※この節には残酷描写が含まれます。
「アルタ街に魔物が出現しているのです! 早く止めなきゃ、街の皆様が……!」
エレの焦燥を煽るような声音は、俺の肝を冷やした。先程までヴァルカと共にパフェを食べていたはずが、エレからの通信により空気が一変。俺は「判った」と答えると、他の花姫たちに救援信号を一斉発信する。
彼女らの反応を待つまでもなく、翼を広げて薄暗がりの空を駆ける。全速力でアルタ街に向かうと、黒い体毛の狼たちがエレを囲っていた。
狼のうち一頭がエレに襲い掛かる。
右手に冷気を宿し、そいつに向かって氷の弾を投げつけた。
狼は甲高い悲鳴を上げ、後ろにひっくり返る。エレと狼たちは俺の方を向くが、今はそれどころではない。
俺は着地するや、狼に捉われぬ速さで切り刻んでいく。その場で硬直する狼たちだが、血糊を払うと瞬く間に倒れていった。
エレは俺の元へ駆け寄り、不安げな様子で話しかける。
「アレックス様……!」
「遅れてすまない。街の人たちはどうしてる?」
「その、騎士団の皆様が退避させているのです。でも突然の事でしたから、なかなか難儀しているようなのです」
確かに、辺りを見渡せば騎士たちが住民を誘導している。花姫たちが来るまでは、俺たち二人で凌ぐしか無いようだな……。
直後、男性の悲鳴が後方から聞こえる。振り向けば、全長二メートル前後の狼が今にも彼を襲おうとしていた。
それは、先程エレを囲った狼。銀色の瞳を持つそいつは、“ウォーグ”と判断した。野生の狼よりも知能が高く、優れた戦士ですら討伐が困難とされている魔物。下手に動けば、男性が喰らわれるやもしれん。
どう動くか悩んでいた矢先、東の方から鉛の咆哮が響き渡る。手前の狼の注意を引きつけたのは、屋根の上に立つシェリーだ。彼女は天に向け魔力変換銃を掲げた後、空中で転回してから俺たちの前に着地する。
「早くお逃げになって! あとは私たちにお任せを!」
「あ、ありがとう!」
狼がシェリーを睨むうちに、男性が走り去る。そしてシェリーを追うようにマリアら花姫が駆けつけると、あちこちで黒い靄が発生した。
「アイリーン! そっちを頼んだわ!」
「はっ!」
「なら、ボクはこっちを!」
マリアはアイリーンと背中を合わせ、アンナは少し離れた場所で大剣を構える。俺はシェリーにアンナとの合流を促した後、エレとペアを組んだ。
「炎幕!」
「影嵐」
マリアたちの方は既に戦いが始まっているようだ。アイリーンの月魔法で肉を断ち、マリアの焔魔法で狼どもを追い払う。その一方で、シェリーが囮になっているのが見えた。
「アンナ!」
「判ってる! 雷撃!!」
天から降り注ぐ雷が、一斉に天罰を下す。
だが、狼の牙はついに俺たちにも剥いてきた。俺は前方から奴らに斬りかかり、エレは空中から矢を放つ。連携が見事成立したことで、ウォーグたちの息の根は次々と絶たれていった。
「ふう、やっと消えてくれたのです……」
「いや、まだ何かあるぞ」
俺たちが魔物を一掃しても、街中に漂う瘴気はまだ消えない。
例の如く親玉が現れる覚悟をしていたが、その予想はある男の声によって裏切られる。
「貴様らには温すぎたか」
「まさか……!」
シェリーがその声を聞き違えるはずは無い。頭上から聞こえてきた声の正体は、宙で腰掛けるジャックなのだから。
シェリーは銀髪の男を睨み、拳銃を構える。しかしジャックは気に留める事無く、涼しい顔で俺たちを見下ろした。
「これ以上街を荒らしたら、私が許さない!!」
「ふん、好きなだけ吠えれば良い。貴様らは狩られる運命だからな。……出でよ」
空から何かが舞い降りる。あれは……彗星?
