に腰掛けた。


「急に来て悪ぃな」

「ううん」


 直後。二人の間に沈黙が生じ、火の燃え盛る音だけが響く。初心うぶな両者に目を合わせる余裕は無く、ただ闇雲に周囲を見回すのみだ。

 それでもなおジェイミーは息を吸い、「あのさ」と切り出す。その言葉はアンナを振り向かせ、互いに向き合う機会となった。


「……俺様も、ルナと同じ目に遭っちまったんだ」

「え? もしかして、夏に城の皆が暴走した時と……!」


「うん。……“覚醒の種”、それがルナらを狂わせた正体だよ。人間ですらやべえってのに、ジャックの野郎は魔族おれさまに植え付けてきやがった……!」

「嘘だよ……ウソって言ってよ!!」


 アンナが反射的に立ち上がり、ジェイミーに向かって怒号を放つ。しかし彼はそれに動じるどころか、首を横に振るしかないようだ。


「マジだよ。灼熱の渓谷でアレクを助ける時、偽者のあんたに出くわした。で、そいつを倒してジャックをぶっ飛ばそうと思ったらこれさ……」

「……そんなの、許せないよ。今すぐ、ボクの手でその種を!!」


 アンナは鏡映しの存在よりも、また友が傷つく未来に憤りを感じていた。彼女は感情に身を任せジェイミーの身体を掴むが、彼はすぐに手を払う。その拒絶に理解できず、彼女はヒートアップする一方だ。


「なんで!? このまま侵されても良いって言うの!?」


「んなんじゃねえ!! 一度植え付けられちまったら、もうどうにもなんねえんだよ! そいつが、自我を取り戻すまでな!」

「自我を……取り戻す……?」


 アンナは、ペリドットの月に起きた出来事を思い出す。親友であるルナが、マリアを刺傷するまで暴走した事件を──。


『全ては私の過失です。どうか裁きを──!』

『気にする必要は無いわ……。あなたが目を覚ましてくれれば、それで良いもの……』


 国王は、自身を傷つけた騎士団長を直ちに許した。もしマリアがルナを受け止めねば、純真な花ピュア・ブロッサムにより大きな打撃を与えていただろう。

 自我を取り戻すか否かは、あくまでその者に委ねられる。後に起きたルドルフの死は、まさに種の特性を物語るものだ。


 ルナの一件は運が良かった。その一方で、アンナの脳裏に“絶望”という単語がよぎる。為す術もない彼女は膝から崩れ落ち、視界をじんわりと滲ませた。


「やだよ……君と、戦いたくなんか……」


 ジェイミーは、ただ眺めるだけの男だろうか。否、彼もまたソファーを離れ、屈んで目線を合わせる。それから手を差し伸べ、アンナの頬を伝う涙を拭った。


「……俺様だって、あんたを死なせたくない。だから、『最後』っつったんだ……」


 アンナの涙に触発されたか、ジェイミーの目尻にも雫が浮かび上がる。彼は堪えるように歯を食い縛り、勢いに任せて固く抱き締めた。



「けど、やっぱ無理だわ……あんたが他人ほかの女になるとかさ……。だからって、あんたを殺すのはもっと嫌なんだよ……!!」



 その本音は、アンナの凍り付いた心を確実に溶かす。もはや彼女に言葉を紡ぐ余裕は無い。だが両腕は徐々に彼を包み、顔を胸元に埋める。



 そして少女は──声高らかに泣き叫んだ。



「なんでもっと早く言わなかったの!? ボクを置いていくなんて、酷すぎるよ……!!」

「……怖かったんだよ。あんたに拒否られて、もう会えなくなるのがさ……。俺様ったら、だっせえよ。なんせそっちがアレクと話すたび、イライラしてたかんな……」


 かつてアンナはアレックスを家に招いた。一線を超えずとも、アンナを盲目にしたのは事実。偶然にも二人を目の当たりにしたジェイミーは、のちにアレックスを問い詰めた。『あいつの家で何をした?』──と。

