──清の都ウンディーネ。
凍てつく街に現れたのは、鏡映しのシェリーだ。彼女は西海岸に目を向け、ある存在に祈りを捧げる。それは激しい縦揺れを起こし、俺たちを青の地平線へ導く事となった。
そして海上に現れたのは──
「おい!? これマジヤバじゃねえの!?」
「あっはははははは! あなた達は此処で果てる運命でしてよ!」
亀の姿を成した幻獣は、おそらく250メートル程の全長を誇るだろう。二段に積み上げられた甲羅は緑を基調とし、青白い皮膚からは血管が浮き出ている。これだけ見れば本来の姿だが、銀月軍団はそこに悪趣味な装飾を施したのだ。
まずは上段の甲羅。青緑色に染まる甲羅には、極太の筒が二本備え付けられている。その下に砲座を取り付ける事で、もしかすると回転できる仕組みかもしれない。
下段の甲羅は、上段を囲うように複数の砲台を配置。上段の砲台が主砲だとすれば、これらは副砲か。クロスするように配置された砲台は主砲よりも一回り小さく、青い模様があしらわれる。更に、四基の砲台が隙間を埋めるように存在しているのだ。先程の副砲に模様があるのに対し、こちらは無地。どういう役割かは知らんが、いずれにせよ全方位を守るような形なのに変わりは無い。
凝視すれば、それぞれの甲羅にハッチのような何かがある気がする。上段には前方、下段には三方向。これだけでかけりゃ、良い玩具にされるってか。
こうして見ると、もう亀では無くハリネズミだ。この哀れな存在こそが、“ガニメデ”と呼ばれる獣。清を司る神の一つであり、彼に祈る事で海底に潜れるらしい。
……が、実際はこの有り様だ。俺たちは彼に乗って清の神殿に行く必要があるのに、如何にして搭乗できよう? 心も支配されてしまえば、もはや邪神の部類だ。
「勝率は一〇%未満と推定」
「おいおい、てめぇらが弱気になってどうすんだぁ?」
飛行機具で浮遊するヴァルカとロジャー。ロジャーは相変わらず調子の良い事を言うが、よく見ればこめかみから脂汗が流れている。
ヴェステル迷宮でアイリーンを救出した際、俺はマリアと一緒に行動をした。その時に対峙した人面戦車とは桁違いに大きく、底知れぬ恐怖を覚える。この亀並みの巨獣を倒した事は数あれど、兵器が絡めばまた別の話だ。
身も心も朽ち果てたシェリーは、不敵な笑みを浮かべて幻獣に指示を下す。彼女の号令により、予測不可能な戦いは始まりを迎えた。
「うふふ、流石のあなた方も怖気づいていますわね。《ガニメデ、彼らを蹂躙なさい!!》」
主砲が軋みを立て、ゆっくりと下へ傾く。
横軸に回転する大筒は、俺の方を向いていた。
「な……っ!?」
「アレク、避けろ!!」
ジェイミーの警告に反応するように、主砲はついに火を噴く。白い煙と共に放たれたのは、筒に収まる程の氷塊──氷撃だった。
俺は全速力で氷撃を躱し、大剣を引き抜く。だが、ガニメデは『俺を捉えた』と言わんばかりに次の攻撃に移ろうとしていた。
「人間が魔法を使う時代は、とっくに終わりましてよ!!」
下段の砲台が回転し、それぞれ仲間がいる方を向く。
その時、熱気を帯びた朱竜が空を駆け抜ける!
朱竜の咆哮はガニメデの注意を逸らし、俺たちに僅かな希望をもたらした。
「サラマンドラか! あいつが来れば、うちらは勝てる……!」
「御主人様、ドッペルゲンガーへの攻撃指示を要請」
「いや、彼を支援しよう。戦力を惜しんでる場合じゃねえ」
サラマンドラは豪快に旋回し、口から放つ火炎で亀の動きを封じる。
炎に包まれた亀は、クジラのような悲鳴を上げて首を振り始めた。
しかし──。
「忘れましたの? 焔魔法は清と相性が悪いという事を!!」
副砲はサラマンドラの方を向き、一部の砲台が青く光る。青い光を放つ砲台は小さな氷の弾を、そうでない砲台は白い光弾を乱射させた。
「おい、氷撃と無属性の魔法かよ! あいつの魔力は底無しか!?」
上級魔術師が驚くのも無理もない。ギアーレは普段俺が使う下位の清魔法、無属性の魔法はシェリーの銃から放たれる弾と同じ性質だ。
いくらサラマンドラと云えど、大きな体躯を誇る彼に浴びせればどうなるか──それは言葉にせずとも判る事。
──グゥゥウウ……!!