否、人らしき存在だ。そいつは一回転して俺らの前に着地。床につけていた片手を離して立ち上がるのは、獅子の頭を持つ獣人だった。
「アーサー!? どうして此処に!?」
「マリア、何か知ってるのか?」
驚く様子のマリアに尋ねると、アイリーンが代わって答える。
「昨年、転移の事故で下肢を失った獣人よ。暫く姿を消したと思えば、銀月軍団と手を……」
「……そういや、マリアからそんな話を聞いたな」
皮膚は金色の毛並みに覆われており、露わとなった上半身は筋肉で見事引き締まっている。だが、街灯が照らすその下半身は無機質な材質で造られているようだ。燃えるような色の鬣に銀の毛が垣間見える辺り、壮年かもしれない。
ジャックは勝ち誇るように口角を上げ、「その通りだ」と言葉を続けた。
「救助が遅れたのはティトルーズの怠惰だ。同じ目に遭わぬ限り、苦痛など判らぬだろう? 蒸気機関も発達してるであろうに、何故義足を授からなかった?」
『主の身に危険が及ぶ』と察したのか、アイリーンはマリアを庇うように立つ。彼女は戦闘態勢を崩すこと無く、ジャックの問いに答えた。
「暴走を食い止めるためよ。自分たちの行いは確かに手荒だったけど、陛下は救助が遅れたことについて何度も謝罪されてたわ」
「詭弁も大概にしろ。殺れ」
刹那。
アイリーンの身体が宙へ放られ、無数の軌道を刻まれる。息つく間に床へ叩きつけられる中、蠱惑的な肉体から紅い飛沫が舞い上がった。
鎧やスリットから露わとなる四肢に、いくつもの傷が走る。アイリーンは上体を起こそうとするが、激痛の余り儘ならぬようだ。
「くぅ……っ!」
「アイリーンさん!」
シェリーが彼女の元へ駆けつける時、ジャックが黒い稲妻を放つ。電撃がシェリーの身体に絡みつくと、彼女も苦鳴を上げて蹲った。
「い、あぁああ!」
「貴様らの思うようにはさせまい。アーサー」
「…………」
アーサーは無言で立ち尽くし、俺たちを見据える。その蒼い瞳に宿すのは、王室への敵意そのものだ。
今度こそ剣を構えた矢先、彼は再び姿を消す。
そして──。
「がはっ……!」
「「アンナ様!?」」
あの獣人、いつの間にか背後に!? 俺同様大剣を構えるアンナだったが、後頭部を殴られ呆気なく倒れ込む。残る俺たちはアーサーに武器を向けるが、彼は転回で宙を舞いだした。
彼の四肢が翡翠色に光り、無駄なく着
「「きゃぁぁあぁああぁぁ!!!」」
くそ、衝撃波だと……!? アーサーが着地する刹那、俺たちは後方へ吹き飛ばされる。俺は受け身を取り、宙に投げられるアンナを見事キャッチ。エレやマリアもすぐに体勢を立て直したが、攻撃を受けたアイリーンやシェリーはそのまま壁や床に激突してしまったようだ。
もし俺が分身出来れば──ジャックらは、そう悔やむ猶予すら与えない。俺はすぐに考えを切り替え、エレたちに指示を出す。
「エレ、マリア! アンナたちを頼む!」
「わかったわ!」
「了解なのです!」
彼女らと位置を入れ替えようと半歩踏み入れた矢先。
ジャックの放つ稲妻が俺とマリアにも向けられた。
「「うぁぁああ!!」」
「アレックス様! 陛下!!」
骨をも焼かれるような痛みに気を取られ、身動き取れない。
エレは俺たちの名を呼ぶが、アーサーに襲われるのも時間の問題だった。
「頼んだぞ」
身体中を駆け巡る稲妻はようやく消えるも、痛みは未だ尾を引く。
ジャックがアーサーに目線を送ると、獣人は再び目にも留まらぬ速さで迫りくる──!
「避けろ……!」
「えっ!?」
エレが弓を構えた瞬間。
空中で打ち上げられ、鈍い音が連続で響き渡った。
「十分だ」
ジャックがエレを受け止めた? 早く止めねえと、今度は彼女が危ねえ……!
俺は歯を食い縛り、何とか立て直してみせる。
「選べ、エレ。貴様だけ生き残るか、その声を俺に捧げるか」
「こ、声……?」
「どちらを選ぶかは貴様の自由だ。仲間の始末も俺の本望だからな」
「てめぇ……いい加減に、しろ!」
怒りに身を任せ、翼を翻す。そのままジャックに斬りかかるが、結界に剣戟を遮られてしまう。
「これは俺とエレの問題だ。それとも、彼女が朽ちる様を見たいか?」
「……くそが!」
皆が満身創痍だってのに、俺は何もできねえのかよ……。
このやり場のない怒りをどう収めりゃいいんだ。
その時、エレは物憂げな目線を俺に送り、口をゆっくりと開ける。
そして彼女が選んだ答えは──俺の無力さをより痛感させるものだった。
「皆様が生きられる、というなら……声を、捧げます。ですから……お友達を、殺さ、ないで……」
「ふん、つまらぬ回答だ。だが、約束通り応えてやろう」
「何言ってんだよお前……!」
「そんな、エレさん!」
「声が欲しいってなら、あたしのを奪いなさい! 何が目的なの!?」
「黙って見ていろ」
シェリーとマリアに強い言葉で制止するジャック。彼は片手をエレの喉元に当てると、目を瞑って呪文らしき言葉を呟いた。
「──────」
この呪文……焔の都にいた呪術師のそれとそっくりだ。独自の言語はやがて黒い炎を生み、エレの首を包み込む。彼女は苦しみに耐え切れず、目尻から大量の涙が溢れ出ていた。
「あぁぁ、あぁああ!! いやっ!! くる、しい……!!」
「これが貴様の選んだ道だ。受け入れろ」
炎の温度が増したのか、エレは腕の中で必死に抗おうとする。暫くすると、彼女の喉元から翠色の光球がふわりと現れたのだ。
その光球がジャックの手中に収まると、エレの首に絡む炎はすぐに消える。未だ泣き叫ぶ彼女だが、その口からは一切声が聞こえてこなかった。
「ふっ」
「エレ、しっかりしろ!!」
エレの身体がジャックに投げ飛ばされ、俺はすぐに彼女を受け止めた。心身に大きな打撃を受けたのか、彼女も意識を失った様子だ。
ジャックはそのままアーサーの元へ降下すると、意味深い会話が聞こえてきた。
「これで貴様の望みも叶うだろう」
「恩に着ます、首領様」
望み……? エレの声を奪う事が、アーサーの願いなのか?