 恐怖心と嫉妬に苛まれた末、彼はついに種を植え付けられる。いずれ訪れる危機は、皮肉にも彼に勇気をもたらした。


 もう失うものはない。

 ジェイミーは指先でアンナの顎を上げ、唇に迫ろうとするが──。



──八つ裂きにしてやる。



 不意に過ぎった憎悪がジェイミーを支配し、胸を締め付ける。アンナは異変に気づき何度も呼び掛けるが、決して彼の耳には届かなかった。


「ぐっ……こんな、時に……!」

「ジェイミー、大丈夫!? ジェイミーったら!!」


(これが、種の特性……!?)


 苦しむ彼を見つめ、不安を抱くアンナ。

 彼女が手を伸ばした刹那、ジェイミーの形相が変化し予想外の行動に出る。



「っ……なん、で……!?」

「さっさと血をよこしな。バラバラになりたくなきゃね」



 ジェイミーは片手でアンナの首を絞め、口裂け魔の如く微笑む。血眼となった彼は、まさに魔族と云えよう。

 だが、アンナもいち戦士だ。血が溢れんばかりに彼の手を掴み、必死に抗う。それから脚を振り上げ、ジェイミーに打撃を与えた。


「うぉっ!!」


 彼が仰け反る合間、アンナは後方転回して体勢を立て直す。彼女が片膝をついた時、ジェイミーは我に返り想い人を見つめた。


「俺様は……いったい……」

「…………」


 種の効果は薄れたか。

 アンナは無言で近づき、再び彼に手を伸ばすが──。


「うわぁぁあ!!」

「アンナッ!!」


 突如、彼女の背後から黒い鎖が現れ、華奢な身体を縛り付ける。ジェイミーが慌てて駆けつけるも、墨色の靄がそれを阻んだ。



「何もかも無駄だ、友よ」



 霧散した末、アンナの前に現れたのは銀髪の青年──ジャックだ。彼は腰に手を当て、ジェイミーを見下すように鼻を鳴らす。友と呼ばれた男の足は止まり、こめかみからは脂汗が流れる。


「ジェイミー!!」

「口うるさい女だ。れ」


 アンナの叫び声がジャックの耳に突き刺さる。だが彼は振り向かず、背後の鎖に指示を下した。

 鎖は頷くように蠢き、体内から電気を発する。稲妻はアンナに絡みつき、灼けるような痛みを絶え間なく与え続けた。


「いやぁぁあぁぁあぁぁああぁあ!!!!!」

「やめろぉぉおぉお!!!!」


 アンナが甲高い悲鳴を上げる傍ら、ジェイミーはジャックに向かって拳を突き出す。しかしジャックは難なく拳を受け止め、眉間に皺を寄せた。

 その瞬間、ジェイミーの身体が高速に吹き飛び、背後のカウンターに激突する。背を強打した彼はその場で倒れ込み、ジャックの接近を許してしまう。そしてジャックはジェイミーの前で屈み、耳元で囁いた。


「ヤツが焦がれる様をしかと見ろ。聞こえるだろう、彼女の泣き叫ぶ声が」

「……てめえ、アンナに何しやがる?」


「抗った報いだ。その種を仕込まれた者は決して俺に逆らえまい。……故に、貴様に罰を与えるのは至極当然であろう」

「なら、なぜ俺様には何もしない? こんな便利な砂袋があるってのにさ」


「強すぎるからだ。それに、女が苦痛を謡う様は格別──貴様もそう思うだろう?」

「おい!! いい加減にし──」


毒霧ネヴェーレ


 ジェイミーが立ち上がり拳を構えた刹那、ジャックは静かに呪文を詠唱。その魔法が襲ったのはジェイミーでは無く──囚われのアンナだった。菫色の霧が彼女を包み、肺を急速に侵していく。


