【前章のあらすじ】
アンナが他の花姫たちと仲良くなる一方、アレックスはシェリーとの距離に難儀する。彼はあらゆる理由から彼女の家を数度訪れるが、度々フラッシュバックに苛まされることとなる。シェリーもアレックスと会うたびに胸を痛めるものの、その真相は結局わからずにいた。
また、フィオーレの隣町ブリガでは、ルドルフ皇配の妹ルーシェが清の邪神アイヴィと共に災いをもたらす。死んだはずの妹は、何らかの理由で亡霊として舞い降りたのだ。純真な花は彼女らを撃退したのち、ルナ――アンナの親友――の義手開発資金を調達。
その後、アレックスはジャックに襲われていたシェリーを助けるが、果たして進展は如何に?
時刻は陽が沈む最中、茜に染まった景色はやがて闇に呑まれる。本来ならカーテンを閉めて灯りを点ける時間だが、今はそんな気分じゃなかった。理由は、通信機の液晶に映し出された無機質な文章にある。
<すみません、最近ちょっと忙しくて。>
またシェリーからこんな返事が来たら、もうベッドに投げつけたくなるよ。今の俺を受け止めてくれるのは、このふかふかな羽毛だけだ。
「はあ……」
思いっきり飛び込むと、反動でベッドが大きく揺れる。
<次はいつ空いてる?>
答えは目に見えてるのに、こんな質問を打ち込んだのは何度目だろう。俺がそんな文章を投げれば、瞬きするうちに『Letto』が付いて――。
だいたい、あいつの返信がそっけないなんていつものことだろ。……けど、ここ最近は会話が全然続かねえ。わかってるんだよ、ここで『つれない』とか思うべきじゃないことを。彼女を助け、介抱したのはあくまで俺の好意なんだから。
でも、お前は本当に『忙しい』のか? ジャックの前で『俺の女だ』と言った、お前を抱き締めた、礼拝室でキスをした、見ちゃいけないものを見た、勝手に台所を使った……この中に原因があるのか? それとも全部か?
全くわからねえ。知らぬうちにお前を傷つけたなら謝りたいのに、何にも教えてくれない。本当は違うヤツに惚れてるとか? いやいやいや、ただ恥ずかしいだけだ!!
……なんて言い聞かせても虚しいだけ。せっかく『距離が縮まった』と思ったのによ。
そうだ。アイリーンなら何かわかるだろうか? 長年シェリーと一緒にいるんだ、彼女のことをよく知っているはず。今は端末に手を伸ばすことすらだるいが、真実を確かめるなら動くしかない。
そして後日――
偶然にもこのメイド長と食事をすることになった。
~§~
木製のカフェテーブルに置かれた、白いコーヒーカップ。俺の前にあるそれは湯気が昇る一方、向かいにあるグラスの表面は水滴が降りる。静かな喫茶店の中で、萱草色の液に含んだ氷が軽やかな音を響かせた。
グラスを手にするのは、ウェーブヘアーを靡かせたアイリーンだ。薄地のニットが魅惑的な体格を強調するせいで、窓を横切る男の誰もが目を凝らす。しかも初夏の陽射しが白地を照らし、彼女の肌を垣間見せるのだ。この髪型で裸眼というスタイルは開花時そのものに近い。しかし給仕の時とは違って艶めかしく、油断すれば彼女の誘惑に呑まれるだろう。
それはさておき、アイリーンには『シェリーとの距離が縮まらない』という悩みを打ち明けたわけだが――彼女の声音は、決して明るくなかった。
「それ、脈無しじゃないかしら?」
「じゃあ、あの礼拝室の件は何だったんだ? あの時のお前、『それが隊長にとって大切なこと』って言ってたじゃねえか」
「ええ、確かに大切なことよ。でも『告白してきなさい』なんて誰もお願いしてないわ。相談されたことが無いんだもの」
「ぐ……っ」
彼女が嘘をついているとは思えねえし、あの指輪が無ければ今頃空を飛べなかったのも事実だ。そのおかげでシェリーを救出できたわけだし。
