俺とアンナ・ジェイミーの三人は、ジェシーとの一戦を終えたあと一休みをする。談笑して心身を回復させた俺たちは、ゾンビが群れた広場を抜けて探索を再開。岩に囲まれた通路を暫く歩くと、鉱夫たちが造ったであろう螺旋階段を見かける。
「これ、下に繋がってるっぽくね?」
「うん。此処を降りれば皆に会えるかも……!」
「ならば、俺が前を歩こう。ジェイミーは後ろを見てくれ」
言葉どおり、俺が真っ先に一段降りてみる。石造の階段は見るからに頑丈で、段差が少ないおかげで難なく降りる事ができた。
ジェイミーとアンナが階段から降りた後、ちょうど少女たちの高い声が遠方から聞こえてくる。
「アンナ達、無事かな……」
「アレックス様とジェイミー様がいるはずですし、きっと大丈夫なのですよ」
間違いない、この声はシェリーとエレだ。四人の花姫が俺らのいる通路を横切るも、死角ゆえ気が付いていない様子。せっかくだし、そろそろこの辺で合流しよう。
「俺たちなら此処にいるぜ」
「ひゃああ!? ……って、アレックス様!?」
「び、びっくりした……」
俺が彼女らの前に姿を見せると、エレとシェリーは化け物を見たかのように飛び上がる。近くにいたマリアとアイリーンはだいぶ肝が据わってるようで、俺らを見ても一切驚きはしなかった。
「ふふ、『そろそろ会える』と思ってたとこよ。ね、アイリーン?」
「はい。皆様がご無事で何よりでございます」
「皆、驚かせちゃってごめんね。アレックスとジェイミーのおかげで、ボクは元気だから……!」
「アンナ様! あなた様とまたお会いできて、ホッとしたのですよ……!」
「ジェイミーさんもお怪我はありませんか?」
「大丈夫さ。ちょっと違う場所に移されたってだけ」
それぞれが会話した後、マリアは「みんな、聞いて」と俺たちに呼びかける。そんな彼女の右手には、黒い布が載せられていた。
「此処は魔力の濃度が高いし、もうすぐメドゥーサの居所に辿り着けるはずよ。アレックス、あなたにシェリーの付き添いをお願いするわ」
「任せとけ」
俺が頷くと、マリアはシェリーの後ろに回って彼女の蒼眼を布で覆う。それから布の両端を結ぶと、シェリーは目が隠された状態のまま辺りを見回す。
「わわ……本当に周りが見えないね……」
「シェリーちゃん」
俺がシェリーの小さな手を取ると、彼女の頬から耳にかけて一気に赤くなる。だがそれはほんの一瞬で、すぐさま平静を装ったのが判った。彼女が俺の手を強く握りしめる様子は、まるで親に甘える子に似ているな。
「マリアちゃん、これで良いんだろ? ……って!」
「ああ……シェリーったら、ちっちゃい子みたいで可愛いわ……」
提案したのはお前のくせに、何うっとりした目で見てんだよ。アイリーンが軽く主の頭を叩き、「行きましょう」と告げる事でメドゥーサの居所へと向かった──。
俺たちが辿り着いた場所は、白銀の氷柱が垂れ下がる鍾乳洞だ。夏とは思えない程の冷気が漂い、鍾乳石で囲まれたこの地こそが魔法銀の名産地らしい。
入って右手には石段があるものの、下手に転んでは戦闘に支障が出る。だから俺たちは翼を広げ、眼下に広がる水面へ降り立つことにした。
それぞれが無色透明の水場に着地。足首までの深さだが、これは──。
「つ……冷たい……っ!!」
「陛下、しっかりなさって」
水温に最も敏感だったのはマリアだ。肩を震わせる横で、アイリーンが女王の肩を掴む。そこまでには至らなくとも、俺も心臓が止まる程の水温を体感したのは事実だ。
しかし、背筋が凍るような光景はその先にあった。真っ先に気付いたのはエレであり、彼女は正面奥を見つめたまま息を呑む。
「み、皆様……あれを、見て下さい‥…!」
彼女が見たものは──石像と化した複数の鉱夫たちだった。誰もが苦痛に顔を歪め、俺たちに助けを求めるかのように手を差し伸べる。助けに行きたいところだが、俺らと石像の間に大きな距離がある以上、嫌な予感がしていた。
「来るわ!!」
さっそく予感的中か。
マリアの掛け声で誰もが武器を構え、戦闘態勢に移る。水面下から黒い光が漏れ、粒子が収束し始めた。
現れたのは、毛先が蛇と化した醜い女──メドゥーサだった。一体一体の蛇が蠢くせいで、不気味悪さがより際立つ。胸元が開いた粗雑なワンピースは血痕で汚れており、左胸から銀色に光る何か──おそらくは銀の心臓だろう──が垣間見えた。
彼女の目が赤く光った刹那、アイリーンが前方に大きく跳躍!
