──ルーンの下旬、某日。午前。
アンナを付け狙う謎の人物は、ルナである事が判明。ルナの話によると、(昼夜問わず)城下町で起こる連続殺人事件の犯人はジェシーと推測している。そこで俺たちは事件が起こりやすい街外れで調査を行い、ジェシーを見つけ出す事にした。
その時、漂う血の臭いを頼りに路地裏へ向かうと、仰向けで血を流す一人の女性がいた。彼女の頬は無残に抉られ、喉元には爪で引っ掻かれたような痕がある。殺害されてからかなり時間が経過しているようで、一層増す悪臭が手遅れを物語る。
そして誰もが唖然とする中、この場に似つかわしくない少年の声が響き渡った。
「にゃにゃ〜ん♪ やっぱり来ると思ったのにゃん!」
上から聞こえてくる声に一同が見上げると、そこには廃れた屋根でしゃがむジェシーがいた。俺たちを見つめるその目はまるで池の中の鯉を眺めるようで、相変わらず良心の呵責もへったくれも無いのだろう。
アンナはジェシーを見るや殺気を露わにし、唾液を飛ばす勢いで怒号を上げる。
「お前!! 人の命を何だと思ってるっ!!」
「にゃひひ♪ そうすれば、君が来るだろうってね」
「こいつ、アンナを呼び寄せるためにこんな真似を!?」
驚愕の声を上げたのは、背後に立つジェイミーだ。しかし、ジェシーはただしたり顔で愉しそうに話す。
「人間の命にゃんざ、ただの虫けら同然にゃん! 君たちだって散々魔物を狩ってるくせに、今更何を喚くにゃん?」
「俺たちも生きるのに必死なんだ。住処を荒らすヤツがいたら追い払うのは当然の事だ」
俺は鞘から長剣を取り出し、戦闘態勢に移る。ついにアンナも俺に合わせるように通信機を開き、天に掲げて叫んだ。
「今日という今日は許さない! 開花!!」
端末に埋め込まれた宝石が光り、アンナの身体を包み込む。それから橙色の花弁が竜巻のように吹き荒れると、こうじ色の鎧と淡色のスカートという出で立ちの彼女が現れた。
魔物の殆どは花姫たちの開花に慄くはずだが、ジェシーは変わらず歪んだ笑みを浮かべたままだ。『そんな事をしても無駄だ』と言わんばかりに、颯爽と立ち上がる。
「よーっし、今から鬼ごっこにゃん! 勿論、そっちが鬼ね♪ にゃはは〜」
「私達から逃れられると思うな! 待て!!」
「ジェイミー! お前はルナと一緒にヤツを追え!」
「オッケー!」
ルナのけたたましい声を皮切りに、俺とアンナは翼を広げる。『おそらくジェシーは跳んで逃げる』と予想していたが、それは見事的中だ。少女の姿に扮した猫男は軽々と屋根を飛び越え、スラム街のある方角へと向かい始める。
俺たちは飛行速度を上げ、肩まで伸びた緋色の髪と途切れた尻尾を揺らす魔族をひたすら追った。
猫男が静かに着地しては次の屋根に飛び移る一方、俺らは風になる勢いで上空を飛び交う。此処は建物と建物の間を縄で繋げ、そこに洗濯物を干す風習が浸透している所だ。俺たちが通り過ぎた頃にはきっと風で煽られる事だろう。下から視線が集まるが、今はそれを気にしている場合ではない。
この追走を繰り返した末、辿り着いた場所はスラム街だ。朽ち果てた建物が立ち並ぶ中、貧困層が今日も資金繰りと闘っている。いかなる相手にも暴力で金をせびる連中だが、華麗に降り立つジェシーを見て誰もが喚き始めた。
「銀月軍団だぁ! 逃げろぉぉお!!」
「「うわぁぁああ!!!」」
……俺たちですら彼らの対応に手こずるってのに、銀月軍団が来たらすぐに逃げるのな。流石のジェシーも危害を加えないっぽいが、人間を見下すような佇まいは依然と崩さない。
ジェイミーとルナも追いついたようで、左手の小道から駆けつける。息を切らす彼らはジェシーと目が合うと、俺とアンナ同様戦闘態勢になった。
ルナはマントの下から銀の鎧を覗かせ、長剣を片手で構える。ジェイミーは武術さながらの構えを取るが、両手は月魔法特有である今紫色のオーラに包まれていた。
ようやく数本のダガーを構えるジェシー。彼が舞うように鋭利な刃を投げつけると、俺達は隙間を縫って躱すが──。
「うわっ!!」
……って何だこれ!?
