そこは、子どもの頃から足繁く訪れた幼馴染の部屋。目を覚ますと、前にはマリアとアイリーンさんがいた。彼女らに話しかけようと思った直後、私の身体に違和感を覚える。
自分の身に起きていた事が、一瞬信じられなかった。両手は肘掛けに固定されるほか、足首も動かせそうにない。口元は布で覆われていて、首輪のような何かが嵌められてあった。
ねえ。椅子に縛り付ける事が、友達のやることなの……? これはきっと夢に違いないわ!
「お嬢様、ご無礼をお許しください。貴女を止めるには、こうするしか無かったの」
嘘よ! 此処にいるのは、アイリーンさん達の偽物よ!! この力で今すぐ──
「んんぅぅぅううぅぅう!!!!!」
首輪から、電流が流れて……! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!! お願いだから私を放して!! 此処で霊力なんて、絶対に使わないからぁ……!
「わかったなら良いわ」
「……っ!」
ああ……ようやく消えたけど、全身がヒリヒリする……。
マリアの一声で電流が止んだ後、アイリーンさんが言葉を続けてきた。
「感情に身を任せたらどうなるか、わかったでしょ? 今ここで改めるなら、まずは話をさせてあげる。良いわね?」
視界が滲んでも、彼女の表情は険しいことが判る。大量の涙が頬を伝う中、私は必死に首を縦に振った。すると、彼女は両手を私の後頭部に回して結ばれた布を解く。
「はぁ……はぁ……」
圧迫されていた口から唾液が溢れ、息が勝手に上がりだす。頭の中は既に恐怖で埋め尽くされていたけど、これで終わりなんかじゃなかった。
アイリーンさんは次から次へと、私にジャックの事について尋ねてくる。その穏やかな声音は普段の時と変わらないけど、首輪がある以上決して逆らう事はできなかった。
「二年前、あなたが学校で力を放ったと聞くわ。その時、ジャックがどう話していたか、憶えている?」
「……『正しい判断をした。特に貴様という存在が、凡愚に翻弄されるなどあってはならぬからな』──そう仰っていましたわ」
「ありがとう。他にも、彼に言われたことがあれば教えてもらえる? 霊力のことでね」
「入院していた頃から、『戦争は、貴様が生まれたときから始まっている』という言葉が頭の中に残っています。でも、あの人がそのように仰った理由まではわかりません。……それから、『貴様と共にあれば、それで良いのかも』とも」
「彼は、そう言っていたのね……。信じられないかもしれないけど、貴女の霊力は他の神族と比べ物にならないほど強大なの。力を手に入れるためなら『手段を選ばない男がいる』ということを、絶対に忘れてはダメよ」
「……その話をするために、私にこんな事をしたの?」
「付き合いの長い貴女とて、陛下に手を上げるつもりなら容赦しない。ただそれだけよ。『絶対にそうしない』と誓うなら解放できるけどね」
「それは約束できます。でも、どうしてジャックがそんな人だと判断できるのか知りたいんです」
「さっき、あいつは言ってたでしょ。『貴様らが阻んだ事、いずれ後悔させてやる』って。普通はそんな事言わないわよ」
「あの人が復讐を企んでいるって言いたいの?!」
好きな人を疑うアイリーンさんに苛立ちが募る。けれど、その質問に答えたのはマリアだった。
「その可能性は無きにしもあらずよ。ただ、あなたと一緒にいる彼をあれ以上放っておくのは危険だと判断したの。シェリー、もう彼の事は諦めてちょうだい。きっと行方をくらますつもりよ」
「それは君たちが仕向けたことじゃない! 余計な事をしなければ──」
突如アイリーンさんの平手が飛び、私の左頬に灼けるような衝撃が走る。信じてもらえない悔しさが、頬の痛みを増幅させる。だからといって抵抗することも許されない……。私はただ、唇を噛んで彼女らを睨むしかなかった。
「あの人が、私を利用するわけ無いのに……!」
「……貴女に措置を施したのには、もう一つ理由がある。それは、ご両親に迷惑を掛けている貴女に改めてもらうため。家族を蔑ろにする交際は、決して健全ではないの。きちんと両親に謝れるなら、自分たちも今回の事をお詫びするわ」
「ちゃんと謝るし、霊力も制御するから……最後まで信じさせてよ……。私が追い込まれたとき、救ってくれたのは彼だけなの。だから…………」
もう声が震えて、呂律が回らなくなっている。私は彼女らを憎んでいるのか、現実を受け止めたいのかすらわからない。そんな私を見かねたのか、マリアは下を向いて首を横に振る。
「……アイリーン、もう解いてあげて」
「ですが!」
「あたしも、これ以上は酷いことをしたくないの」
「……承知いたしました」
アイリーンさんは私を解放すると、抱き上げてベッドの上に運ぶ。心身ともに疲れ切った私は、彼女らに抵抗する気力など何一つ残っていないし……噛み付く気も無い。
マリアは私の額に手を当て、顔を近づける。その悲しげな表情は、先程の措置が本意ではない事を物語った。
「本当に、ごめんなさい。もうこんな事はしないから……」
『おいおい、あの女また待ってるぞ?』
『ありゃもう無理だろ。……せっかく可愛いのに勿体ねぇなあ』
コーラルの月。あれから、ジャックは姿を表さなかった。
その次の日も、一週間後も、月を跨いでも。
いよいよ訪れた卒業式の日も──あの人が訪れる気配は無い。私に近づく男子は何人か居たけれど、誰もが中途半端な距離で踵を返していく。微かに感じる不快感を押し殺し、私はひたすら待ち続けた。
澄み渡る空の下、地に落ちた桜の花弁が点模様を描く。青空は長い時間を掛けて茜色に染まり、地面に映る私の影は大きくなっていった。
学校生活は今日が最後だった。だから絶対に来てくれる。
私が信じなければ、誰が信じるというの?
