アンナとシェリー、俺の三人で買い物を終えると、噴水広場で一旦立ち止まった。まだ明るい時間なのもあって、手を繋いで歩く親子やカップルも見受けられる。
そんな中、アンナは買い物袋を持ったまま俺たちの方を見つめた。
「シェリー、アレックス。今日はありがとうね!」
「うん! また会いましょ!」
「気を付けて帰れよ」
互いに手を振ると、アンナの姿が徐々に雑踏の中に消えていく。
すると、シェリーは後ろ手を組んだままこちらを見つめてきた。その時にひざ丈の黒いスカートがふわっと風を立てたせいで、つい目線がそちらに行ってしまう。
「さて……どうしましょうか?」
桃色のトップスに、花柄模様のスカートという出で立ちのシェリー。足首までのソックスとパンプスも黒いおかげで、白い肌が際立っていた。
『あなたを見ると、時々胸が痛むんです。その理由を確かめたくて、家に呼ぼうとしたのですが……』
『誰にもわかってもらえない秘密がある――そう悟っているからです』
以前、彼女が電話で話してくれたことを確かめるチャンスかもしれない。
……といっても、俺から言うのも少し気が引けるが。
「前に話してくれたことだが……」
「何でしょう?」
頑張れ俺。今しかないんだ……!
「まだ確かめる気があるなら、家に連れて行ってくれないか?」
沈黙。
ダメか。駄目だったか。
そうだよな。いくら家でしか話せない事情があったとしても、彼女の心構えが何よりも大事で
「ああ、こないだのことですね。良いですよ」
「えっ、ホントに?」
「はい」
思ったほかにこやかなのが信じられないが、本人が『良い』って言うなら良いんだ。
「手出しはしないからな」
「ふふ、わかってますわ」
可能であれば、胸が痛む理由を取り除いてやりたい。
下心は決してないわけでは無いものの、彼女が嫌がることだけはしたくなかった。
シェリーは家に着くと、パステルグリーンなドアの前に立って鍵を差し込んだ。香水の形をしたキーホルダーが大きく揺れる。そして鍵の開いた音が聞こえると、ゆっくりとドアを開けて「どうぞ」と通してくれた。
「邪魔するよ」
俺を迎えてくれたのは、花の香りが漂う白い空間だった。壁の色は俺の家と似るものの、靴を脱ぐ必要は無いらしい。この淡色のフローリングに男の足跡を付けるのは気が引けるけどな。
ふと視線を左側に向ければ、棚の上にアロマオイルが置いてある。紫色の液が入っている、ということは――。
「ラベンダーって良いですよね」
「そう、だな……」
俺、思ったほか緊張していて上手く喋れねえな……。女の子の部屋に入ったことなんて、一度や二度なんかじゃないのに。心臓がバクバク鳴り過ぎて、いつ倒れるかわからんぞ。
「あの……大丈夫ですか?」
「なんとか」
シェリーが振り向きざまに俺を見つめてくる。心配させるわけにはいかない。とりあえず彼女についていくことにしよう。
少し真っ直ぐ歩いてから左に曲がればドアがある。彼女がそのドアを押すと、またしても華やかな光景が広がっていた。
「では、ここで待っていてください。お茶を用意しますから」
「ありがとう」
彼女が桜色のソファーを指すので、そこに腰掛けることに。柔らかな触感が足腰に広がるおかげで、歩いたときの疲労が癒えていく――。
それにしても、部屋もこれまた可愛すぎて心臓が飛び出そうだ。窓際には水色のシングルベッドがある。真正面にあるのはドレッサーと棚で、いずれも壁と同じく純白。その棚の上には、茶色い瓶にラベルを貼ったアロマオイルやマリアとの写真が飾られていた。ベージュの棚に収まる本だって、インテリアに見えてもおかしくない。壁際に置かれたオルガンは、この淡色な世界の中で威厳を放っている。
あのシェリーがこれらで構成されていると思うと、いじらしくてたまらない。ここで抱き合ったら、どんな気分になるだろうか。
しかし、優しい足音と紅茶の香りが想像をかき消していく。
「お待たせ」
「えっと……どうも」
下心を悟られぬよう、何とか平静を装わねば……。目の前にあるミントカラーのティーセットもお洒落だ。ポットとカップの取っ手は黒のリボンがモチーフで、縁に描かれたストライプがアクセントになっている。それらがガラスのテーブルに置かれるのだから、まるで絵に描いたような部屋だとも思う。
「隣、失礼しますね」
言葉通りシェリーが隣に座ると、フローラルな香りが鼻腔をくぐってきた。喫茶店にいたときは、珈琲の薫りと周囲の雰囲気でよく気づけなかったよ。
こんな悪魔が傍にいて良いものか。彼女がこの華やかな空間でいつ祈りを捧げ、俺を浄化してくるかわからない。
祈りを捧げる
これは……教会のステンドグラス?