もうジャックを追い払ってから一週間ほどの時が経った。その前はいきなりシェリーに誘われたと思いきや、城内の礼拝室で指輪を貰うことになって。確かにあいつは顔が赤かったし、何よりずっと手を握ってくれた。だからチャンスだと思ったんだよ。『今度こそ俺のモノになるかも』ってさ。
シェリーが赤面していたことを話すと、アイリーンは涼しい顔で喉を潤した。その時、紅い唇がグラスの縁に跡を残すせいでキスマークを連想させる。
「恥ずかしがるのも当然よ。あの子は恋に疎いんだし、自分としてもまた変な男に捕まらないか不安なの。特に……目の前の人は、いつ何するかわからないからね」
「俺!?」
「自分たちと一緒にいるときは男前なのに、お嬢様の前だと残念になるもの。敢えて追うのをやめてみたら?」
やめる……か。まあ、彼女の気を引くならそれが一番良いかもな――。
と思った時、背後から男の独り言が聞こえてきた。
「はあ。この国は何処も蒸気に頼ってばかりですね。魔術で機械を動かす。それこそが此処の魅力だというのに……」
『これだから魔法を使えない者は……』
振り向かなくても、この声の主はわかる。ジェシーを連れていく時に現れたメガネ野郎だ。アイリーンも彼に気づいたのか、俺の後ろに目線を向ける。しかし、目が合ったのか男が「まさか……?」と呟いたのち、彼女は直ちに目線を逸らした。
「いえ、そんなことは。このようなことで珈琲が美味しくなるとはね」
なんだあいつ……背筋が凍ることをブツブツと。
とりあえずアイリーンの前に手を差し出し、恋人のフリをするよう合図を送った。
女性らしく温かな手と重なり合う。
この行為が演技だとわかってても、高鳴る鼓動を抑えきれないのだ。
「今日は帰さねえぞ」
「……嬉しいわ」
その笑顔はあまりに綺麗すぎて反則過ぎる。でも、人生経験が豊富であろう彼女にとってこれぐらいがちょうど良いのだろう。
さて、彼女には一旦外で待ってもらおう。その間に俺は支払いを済ませて、人気のない場所を見つけねば――。
とりあえず喫茶店を後にしたが、まだメガネ野郎からの視線を感じる。窓を見れば、あの黒いコートを羽織って立ち上がる様子だ。俺はアイリーンに対し「逃げるぞ」と声を掛け、彼女の手を握ったまま走った。
街中を周る間、互いの手が汗ばんでいく。
それはまさに焦燥を示すようだ。
この際どこだっていい。
無難な隠れ場所と云えば――よし、路地裏だ。
この狭く汚れた世界に入り込み、ひとまずアイリーンを壁へ追い遣る。それから周りに見られぬよう彼女の前に立ち、顔を左耳に近づけた。小さく呼吸をすると、月を模った銀のピアスが揺れて彼女の肩がピクリと上がった。
左手をアイリーンの右肩に回し、デニムで覆われた脚と絡める。……本当に不可抗力だが、『これも手段だ』と何度も自分に言い聞かせねばならなかった。
彼女も俺の背中に手を回し、顔を下に向ける。おそらく察してくれているはずなのに、何処か本能に身を任せているようにも見えた。何故なら、彼女の身体が微かに動いているから。
「いなくなってしまいましたか……」
ヤツの声が聞こえてくる。足音が近づくにつれて、欲望よりも恐怖が勝っていく。それはアイリーンも同じようで、背中に爪が喰い込んでいるのが判った。
「ふむ……」
なんでそんなとこでキョロキョロしてんだよ! こっちは顔を隠すのに必死なんだ。
俺は唇をさらに近づけ、極限まで絞った声量を小さな耳に注ぐ。
「もう少し耐えてくれ」
「……っ」
非常時だというのに、息を呑む音ですら艶がある。この緊迫感と情欲のジレンマはいつになったら終わるんだ?