あと少し。
あと少しで彼はきっと──
「シェリー」
……違う。私の前に現れたのは、紅い令嬢服を纏った一人の少女。彼女が無言で手を握ってきた時、私はついに声を上げて泣いてしまった。
子どもみたいに泣いたのは、何時ぶりだろう。馬車の中にいても、彼女の部屋に辿り着いても、この涙は止まらなかった。
ねえ、ジャック。『私を見放さない』と言ってくれたのは、私を欺くためなの? お願い、戻ってきてよ──。
天蓋の白い幕に囲まれたこの小さな空間で、どれくらい泣いていたかわからない。日が沈んでもなお涙が止まらない私を、幼馴染はずっと抱き締めてくれた。
涙がようやく落ち着くと、疲れからか私達は横になる。マリアが私の頭を胸の中に引き寄せると、枕のように柔らかい温もりが心を癒やしていった。
「マリア、ごめんね……」
「謝らないで。……でも、これだけは憶えていなさい。『あなたに相応しい人が、いつか現れる』って」
「どうして判るの……?」
「あたしの勘」
彼女が薄ら口角を上げる。それから潤った唇が頬に近づくと、残る涙を舌で拭い始めた。くすぐったくて、ちょっと変な気分になる……。
「うふふ、シェリーのほっぺは甘いわね」
「うう、恥ずかしいよ……」
「でもこれぐらいの事をしないと、ずっと彼のことを考えちゃうでしょ? だ・か・ら、今日ぐらいは忘れさせてあげる」
「ひゃ……っ!」
ど、何処触ってるの!? 布団の中で、マリアの手が身体を弄んでくる。すごく恥ずかしいのに、気持ちよくて……思わず声が……!
「だ、ダメだってば……! 私達、友達なのに!」
「友達としか見られないならそれで良いわ。でも、人肌恋しい時はあなたにもあるでしょ? その時はあたしを好きなようにしなさい。先月酷いことをしちゃったんだから、それでおあいこよ」
「そういう問題じゃ……! 君には、ルドルフ兄さんがいるでしょ?」
「大丈夫よ、しばらく彼に捧げる気は無いから」
えええ!? なんで私の上に乗っかるの!? しかも、すっごく嬉しそうに……やめて、囁かれたら本当に壊れちゃう……!
