騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第八節 あなたしかいない

公開日時: 2021年3月26日(金) 12:00
更新日時: 2021年3月26日(金) 14:13
文字数:4,826

 紫煙の香りと、ほろ苦き匂いが入り混じる部屋。ガラスのシャンデリアを吊るしたこの場所は、先生──じゃなくて、ジャックさんの寝室だ。


 久しぶりの登校日だったにも関わらず、学校で嫌がらせを受けた私は霊力の暴走を引き起こしてしまう。……プールでの事件も含めてこれで二度目だけど、今度はどんな仕打ちが待っているのでしょう。

 ううん、それよりも今はジャックさんの事を考えていたい。意外な形で彼と会った私は、そのまま家に連れて行かれて愛し合う。


 行為に誘ったのは私だけど、彼が激しすぎて何も考えられなかった。ずっと掴んでいたせいか、この深紅のシーツがのように乱れている。本当は拒絶の意なんか全然無いのに、ずっと泣き叫んでたかも……。『うるさい』って思われてないかな?

 こういうのは夜に誘うものと判っても、抑え切れなかったものはしょうがない。此処で逃せば、ずっとしちゃいそうだから……。


 今ベッドの上にいるのは私だけで、ジャックさんは大きな窓の前に立って一服している。既に黒のスキニーを穿く彼の背は、細身にして十分に鍛え抜かれていた。

 疲れ切った身体を何とか起こし、窓を遠望してみる。快晴の下で広がるのは城下町フィオーレの街並みでは無く、枯れた木々と青朽葉あおくちばの芝生だけ。城の尖塔が垣間見える辺り、フィオーレまではそう遠くないはずだ。


 ジャックさんは私の視線に気付いたのか、振り向きざまに此方を見つめる。例の鋭い眼差しにドキッとしたけど、さっきよりも少し柔和な気がした。


「なんだ」

「フィオーレの中に、こんな綺麗な場所があるんだなぁって」

「俺の庭だからな」

「やはりそうでしたのね」


 こんな大きな家も、広い庭も、全部予想通りだ。加えて執事さんを雇っていたとしても、今更驚きはしない……はず。マリアのお城もそうだけど、一度くらいはこういう場所に住んでみたいなぁ。


 彼は此方へ戻り、棚の上に置かれた灰皿に紙タバコを押し付ける。それからベッドに潜ると、私の真横で肘枕の姿勢になった。その厚い胸板に私の顔をうずめれば、余った片手で髪を撫でてくれる。場所こそたがえど、病室で添い寝してくれた事をふと思い出した。


 ……今日は特に甘えたい気分だ。この安らぎに身を任せて、「ジャックさん」と名前を呼んでみる。


「今日起きた出来事を……聞いてくれませんか?」

「断ると思うか」


 彼の優しさが、胸に染みる……。これだけでまた泣いてしまうなんて、いつから涙腺が弱くなったのかな……。


「俺に隠し事をするな。気の済むまで泣け」

「……はい」


 彼はこんな私を責めずに、囁いてくれる。だから私は枯れた声を何とか振り絞って、全てを打ち明けることにした。








 その日の夜、私が家に帰るとお母さんが心配そうに見つめてきた。どうやら学校から停学処分の報せが届いたらしい。お父さんにも経緯を尋ねられたけど、その詳細を明かす事はできなかった。


 霊力を制御できなかったこと。

 主治医ジャックさんと付き合っていること。


 それらを話して怒られたら、私の心は崩れてしまうかもしれない。だから、その場しのぎの嘘をついて誤魔化す事にしたの。

 もう今日は──いや、しばらくは誰とも話したくない。いま私の全てを見せられるのはジャックさん唯一人ただひとり。あの暴走を受け入れてくれた以上、彼がいればそれで良かった。


 停学期間は約ひと月程。残るラピスの月は家で過ごさなければいけない。……でも、そんなルールを守り抜ける人はごく僅か。 夕方になると私は黒いフードを深く被り、ジャックさんとの逢瀬を繰り返していた。


 通達を受けてから一週間ほどが経ったある日。忍ぶように街中を歩いていると、自分と誰かの肩がぶつかった。


「きゃっ!」


 甲高い声と共に後ろへ倒れ、尻餅をつく女性。スレンダーな身体にボブカットのブロンズという特徴から、エレさんだと判った。彼女は紙袋を抱えていたようで、果物や野菜があちこちに散らばる。

 どうしよう、よりによって知り合いとぶつかるなんて……。でも、『何もしないで逃げる』なんて勇気も無い。だから私は無言で落ちたものを拾い、顔を見られないように手渡した。


「も、もしかして……シェリー様!?」

「っ!!」


 なんで判ったの……!? バレないようにしてたはずなのに!

