騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第二節 Sh. 城下町へ

公開日時: 2022年1月18日(火) 12:00
文字数:5,394

 ──せいの都ウンディーネ。


 夜のとばりが降り、空を覆う雲はあっという間に姿を消した。澄んだ空気の中で星々が色彩豊かに輝くけど、今はそれどころじゃない。



『俺を構うな! 早く逃げろ!!』

『でも、あなたを置いていくわけには……!!』

『行け!! 必ずお前の元へ戻る!!』



 アレックスさん達は、都の住民たちと私を助けるために此処へ来てくれた。……でも、彼は清の神殿に潜む魔物に捕らわれ、私と離ればなれになってしまった。あれはクラーケンの類でしょう。書物でしか見た事無かったけど、あんなにも不気味とは思えなかった。


 ルーシェの子であるアリアが斃れ、氷は殆ど溶けている。疎らな灯りの中、抱き合って涙する人々から、黙々と復興に取り掛かる人達まで様々だ。

 それらを尻目に、私はひとり街の中を駆け抜ける。行き先は馬車の停留所。今の私はジャックに霊石を封印されたせいで、空を飛ぶ事ができない。だから、何としてでも馬車でフィオーレに行かなきゃいけないの……!


「あれは……!」


 向かいから一両の幌馬車が来る。方向からして、きっとフィオーレへ進んでいる最中かも?

 肺が圧迫して、白い息が空へ昇る。ひとまず両膝を抑え息を吐き出すと、もう一度走──


「きゃああ!!」


 もう、私ったら何してるの!?

 未だ湿る床に足を滑らせ、身体が石畳へ打ち付けられる。手足に擦り切れたような痛みが生じても、今はどうだって良い。


 早く立たなきゃ、馬車が去ってしまう……!

 周囲の目線は私に集中し、誰もが口を結ぶ。笑い者になる覚悟を決め、身体を起こそうとした時だった。



「大丈夫ですか!?」



 え……?

 目の前で差し伸べられた手に、スーツに身を包む男性──ふと右斜め前に視線を移すと、そこには二頭の馬と客車が取り残されていた。


 まさか、気に掛けてくれるなんて……。

 私は彼の手を取り立ち上がった後、穏やかそうな瞳を見て話し掛けた。


「……お願い、です。私を……フィオーレへ連れてってください! 今すぐ花姫フィオラたちのところへ向かわなきゃいけないんです」

「『もしや』と思いましたが、やはり純真な花ピュア・ブロッサムの方だったんですね。ちょうど向かうところでしたので、どうぞこちらへ」


 良かった、こんな形で乗せてもらえるとは思ってもみなかったよ。

 通してもらう際に運賃とチップを御者に差し出すのだけど、彼は『非常時ですから』と断る。罪悪感を抱えながら客車へ乗り込むと、五人の住民が向きあう形で座り込んでいた。誰もが物憂げな表情を浮かべ、手荷物を握り締める。


 ジャック、皆を苦しめてまで私を……許せないわ。

 彼への憎悪は、今に始まった事じゃない。だけど、この重苦しい空気を肌で感じるほど悲しみが増していく。


 御者は馬たちに合図を出し、発進する。いつもは気にならないのに、この時ばかりは馬車の遅さに苛立ちを覚えていた。


 私のバカ……あの時に霊術を使ってれば、こんな事には……。

 アレックスさんは、こんな情けない私にキスしてくれた。ちょっと強引だけど、私が切り出した別れを帳消しにしてくれたの。


 せっかくまた逢えて、を取り戻せると思ったのに……どうして、私は……!

 人前だと云うのに、涙が止まらない。爪を膝に喰い込ませても、唇を噛んでも、後悔がスカートの上で零れ落ちるばかり……。


 ベレさんから貰ったハンカチで涙を拭っていると、隣に座る婦人が声を掛けてくれた。「大丈夫?」と──。


「ずっとご飯を食べてこなかったのね。さっきからお腹が鳴ってるわよ?」

「えっ!?」


 自分を責める事に夢中で、胃袋が鳴っている事に全く気付かなかった。どうしよう、皆が私を見てくる。でも思ったよりも温かな視線で、向かいに座る紳士も微笑んでくれている。

 辺りを見て呆然としていると、婦人が横から何かを差し出してきた。


「こちらは……?」

「地元のパン屋が配っていたものよ。私は食事を済ませたところだから、遠慮なくお食べ」


 彼女の手のひらに収まるのは、表面にヒビが入ったようなパン。きつね色に焼かれたそれは、確か清の都ウンディーネで有名なパンだっけ。一瞬『変なものが入ってないか』と戸惑ったけど、彼女の優しい笑みは猜疑心を掻き消してくれた。


「ありがとうございます。頂きます」


 普段は千切って食べるけど、これぐらいのサイズならそのまま齧ろう。落とさないよう両手でパンを持ち、呑み込めるように小さく頬張る。軽やかな音と共にパンくずが落ちるけど、構わず噛み砕く事にした。