無数の弾は翼を貫き、強靭の肉体からは滝のように血が噴出する。だが、彼はそれでも諦めなかった。
力を振り絞り、抗うサラマンドラ。風に煽られ、海上の波は荒れ狂っていた。
彼はようやくガニメデの懐に迫り、長い爪で主砲を引っ掻く!
その時、甲羅に埋め込まれたハッチが一斉に開きだした。
嫌な予感を覚えた俺は、真っ先に命令を下す。
「《退け!! やられるぞ!!》」
ハッチから現れたのは、複数の小さなガーゴイルたち。全長二メートル程の彼らは一斉に火竜に襲い掛かり、身体に喰らいつく。鋭い牙に肉を抉られた火竜は、苦痛に耐えきれず体勢を崩してしまった。
「生身が機械に勝てると思ったら大間違いですわ! 《とどめを刺すなら、今でしてよ!!》」
シェリーの言葉を聞いたガニメデは、ついに主砲で火竜の腹部に風穴を開ける。
臓物が噴き出る様はびっくり箱のよう。そのまま墜落する火竜は、身体が海に触れる前に掻き消えるのだった──。
「くそっ!!」毒づくジェイミー。
「やむを得ねえ……俺たちで止めるぞ」
「良いぜェ! 真っ先にガラクタにしてやらぁ!!」
早速突っ込んだのは、蒸気で前進するロジャーだ。
彼は曲刀を握り締め、刃に焔の氣を宿す。ガニメデはそんなロジャーを睨むと、先程のように一斉掃射で迎え入れた。これは、あのお気楽剣士でも苦戦するんじゃ……?
「ひゅうううう!!! 飛んで暴れるのも悪くねえぜぇぇえええ!!!」
……むしろ楽しんでいる様子だ。氷の弾も、光の弾も、全てすべて曲刀に砕かれる。エレメントの相性を無視して戦うロジャーは、そのままガーゴイルをも切り裂いていった。
「あの裏切り者~~~~!!!!!」
「おいヴァンツォ! 亀野郎を黙らせて、あばずれを潰すぞ!!」
「おうよ!!」
とにかくこの手の女が嫌いなダークエルフも、揚々と前に出て弓を構える。ヴァルカも無言でついていくと、自身に付与魔法を掛けたようだ。
「敏捷性上昇」
「ヴァルカ、あのハッチを壊してくんない? そしたら俺様が追い打ちを掛ける」
「承知」
ヴァルカとジェイミーが会話する間に、ヒイラギは巨大な矢を虚空から召喚。
矢はエルフの手元を離れ、光弾を放つ副砲に向かって直進した!
──ドカァァァアアァ!!!!
「よぉし!!」
一基の副砲が爆破。それを目の当たりにしたヒイラギは、ガッツポーズを決めて次の副砲を弓で捉えた。
「目標、ハッチの破壊」
ヴァルカがハルバードを振り回すと、幾つもの風の刃が発射される。深風斬とされる樹魔法は高速でハッチに迫り、開く瞬間に蓋を切り離していった。
「良いね~! ここは俺様がっ!!」
四基のハッチから現れたのは、魔物召喚でお馴染みの魔法陣。あそこからガーゴイルを生み出していたんだな。
ジェイミーが指を鳴らした刹那、厚い雲が唸りを上げて光り出す。光は瞬く間に雲を裂き、四本の雷として魔法陣に直撃! 鼓膜が破れる程の轟音は、ガニメデに大きな損傷を与える証でもあった。
「おらおらぁ!! こんなモンに頼るヤツぁ軟弱モンよぉお!!」
「お前が言うな」
ロジャーはガニメデが怯むうちに飛び込み、剣術と魔術を織り交ぜながら部位を破壊。砲台は未だ稼働するものの、先程と比べて上手く機能しないようだ。
なら、俺のやるべき事は一つ──!
