『あたしはいつでもあなたの味方だから』
マリアは誕生会の時にそう言ってくれたけど、きっと複雑だったと思う。『味方でいること』と『“私と一緒にいたいと”いう想い』のいずれも本音で、きっと辛い気持ちを抱えていたはずだ。
当時の私は彼女の気持ちをきちんと判っていたはずなのに、あの人の話ばかりする程周りが見えなかった。
ついに彼女は十四歳の夏の茶会で、『もう聞きたくない』と怒りを露わにした事がある。今思えば当然な反応なのに、私も頭に血が昇ってしまった。その時、彼女が初めて『あの男は危険だからやめなさい』と言ってきたんだ。
それでもなんだかんだで和解したはずだけど、当時を振り返れば距離が少し遠ざかっていた気がする。私とジャックさんの交際に反感を抱くのには、何か理由があるはずだから。……けれど、あの子はずっと教えてくれなかった。
それから一年半。十六歳になった私は、アメシストの月初にジャックさんの家に向かう事になった。その頃には彼を呼び捨てしていたし、少しずつだけど彼の表情も柔らかくなった。いつものように会って、いつものように愛し合う。そんな日々がいつまでも続くと思っていた──。
此処は、彼の家にあるリビングだ。広々とした部屋の中心にはソファーがあり、暖炉の火がばちばちと燃え上がる。モノトーン基調の部屋において、窓辺のグランドピアノがひときわ目立っている。
掛け時計の針は二時を指し、真鍮の振り子が静かに揺れ動く。私は、部屋を明るく照らすこの時間帯が大好きだ。今この部屋にいるのは彼と私だけで、執事さんが勝手に入ることはない。二人きりの世界でピアノを弾く事が、私の楽しみでもあった。
私は今、彼の前でピアノを弾いている。楽曲は、隻腕の音楽家クルトが手掛けた『星空』。病で他界した妻への鎮魂歌であり、クルトはこの曲を書いた直後に亡くなったと云う。まさに、大切な人を追うような最期だった。
この指先で哀愁を奏でる中、私の大切な人は今頃ワインを飲んでいることでしょう。壁に寄り掛かりながら嗜む様は、光が反射して鍵盤蓋に映り込む。初めて此処で弾いた時、彼は『酒が美味くなる』と褒めてくれた。それ以降は私の演奏を肴に、赤ワインをじっくりと味わうらしい。
十分という短い尺の中で、澄んだハーモニーを彼に届ける。郊外から離れたこの家はとても静かで、最後まで集中できるのだ。丁寧に手を浮かせると、最後の一音が緩やかにフェードアウトした。
しばらく余韻に浸ったあと、彼はゆっくりと此方に歩み寄る。それから私の肩に腕を回して、いつものように妖しく囁いた。
「愛している」
「うん……私も愛しているわ」
例え技術的な事を言われなくても、その一言だけで『褒められた』と実感できる。フランクな接し方を案外受け入れるジャックは、「俺も弾こう」と言ってきたのですぐに退いた。
彼が演奏するのは、ポール・ラ・ボンの『紅の薔薇』だ。情事をイメージしたとされるこの曲は、エロティックな旋律が実に印象深い。まさに彼のためにあるようなもので、交合を思い出さない日は一度も無かった。
鍵盤の上で躍る、細やかな指先。その指で私を弄ぶと思うと、身体の奥が必然的に熱くなってしまう……。それに、ワインを飲んでいるのにどうして演奏できるんだろう。だんだん焦らされている気がして、疼きを抑えるのに精一杯だ。
演奏が終わった直後、我慢できなくなった私はジャックに迫る。膝上に跨がろうとしたけど、察したのか抱き上げられてしまった。
無論、向かう先は城が見える寝室。私を紅いベッドに押しやると、深い口付けと共にブラウスのボタンを一段ずつ外していく。
それから彼は自身の黒ネクタイを解き、私の腕を──
────────────。
──────────。
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──────。
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互いに愛を示した後、ジャックは例の如く紫煙を燻らせる……と思いきや、腕に私の頭を載せてくれた。
今、私の両手首には跡がはっきりと残っている。独占の証をこの心身に刻まれたせいか、つい「ご主人様」と甘えたくなる。彼に手懐けられることで、思わず猫のような声を上げてしまった。
しばらく髪を撫でていた彼は、意味ありげな事をぼそりと呟く。
「貴様と共にあれば、それで構わんのかもな」
それがどういう意味か。当時は全く見当がつかなかった。例え私が尋ねても、彼は「こっちの話だ」としか答えてくれない。唐突に不安に襲われた私は、上目遣いでお願いをしてみる。
「ずっと、傍にいてね?」
「当然だ」
この一時も、永遠の愛の一部に過ぎない。勿論こういう瞬間も大切な事だから、仕事で会えない日が心苦しかった。
それでも、『彼に愛されたいから』と自分磨きに励んできたつもりだった。結婚して、一緒にいたいとも思っていた。
けれど──
十四のアメシスト。
愛の日を最後に、彼は行方を晦ましてしまう。
日の沈みが少し遅くなり、寒さが和らぐ放課後。逸る気持ちを抑えつつ、フィオーレ遊歩道で彼を待っていた。
鞄の中に入れてあるのは、昨晩に作ったチョコレートだ。いつも高級感を意識してるけど、今回のチョコは思い切ってハート型で攻めてみた。うー、早く来てくれないかな? もうそろそろのはずなんだけど……。
「あれ?」
背後から馬の足音が聞こえる──と思ったら、金の装飾を施した桃色の馬車がやってきた。
どうしてマリアの馬車が此処へ……!? こんな時間に巡回なんてしないはずだし、私に用が?