 うう、もう知られたら仕方ないよね……。


「エレさん……ぶつかってしまい、申し訳ございません」

「いいえ、気にしないでください。わたくしもきちんと前を見てなかったので」


 派手に転んだにも拘わらず、すぐに立ち上がって物を回収し始める。あの身のこなし、もしかして戦闘経験があるのかな。

 いや、今は例の遊歩道へ向かおう。少し早いけど、待っていればそのうち来てくれるはず。


「では、私はこれで……」

「待ってください! シェリー様、少しだけお時間を頂けますか?」


 ああ、やっぱりそうだよね……。

 断る勇気すら無い私は思わず頷き、エレさんの後を着いて行ってしまう──。



 彼女が連れて行った場所は、噴水広場から少し離れた所にある公園だ。いつもは子ども達が遊んでいるけど、夕方だからか誰も居ない。二人で白いベンチに腰掛けると、エレさんは無念そうに俯いた。


「わたくしは、これまでの過ちを謝罪しなければなりません。ベレがあなた様を傷つけた事、そしてわたくしも加担していた事。あの日からお見舞いに行けなかったのは、『彼女らに狙われたくなかったから』なのです。彼女らはわたくしとベレに話し掛けてきますが、その狙いはシェリー様を孤立させる事。ただ、ベレもあなた様を『許せなかった』と云う理由から、自ら加担していたのです


「……どうして、ベレさんは私を許せなかったんですか?」

「理由まではわからないのです。でも、それについてもあなた様が気に留める必要は無いのです」


「そう、ですか……」

 どうして『許せない』んだろう。エレさんがとは思えないけど、それはそれで胸に突き刺さってしまう……。


 でも彼女は顔を上げ、思いもよらぬことを打ち明ける。

 その時の眼差しはしたたかなもので、瞳に涙を浮かべている気がした。



「あの日、あなた様を盗撮したのは……わたくしなのです。お願いです、シェリー様。この愚かなわたくしを、って頂けませんか?」



 ……『すぐに許せる』と言えば嘘になる。もしあの盗撮が無ければ、また違う学校生活を送れたかもしれないから。

 でも、霊力を制御できなかったのは私の責任だ。そこにベレさんも他の子たちも非は無くて、あの措置は妥当だと思っている。身内を殺したせいで、初恋の人にひどく嫌われた事と比べれば──。


 だから私は立ち上がって、彼女に次の言葉を掛ける。その時に足が勝手に動いて、彼女に背を向けていた。


「殴れません。例えあなたを傷つけようと、それはきっと解決策にならないから。……ですが、しばらくは一人でいさせてください」

「……わかりましたです。でも、お話したい時はいつでも頼ってくださいね」


 もはや同級生の言葉に応える気力なんて、これっぽっちも無かった。重くなった足取りはそのまま公園を離れ、遊歩道へと向かっていく。


 今は頬を叩く冷風すら、とても心地よかった。




 エレさんと会った日の夜も、ジャックさんの家で愛し合った。それまでは手料理を振る舞ったりピアノをいたりもしたし、お酒だって二年早く飲ませてくれた。彼が用意してくれたワインは百年近く熟成させたもので、言葉にできない程の味わいだった。勢いに任せて押し倒したのに、結局彼の思うままにされちゃって……。


 そんな日もあれば、この年の誕生日──二十五のラピス──は彼がディナーに連れて行ってくれた。私のような庶民じゃ一生行けるかわからない場所で、ステーキがとても美味しかったの。ずっと着けていた花柄のピアスも、その日に彼が贈ってくれたもの。


 あの人は高級品をたくさん知っているけど、それよりも傍にいてくれる方が嬉しかった。いつも表情を変えないからこそ、ふと見せた笑顔がとても眩しくて……ドキドキしてしまう。いつもは激しい夜も、時には優しかったり……ね。


