【前章のあらすじ】
フィオーレ各地の水辺で、大渦による誘拐が多発。純真な花はサファイアの湖で亡霊ルーシェと戦うも、敢えなく逃亡。単独でメルキュール迷宮に来るよう命じられたシェリーは、人質を救うべく翌朝に移動する。援護するべく尾行したアレックスは、彼女と合流して清の邪神アイヴィとルーシェ撃破。人質を救出し清神から力を授かった矢先、『ヒイラギがペルラ村を襲撃した』との報告を受けて直行する。
シェリーの波瀾な過去を受け止め、彼女と関係を深めるアレックス。一方で妹の襲撃に胸を痛めるエレは、悪魔騎士に癒やしを求めるのだった。
・パーゴラ・シェルター:公園に設置された屋根付きベンチ。
メルキュール迷宮から飛行してどれくらい経った事か。速度を上げて向かっても、懐中時計の針はどうしても真逆を指すだろう。
向かい風が熱気と焦げた臭いを運ぶ。正面奥で昇り立つ数本の黒い煙はペルラ村だと判断した。
視線を落とせば、倒壊した家や木々が道を塞いでいる。周辺で集まる村人たちは小さく見えるが、泣き声だけはしかと耳に届く。悲痛な声が鼓膜を刺すたび、胸中が悔恨と公憤に支配された。
「マリア、いま何処にいるの?」
同じく隣で浮遊するシェリーが、通信機を耳に当てながら周囲を見回す。微かにマリアのくぐもった声が聞こえるものの、なんて話しているかまでは判らない。それから少ししてシェリーが「わかった」と頷くと、銀色の端末を折り畳む音がした。
彼女は端末を懐にしまう傍ら、俺に視線を向けて状況を伝える。
「マリアたちは今、西の方で救助活動を行っているそうですわ」
「ありがとう。すぐに向かおう」
見失わぬよう、今度は速度を落として地上を凝視する。すると、三つの女性らしき人影が村人を救助する様子を散見した。
俺はその上で一旦止まると、シェリーの方を向いて「降りるぞ」と合図する。そのまま降下するにつれて、影の正体が花姫たちと一致した。
地上へ降り立てば、鉄の臭いが真っ先に鼻腔をくぐる。視界に入るのは、至る所で積み上がる瓦礫の山だ。
加えて、人々の打ちひしがれる様子が惨状を物語る。瓦礫を見つめ、両膝を地面につける者。母親にしがみつき、恐怖に泣き叫ぶ子ども。騎士団に支えられる負傷者。これらの光景はヘプケンでよく見掛けたとはいえ、決して慣れる事はない。
花姫たちはそんな村人を助けるのに精一杯のようだ。例えば左方のアイリーンは俺らを一瞥するが、老婆の背に腕を回して歩き去る。視線を右に向ければ、アンナが騎士と協力して下敷きになった人を救出していた。
「シェリー、お前の力で村を戻せるか?」
「時間が経過していますから、やれるだけの事は……」
シェリーは両手を重ね、静かに目を瞑る。
全身が金色の光に包まれ長い髪が靡くと、彼女は切実な声音で言葉を紡いだ。
「《この世界に……奇跡が起こらんことを》」
彼女の足元から現れる、鮮やかな花びら。竜巻のように弧を描くと、花吹雪は人々の身体や瓦礫へと流れ込んだ。
花弁に囲まれた瓦礫は、徐々に家や建物へと変化。しかし、壁に大きく開いた穴や半壊の屋根などが修復する事は無い。
それは人々も然り。身体に刺さる矢が消えたとはいえ、傷口が完全に塞がるわけではない。動かぬ者は目を覚ますも、四肢を思うように動かせないようだ。
いくらシェリーと云えど、損傷から時間が経つと効果が薄れてしまうんだな。
かつて女神も流行病を滅ぼしたが、既に罹った者や死んだ者を戻す事はできなかったと云う。ミュールの奇跡で全部解決できれば良いのだが。
「う……っ!」
「お、おい!?」
糸が切れたかのように倒れるシェリー。俺の両手は既に彼女の身体を抱きかかえ、意識を確認するように揺さぶっていた。
「大丈夫、ですわ……。ただ力を費やしてしまっただけ……」
もしかして、こういうときに俺が……。
目を瞑り、シェリーに意識を傾けてみる。すると俺も光に包まれ、彼女の手が動いた事に気づいた。
霊力が回復したのか、彼女は徐々に瞼を開けて俺を見上げる。
「……ありがとうございます。私のために、意識を注いでくださったんですね」
「当然のことをしたまでだ。さあ、そろそろ彼女らと合流するぞ」
「はい」
シェリーが俺の肩に手を置いて立ち上がる。花姫たちもちょうど仕事を終えたようで、ようやく俺らの方へ来てくれた。
「隊長に、お嬢様。ご無事で何よりでございます」
「皆さん、遅れてしまい申し訳ありません」
「人質も助かったのだから気にしないで」
アイリーンとマリアが俺たちに淡々と話し掛ける中、アンナだけは悲愴な面持ちでこちらを見つめる。
「ねえアレックス、エレが……」
……そういや、エレは何処にいるんだ?