「今夜は帰さないわ」
「っ!!」
身体がビクッと跳び上がり、脚が勝手に疼きを抑えようとする。
彼女の手は既にリボンを解き、今度こそ唇を塞いできた。唾液たっぷりの舌が私のそれを捕らえると、次第に緊張がほぐれていく。
そして──
「マリア……」
「シェリー。ずっと、あなたとこうしたかったの……」
友達の肌は陶器のように綺麗で、女性が羨むような豊かな身体だ。子どもの頃から一緒に居た子が、そんな声を出すなんて思ってもみない。始めは罪悪感に苛まれていたのに、私も次第に悪戯を仕掛けるようになった。
漂う淫靡な香りが、ますます興奮に至らしめる。求め合う私達はやがて一つになり、ついに『友達』という関係が穢れていった──。
卒業してから間もないうちに親元を離れ、マリアが提供してくれた家──しかも私が気に入りそうな内装にしてくれた──に越す事になった。肝心の仕事については、既に目処がついている。それは、三年前に私を助けてくれた狼男さんが経営する酒場だ。
「本当に来やがったか。ったく、律儀なお嬢ちゃんだな」
「その、ランヘルさんに御恩を返したくて、つい……」
「やれやれ。あんたが来たら、わしの店が大繁盛しちまうな」
彼──すなわちマスターはとても親切で、お客さんも私を歓迎してくれた。最初はビールを注ぐことすら大変だったけど、経験を重ねるにつれてお代わりを求められるように。此処に来る女性客もとても優しくて、お菓子をくれる日もあった。
無論、マリアとの関係は今も続いている。友達と言うにはふしだらな関係だけど、お互いが満足できればそれで良かった。
……でも、未練ばかりは拭えない。一時期はこの花柄のピアスを外していたし、写真も全部棚にしまった。『あんな酷い男を忘れなきゃ』──そう思いながら過ごしてきたのに、一人で想いを巡らす日がむしろ増えていった。
やがて十八歳を迎えたある日、マリアは私を城へ呼び出した。部屋に着くまではいつもの事だけど、テーブルに置かれた二つの小瓶が胸の鼓動を高鳴らせる。
小瓶を満たすのは、藍色がかった鳥羽色の液体。
その正体は世事に疎い私でもすぐに察した。
「これは……“不老の薬”?」
「ええ。以前、『いつまでも若くいたい』って言ってたでしょ。身体が成熟している今がちょうど良いんじゃないかって」
「……うん。私も同じことを考えていた」
会うまでは何も聞かされていなかったから、ちょっとビックリしたけど……覚悟は既にできている。
ただ、マリアは普通に飲むだけじゃ嫌なようだ。片方の蓋を開けて口に含んだと思いきや、私の顔を急に引き寄せ──
「んぐ……っ!」
液が、喉を通っていく。
苦味が腔内に広がるも、彼女の唾液がそれを中和させた。
それでも、全身が痺れるせいで感覚が失われていく……! これが不老になる瞬間なの? 舌を動かすだけでも精一杯で、最終的には口が開いているのか否かもわからなくなった。
「ああ、だらしなくお口を開けてるあなたも可愛い……っ。ずっと見ていたくなるわ」
そんなつもりはないのに、なんで勝手に興奮してるの……!?
でも、痺れはじわじわと消えて、身体を動かせるようになる。副作用は思ったよりもあっという間だ。
「さあ、次はあたしに飲ませて」
「わ、わかった……」
もう、マリアったら。すぐえっちに走るんだから……。
十八歳で時が止まった日の交合は、いつにも増して激しかった。
ジャックと離ればなれになって、三年の時が経つ。未練を忘れるように勤しむ中、ショートヘアで小柄な少女が窓際のテーブル席で食事を待っていた。注文の品を運ぶのは私であり、トレーの上には大量の肉が積まれてある。動揺を笑顔の下に隠しつつも、一歩ずつ少女の方に近づいていった。
「はい、どうぞ!」
「わぁ、ありがとう!! そういや、キミはなんて名前なの?」
「シェリーだよ。あなたは?」
「ボクは、ティトルーズ防衛部隊に所属するアンナ。今日は薬草を取りに行ったんだけど、もうくったくたなんだ」
「いつもお疲れ様! 今日は特別に安くしとくねっ」
今となっては純真な花の隊員同士だけど、この頃の彼女はまだ王室直属ギルドに属していたっけ。とても可憐な子だったし、来てくれて嬉しかったな。
仕事の合間にアンナと他愛ない会話を繰り広げた末、彼女は笑顔で退店。彼女の幸せそうな表情を脳裏に焼き付けたまま、閉店まで仕事に励んだ。
仕事を終えて、ほんのりと照らす街灯を頼りに家路に向かう。腕時計を確認したら、もう日付が変わる手前だ。乾いた冷風は今の私にとって心地良いもので、服に張り付いた汗がじんわりと冷めていく。帰ったらシャワーを浴びて、カモミールティーでも飲もうっと!
そんな風に考えていたとき、西の方から女性の悲鳴が聞こえてきた。
勝手に足が動き、彼女の方へと向かっていく。私にできることは数少ないけど、放っておくわけにはいかない……!
声が聞こえた場所は、通りから外れた住宅街。女性が尻餅をついて後ずさる一方、手前には全長三メートルぐらいの魔物が一体佇んでいた。蟷螂に似た身体と、鼻がひん曲がりそうな体臭を持つ魔物。肉が爛れて骨が垣間見えるそれは、ゾンビマンティスと呼ばれる存在だ。
「こ、来ないでぇええ!!!!」
女性が叫んでも、蟷螂は構わず近づいていく。
もうあの頃と違って、霊力を制御できているんだ。
今度こそ、この力で誰かを守る──!
女性と蟷螂の間の距離は、わずか一メートル弱。
私は彼女の前に立ち、両手を広げて魔物を睨みつけた。
「狙うなら、私にしなさいっ!!」
「!? あなたは……?!」
女性の問いに答える間もなく、蟷螂はただちに腕を上げる。
鎌と一体化した腕が振り下ろされた刹那──
私は霊力を解き放つべく、固く瞼を閉じた。
(終話へ)
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