※この節には残酷描写が含まれます。
円形を成す、広々とした最上階。茜色の天井は六本の石柱に支えられ、この位置から焔の都を一望できる。しかし、魅力とされるカラフルな街並みは既に暗闇に溶け込み、秋風が熱気を運んできた。柱に掛けられた松明は強い光を放ち、全容を照らす。床に描かれた炎の模様──すなわち焔の紋章は、此処が神殿の中枢である事を教えた。
正面奥に佇む焔神像の胸元には橙のオーブが埋め込まれているが、まずは手前にいる敵を倒さねばならない。額に深緑のバンダナを巻き、茶髪を無造作に逆立たせる大男。身長二メートルを超えるであろう彼は、三日月のような刀を握りしめていた。
俺と目が合うや、無精ひげに包まれた彼の顎が動き出す。
「よく来てくれたなぁ! オレが遊びたかった相手はこいつなんだよ。人呼んで、“焔のロジャー”。てめぇが大悪魔ヴァンツォの倅なんだろ?」
「いかにも、俺がアレクサンドラだ。お前と手合わせしたかったぜ」
「へへ、乗り気なのは嬉しいねえ。これは一対一の真剣勝負。例の力は使うなよ?」
「勿論だ」
ロジャーが『真剣勝負』と言った時、俺の後ろを歩く花姫たちが足を止める。俺が彼との間合いを取ると、一時の沈黙が流れた。
そよ風の音すら失われ、互いの息遣いだけが聞こえてくる。
そんな中、地面を蹴るタイミングは奇しくも重なった。
「るぁぁぁあああああ!!!!!!」
「その意気だ!! かかって来いやァ!!」
互いに駆け寄り、刃先がぶつかり合う!
隙を見つけて振ろうとも、金属音がそれを遮ってきた。
にしても、随分と余裕そうな笑みを浮かべてやがる。それでいて曲刀に圧を加えるのだから、こちらは文字通り“真剣”にならざるを得ない。
「いいねいいねぇ! 『オレを倒す』って目つき、最高だァ!!」
「当然だ! それが俺の使命、だからな!!」
「そういう男は嫌いじゃないぜェ? ひゃっはァ!!」
でも、ここまで高揚感が湧くのはいつぶりだろうか。祖国に戻って初めてデュラハンを倒した時以来かもしれない。
払っては守り、守っては払う。流れるように剣を振り回した時の事だ。
「ふんっ!!」
俺の剣が弾かれ、空を切る音がつんざく!
思わず仰け反ってしまった時、彼が主導権を握る事となる──!
「おらおらおらおらおらおらおらおらァ!!!!! てめぇの力はそんなモンかァ?? あぁ??」
何だこいつ!? 刃先で守るのがやっとだ……!
彼の動きに無駄が見られず、視界に残像が広がるばかりだ。
それでも、この目で実像を捉えてみせる!
だが、彼はその瞬間すらも見抜いていたようだ。
「おらよっ!!」
ロジャーは踵を上げ、俺の腹部に衝撃を与える。
自分の身体が、後ろへ飛んでいく──!
いや、まだだ!!
「はっ!」
即座に受け身を取り、右手に清魔法を宿す。
ロジャーも刃に炎を宿すことで、次は魔法の合戦が始まった。
「氷霧!」
「炎幕!」
干渉かよ!? 俺が放つ冷気の霧は、視界に広がる炎によって打ち消される。
彼が鼻を鳴らす一方、汗が俺のこめかみを伝った。
「はっはっは、ありきたりな戦法は見飽きたよ。せっかく殺り合うんだ、オリジナリティが欲しいねぇ」
「畜生、どうすりゃいいんだ……!」
俺が持つ清魔法は、ウンディーネの好意で授かったものに過ぎない。そんな女神の恩恵があってもなお敵わないと云うことは、俺の実力不足なんだろう。
悔しいが、その事実を認めざるを得ない。己への苛立ちが込み上がるが、敢えて笑顔を見せるとしよう。
「良いねぇ、何事も笑顔が一番さ!」
「当然だ! 美女たちにカッコ悪いとこは見せられねえんでね!」
あいつは明らかに本気を出していない。それは『呼び覚ましていない』と云う意味では俺も同じだが、実力は桁違いだろう。
だが、それも一興だ。
身体を前進させ、呑気な男の胸へ切先を向ける!