ナイフが弧を描くように周囲を飛び回った末、銀色の糸に変化。それらは俺らの身体を縛り付けるが、アンナを捉える事は無かった。身動きが取れなくなるせいで思わずバランスを崩し、仰向けに倒れてしまう。
「貴様! 私達に何をする!?」
「うふふ、痺れちゃえば良いのにゃん♪」
ルナの怒りをよそに、ジェシーが指を鳴らす。
直後──俺たちを縛る銀の糸から電流が走り、雷が骨まで行き届くような激痛を覚えた!
「「うあぁぁあぁぁああ!!!!」」
「みんな!?」
「力を使おうにゃんて考えたら、またビリビリしちゃうにゃん! はぁ、ヴァンツォちゃんの悔しそうにゃ表情を見ると……僕のハートがゾクゾクしちゃうのにゃん♡」
この非常時になに媚びてるんだ? 可愛い子ぶった仕草に虫唾が走る……!
「何度迫られようが、野郎は論外だ。特にお前みたいなクソ猫はな」
「にゃぁ〜ん、もっと言ってぇ〜〜〜♡ 罵られるだけで僕の──」
「やぁああぁっ!!!」
良いタイミングでアンナが猫野郎目掛け、大剣を振り下ろす! しかし彼は軽やかに後退し、虚空からある武器を召喚した。
「ふっふ〜。散々僕に熱い眼差しを向ける君にはぁ〜これにゃん!」
彼が取り出した武器は“鋸弓”と呼ばれるもの。横幅はおよそ七十センチ程で、その名の通り弓のような形をしている。
弓鋸と違ってのこ身が弦のように伸びており、刃渡りは外側に向いている。本弭と下弭には棘があり、弓柄を握って突いたり振り回したりする事が可能だ。また、武器そのものは軽いため、使い方次第で投げ飛ばす事もできる。
双方が間合いを取って対峙した刹那、彼らの周囲で砂埃が舞い上がる。
だが、それはほんの一瞬だ。アンナとジェシーはほぼ同時に上空へ跳躍し、各々の武器で火花を散らす!
アンナが翼を活かして剣を振り回す一方、ジェシーは並々ならぬ跳躍力で対抗。刃のぶつかり合う音は青空に甲高く響き渡り、アンナの気迫を込めた掛け声が鼓膜を掠めた。
彼らは真下へ着地し、再び対峙する。アンナは変わらずジェシーを睨むが、猫男本人はむしろこの状況を面白がっているようだ。
「相変わらずしぶとい女ね〜」
鋸弓を片手で構え、不敵な笑みを浮かべるジェシー。アンナは両手で握りしめる大剣に魔力を注いだようで、幅広の刃には白い光が灯っていた。
「えいっ!!」
彼女は切先で左後ろから地面をなぞり、勢いよく剣を振り上げる。光の衝撃波が砂埃と共にジェシーに迫るが、彼もまた鋸弓を光らせた。
「君も陽の使い手だったにゃんね〜。で・も、魔法だって僕の方が上にゃん!」
ジェシーは前方にジャンプし、刃渡りで衝撃波を両断。直後、真っ二つになった衝撃波は眩い光を放ち、アンナの目をくらませた。……反撃魔法を己の武器に込めるとは、あいつもやるな。
「く……っ!」
「隙ありにゃ!」
彼女が目を片腕で覆う中、ジェシーは先ほどよりもさらに高く跳ぶ。彼が右、左と光り輝く短剣の雨を降らし、そのうちの一本はアンナの頭上に降り掛かった。
しかし、アンナの復帰は俺の想像以上に速い。
彼女は素早い動作で剣を振り回し、ダガーを次々と弾き落とす。その度に光が反射して俺も思わず目が眩みそうになるが、剣に込めた魔法がその効果を和らげているのだろう。あの早技は彼女のように身軽な者で無ければ、到底成し得ないものだ。
ジェシーが着地する最中、アンナは片手をかざして呪文を詠唱する。
「光速!」
雪のような粒子で彼女の身体を包み込むそれは、自身の敏捷性を高める魔法だ。彼女は目で追えぬ速度で距離を詰め剣を振り回すが、彼は難なく躱してくる。
