騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第七節 濡れた自尊心

公開日時: 2021年3月25日(木) 12:00
文字数:6,153

※この節には過激な描写が含まれます。また、作中における反倫理的行為を肯定するものではございません。

「ベレちゃん、おはよ〜!」

「あれ、どうしたの?」


 教室に二人の男子が入ってくる。その頃には黒板に写真なんてものは無くて、目の前で学校生活が繰り広げられていた。


 ……私が事実を叫ばない限りは。


 無人の教室で見たもの──それは、私と先生の後ろ姿を写した写真。『昨日のデートは盗撮されていた』という事実を認識する暇など無いまま、ベレさんに脅された。


『あの名医と何処まで行ったんだよ?』


 何度も聞いた低い声に憎悪を込め、頬にナイフを突きつけた彼女。私は『何も無かった』とありのままに話したけれど、それが彼女を逆上させる事となる。


 この右頬に走る細い痛みが、その証だ。

 彼女は私に着席させた後、ハンカチを頬に押し当てる。後から来た女子たちは写真を取り除き、黒板拭きで事実をも消した。


 いま私を介抱するベレさんの表情は、とても慈愛に満ちている。その一方で、ハンカチを持つ手には血が溢れんばかりの力が込められていた。

 彼女は男子たちの方を振り向き、笑顔を見せたまま朗らかに答える。


「おはようございます、皆様! 実はシェリー様が登校中にお怪我をされてしまったそうなので、お手当をしているところなのですっ」


「ベレちゃんはホントに優しいよね。お姉さんにそっくりだ」

「このクラスの女神って感じだな!」


「そんなことはありません。あたくしは、皆様が健やかに過ごしてくださればそれで良いんです」


 ねえ、ベレさん。今までそんな風に話した事は無かったよね? 私と初めて会ったときは、『どいつもこいつも群れてやがる』って言ってたじゃない。

 でも、男子たちがそんな事に目を向けるわけも無くて。彼らはただ彼女に好意の目線を送るだけだ。


 ベレさんはハンカチを持って離れようとした刹那、私の耳元で釘を刺してきた。


「話したら承知しないぞ」


 脅迫を残した矢先、彼らに近づき輪の中に入っていく。後から来た生徒たちも次々と加わることで、その輪は大きくなっていった。無論、私が入る余地なんて何処にも無い。

 私は誰も見ないうちに席を立ち、おぼつかない足取りのままへと向かった──。




 此処は、壁がけに鏡と流し台が設置された場所──休所やすみどころだ。今の状態をわざわざ鏡で確認する人なんていない。私は誰とも目を合わさぬまま此処に辿り着き、顔を上げる事も無いまま個室の中へ入った。

 薄い壁に寄り掛かり、何の変哲もない天井を見上げる。決して綺麗な場所ではないけど、今だけは安らぎの場だと感じた。心が乱れぬようにと、胸に両手を当てて強く握りしめる。それでも涙腺は緩み、雫が右頬の傷を刺激するばかりだ。


 これじゃあ、先生に顔向けできない……。こんな私を見れば、あの人もきっと私から離れていく。


『いずれ貴様が去ろうとも、俺は永遠に見放すまい』


 お願い。こんな私を見ても、変わらず傍にいて。病院にいた頃のように、優しく私を抱き締めて。


 あなたに見放されたら、私は──。



 ぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆い隠したとき。

 両手が温かな光に包まれた。



 驚愕の声を必死に押し殺し、その両手をまじまじと見つめてみる。


「…………っ!!」


 金色に輝く粒子は私の右頬に集まり、細い傷口を徐々に塞いでいく。やがて痛みが嘘のように消えたとき、私は初めて自覚した。


 これが──霊術なんだ、と。


 私には、傷を癒やす力があるのかもしれない。もしそれが本当なら、他人の傷も治せるかもしれない。

 今はまだ使いこなす自信が無いけど、『私にも生きる価値がある』と思えた瞬間でもあった。


 鐘を鳴らす音が、窓から聞こえてくる。

 個室を解錠し、扉を開ける動作には手応えがあった。


 それから出入り口付近の鏡に近づき、自身の顔を眺めてみる。


「本当に……無い……!」

 ──私が感じた事は、全部間違いでは無かった。




 嫌がらせは昼休みまでに絶え間なく続いた。物を隠されたり、悪口を言われたり、足を引っ掛けられたり。

 でも、転ばされたときは霊術で傷と痛みを癒やした。痛みを引きずりながら違う階(の休所)に向かうのは大変だったけど、自分の身を守るためならいとわない。その階は顔見知りが訪れないので、私の数少ない居場所と