「アレク、そろそろじゃね?」
「同じことを考えてたとこだ」
機械が世界を動かそうと、俺にはこの力がある。
目覚めよ、大悪魔の魂。
闇の力で、いざ兵器を粉砕せん!
「無駄な抵抗はおよしなさい! 罰が当たりますわよ!」
罰、か……。本物との別離を超える苦しみが何処にあろう?
真の力を解き放ち、身軽になった俺はガニメデに接近。ヤツは全ての砲台を俺に向け、清と無の魔法で弾幕を張ってきた。
「だからどうした?」
遅い。何もかもが遅い。
結局こいつも隙だらけじゃないか。
弾と弾の間を縫いつつ、左手に意識を集中させる。虚空から現れたのは、自身の丈を超える一条の槍。両手首を使い槍を回転させる事で、全ての魔法を跳ね返してみせた。
「おおぉぉ!!? やっぱ大悪魔さんは違ぇなあ!」
安全圏まで退いたロジャーが俺を煽る。その間にも、ガニメデは自身の攻撃によって蜂の巣へと変わり果てた。
「まさか……ご主人様のペットがあのように傷つくなど……」
「俺からすればただの玩具だ」
もうこの辺で良いだろう。
俺は槍を持ち上げ、満身創痍の亀に向かって力強く投げ飛ばす!
──キァァァアァァァァ……!!!
高速の槍はガニメデを貫き、赤黒い血が噴水のように溢れ出る。海はじわじわと紅く染まるが、ヤツの息は未だ残っているようだ。
そこで右手に魔力を込め、黒の氣を収束させる。魔法陣を自身の前に展開させると、一筋の光は幻獣を射抜いた。
そして──。
「消えろ」
黒の閃光はすぐに膨大し、250メートルの亀を焼き尽くす。大地は再び揺れ、紅い波は人間を呑み込む程の高さに及んだ。
青白い肌が爛れ、鋼のガラクタを背負うガニメデ。
幻獣は粒子となって儚く消えたが、俺の身体にも異変が生じる。
「う……っ!!」
「ヴァンツォ!?」
俺の姿は自然と元に戻り、糸が切れたようにバランスが崩れる。
眩暈に襲われた直後、誰かの細い腕がこの重い身体を受け止めてくれた。
「マエストロの体力消耗を確認。原因は過労と推測」
「……お前、案外力持ち、なんだな……」
気のせいだろうか。俺を覗き込むヴァルカの眉が下がっている。その不安そうな表情は、相手が機械人形である事を一瞬だけ忘れさせた。
「……ふん。次会った時には、あなた方を撃ち抜いてみせますわ!」
「おっと、逃げる気か?」
「構うな……」
シェリーを追おうとするヒイラギ。俺が声を振り絞って引き止めると、彼女は仕方なさそうに踏みとどまった。
「アレクはヤバそうだし、どっかで休まない?」
「半径二十キロメートル以内にて壕を確認。住民が避難している模様」
「もしや清の都の連中か? 頼み込むなんざ、うちらしくないが……」
思えば、この周辺には壕がある事を思い出した。身体は疲弊しているが、何とか上体を起こしてみせる。
陸の方に目を向ければ、依然として清の都は凍ったままだ。しかし視線を手前へ移すと、黒い木々の中に小さな洞窟らしきものが見える。あれこそが壕であり、元来の国の者が外敵に備えて造った場所と思われる。
「ありがとな、ヴァルカ。俺はまだ飛べる」
「壕での休養を推奨します」
「判ってる。だから、聞き込みも兼ねて向かおう」
俺が先んじて飛行すると、仲間たちも後から追いかける。鏡映しがいなくなったおかげか、この二十キロメートルの間に敵が現れる事は決して無かった。
(第七節へ)
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