淡藤色のスリットとウェーブヘアを揺らす彼女は、両手を前に突き出し呪文を詠唱した。
「鏡像!」
長方形の盾がメドゥーサを囲むように召喚される。それは盾の形をした鏡であり、メドゥーサの放つ魔法を反射させるために設置したのだろう。アイリーンは片膝を曲げて水面に着地。軽やかな水の音と共に飛沫が周囲で弾けた。
案の定、メドゥーサの目から赤い光線が迸ったのが見える。しかし、反射された事で誰かが石化する事態にはなり得なかった。
「わたくしが行くのです! はぁっ!!」
次に前線に立ったのはエレだ。彼女は翡翠の翼をはためかせ、大弓でメドゥーサに狙いを定める。
矢が魔物の頭目掛けて発射されるも、ヤツは既に勘づいたようだ。
「まずいっ!」
ジェイミーがメドゥーサの違和感に気づき、詠唱の姿勢に移る。メドゥーサは宙を舞うエレと目が合い光線を放つも、エレを囲む球体状の結界が見事阻んだ。
その頃。先程の盾が時間経過で砕け散り、隙を許すが──。
──キェェェエェエ!!!
矢がメドゥーサの片目を射抜くと、彼女は喉を擦り切られたような悲鳴を上げる。血が涙の如く頬を伝う一方、もう片方の目は半開きだった。
「光矢!」
アイリーンとエレの間に立つアンナが高らかに叫ぶと、光の矢が流星群のように襲い掛かる。それらが頭部の蛇たちに着弾したのは勿論、メドゥーサの右目をも容易く突き刺した。
盲目になったメドゥーサは激痛の余りのたうち回る。そこへマリアが杖を魔物に向け、焔魔法を放つとあっという間に焼き尽くされた。
「こいつ、まだ動くわ。ジェイミー、《防御魔法を》!」
「《りょーかい》!」
これが上級魔術師同士のやり取りか──! マリアは敵に悟られぬよう違う言語でジェイミーに呼び掛けるが、当然彼も理解したようだ。
火が水中に揉み消されると、メドゥーサは身を焦がした状態で立ち上がる。蛇もうち数体は垂れるものの、残る数は俺たちを睨みつけるままだ。
メドゥーサと蛇が大きく息を吸った後、口から紫色の霧を吐き出す。もしやあれは、毒の霧か……!?
「やらせないさ!!」
ジェイミーが片手を掲げると、黒く渦を描いた空間が生み出される。それはブラックホールのような魔法で、霧が花姫たちに到達する前に吸い込まれていった。
そのブラックホールが消失したと思いきや、彼は突如俺の方を向いて「アレク!」と呼び掛けてくる。
「此処はあんたの番だ!」
「よし! シェリー、お前はそこにいてくれ!」
「は、はい!」
俺は大剣を取り出してからメドゥーサとの距離を詰めると、入れ替わるようにアイリーンが後退する。彼女はおそらくシェリーの庇護に回ったのだろう。
ならば!
身体を回転させ、そのまま蛇女の身体をぶった切る!
