出撃の日。俺たち純真な花とジェイミーの七人は、飛行船に乗ってエンデ鉱山へと向かった。
岩だらけの山に降り立つと、すぐ視界に飛び込むのは線路だ。湾曲と直進が入り混じった道の先には、洞窟のような入り口がある。付近に放置された鉱山車両は比較的新しいもので、行方不明となった鉱夫たちは最後にこれに乗ったのだろう。
いくつかの階段は、十数年かけて利便性を高めた証だと思われる。しかし、それらがいずれも入口に繋がる様子は無いし、俺らのような素人が昇れば生きて帰れる保証も存在しない。
だから、まずは線路に沿って歩いてみるか。石壁に凹凸があるのに対し、空間は広く足場が安定している。天井にはランプが吊るされていて、ある程度見晴らしが良かった。至る所に木材の柱やアーチが存在するものの、それが何を意味するかはさっぱり判らない。
先頭を歩くのは、アンナにエレ、そして俺だ。
一方で、ジェイミーら他は後ろを歩く。マリアを奇襲から守るべく、アイリーンは主に真ん中を歩かせていた。
「ちょっと肌寒いわね……シェリーで暖を取ろうかしら」
「わー! 何処触ってるの!?」
「うふふ、たまには良いでしょ?」
あの変態女王、いったい何してんだ……。まあ、此処が想像以上に冷えるのは事実だ。それだけ随分と日に当たっていない証だろう。
だが、アンナとエレが魔物の気配を察知したのか、眉根を寄せて立ち止まる。彼女らはいつでも迎撃できるよう構えの姿勢を取り始めた。
「何かが来るよっ!」
「はい……わたくしの勘もそう言ってるのです」
後ろで戯れていたマリアとシェリーも無言になり、背後から息を大きく吸う音が聞こえてくる。緊迫した空気の中、他方から現れたのは無数の蝙蝠だった。
しかし、真っ先に攻撃を仕掛けたのは──
「シェリー! あたし達で始末するわよ!」
「うん!」
マリアが杖を掲げ、シェリーが機関銃を構える。先に火蓋を切ったのはシェリーであり、絶え間ない銃声が次々と蝙蝠を撃ち落としていった。
その傍らで樹魔法の詠唱に移るエレだが、蝙蝠の残党が群がって彼女に襲い掛かる。
「ひゃあ!!」
「エレ!?」
アンナが助けに行こうと半歩踏み入れたとき、マリアは先端の水晶をエレの方に向けた。
「焔撃!」
小さな火の球が蝙蝠どもを包み込み、跡形もなく燃やし尽くす。明らかにエレにも飛び火したはずだが、それも花姫の力か火傷を負った様子が見られない。
足下から聞こえてくる、掠れた呻き声。視線を落とせば、シェリーに撃ち落とされた蝙蝠が羽根を小刻みに動かし、死に抗おうとしていた。
俺が構わずそいつを踏み潰すと血溜まりが広がり、鉱山に静寂が宿る。幸い花姫たちに怪我は無い……と思ったが、エレは突如よろめき出した。俺の手で彼女の細い身体を支えると、シェリーもエレの肩に手を回す。
「あうう……少し血を吸われてしまったのです」
「エレさん! いま私が手当をしますわ!」
よく見れば、エレの白い腕には咬まれた痕がある。シェリーがそこに手を当てると、金色の光が宿り始めた。光の粒子はたちまち傷口を塞ぎ、エレの顔色が元に戻っていく。
「ありがとうございます、シェリー様!」
「いいえ! 回復したようで何よりですわ」
その時、線路を駆ける音が鼓膜を掠めた。
後方から近づく音は次第に大きくなり、アイリーンがついに声を張り上げる。
「線路から離れて!!」
俺たちが一斉に脇道へバックステップした時、音の正体はついに姿を表した。
それは──高速で線路を駆け抜ける、無人のトロッコ。
前面の照明で俺らの目を晦まし、アイリーンに向かって直ちに突進する──!