 す、凄くもちもちしてる……! その食感を味わいたくてもう一度齧れば、今度は豚肉の弾力と卵の甘味、チーズ特有のとろみが一気に襲ってきた。


「はは、わたくしの娘にそっくりだ」

「ふええ!?」


 そう話しかけてきたのは、正面に腰掛ける細身の紳士。帽子から覗く白髪を見る限り、お年を召してるのかも。彼は動揺する私に構わず、言葉を続ける。


「突然笑ってすまないね。娘が幼い頃、私に影響されてピアノを弾いてたんだ。子どもの頃からそのパンが大好きで、毎朝頬張ってた事を思い出すよ。でも……」

「でも?」


 紳士の表情に影が差す。少しの沈黙を経た末、私にこう話してくれた。


「彼女は実家を離れ、フィオーレ──そして、空へ越した。銀月軍団シルバームーンに音楽家の夢を絶たれてね」


「……そんな……」

「『パパの背中を追いかける』──それが彼女の口癖だったよ。あれから、私は憑りつかれるように何度も城下町そこへ足を運んでしまうんだ」


 ……此処の人たちはきっと、温かな笑みの下に悲しみを隠している。パンの味は空虚に呑まれ、ただ冷えた何かを食す感覚だった。


「ああ、気を悪くしてしまったね。今の事は忘れて、食事に集中すると良い」

「いいえ。むしろ、貴重なお話を聞かせてくださり感謝いたします」


「貴女を見ると、女神様を思い出すわね。もしかして、生まれ変わり?」

「っ!!」


 隣の婦人が私の顔を覗き込むせいで、反射的に肩が跳ね上がる。心臓が口から飛び出そうになったけど、此処はひとまず「違います」と嘘をつく事にした。


「ぐ、偶然ですわ! 確かに『似てる』と言われますけど……」

「世の中そういう奇跡もあるのね。フィオーレに着くまでもう少し時間が掛かるから、食べたらゆっくり休むのよ」

「は……はい!」


 ビックリした、私がアリスである事を悟られるかと思ったよ……。

 客車に座る人々は、私たちの会話を皮切りにぽつぽつと言葉を交わす。彼らの会話には敢えて耳を入れず、引き続きパンを食した。




 夜が更けた頃、ようやくフィオーレに着いた。辺りは精霊祭の飾りつけがあるけど、暗いせいでゴーストタウンのように見える。

 私は人々に御礼を述べた後、すぐさま城へと駆ける。この時間帯ならみんな寝てるだろうし、裏通りに回って近道しよう。


 辿り着いた先は、古い建物が並ぶスラム街。道沿いには貧しい人たちがあちこちで横たわるも、幸い夢の中にいるようだ。

 このまま一気に突破しよう。そうすれば彼らに捕まらないはず──!!


 だけど、そう簡単には上手くいかなかった。

 角を左へ曲がった刹那、ぐにゃりとした感触を足の裏が捉える。同時に男が怒鳴りだし、私をその場で硬直させた。


「ってえぇな!! あ!? 女!?」

「おお!? もしかして襲われに来たってかぁ?」

「ご、ごめんなさい! そういう、つもりでは……!」


 どうしよう! 男性の手を踏んでしまったせいで、彼らに囲まれてしまった……! ひとまずこの場を離れなきゃ!


「おいおい何処に行くんだよぉ?」

「ちょっと……離してください!!」


 後ろから腕を掴まれた矢先、壁へ投げ飛ばされる。想像以上の腕力に逆らえない私は、汚れた床で尻餅をついてしまう。むせ返るにおいに咳き込むと、うち一人の男が顎を掴んできた。


「精霊たちがこんな可愛い子を贈ってくれるたぁねぇ……絶対に帰さないかんな?」

「…………!」


『よお姉ちゃん、そんなとこで何してんだい?』


 この流れ、五年前とそっくりだ。

 あの頃の私は霊力が暴走して、気が付けば街の外れへ逃げ込んでいた。


 そんな私を助けてくれたのは、皮肉にも元恋人ジャックだ。

 もちろん彼に助けを乞おうなんて微塵も思ってないし、アレックスさんだって駆けつける事はできない。


 ……ならば、今こそ力を使うべきよ。

 大丈夫、あの頃と違ってきちんと制御できるから!


「わぁっはははははは!!!! 今夜は長いぞぉ!」

「大人しくしてねぇと、痛ぇ目見るからなぁ」


 ああ、魔の手が忍び寄る……!

 瞼を固く閉ざし、強く念じたその時──。



「あーあ、これだから陰キャは」



 魔手を止めたのは、男性の軽やかな声音。ふと見上げれば、向かいの屋根の上にはジェイミーさんの姿が在った。


「誰だてめぇはぁ!!」

「ちっ、良いとこだってのに……」

「おれたちの縄張りから出てけぇ!!」


 男たちは、ジェイミーさんに向かって一斉に石やゴミを投げ飛ばす。しかしいずれも当たる事無く、彼は一回転しながら地上へ舞い降りた。

 その時、複数の赤い刃が弧を描き男たちに迫る。彼らが構わずジェイミーさんに殴りかかろうとした瞬間、人間ヒトだった存在はただの肉片へと変わり果てた。


「ぐ、え……」

「嘘、だろ……」

「はいはい、安らかにー」


 ジェイミーさんの黒いコートや顔に幾つもの血が付着する。涼しい顔で肉塊を見下ろす様は、物語で見るような悪者を彷彿させた。……助けてくれたというのに、どうして身体が動かないの?