俺の剣は銀の弧を描き、メドゥーサの身体を分断。上半身、下半身という順で水面に崩れ落ちると、血はたちまち透明の水を汚していく。
メドゥーサが大きな口を開けて悲鳴を上げる中、ジェイミーはいつの間にか彼女の近くに現れて馬乗りをする。彼女の口を塞ぐように片手で覆うと、ジェイミーの手中からは先程の霧が漏れ出した。
「ははは、どうだい? 自分の魔法を喰らう気分は?」
こいつもなかなかゲスい事をやるものだ。まあ、戦いってのはそれぐらいが丁度良いけどさ。
メドゥーサは腕を動かして抗うも、満身創痍でもはや逆転の余地が見られない。ジェイミーは追撃を終えて離れると、今度はアンナを呼びつけた。すぐさま駆け付けた彼女の両手には大剣が収められ、真っ直ぐな瞳でメドゥーサを見つめる。
「あんたに任せたよ」
「……うん」
アンナは刃に光を宿し、切先をメドゥーサの胸元に向ける。
そして──。
「ボクの手で、終わらせてみせる!」
彼女の誓いと共に、切先が銀の心臓に突き刺さる!
光の粒子はバラバラになったメドゥーサの肉体を包み込んだ後、黒い花びらが竜巻のように舞い上がっていく。アンナはその光景を静かに見上げるのみだった。
「これで、魔物の気配が無くなったな」
「ええ。シェリー、もう解いていいわよ」
マリアが俺の言葉に同意した後、背後にいるシェリーに目線を送る。シェリーは促されるままに目隠しを解くと、これまでと違う場所だからか戸惑いを見せた。
「えっ、ええ!? どおりで寒かったし冷たいと思ったら……何、ここ!?」
「ここがミスリルの採掘場だ。つまり、お前の番だぞ」
「んと……あっ! 解呪ですわね!」
やっと気付いてくれたか。シェリーは石化された鉱夫たちの前に飛び立つと、背筋を伸ばし胸の前で両手を重ねる。祈るような姿勢になると、彼女は静かに言葉を紡いだ。
「《この者たちに奇跡が起こらん事を》」
金色の光がシェリーを包み込み、彼女の長い髪をそよ風のように揺らす。光は蛍のようにふわふわさせながら石像へ向かうと、石を砂塵のように溶かし──彼らを元の姿に戻した。
「……はっ!? 俺たち、なんでここに……?」
「あの蛇みてぇな女にやられちまったんだよ!」
「もしかして、お嬢ちゃんが助けてくれたのかい?」
「私はただ解呪を行っただけに過ぎません。後ろにいる皆さんが、あなた達を助けに来て下さいましたの」
シェリーは笑顔を浮かべ、指先を揃えた手で俺らの方を示す。あらゆる種族の鉱夫たちは俺らと目が合うや、飛び上がって喜びの声を上げた。中には、涙する者や抱き合う者もいる。……いくら俺が悪魔と云えど、彼らの喜ぶ様を見ると心が温まるものだ。
「良かったぁーー!! ありがとう! さすが純真な花だぁ!!」
「これで家族のところへ戻れるよ!」
「それでは皆様、自分たちと共に城下町へ戻りましょう。飛行船を既に手配してあります」
鉱夫達の前で深々と一礼するアイリーン。彼らと一緒に来た道へ戻ると、入口付近で待機する飛行船に誰もが嬉しそうに乗り込むのだった──。
──飛行船内。
行きは俺たちだけだった船内も、今では多くの鉱夫たちで賑わっている。寝室や医務室・座席の人口は彼らで占めるため、俺たちは簡易会議室で身体を休める事にした。
……のは良いが、何故俺はアイリーンに肩を揉まれているんだ? しかも、この中央席はマリアが座るべきなのに俺が座るハメになってるし。
「アイリーンちゃん、俺よりご主人をマッサージしてやった方が良いんじゃねえか?」
「陛下へのマッサージはいつもしておりますよ。それに、こんな場所でやったら大変な事になりますから……」
「なんでだよ!? 普通に肩揉んでるだけだろ!?」
「それもその筈なのですが、陛下ったらその度にいつもいやらしい声を──」
「ちょっとアイリーン、あたしがいつそんな声を出したっての!? だいたい、あなたのマッサージがえっち過ぎるのがいけないのよ!」
え?! そんなにやべえマッサージしてるの!? まさか、いつもマリアに従うアイリーンがその時ばかりは──。
「……ぐふっ」
「あわわ、ジェイミーさん鼻血出てるっ!!」
「し、止血しなきゃ!」
「あ、ありがとよ……アンナ……」
あいつも妄想してたのかよ!? そういう話に興味無いと思ってたが、もしやむっつりか!? とにかく、アンナがハンカチで処置してくれてるし、あの吸血鬼は放っておこう。
彼らから視線を逸らすと、思わず安堵の溜息が漏れる。アイリーンが肩をほぐしてくれるお陰で、血の流れが良くなった気がした。
しかし、そこで油断してしまったのが運の尽きである。
彼女の呼吸が俺の耳元で聞こえると思ったら、とんでもない事を吹っ掛けてきた。
「お城に戻ったら、特別なマッサージをしてあげるわ」
だから、その艶やかな声で囁かれたら狂っちまうっての……!! 俺には本命がいるってのに、頭の中でアイリーンがあんな事やこんな事をしてやがる……。あああ鎮まれ、俺のムラムラ!! ここはグッと堪え、どう断るか考えるんだ!!