 ガーネットの月末まで学校には行けなかった代わりに、彼との距離が一気に縮んだと思う。


 でも──。

 この話を聞いたあの子は、とても憂鬱そうだった。








 それは二十二のガーネットに遡る。毎年のようにマリアの誕生会に招待された私は、お気に入りであるターコイズのドレスを着て城に向かった。

 大広間の中心に立つのは、無論この国のお姫様だ。彼女は乙女色の髪を一つに纏め上げ、扇情的な赤いドレスを身に纏っている。ダイアモンドを散りばめた小さな冠は、光が反射して燦々さんさんと煌めく。その隣にいるのは、タキシードを着たルドルフ兄さん。金色の長髪を靡かせる彼は、持ち前の美貌で周囲の女性たちを釘付けにした。


 食事を終えてしばらくすると、マリアはルドルフ兄さんと分かれて私をバルコニーに呼び出す。私達はワイングラスを片手に、夜空の下で互いに見つめ合った。

 改めて間近で見ると、マリアはしばらく見ないうちに色っぽくなっている。こんなに綺麗だと沢山の人に言い寄られそうだし、ルドルフ兄さんもきっと大変だと思う。


 久しぶりに会ったからか、喧騒の中でしんみりとした沈黙が流れる。少し緊張しちゃうけど、思い切って私から話し掛けてみた。


「マリア、雰囲気変わったよね」

「そう?」

「うん。とても大人っぽくなってる」

「もう、誰かに甘えてはいられないからね……」


 私から顔を逸らし、景色を一望するマリア。とした声音からは、幼い頃の弱気さが感じられない。むしろ堂々とした振る舞いだ。

 そんな彼女は此方に向き直り、「それはそうと」と話題を変えてきた。


「最近、全然会ってくれないじゃない。……もしかして、あたしが嫌になったの?」

「ううん、違うの。その……」


 どうしよう。話すべき、かな……。でも、マリアが今も私を本気で想っているなら、打ち明けるべきかもしれない。

 私は息を大きく吸って、彼女の瞳から逸らさず話した。



「好きな人ができたの」



 ──その時のことを、今でも憶えている。


 マリアは大きな目を見開かせ、細やかな手からワイングラスが滑り落ちる。

 濁りのない薄緑の液がグラスの口から零れ、彼女の足元に飛び散る。


 そしてグラスは硬い床に叩きつけられ──

 粉々に砕け散った。


 それは、幼馴染マリアの心が打ち砕かれた刹那の比喩かもしれない。

 ガラスの割れた音は静寂を──否、混乱を呼び寄せた。


『な、何事だ!?』

『まさか……事件!?』


「姫様! お嬢様!」


 張りのある女声が広間から響く。

 颯爽と駆けつけたのは、給仕姿のアイリーンさんだった。


「あ、アイリーン! 別に、事件でも何でもないの!」


 マリアはようやく我に返ったのか、慌ててアイリーンさんに説明する。同時に現れたのは、緑色に光る黒髪のメイド。彼女の手には既に箒と塵取りがあり、粛々と後片付けに移った。


 駆けつけてきたのは彼女らのみならず──


「マリアッ!」


 ルドルフ兄さんもだ。彼はマリアの元へ駆けつけると、ハンカチを取り出して片膝をつく。そのままドレスの裾を拭こうとするのだけど、マリアは「結構よ」と冷淡に言い放った。


「まさか、がまた……」

「シェリーは何も悪くないわ。こっちの事は気にしなくて良いから、さっさと戻って頂戴」

「……すまない。また後で」


 マリアの言葉の端々から、苛立ちが感じられる。ルドルフ兄さんは彼女の前だと穏やかに振る舞うけど、やはり私への視線は憎悪そのものだ。そう、御令妹ルーシェを喪ったあの日と全く同じ。


『いつまでも“化け物”と呼ぶ男に媚びるつもりか?』


 確かに、ジャックさんの言う通りではあるけど……マリアと関わる以上、必然的にこんな扱いを受けなくてはいけない。


 慣れるわけが、ない。

 だからって、マリアと袂を分かつわけにもいかない。


「……気にしちゃダメよ。あたしは、いつでもあなたの味方だから」


 その言葉に喜ぶべきなのに。

 私の肩に載せる温もりを、感じるべきなのに。


 私は──全ての事から逃げるように目を瞑り、黙って頷くしかなかった。




(第九節へ)






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