無論、結果は変わらなかった。
剣撃を弾く音が、無慈悲さを物語る。
「オレみたいにセオリーを破ってごらん? そうすりゃ見えてくるだろ?」
まずい、完全に相手のペースに呑まれちまってる。
落ち着け、アレクサンドラ。刀を振り上げた時がチャンスだ!
「はっ!!」
長剣に力を込め、ロジャーの攻撃を跳ね除ける。
一瞬彼が怯んだように見えたが、すぐに体勢を持ち直したようだ。
「見損なったぜ、アレクサンドラさんよぉぉ!!」
声が聞こえるのに、消えた……?
一体な
「魔界に戻って、出直してきなァァア!!!」
背後から身体を掴まれたと思いきや
床へ投げ出される
何が起きてるのかよくわからなかった。
気が付いたときには……石造の地面が俺の背を叩きつけたのだ。
背中が灼けるように痛い。それでも起きろ、俺! でなければ、このまま殺されるやもしれんぞ……!
起き上がろうとしたとき、曲刀の切先が俺の鼻に迫る。
「さあ立て。三秒以内に起きなきゃ首を突っぱねるぞ? いーち、」
「やらせるかよっ!」
刀が俺の顔から離れた瞬間、腹筋に力を込めて立ち上がる。先程の激痛で体力を奪われたが、此処は押し殺さねばならない。
「さぁ! オレを殺す気で挑めぇぇ!!!」
「言われなくとも! うぉぉおおぉおおお!!!!」
「もう見ていられないのです……わたくしが援護を!」
長剣と曲刀が幾度も交わり、火花を散らす。そんな中、後方に立つエレは美しい声を以って魔法を謡い始めたようだ。
その唄は俺の身体を軽やかにするもので、今ならどんな剣舞も躱せる自信がある。
「あのエルフ、良い声してるな……。あれが世界を渡る吟遊詩人だろ?」
「やめとけ、色目使ったらマジで火傷するぞ」
「よし、決まったァ! てめぇを破ったら次は彼女だッ!!」
「人の話聞いてるのかよ!!」
なぜ戦闘中にこんなやり取りをしなければならんのだ……! しかし、こんな会話をするくらいには余裕なのだ。今なら不意打ちだってできそうだぜ。
「そこだ!」
細剣のごとく、ロジャーの脇腹を突こうとする刹那──
「甘ぇな!!」
刃に絡む焔魔法が俺の全身を焦がす!
「うあぁぁぁあああ!!!!」
灼けるような熱さはほんの一瞬。しかし、骨にまで及ぶ痛みは俺の体勢を見事崩し、前に倒れるほか無かった。
そこへ唄をやめたエレが駆けつけ、俺を仰向けにさせる。
「アレックス様! しっかりなさって!!」
「ごめんな、お前が補助してくれたってのに……」
思ったほか言葉を放つのに精一杯だ。口を開けられるものの、声がなかなか出ない。
「そんなことは言わないでください! ……こうなったら、わたくしがあの男を倒してみせるのですから!!」
「おい、何を言って……!」
「もう喋らないで。あなたは此処で死ぬべきではありません」
エレと入れ替わるように近寄ったのはシェリーだ。彼女は霊術を掛けるべく祈りの姿勢を取るが、ロジャーはこの状況にすぐ気づいたようだ。
「すまんねェ。これも仕事なんだ」
ロジャーは片手を掲げ、炎に包まれた巨大な槍を具現化させる。
筋骨隆々な腕を振り下ろし、鋭利な存在がこちらに迫りくるが──。
「深風斬!!!」
エレの両手から放たれる、複数の風の刃。それは槍を確実に捉え、粉々にしてみせた。それでもこの大男は相変わらず笑うだけで、あの凌ぎも判り切ってるようだ。
一度は霊術の発動を中断したシェリーだが、冷静に再開した様子。このおかげで俺の火傷は大まかに癒えたものの、ロジャーは誰かの乱入を許さないでいる。
「はっはっはっは、樹魔法で対抗するたぁ面白いねェ。盛り上がってきたぞォ!!」
「……絶対に諦めないのです。アレックス様を傷つけた男なんかに!」
樹の射手が手にするのは大弓──ではなく、ダガーだ。かつて彼女はオークに捕らわれるも、護身用のそれを以って切り抜けたと云う。そんな彼女が柄を握り締めると云う事は、相応の覚悟を持ち合わせている証だ。
「大丈夫、この身体がどうなろうと……!」
息を大きく吸い、自己暗示するエレ。
今、疾風の如く駆け抜け、銀の刃を唸らす!!