「待ってください!! それは聞き捨てならないのですっ!!」
へっ、エレちゃん!!? さっきの囁き聞こえてたのか──つか、何でこっちに迫る!? くそ、もはや何処から突っ込めば良いかわかんねえな!!
「アレックス様! この際ですから、わたくしとも」
「わー! ダメですよエレさん!!!」
しかもシェリーまで来やがった! 慌ててエレを引き剥がそうとしてるし、マジで何が起きてる!?
「放してくださいっ! いくらシェリー様でも止められないのです!!」
「ダメったらダメなのー!」
「シェリー様だって陛下と色々してたじゃないですか!!」
「それはそれ、これはこれですわ!」
「いい加減にしなさい!!」
「ぐえっ」
「ひゃう」
マリアが二人の頭を殴ることで、シェリーとエレが妙な声を出す。なんだかよくわからねえ争いだったが……まあ、丸く収まったからいいか。
……ん? 今度はアンナが何も言わずに駆け寄ってくる。両手を後ろに組み、上目遣いで俺に視線を送る彼女。頬はほんのりと桃色に色づき、はにかむように話しかけてきた。
「アレックス……その、ありがとうね……」
「……俺の気まぐれだ」
ただの隊員だってのに、ドキッとしたじゃねえか……。しかもこの状況をジェイミーにも見られていると思うと、すげえ居た堪れない。
此処は思い切って話題を変えよう。それで俺の話に持ち込めば、何とかなるだろう……!
「なあ、みんな。ちょっと話を聞いてくれないか?」
賑やかだった空間が一瞬にして落ち着きを取り戻す。心の片隅で嫌われる覚悟をしてみせるのだが、彼女らの眼差しはどれも温かくて優しいものだった。そのおかげか、俺の口から自然と言葉が出てくる。
「今まで黙ってたが、俺は人や魂を喰らう悪魔だ。でもお前らは勿論、此処の国民を絶対に食いはしない。俺は自分の力を自覚しちゃあいるが、もし暴れちまったときは止めてくれないか?」
「はい、勿論ですわ」
「その時は俺様もぶっ叩いてやるよ」
真っ先に答えてくれたのは、シェリーとジェイミーだ。彼らが自信を持って言ってくれるだけで、こんなにも心強いなんてな。
しかし先程の流れか、一部の花姫たちは『食う』を履き違えているようだ……。
「お腹が空いたら、わたくしを食べてくださいね?」
「うふふ、自分でもいいのよ?」
「だから何でそう迫るんだよ! 俺の話聞いてたのか?」
「ねえ、みんな」
アンナの質問に一同が振り向き、室内が静まり返る。
「エレたちの言う『食べる』って、何の事……?」
純粋な少女の問いに言葉を返せる者は、俺含め誰一人いない。
そんな中吸血鬼は溜息を漏らし、他人事のようにボソッと呟く。
「モテるって大変だね」
俺は敢えて聞かないフリをした。
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