馬車は私の数メートル先で止まり、御者が扉を開ける。執事さん達・マリアという順で降りたけど、物々しい空気が漂っていた。
一同が粛々と此方に近づくと、マリアは強めのトーンで私に声かけた。
「シェリー、もう彼と会うべきじゃないわ」
「どうして!?」
なんでまたそんな事を……? 私が突然の忠告に取り乱しても、彼女は話を続ける。
「あなたがずっと夜遅くに帰ってくるものだから、あたしもあなたの両親も心配してるの。……今すぐこの馬車に乗りなさい。これは命令よ」
「ジャックを疑わないで! あの人は……悪い人なんかじゃない」
「憶えておきなさい。男はね、女の子を都合よく利用するためなら綺麗事も言えるのよ」
「信じてよマリア! あの人はそんな人じゃ……」
「ティトルーズ、何故貴様が此処にいる」
ジャックが現れ、言葉に怒りを込める。マリアは私の前に立つと、両手に焔魔法を宿し始めた。
「彼女には指一本触れさせないわ。それ以上近づくつもりなら……」
「やめてマリア!!」
「シェリー、これは避けられない戦いなの。あなたは離れていなさい」
「そんな…………」
いやだ、大切な人同士が戦うなんて見たくない!
私はただ、マリアの後ろから見守るだけなの……!?
「ほう。貴様一人で戦うつもりか」
「上級魔術師を甘く見ると、火傷するわよ。焔撃!!」
まさか、上位の焔魔法を!?
「ふん」
何、今のオーラ……! 彼の右手に宿ったあれは黒魔法?
こんな時、いったいどうしたら……!
「あの子の力を使って、何する気なのよっ!?」
「はっ、戯言を。貴様には関係なかろう」
私の、力……彼が何かを企んでいたってこと?
ううん、それは絶対にない! あの人が私に向けた笑顔は本物だし、ずっとずっと優しくしてくれたもの!
木の陰に隠れている場合じゃないのに、どうして身体が動かないの……!?
「お嬢様。貴女様はそちらでお待ち下さい」
「お願い! ジャックを傷つけないで!!」
そんな! 執事さん達まで加勢するなんて!
あのままじゃ、ジャックが……!
「ルーセの遺族め! 抵抗しても無駄だ!」
「……失せろ」
私の嫌な予感が外れて、執事さん達やマリアがジャックの術で吹き飛ばされる!
「「ぐぉぉあぁぁあ!!!」」
「きゃぁぁああぁああ!!」
「この虫けらどもめ」
あの人から強い霊力を感じる……!
だから、入院していた時から私を──
……だとしても、霊力を使える者同士で知り合っただけだ。『ルーセの遺族』だとか、そんな事はどうでも良いはずよ!
けれど、ジャックは攻めの手をやめる様子がない。
右手には短剣……まさか──!
「二度と俺に関わるな」
私が彼を止めなきゃ!!
両手を突き出し、意識を集中させる!
マリアの顔に迫る今、
あの剣を跳ね返──
え?
空中からの人影が、マリアの前に来て素手を掲げる。
そして──
「くっ……!」
三つ編みのメイドが上げた短い悲鳴。それは意識を途切れさせ、緊迫した空気を一変させた。
マリアを庇ったのは、ほかならぬアイリーンさんだ。短剣を受け止める手からは血が零れ落ち、床に小さな溜まりを作っていく。その光景を見たジャックは舌打ちし、戦闘態勢を解いた。
「……邪魔が入ったか」
「ちょっと! 何処へ行く気!?」
「憶えていろ。貴様らが阻んだ事、いずれ後悔させてやる」
え、何処に行くの!?
まさかそのまま居なくなりは、しないよね……!?
「いや! 行かないで!! ジャック!! ジャックぅぅぅぅうううぅぅうう!!!!!」
「追ってはなりません! 陛下、早く措置を!」
「放してよっ! マリア、私達は友達じゃなかったの!?」
お願い、マリア……そんな怖い顔をしないで。
こんなことで、二年前の事を思い出したくないの……!
「ごめんねシェリー。だからこそ、こうさせてもらうわ。……眠れ」
幼馴染は最後まで私の耳を貸すこと無く催眠魔法を唱える。
彼女の手のひらを見つめてしまった私は、そのまま意識を失い──
城へと、連れて行かれた。
(第十節へ)
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