「いい加減、倒れろ!!」
「ちょろいちょろい♪」
アンナの方が確実に速いはずなのに、何故ジェシーは的確に狙えるんだ? 鋸弓の刃渡りはアンナの毛束を掠め、両弭の棘が彼女の身体に触れるか否かという瀬戸際だ。光速は持久力も上がるはずなのに、彼女の呼吸が段々荒くなっている。
そして、彼女はついに隙を許してしまう──。
「きゃぁあ!!!」
「「アンナ!?」」
俺が思わず息を呑む中、ルナとジェイミーの声が偶然にも重なる。
噴き出る鮮血は、三日月のように弧を描く。彼女はそのままバランスを崩して尻餅をつくと、片手で腹部を抱えだした。その掌はたちまち紅蓮に染まり、肺に溜まった血を出すべく咳き込む。
「案外呆気ないねぇ。もっとしぶといと思ってたよ」
嘲笑を含んだ、少年の低い声。ジェシーに視線を戻すと、気が付けば彼は真の姿に変身していたのだ。一糸纏わぬその姿に、細身でありながら筋肉質な肉体。顔はもはや猫そのものであり、赤い毛並みはまさに血を彷彿させた。
彼は鋸弓を持たぬ代わりに長い爪を見せ、空を切るように振り下ろす。威嚇を示すと、アンナの肩が微かに跳ねた気がした。
「君とのお遊びは、これで終わりだっ!!!」
猫男が四足歩行になり、アンナに向かって突進。
陽のオーラを全身に纏う彼は、残像が見える程の速度で彼女に襲い掛かり──
いや、背後から誰かの影。
揺れる金色の短髪と白いシャツ──まさか!
──ドカァァアアア!!!!
爆発音と共に失明しそうな程の光が漏れる。それに共鳴するかのように、地面は激しく横に揺れた。あまりの輝度に反射的に瞼を固く閉ざしてしまう。
だが、徐々に瞼を開けてみると──アンナの前には、やはり吸血鬼が堂々と立ちはだかっていたのだ。
遠方でうずくまるジェシーは上体を起こすと、まさに化け物を見たかのように驚愕する。
「いてて……って、何でよりによって君が!?」
彼が動揺してもなお、ジェイミーが揺らぐ様子は無い。
それどころか──
「『上には上がいる』って事、あんたの身体に叩き込んでやらないとね」
陽気な声音には、魔族本来の獰猛ぶりが込められている気がした。
けれど……ジェシーは虚ろな瞳で吸血鬼を見つめ、口をぱくぱくと開けるだけだ。その怖気づく様子は、変身が解けて元の姿に戻る程である。
「い、いぃ……いやにゃぁぁああぁああぁあ!!!!!!」
え!? あの猫、逃げやがった!?
猛スピードで走り去り、影が小さくなるジェシー。ジェイミーはそんな彼を見て鼻で笑うと同時に指を鳴らす。すると、俺とルナを縛る糸があっさりと解け、魔力が一気に解放されたような感覚が全身に広がった。
とはいえ、彼はアンナの事になれば途端に不安げな表情を見せる。想い人の方を向いたジェイミーは彼女を抱き寄せ、腹部に片手を当てた。
「大丈夫だ、まだ間に合う……!」
彼の言葉に応じるように碧色の光が灯り、傷口が徐々に癒えていく。それまで苦しそうだったアンナも呼吸が落ち着き、はきはきと喋る様子を見せてくれた。
「ジェイミー……?」
「その……助けるのが遅れて、ごめん」
「ううん、気にしないで。ボクが弱かったのがいけないから……」
あの二人、なかなか良い雰囲気じゃねえか。ルナも空気を察したようで俺と一緒に立ち尽くしている。
しかし、アンナが振り向く事でそれは容易に打ち砕かれる。俺はルナと目を合わせ『やっぱ鈍感だな』と笑った後、アンナたちに近づいた。
(第五節へ)
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