くそ、まだウロウロしてるっぽいな。
頼む……頼むから早く消えてくれって。
「……他を当たりましょう」
消えたか……? とにかく気配は感じられない。
思わず大きな溜息を吐きそうになるが、引き続き用心しよう。少しずつアイリーンを解放し、再び手を繋ぐ。それからゆっくりと狭い空間を抜け出し、何事も無かったかのように街中を歩いた。城下町は今日も昼から賑わうが、俺と彼女の間で不穏な沈黙が流れる。
空気は、手のぬくもりを忘れる程に張り詰めている。それでいながらカップルのフリをするなんて、願わくばこれが最初が最後でありたい。
あと少し歩けば城に辿り着くだろう。ただ……問題は行き方だ。あえて堂々と歩くか、裏道を使うか。
「このまま行きましょ。裏通りを使えば確実だけど、スラム街を通らなきゃいけないから」
「あそこは通行料を払わないとボコられるからな……」
本当は通行料なんて仰々しいものじゃない。スラム街を徘徊する乞食どもに多額の金額を恵んでやらねば、女子供相手にも容赦しない。貧弱な奴らだが、束になればかなり厄介だ。ただ、俺たちが踏み込まなければ問題ないのと同様に、彼らも此方に来ることは無い。
そんなわけで表通りを歩こう。いくら銀月軍団とはいえ、白昼堂々俺たちを襲うことはできまい。
レンガ造りの建物が並ぶ中、しばらく歩き続けると平地が広がってくる。その先に見えるのは城で、今はそれまでの距離が遠いように感じる。
城下町から続く石造りの床は、踏みしめるたびに硬い音が聞こえてくる。普段なら小鳥が鳴くはずなのに、まるで存在しないかのように静かだ。
城がだんだん大きく見えてくる。
しばらく歩いたとき、目の前で黒い魔法陣が展開された。
「畜生! こんなときに!」
「止むを得ないわ……開花!」
アイリーンの手が俺から離れ、黒いファンデーションのような物を取り出す。それを縦に広げると光が漏れ、紫の花弁が彼女を包み込んだ。
視線を魔法陣に戻そう。黒い粒子はやがて二体の巨漢を生み出し、姿を現す。緑の肌と縮れ毛を持つオークだ。大木のように太い腕の先には、一本の棍棒がある。
こうなったらやるしかねえ!
俺は下げていた長剣を引き抜き、蝙蝠のような翼を展開させた。
――グォアァアアア!!!
片方が咆哮と共に息を吐く。その臭いのせいで鼻がひん曲がりそうだが、嗅覚を押し殺して前方へ飛躍。
「うぉおおおおおおおお!!!!!」
先手必勝! 掛け声と共に剣を振り上げ、首を刎ねる!
赤の飛沫は緑豊かな地に張り付き、大きな頭部は球体のように転がり落ちた。
もう一体はというと――。
「はっ!」
アイリーンは振り下ろされる棍棒を華麗に躱し、オークの左腕に着地。
醜悪な目が流麗な碧眼と合う刹那――
スリットから覗く脚は巨漢の顎を蹴り上げ、豊満な肉体を一回転させる!
追撃はまだ終わらない。
宙を舞いつつ、両手を紫の霧で包むアイリーン。霧が晴れたとき、彼女の手には巨大なかぎ爪が装着されていた。
オークが怯む間に、両手を高く掲げ――
荒れた肌に向けて交差させる!
――ズシャアァァ!!
十字の軌道をオークの顔面に刻み、二つの網膜を抉り出した。
オークが激痛に悶える間、アイリーンは片足を曲げて石床へ着地。つま先で降りつつ、赤橙の髪を揺らす様はまさに月下美人と云えよう。
「隊長、とどめを」
「その必要は無いらしい」
オークの頭上から落ちる火の矢。それは跪く彼への追い打ちとなり、瞬く間に焼き尽くした。オークは地を震わす程の悲鳴を上げたあと、黒い花弁となって掻き消える。
空から舞い降りる紅い影。その正体は、乙女色の鎧に身を包むマリアだった。
「陛下! お手を煩わせてしまい、申し訳――」
「どいて!」
主が着地するや、跪こうとするアイリーン。
マリアはアイリーンの声を遮り、手を振って俺たちを退かせた。
前に突き出した杖が赤く光り、炎の弾を真っ直ぐに放つ。
弾が向かった先は俺たち――ではなく、その後ろだ。
「「!?」」
絶句したタイミングがアイリーンと重なる。
俺たちの背後に立っていたのは、黒橡のコートに身を包んだ例の男。
太陽が光らす目元のレンズは、月の花姫を確実に捉えた。
(第二節へ)
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