「何ボーッと突っ立ってんだよ!? さっさと避け──」
ジェイミーの怒号を遮る爆音。
俺は思わず顔を逸らしてしまったが──予想は見事裏切られた。
武闘家が依然と立ち尽くす一方、眼前に在ったトロッコが見当たらない。……否、ただの鉄くずと化した。
彼女が突き出す左の拳が何よりも証拠だ。その拳は紫色のオーラに包まれており、澄み切った氣を漂わせる。優雅に揺れる赤橙の毛先から、彼女なりの余裕が窺えた。
「な……何が、起きてんだ……!?」
ジェイミーが呆然と立ち尽くす中、マリアは誇らしげに補足する。
「アイリーンに掛かれば、どんな堅物もあっという間にガラクタよ。もちろん素手と自慢の脚でね」
「こいつぁ、やべえねーちゃんだな……」
「陛下、それは買い被り過ぎでございます」
構えを崩すアイリーンだが、主に褒められて赤面しているようだ。堀の深い顔立ちからクールという印象だが、眉を下げて唇を噛む様子はちょっと可愛いな……。いや、これは目移りじゃねえぞ? 美人が多いのがいけねえんだ!
「アレックス様、随分と嬉しそうなのです……」
「あんたみたいなヤツが隊長とか、やっぱ何かの間違いだよな」
「おい! なんで俺がそんな目で見られなきゃならんのだ!? ほ、ほら! 早く行くぞ!!」
エレにジェイミーまで、ゴミを見るような目はよしてくれよ……。
何だかんだで俺たちは探索を再開するが、小声で話すマリアとシェリーの会話は駄々漏れだった。
「この男、どれだけ女に飢えてるのかしら」
「まあまあ。本人の前でそれは失礼だよ」
「失礼をしてきたのはあいつよ。今度は『シェリーも食べちゃうんじゃないか』って気がかりだわ」
まあ、それに近いことをしたのは事実だが、随分と酷い言い掛かりじゃねえか? つか、アンナがさっきから白い目で見てるんだが。
「良いか、アンナ。大人たちの言葉に耳を貸すなよ」
「失礼だな! ボクはもう十七だよ!」
「す、すまん……」
「あーあ、女子を怒らせるとかますます最低だな」
「うるせえぞ吸血鬼」
まさかアンナが十五歳を迎えてるとはな……てっきり十三ぐらいかと思ってたよ。あとアイリーン、さっきから俺を見てくすくすと笑うな。
とりあえず角を曲がって辺りを確かめてみるが、此処は行き止まりのようだ。近くには木箱に擬装したミメーシスがいた為、酸を掛けて水色の宝石を回収する。特に持っていても意味は無いので、城下町に戻ったら換金しておこう。
しかし、先程の通路に戻った時の事。
凄むような低声が遠方から響き渡り、先程まで朗らかだった空気が一気に破れる。
「隊長! 西の方から魔物が!」
「よし、今すぐ向かおう!」
アイリーンのアドバイスを頼りに、俺たちはすぐさま西の通路へ駆ける。
そこには、四メートル程の体躯を誇る怪物が立ちはだかっていた。
「くっ、此処にオウルベアーが居るとはな……」
その名の通り、フクロウのような頭と熊のような胴体を持つ魔物。大きな嘴にぎょろっとした目つき、長く伸びた爪は見る者に恐怖を与えるだろう。胸部にある銀の心臓は、土色の羽毛から見え隠れする。
無論、このような敵に怖気づく俺たちではない。錯乱させるために、隊員らに散らばるよう指示。俺とアンナ・エレの三人は背後に回ると、オウルベアーは人形のように首を真反対へと向けた。
「喰らいなさいっ!!」
先手を打ったのはマリアだ。焔魔法でオウルベアーを包み込むと、ヤツは『キェェ』と苦鳴を上げ始める。
間髪入れずに、アイリーンは片手を地面に付けて月魔法を発動。オウルベアーの足下に展開された魔法陣は妖しく光り、毒々しい色の茨が全身を縛り付けた。
巨体のフクロウを焦がす火は茨と絡み合うと、黒い炎となってさらに焼き尽くす! 炎が薔薇のように咲き誇ると、身体の至る箇所から鮮血が噴水のように溢れ出した。
だが、オウルベアーはまだ抗うようだ。ヤツは羽毛に包まれた筋肉質な肉体を活かし、茨をすべて引きちぎる。黒い炎に包まれたそいつは大きく腕を振りかぶり──
「やらせるか!」
向かいに立つジェイミーの声。彼はオウルベアーの目元へ大きく飛躍した後、片目に拳を入れる。肉が潰れるような音と共に稲妻が走り、その目を使えなくした。
オウルベアーが仰け反る合間、シェリーが頭部目掛けてショットガンを放つ。けたたましい銃声を響かせ、肉片をぶちまけた魔物はついに思考も儘ならなくなる。
「とどめは、わたくしにお任せを!!」
俺の隣に立つエレが弓矢を構える。その矢は、銀の心臓を狙うには十分すぎる程の大きさだ。
彼女は弦を極限まで引き、険しい表情を見せる。
そして矢羽根を持つ指先が離れたとき──矢は空を切り、心臓に向かって真っ直ぐに放たれた!