 ──なったはずだった。


 人知れぬ場所で昼食を終え、個室で天井を眺めていた時。複数の足音が響き渡る。ただ近くを通っているだけだと思ったけど、その予測はすぐに裏切られた。


 蛇口をひねる音に、何らかの道具を取り出す音。

 ひそひそと話す声が聞こえるのと同時に、頭から冷たいものが降り注がれた。


「きゃあぁぁあ!!!」


「あっはははははは!! ねえ、今の声聞いた?」

「聞いた聞いた! すっごい可愛いよね〜!」

「おい、シェリー。そこにいるんだろ? さっさと出ないと蹴破るぞ」


 やめて……水だけは、嫌……! どんなに身を屈めても頭を守っても冷たいのが入ってくる……! 身体の芯まで冷える恐怖は、あのプールでの出来事を想起させた。


『触るな、化け物め!! お前のせいで、わたくしの妹が死んだんだっ!!!』


 入ってこないで! もう思い出したくないの!!

 このままじゃ、凍えて死んでしまう……! 早く逃げないと!


「『さっさと出ろ』っつってんだよこのぶりっ子が!!」


 ベレさんが、ドアを蹴ってくる。そのドアが開くことは決してないけれど、強い衝撃は私に恐怖を与えた。


「ちっ、こうなったらアレをやるか……」


 何か仕込んでる……!?

 それまでに出ないと、今度は何されるかわからない!


 此処は……運に身を任せて!


 私は解錠するのと同時に、勢いよくドアを開ける。

 女子たちがそれに驚く中、全速力で逃げ


「ねえ、どこに行くつもりなの?」


 なんて速さなの……!? 私の両腕は既に彼女らに絡み取られ、脚が必然的に棒立ちになってしまう。

 加えて正面には、バケツを持ったベレさんがいて──


「うぅっ!!」


 大きな波が押し寄せてきた。反射的に目を瞑っても波から逃れる事はできず、心臓が止まりそうな危機感を覚える。隙間から入る寒気は私を追い込み、歯をガタガタと震わせた。

 ベレさんがバケツを投げ捨てたのか、鉄の音が断続的に響く。彼女は親指で私の顎を持ち上げ、翠色の眼で覗き込んできた。


「なあ。さっきから傷が消えてるって事は……神族なんだろ?」

「嘘でしょ!? こんな女が霊術使えるとかウケるんですけどー!」


 心臓が、口から飛び出そうになる。神族の血を引く者は多く存在するけど、私の家系はその事実を隠す習わしがあった。

 本当の種族、そして本当の姓を知られることは──すなわち、死を意味する。


 その習わしは、を鮮明に呼び起こす──。




『もうじきで、幕が開かれる』


 それは、冷酷な男の囁き。


 身動きが取れぬ私は、屈辱と享楽の狭間で生を保つ事しか赦されなかった。……時に、想い人の顔を思い浮かべながら。


 まっすぐな瞳に、亜麻色の髪を持った想い人。


 例え彼が人間じゃなくても、私を大事にしてくれるあの人が大好きだった。その恋は終わりを迎えたけど、まるで恋人同士のような関係だった。


 けれど。世界を牛耳ぎゅうじらんとする蛇は……想い出を、自尊心を、次々と穢していく。

 やがて心の何処かで、あるじへの忠誠心が芽生えていた。


 口元に髭を生やした男こそが、私の主。

 互いの遺伝が一つとなった現在いま、新しい命が生まれようとしていた。


『あぁぁああぁぁあ……!!!』

 全身に行き渡る激痛。私が声を枯らしても、男はただ嗤うだけ。


 その痛みが頂点に達した刹那。

 “私”という存在はついに壊れ────




「そういや神族ってさ、人間よりもずっと息が長いんだってね」

「あたしらは早く死んで、こいつがと生きるって思うとマジでムカつく」


「ねえねえベレ様。今度は思いっきり抉ってみようよー」

「これで霊術がどこまで効くか試せるね! きゃっははははは!!」


 もうやめて。それ以上やられたら、私の心が保たなくなる……!