「はぁぁぁぁああああああぁぁぁ!!!!!!」
「良い威勢だぁ!! どこぞの隊長と大違いだ!!!」
「あのお方は! あなた様が思うほど弱くないのです!」
……なんて凛々しいんだ。彼女の並々ならぬ気迫には、心を揺さぶられずにはいられない。強大な敵に抗う彼女は、どんな星々よりも美しかった。
華奢な身体を活かし、幾重もの軌道を描く。その様は、ロジャーの構えを確かに崩した。
「えいっ!」
「ぐぬぅ!」
エレはダガーを振り上げ、ロジャーの腕に傷を刻む! さすがの彼も予想外と思ったのか、片膝をついていた。
彼女が追撃を加えようとしたとき、ロジャーは刃を掴むことでとどめを阻止。彼の左手からは血が大量に溢れていた。
息が乱れる二人の間で、張りつめた沈黙が流れる。
「なかなかやるじゃねぇか……あのダークエルフの姉なだけあるな」
「そんなこと言われたって、嬉しくないのです」
「ははっ、強ぇ女だ。……けどよぉ!」
ロジャーの手中にある刃が突如燃え盛り、エレが慌てて柄を手放す。
彼は右手に曲刀、左手にダガーを持って立ち上がる格好となった。
そして──。
「おらぁぁぁあああ!!!!」
二つの刃を交差させ、炎の残像でエレを弾き飛ばす!
「きゃぁぁあああ!!!」
エレの身体は奥まで吹き飛び、柱に打ち付けられる。その衝撃で亀裂が走り、彼女の背からは引きずるように血が流れだした。
「エレ!」
マリアが駆けつけようとしたとき、ロジャーは阻むように炎の壁を作り出す。
「陽の剣士さんは何処にいるんだい?」
じりじりと近づき、花姫たちを舐めるように見渡すロジャー。本当ならフォローしたいが、下手に動けば彼女らが危害を被るかもしれない。
彼が求める陽の剣士は今、女王の肉体に在る。しかしこれまでのように剣を握れない本人は、足が棒のように動かないでいた。
「ここはあたしが出るわ」
剣士の肉体を持つ女王が粛々と声を上げる。マリア──いや、アンナが地を踏みしめた時、ロジャーはエメラルドの瞳で彼女を見遣った。
「あの蛇男から聞いてるさ。てめぇらが『入れ替わった』とな。だが、オレはそれで手加減する性分じゃねえんだ」
「別に気遣わなくて良いわよ。この身体はあたしのものじゃないけど、接待は苦手なの」
「なら話が早ぇ」
「マリアさん……!」
「……この戦いであなたの身体を壊したら、片目をあげる。そう約束するわ」
アンナの静かな声音から決心が窺える。彼女が拳を作ると、ロジャーも曲刀をしまいだした。
「あら、銀月軍団の一人にしては律義ね」
「何事も互角が面白れぇからな」
「あの男、何故この状況を愉しめますの……!?」
「あれが強さの証だからだ。きっとあいつは、俺たちと戦うためだけにジャックの下にいるに違いない」
「そんな理由で皆さんを傷つけるなんて……許せませんわ」
シェリーがヤツを睨むのも無理もない。俺自身、あの手の野郎と戦うのは嫌いじゃないが、経験に乏しい彼女らからすればただの戦闘狂だろう。いや、俺から見ても戦闘狂だとは思うが。
アンナとロジャーが構えを取ると、熱を帯びた風が勢いを増す。
向かい風に逆らうかの如く、ロジャーはアンナに迫った!