突如の激しい光と頭痛――!
「うっ!」
「アレックスさん!?」
俺が頭を抱えていると、シェリーが支えてくれた。
しかし、なんだ今の光景は――。
「……やっぱり俺には、思い出しちゃいけねぇことがあるみたいだ」
「もしかしてあなたも……?」
ひょっとして、シェリーの胸の痛みと関係あるのだろうか。
ゆっくりとティーカップを持ち上げ、熱い紅茶で頭痛を鎮める。
「お前も何か思い出すのか?」
「私はさっぱりなんです。ただ……」彼女が自身の胸を両手で押さえる。
「以前話したように、あなたを見ると時折妙な感覚に襲われます。その都度マリアに抱きしめてもらっているので、何とかなるんですけどね」
「……でも、今も再発するんだろ?」
「はい。現在も、こうして……」
シェリーの切ない表情が、俺の腕を突き動かす。
「っ!!」
「こうすれば治るのか?」
お前が俺のことを好きでいるかは、わからない。
でもこの抱擁で胸の痛みが治まるなら――!
「…ぁ……ぅ……」
泣いてる……?
「いや……くる、しい……」
咄嗟に彼女から離れるが、両手で顔を覆ったままだ。もしかして、思い出させてしまったのだろうか……。
「すまん、辛い思いをさせて……」
どうしたらいいんだ。
触れることが許されないなら、どうすれば治まるんだ。
「私は……―――……じゃない……っ……シェリーよ……!」
誰かが彼女の身体の中にいるとでもいうのか?
しかし、その誰かの名前をよく聞き取れない。
「なあ、お前の中に誰かいるのか?」
「呼ばないで! 私が違う誰かになってしまうわ!」
半ば錯乱状態。『違う誰か』というのは、以前の暴走を指しているのか?
ああ!!! 全くわからねえ!!! お前はいったい誰なんだよ?! シェリーの身体に易々と入り込むお前は何なんだよ!!
「はあ……はあ……」
彼女が呼吸を乱したままソファーに寄りかかる。
「もう休め」
手を取って、なんとかベッドに誘導しよう。これぐらいなら何ともないはずだ。シェリーはそのまま倒れ込んだが、俺が布団を身体の上から掛けてあげた。
「もう一人の誰かについて知る覚悟が、今の私にはないようです……せっかく来てくださったのに、すみません」
「いいんだ。俺こそ勝手に抱き着いて悪かった」
こういうやり取りをしながら、内心疑問に思っていた。『俺たちは、プライベートで関わらないほうが良いのだろうか』と。
それで治まるなら、離れるしかないのだろう。だが、あいにく俺と彼女は特殊部隊の隊員だ。必然的に接触せねばならないなら、苦しみは避けられない。
本音を言うと、俺は彼女に触れたい。自分の我儘で彼女が苦しむのは本望じゃないのに。その知り得ない誰かのせいで、彼女が人ならざる者として扱われるなら……そいつを今すぐにでも引き剥がしたい。
葛藤する中、シェリーは続ける。
「私は、シェリーとしてアレックスさんとお話ししたい。こうしてお会いできたのも、何かの縁ですから」
「よせ。もっと胸が痛むぞ」
「今回のような理由で避けられると、また虚しい時を過ごすことになってしまいます。だから……せめて私を一人の人間として見てほしいの」
「お前にどんな事情があろうと、俺の気が変わることはない。いずれ俺たちで真実を確かめに行こう。何もかもを棄ててでも、お前を解放したい」
俺の手中にあるのは、人間――いや、女としての温もり。気付けば、片膝をついてシェリーの細い手を握っていたのだ。彼女は目じりに涙を浮かべながら、こう囁く。
「アレックスさんって……まるで騎士様ですね」
「長年そういうことしてきたからな」
騎士なんて、少女が夢見るようなカッコいいもんじゃない。恋愛とは無縁の世界で、鎧を血に染めるのが仕事だ。『正義』とは何なのか、わからなくなることもあるよ。
でも、どうせマリアに頼まれたんだ。
「……お前の専属騎士ってのも、悪くない」
「何か仰いました?」
聞いてほしいような、そうでないような。
まあ――
「なんでもねえよ」
こうして握っていられるならどっちでもいいか。
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