 ベレさん、お願いだから来ないで! ナイフを持ってこっちに来ないで!!


「黙ってないと、もっと傷だらけにするからな」


 誰か助けて……!

 ナイフが近づいて、また私の顔を──!




──ナラバ、ミンナ殺セバ良イ。




 ……え?

 今の、私の声?


──コンナ狭イ世界、私ニハ不要ナモノ。アノ人サエイレバ、ソレデ良イ。


 違う、違う!

 こんなの私じゃない!!


──サア、今コソ目覚メル時。私ヲ止メラレル者ナド、誰一人イナイ!!


「いやぁぁぁあぁぁあぁあぁぁ!!!!!!」


 心が、蝕マれていク。

 身体ガ光に包まレ、


 お願い!!! やめてってばぁあああ!!!


「「きゃぁぁああ!!!」」

「あ、あア……」


 ベレさんが、女子たちガ、いつの間にカ吹き飛バされて……。

 デも、今のウちに……逃ゲないと


「何だ、今の光は!」

「ほっといたらヤバいよ、先生を呼ばなきゃ!!」


 私の身体ハ勝手に休所を抜け出シ、玄関へト向かっていク。


 全速力で走ッテも、

 走ってモ、

 走ッてモ。


 呼吸ガ乱れる事はナい。

 ソれどコろか、


 背中かラ蒼イ羽が、生えテ。

 心ヲ全能感で支配シテイク。


 こんなの、私じゃない。

 コレガ、私。


「あは、ハハハはハハ、アハハハハハハハハッ!!!」


 もうどうにでもなれば良いわ!

 この翼があれば、私はどんな所にでも行ける!


 そうね、この窓ガラスをぶち破れば──!


「シェリー様! 早まらないでっ!!」


 地上へ飛び降りる中、聞こえてくる。忌々しきエルフの声が。

 エレ? ……ええ、この女も嘘つきよ。


 飛び散るガラスの破片。それはもう、天使の羽根のようで美しいわ……!


『ええ!? 窓から飛び降りたぞ!?』


 皆が、見ている。


『あいつ、天使だったのか!?』


 ようやく皆が、見てくれる。


 散々私を小馬鹿にした連中が、この力に慄いているっ!!

 なんて素晴らしい力なの!? こんなモノがあれば何処へでも走れるし、もう誰にも頼らなくても良いじゃない!


 そう。本当の私は、走ることも身体を動かすことも大好き。

 この城下町フィオーレを駆け抜けて、あの人に会いに行けば良いの……!


 ねえ先生、あなたは今どこにいるの?

 この情欲に飢えた身体を、早く潤して……!


 あああっ、もう、我慢できないのにっ!!

 もう耐えきれなくて、このまま路地裏で──



「よお姉ちゃん、そんなとこで何してんだい?」



 ……え?

 此処は何処? どうして、こんな薄暗い場所にいるの? さっきまで学校の休所にいたよね……?


 目の前にいるのは、私より一回り大きい男。壁に寄り掛かる私は、その奇妙な男をこの目で捉えた。


 霊力を、解き放たなきゃ。

 頭の中でそう言い聞かせても、力が湧き上がる事は決して無い。


 もしかして、此処に来るまでの間に使い果たしてしまった……?


「せっかく此処にいるんだ。良いことしようじゃねえか」

「は、放しっ……」

「おっと、あまり騒がれると面倒なんでな」


 男に片腕を掴まれ、口元を塞がれてしまった。恐怖のあまり脚が震えて、全く集中できない……っ!


『戦争は、貴様が生まれた時から始まっている事に気づけ』


 ああ、先生──。

 心無き者に力を狙われ、見知らぬ男の慰み物になってしまうのでしょうか。


「やっと大人しくなったようだな」

「きゃあっ!」


 口を塞いでいた手は、余る片腕をも押さえる。そのまま追い込まれた私は、男の顔を直視せざるを得なかった。


 お母さん、お父さん。

 マリア、アイリーンさん。


 そして──



「ぐふ……っ!」



 男が、倒れ……た……? それも口から血を吐いて、私を押さえる力が一気に失われる。


 彼の背には一本の短剣。

 その数歩先には、見覚えのある男性が立っていた。


 でも、私には立つ力など残っていなくて──


「何処までも面倒な女だ」


 衣服に染み付いたタバコの香りに、黒いスーツ。顔を見る余力すら無いけど、私を抱きかかえる人が誰かはすぐに判った。


 身体が姫のように持ち上げられ、浮遊と着地が繰り返される。建物の壁を蹴って進むその様子は暗殺者そのものだ。


 先生は、ただのお医者さんじゃ無かったってこと……?