鏃が宝石に突き刺さると、黒焦げとなった身体は粉々になって命の花を散らす。ふわふわと舞う羽根もすぐに消えた事で、最初から其処に存在しなかったかのように思える。
「やっぱり七人だと全然違うね」
「防衛部隊でも苦戦を強いられるヤツが容易くやられるとはな」
特に戦うまでも無かったアンナと俺。こうして何もせずにいるのは気が引けるが、誰かが怪我をするよりは全然良いか。
「ジャックのヤツ……この国に魔物を召喚して滅茶苦茶にしようったって無駄だぞ」
「……今度こそ、陛下の代でティトルーズ王国を終わらせるつもりでしょうね。でも、それも自分たちの手で終わらせるわ」
今は見えぬ敵を睨む、ジェイミーとアイリーン。アイリーンはしなやかな手先で拳を作り、碧眼で未来を見据えるように堂々と佇んだ。隣に立つマリアは、そんなメイド長を真摯な眼差しで見つめている。
しかし、マリアが此方へ向き直った直後。
彼女は目を見開き、口を片手で覆い始めた。
「アンナ!!」
「えっ!?」
マリアの掛け声にアンナが声を漏らす。
誰もがアンナに視線を移した時、奇妙な事が起こっていた。
地面からゆらゆらと湧き出る無数の手。黒と紫の斑模様が特徴のそれらは、彼女の足首を掴んで執拗に下へ引っ張っていた。
足下には黒い水溜まりがあり、彼女の踵が既に侵食されている。
「いやだぁぁああ!! は、放せぇぇえ!!」
アンナは瞳に涙を浮かべ、手で懸命に払おうとする。水溜まりから現れた腕は更に伸び、今度は彼女の両手にも絡みついてきた。
「やめろぉ! ボクに何するんだよぉぉお!!」
此処で見てる場合じゃねえ!
俺は真っ先にアンナの元へ駆け寄り、彼女の腕を引っ張った。だが、魔物どもの腕力は想像以上だ。アンナは既に両足首──脹脛と水の中へ引き込まれていく。
「アンナっ!!」
同じくジェイミーも駆け寄り、もう片方の腕を引っ張るが……全く持って無意味だ。それどころか水溜まりが俺らの元へと広がり、水面に映る世界は深淵のように底が見えない。
やめろ。やめろ。
氷みたいな手で俺の脚に触れるな──!
「アレックスさん!!」
「来るな! 最悪、お前らだけで脱出し──」
それが、恋人との最後の会話だった。
俺らの身体は一気に深淵へと導かれ、水中に放られたような圧迫感がしばらく続く。
何も見えないし、何も聞こえない。ただただ息が苦しいだけだ。
もはや、アンナもジェイミーも居るのかすら判らない。
まさかこれで終わり……なんて事はねえよな……?
皆、それにシェリー。
俺たちは必ず生きて帰ってくる。
それまでは、お前たちで──
(第八節へ)
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