「いっくぜぇぇえぇぇえええぇぇ!!!!!!」
「望むところよ!!」
ロジャーの拳をまともに喰らえば、アンナは破顔される事となろう。
だが、彼女は横ステップで回避し、回し蹴りを決める。ここまでが一秒間の刹那であり、瞬きする頃には新たな攻防が繰り広げられていた。
「てめぇとの戦いも、刺激があって楽しいぜぇ!」
「こんな時によく言えるわね!」
ロジャーが蹴りを繰り出す一方、アンナは軽快に躱していく。もし他のエレメントも操ることができれば、依り代との相性は抜群と云えるだろう。
勿論、そこで押されるロジャーではない。アンナに何度も不意を突かれる彼だが、苛立つどころか笑顔を崩さないようだ。
「オレも少し本気を出そうか」
ロジャーが呟く矢先、アンナが屈んで足払いする。しかし、翼を持たないはずの彼は無言で高く跳躍し、流星のように突進してきた。
「ひゃぁぁ!!」
重力が乗った拳はアンナの胸元を突き、彼女を後方へ吹き飛ばす。その時、アンナの鼻から紅い飛沫が舞うも、ロジャーが気に留める事は無かった。
「確かにてめぇは強い。でも、それもお見通しだぜぇ!」
ロジャーは宙に浮いたアンナの片足を掴み、横軸に一回転させてから投げる。アンナが甲高い悲鳴を上げる中、女王の側近が真っ先に駆けつけた。
「陛下!!!!!」
『当面は見たままに名を呼ぶ』はずが、思わず本来の名を口走ってしまったのだろう。アイリーンはアンナの身体をしかと受け止め、不安げな様子で肩を揺さぶる。
「あたしは、大丈夫よ……!」
「……よくも陛下を!」
「これが戦いってもんだ。文句がありゃ、かかってきな」
「お待ちなさい、次は私が!」
とうとう、俺の隣に立つシェリーがロジャーに仕掛ける。両手には二丁の魔力変換銃。ロジャーは鋭い眼差しで銃士を捉えると、すぐさま曲刀を引き抜いた。
「てめぇ、ただでさえ苦労してんだろ? オレと戦うからにゃ、霊術は抜きにしてもらおうか」
「元よりそのつもりですわ。いきますっ!!」
シェリーは拳銃で光の弾幕を張り、ロジャーの行く手を阻む。のらりくらりと隙間を縫う彼に対し、彼女は可能な限り乱射し続けた。
それでもシェリーの必死は叶わず、精彩を欠いていく。しまいには苛立ちを覚えたのか、珍しく愚痴をこぼし始めた。
「ああもう! なんで当たらないの!?」
「おいおい。そんなにイラついてちゃ、綺麗な顔が台無しだぜ」
ロジャーが半歩進んだとき、シェリーは急きょ拳銃を宙へ放り投げる。銃たちは意志を持つように惹かれ合い、大口径の散弾銃へと変形させた。
ショットガンがシェリーの手元に落下すると、彼女はロジャーの顔に向けて光弾を発射。
「うおぉ!?」
咆哮と共に光弾が広がり、茶色い毛束を撃ち抜く。ロジャーは少し驚いたようだが、距離を詰めることに成功してしまった。
「来ないで!!」
ショットガンを片手に持ち替え、彼の脇腹に風穴を開ける!
ロジャーは口から血を吐き出すが、それが接近をやめる理由にはなり得なかった。
彼女は襟を掴まれ、宙へ放り投げられる。その隙にロジャーは火球で追撃し、いとも容易く火だるまに仕立て上げた。
「あぁぁぁああぁぁあ!!!!!」
「シェリー!!!」
全身を焼かれ、床上でのたうち回るシェリー。
俺は彼女の元へ駆けようとするが、またしても切先が自身の眼前に在った。
「行かせるわけにゃあいかねえ」
もはやロジャーの表情に笑顔はない。俺が思わず半歩引いた時、焔の衝撃波が俺の身体を天高く打ち上げた。
景色が目まぐるしく回転し、三半規管に乱れが生じる。
そんな中、彼の呟きが耳に届いた。
「ったく、ヘンリーの兄ちゃんと大違いだ」
何故ここで兄貴の名を……?
そう思った矢先、はち切れん程の激痛が全身を襲う。
──バシュズシュガシズカドシャァァ!!
「ぐ、あ…………っ!」
何やってんだ、俺は……。これで二度目じゃねえか……!
天井からゆっくりと遠のき、背中が床に叩きつけられる。
鉄の臭いが鼻腔をくぐることで、自身が血まみれであることを報せた。
「遊びはそろそろ終わりだ。今度こそこれで果てなぁ!!」
ロジャーが武器を投げ棄て、両手を天にかざす。
だが、炎の渦が手中から生じた時──
ある少女の怒号が、この神殿に響き渡るのだった。
(第九節へ)
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