「うぁ……っ! がはっ!」

「くく、これでは足りぬ……」


 ジャックは込み上がる笑いを抑え、指を鳴らす。するとアンナの視界が眩闇に支配され、ある記憶を蘇らせた。



『これはこれは、美しいお嬢さんたちではありませんか』

『来るな!! 妻と娘に何を!』


 十二年前の夜。平穏の日々は、山羊やぎ頭を持つ悪魔によって覆される。

 幼きアンナは母親にしがみつき、壁際で礼服の悪魔と拳銃を構える父親を見据えていた。


『あ……あぁ……』

『大丈夫よ、アンナ。神様はいつだって私たちの味方だから!』


『さて、それはどうでしょう。あなた方が野蛮の肉を喰らうように、私も食糧が不可欠。それとも、貴方が餌食になってくれるとでも?』


『そんなに飢えてるなら、私を喰らうが良い! 妻と娘を生かすならな!!』

『それは妙案ですね。では、早速あなたを頂きましょう』


 悪魔は紳士らしく一礼した末、片手を突き出し父親を硬直。彼の手から銃が滑り落ちると、悪魔は口を大きく開き肩を喰らった。


『ぎあぁぁあぁあぁぁあぁぁぁあ!!!!!!!』

『いやぁぁああぁ、あなたぁぁぁ!!』


 男性の身体は紅く染まり、ただの肉塊と化していく。それを見た妻は悲鳴を上げるが、アンナは恐怖のあまり声を振り絞れずにいた。

 悪魔は食事を終えると、肉塊の前で咽び泣く女性に視線を移す。それから彼女に近づくと、強引に押し倒し次の惨事を始めた。


『あなたを食糧に留めるのは実に惜しい。ふふ、共に夜を明かそうではありませんか』

『そんな……私には、あの人が……────っ……!』


 女性の抵抗虚しく、悪魔の人形と化してしまう。一通り事が終わると、アンナを見下ろしこう告げた。



『あなたが大人になる時が、実に楽しみだ。その美しき心、決して余所者に明け渡してはいけないよ』



 その言葉は、彼女の願望を粉々に打ち砕いた。『お姫様になりたい』から『強くなりたい』──。否、『強くならなきゃいけない』へと変化して現在に至る。

 だが既に成人となった今、次は自身が餌食となる事に強い恐怖心を懐くのだった。



「父さん……母、さん……」


 身を縛られ、悪夢を再び見せられたアンナの瞳が濁る。感情の一切を奪い去られ、糸が切れた人形のように腕が垂れた。


「おい、アンナ……」

「もはや彼女の心に貴様の存在など無い。……これで判ったろう? 貴様の成すべき事を」


 彼女の呼吸が僅かに在る。しかし、先程のように抗う事は二度と無いだろう。

 アンナの変わりゆく様を目の当たりにした以上、ジェイミーにはこの選択肢しか残されていなかった。



「……俺様は、役立たずだ……ただ、力を振るう事しか……」

「気が付いたようだな。力しか無い貴様が人間ヒトらしく生きるなど、初めから無謀に過ぎない」



 ジェイミーがその言葉に頷く事は無いが、否定する事も無い。

 何もかもが手遅れだ。そう悟った彼はすくと立ち上がり、自身を蝕む種に全てを託す。理性は加虐心に壊され、記憶は虚無へと塗り替えられる。増幅する魔力を抑えきれず、彼は壊れたように嗤い始めた。


「あはは、ははははははは……!」

「それでこそ“煌惑こうわくの吸血鬼”……行くぞ。我が故郷を取り戻すために」


 ジャックはアンナを鎖から解放するや、ジェイミーと共に掻き消える。彼女が倒れた頃には、既に彼らの存在など無かった。


「…………ダメ……諦め、ちゃ…………」


 身体を焦がされ、床上に伏すアンナ。此処で抗えば、再び傷めつけられるだろう。

 だが、彼女の手は止まらない。震える手を何とか懐へ忍ばせ、硬い感触に身を任せる。


 そして正方形の薄板を展開させると、ある人物に発信信号を送るのだった。






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