 彼は「ほら」と私の前に手を差し伸べる。


「……ここまで、しなくても……」


 魔族の狂気ぶりに逆らえず、思わずジェイミーさんから目を背けてしまう。彼は困ったかのように溜息をつくと、静かなトーンでこう言った。


「マリアちゃんですら、ここの連中を救えない。だから俺様がこいつらに見合った救済をしただけ。……それとも、お邪魔だった?」

「そ、そんなワケありませんわ!」


 棘のある言葉にカチンと来た私は、彼の手を払い除けて立ち上がる。これまで彼とは二人きりで会って来た──彼の恋愛相談に乗るために──けど、その頃と違ってどこか虫の居所が悪い様子だ。

 ただ自身も気づいたのか、一瞬目を見開かせ視線を落とす。彼は片手をポケットに入れ、頭を掻きながら謝ってくれた。


「……あんたに当たっても意味ないね。悪かったよ」

「いったい何が?」

「俺様の事は気にすんな。それより、行くんでしょ城に」


「はい。あなたも城へ?」

「ちと野暮用でね。とりまあんたに魔法掛けとくから、さっさと此処を去りな」


 ジェイミーさんが指を振り上げた時、翡翠色のオーラが私の身体を包み込む。そのオーラはじゅによるものと判断した頃、涼しい風が私の髪を靡かせ、錘を外されたように身体が軽くなる。今なら空も飛べそうだけど、多分そういう効果はきっと無いでしょう。


「ジェイミーさん、助けて下さってありがとう」

「良いって。じゃ、失敬」


 彼は私に手を振り、颯爽と高く跳躍。次々と屋根を跳び越えるにつれ、彼の姿は既に見えなくなっていた。

 ……あの立ち振る舞い、何となくジャックに似ているわ。『あいつと知り合い』と話してくれた時は信じられなかったけど、今だったらちょっと納得いく。


 それよりも、せっかく私に付与魔法を掛けてくれたんだ。効果が消える前に、城へ行かないと!


 つま先で地を踏み、翼をイメージして両腕を後ろへ突き出す。風は私の背を強く押し、景色は高速で流れ始めた。

 今の私は、過去と比べ物にならないほど速く走れている。これなら、人間どころか魔物にも捕まらないわ!


「早くマリアに伝えなきゃ……!」


 幸い、通信機は手元にある。でもアレックスさん達に助けられてから今までの間、花姫たちに連絡する余裕など無かった。

 だから直接マリアの部屋に出向くしかない。きっと彼女はビックリするだろうけど、これしか方法は──!




「シェリーですわ、開けてください!」

「はっ!」


 城に辿り着いた末、衛兵さん達に門を開けてもらう。それから全速力で廊下を駆け、螺旋階段を昇っていった。

 速く向かったつもりなのに、ここまでの道のりが長く感じる。ようやく薔薇が刻まれた扉に着いた時、魔法の効果が切れて立つ事も儘ならかった。視界が霞み、身体が後ろへ倒れ込む。


「はあ……はあ……」


 ちょうど扉を開け放つ音が聞こえ、誰かがこの身体を受け止める。それは、私をよく知る人のひとり──アイリーンさんだった。


「お嬢様!」


 彼女が私の身体を揺さぶる事で、意識が徐々に戻っていく。私の元へ駆けつけたのは数名のメイドさんだけじゃない。ネグリジェ姿のマリアもいた。


「シェリー! 戻ったのね……!」

「マリ……ア……」


「お嬢様をベッドまで運ぶわよ!」

「「はい!!」」


 せっかくマリアたちに会えたと云うのに、ロクに言葉も交わせない。私はメイドさん達に担がれ、マリアの部屋へと運ばれた。

 そして天蓋が付いたベッドの上で下ろされ、マリアが手を添える。この手を強く握られた時、温かい雫が甲に当たった気がした。


「嘘よ……シェリーに何かあったら、あたしは……!」


 ……マリアが、泣いてる。こんな姿を見たのはいつぶりだろう。

 私と彼女は、ただの友達関係なんかじゃない。今のマリアは昔と違うけど、このベッドの上で肌を重ねたという事実は──どう頑張っても覆せない。


 久しぶりのベッドは苦い過去を追想させるけど、今は状況を伝える方が先決だ。

 乱れた呼吸が次第に落ち着き、私もマリアの手を握り返す。それから彼女の泣き顔に目を向け、きちんと用件を伝えた。



「皆を……すぐに呼んで……。アレックスさんが魔物に……連れ去られたの……」




(第三節へ)






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