俺も彼女を抱きかかえたまま降り立つと、ジャックはポケットに手を入れて次の言葉を放つ。
「よく聴け、この女はもう吟遊詩人ではない。声無き女など、ただの欠陥品だ」
……その言葉が胸に刺さったのは、俺だけでは無いはずだ。長い付き合いであるシェリーも、いち隊員として認めていたマリアも、返す言葉が無いらしい。アンナやアイリーンも手負いである以上、俺たちに反撃の機会は訪れなかった。
「行くぞ」
「はっ」
ジャックはアーサーの足下に魔法陣を敷いて存在を掻き消した後、自身も黒い靄となって何処かへ去る。
少し経った後に、シェリーはミュールの奇跡を起こした。色彩豊かな花弁は負傷者や損傷した建物を修復するが、アンナらの意識が戻る事は決して無かった。
「……私が、遅れてしまったせいで……!」
「これはあなたのせいではないわ。ジャックが、あたし達の行動を読んでいただけ」
「あいつは、俺らに殺られた時と比べて強くなってる。それも格段とな」
ジャックと最後に戦ったのは、セレスティーン大聖堂でシェリーを救出した時だ。あの時は何とかして力を呼び起こせたが、アーサーとの連携で俺ですらロクに手も足も出なかった。俺たちに殴られたのが、相当悔しかったのだろう。
重苦しい沈黙の中、二両の馬車がこちらへやってくる。深緑の客車に白衣を身に纏う男性たち──すなわち、救護馬車が駆けつけてくれたのだ。
そこへ二人の少女もマリアの前に現れ、ほぼ同じタイミングで片膝をつく。
「陛下、対応が遅れまして申し訳ございません」
「ウォーグの討伐及び住民の救助を最優先したため、予定より三十分の遅れが生じました」
「ルナ、ヴァルカ。わざわざ来てくれてありがとう。お疲れのところ悪いけど、運ぶのを手伝ってもらえないかしら?」
「「御意」」
そのヴァルカは先ほどまで甘味を味わっていた彼女ではなく、“戦士”としての彼女だった。彼女はアイリーンを抱え、粛々と客車へと運ぶ。他の騎士たちもアンナやエレを運んでくれた事で、俺とシェリー・マリアはただ見守るだけとなった。
アンナとアイリーンを収容した馬車は、マリアの指示を仰ぐ事なく発進。マリアはエレがいる客車に乗ると、罰が悪そうに俺らを見つめた。
「あなた達の分も用意できなくてごめんなさい。あたしは先に城へ向かうわ」
「ううん、気にしないで。私たちもすぐに行くから」
「ええ。それじゃあ、また後で」
御者が客車の扉を閉めると、馬に跨り客車を動かす。普通の馬車と比べ物にならぬ速さで去ると、街には俺たち四人と騎士たちが取り残された。
「ルナ、撤退を要請します」
「ああ。……ヴァンツォに、シェリー殿。私たちはこれにて失礼いたします」
「ありがとう、おかげで助かりましたわ」
「引き続き住民のケアを頼む」
「仰せのままに」
ヴァルカとルナは背を向け、住民が避難する方へと立ち去る。
俺はシェリーに目線を送ると、翼を広げるタイミングが重なった。
いつもは淡い灯りに包まれるアルタ街だが、今日に限って灯りは疎らだ。この時期は精霊祭の準備期間として賑やかなはずが、不気味な程に静まり返っている。建物の上を駆けていると、子どもの泣き声が聞こえる事もあった。
「何だか胸騒ぎがしますわ」
「俺もだよ。今回の呪いは、今までとは洒落になんねえ。何としてでも彼女の声を取り戻すぞ」
暗がりの中でようやく姿を現すティトルーズ城。立ち並ぶ尖塔の上に、幾重もの雲が圧し掛かっている。
微かに流れる冷ややかな風は、そこはかとなく雨の予感を与えた。
(第三節へ)
◆アーサー(Arthur)
・外見
体毛:麦わら色/鬣は白毛まじりの真朱
瞳:露草色
体格:身長203センチ
備考:脚部は義足
・種族・年齢:獣人(獅子)/壮年
・職業:武闘魔術師
・属性:樹
・武器:武闘魔術
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