 今はそんな事もどうだって良い。私を助けてくれたなら、それで良いんだ。


 まだ逃げ切れてないというのに、安堵感が一気に押し寄せる。

 私の視界はだんだん白くなり、胸の中で瞳が勝手に閉ざされていった──。






 あれからどれくらいの時間が経ったのでしょう。

 その瞼は自然と開かれ、意識がだんだんと戻ってくる。


 とてもふかふかな何かの上。腹部に被さるのは、白檀びゃくだんの香りがする深紅の布だ。天井には、ガラス製の大きなシャンデリア。灯りは当然ついていない。右横から差し込む陽の光は、レースカーテンを通して部屋を優しく照らす。

 マリアのとこと違って天蓋が無いし、私の部屋もここまでお洒落なんかじゃない。取り戻した意識は、此処を『先生の家』と判断した。


 このベッド、私一人で使うにはとても広すぎる。部屋だって閉塞感がまるで無いし、宮殿か何かという勘違いすら覚える。


 私は思い切って上体を起こし、辺りを見渡した。

 広い部屋を彩る壁は、乳白色の大理石だ。隣には木材の棚、正面には額縁に飾られた刃物たち。あまりに上品すぎて、この部屋を『寝室』と断定するのに少し時間が掛かってしまった。


 ……って、よく見れば私、バスローブ姿だ! じゃあ、先生は私の身体を見たってこと!? いやだいやだ! 心の準備がまだなのに、こんな形で見られるなんて聞いてないよ……。


「気がついたか」


 ええええ!? 先生がいつの間に!? それもワイシャツ姿だし、胸元が開いてるしで、目のやり場に困っちゃうよ……!

 いろんな恥ずかしい事が起きて、私は胸を隠したまま彼から顔を逸らした。


「先生……見たんですね……」

「ジャックと呼べ。それに、女の裸は仕事で見ている」


 思えば、そうだったよね……。いちいちこんな事を避けていたら務まらないわけだし……。しかも平然としているんだから、やっぱり私を子どもとしか見ていないんだ。

 悲しい事実なのは判っていても、『見られた』という事実だけで脚が勝手に動く。……媚薬を仕込んでいたとか、そんな事はきっと無いよね?


「霊力が癒えたら家に帰れ。俺が送ってやる」


 そんな……私を家に招いたのは仕事の一環って事……?

 ううん、それはきっと無い。あれだけ私にキスしてくれたし、抱き締めてくれたんだ。


 ここは──勇気を振り絞らなきゃ!


「……なんだ」

「帰りたく、ありません」


 背を向ける彼に対し、思い切って袖を掴む。

 顔を見る余裕なんて無い。胸を片手で押さえたまま、私はただ下を向いて今の表情をごまかした。


 せっかくの、機会だというのに……なんで、涙が……。

 純白の絨毯の上で、小さな染みが次々と生まれていく。掴んだ手に力を込め、血が吹き出そうな程に唇を噛み締めた。


「顔を上げろ」

「……嫌です」


 彼の命令に逆らった刹那、指先で顎を持ち上げられ──舌が入り込んだ。舌を絡め取る細いそれは、蛇であることを物語る。


 彼は私をそのまま押し倒し、切なさと快楽で理性を溶かしていく。私の身体はたちまち火照り、自分とは思えない声が絶え間なく漏れた。温もりが次々とまさぐるせいで、雷に打たれたような刺激が幾度も訪れる。


 しばらく口づけを交わしたあと、私達は見つめ合う。獲物を捉える眼差しは心を釘付けにし、瞳をもとろかした。

 ……此処までしておいて、終わりなんて絶対に嫌。私は彼の背に手を回し、声を振り絞る。


「ジャックさん……。このまま、私を──」

「……痛がってもやめないからな」


 ずっと『先生』と慕っていた彼が男になり、ローブに手を掛け始める。


 そして──

 牙で愛を刻まれ、秘める花を激しく散らした。




(第八節へ)






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