花姫たちは近くで行動していたんだ。『そう遠くに向かっていない』と思いたい。
「すまん、ちょっと探してくる」
俺は彼女らの返事を待たず、そのまま花姫たちから離れた。
亀裂だらけの舗道を歩きつつ、左右に目線を送ってみる。立ち並ぶ石造りの家は、どこも割れた窓ガラスや半壊した屋根が目立つ。心痛を抑えるように硬い地を踏みしめ、今一度エレを探す事に集中した。
しばらく歩くと、住宅地を抜けて芝生が広がった。灰色の路を緑豊かに彩るこの地は、兎などの小動物が徘徊する──はずが、実際は一体も見当たらない。木くずがあちこちで散らばっているだけだ。陸地に点在する白岩には、どれも血痕のような滲みがある。
ふと右手側を眺めてみると、少し離れた先に尖塔のような屋根が付いたパーゴラ・シェルターが佇む。見事に風穴が開いたそれは、まるで屋根の意味を為さないだろう。だが、その陰で休む金髪の少女は木造のベンチで座している。
「……あれ?」
よく見れば、後頭部に紅い髪飾りがあるぞ。背筋を伸ばして座る少女は、まさか──。
一歩ずつ彼女に近づく程、姿が鮮明に映る。髪飾りの正体はリボンであり、黄金の髪は肩の部分で切り揃えられていた。
俺は息を吸い、その下がる肩に声を掛けてみる。
「エレちゃん」
髪が揺れ、整った顔立ちが此方を向く。垂れ気味の緑眼は赤く腫れており、口元をハンカチで覆っていた。
「あ……アレ……ッ」
「わかってる」
屋根の中に入り、ベンチへ向かうとエレが少し右にずれる。そのまま彼女の隣に座ると、敢えて緑の地平線に視線を移した。
「俺たちはいずれ、お前の妹と戦うことになる。その時は、無理して出る必要は無い」
「……いいえ、わたくしも出撃するのです。元はと言えば、姉の責任なのですから」
「必ず戻ってくるとは限らないぞ」
「わかってるのです。……例え、手に掛ける事になったとしても」
ハンカチを下ろし、口を結ぶエレ。どんなに無情な事を言っても、頬を伝う涙は誤魔化せない。
彼女は無理をしている。それならば、せめて肩に手を添えよう。
「そこまで言うなら止めはしない。だが、辛い時は俺やアンナちゃん達を頼れ」
「アレックス様……」
エレは瞳を潤ませ、細い指先で俺の肩を掴む。そして胸に飛び込むと、嗚咽を上げ始めた。
ああ、俺には本命がいると言うのに何故きちんと断れねえんだ。それもこれも、銀月軍団が姉を傷つけたせいだ。丸まった背を見てしまった以上、抱き締めずにはいられねえんだよ。
許せシェリー。
これ以上、踏み込みはしねえから……!
「お前の妹は、俺たちが必ず降伏させる。きょうだいゲンカはもう懲り懲りだからな」
「ありがとう、ございます……」
ダークエルフと化した彼女を殺せば、事件が解決するかもしれない。けど、その姉の心には深い傷が残るだろう。
だから『倒す』というのは最終手段だ。かつていじめを受けたシェリーにとって許し難い存在だとしても、生きて償わせねばならない。
エレが両腕を俺の背に回す。俺から抱き締めたんだ。今更気にするまでもない。
しばらくこうしていると、遠くから四人の女の影が現れる。俺がやんわりと離した頃、エレの涙は既に止んでいた。
──空は既に茜色。
俺たち純真な花は城まで移動した後、例の如く軍議が開かれた。それからマリアと一緒に宝物庫へ向かうと、銃器と引き換えに大剣を取り戻す。作戦は『翌々日から実行』という事で、疲労を押して雑貨屋と鍛冶屋に立ち寄った。
その反動で真っ先にベッドへ飛び込んだのは言うまでもない。ただ、自宅でもやる事がある以上、この重い瞼に主導権を握られるわけにはいかなかった。
眠気覚ましで素早く起き上がると、ナイトテーブルの上に置かれた牛革の手帳を取り出す。ぱらぱらと捲って走り書きの羅列を左に流した後、空白の両開きに辿り着いた。
俺は手帳の隣にあった黒いボールペンを手に取ると、明後日の作戦について書き留める。紙面上では箇条書きだが、要約するとこんな感じだ。
エレによると、『ヒイラギは故郷であるリヴィに強い憤りを懐いていた』と云う。ジャックの指示に基づきティトルーズ王国を侵略した後──結果として彼女は失敗したが──、故郷を滅ぼすのが順当だろう。
そこで俺たちは飛行船に乗ってリヴィに向かい、現地の人々から居場所を聞き出す。そして彼女の居場所を突き止めた後、降伏まで追い込む──というのが作戦だ。
また、此処と東の国の間にある小国への移動手段について少し議論が交わされた。シェリーはグリフォンでの移動を提案するが、マリアが提示する“飛行船”で意見が一致した。
グリフォンを使えば空中戦に対応できるが、ヒイラギの手当は行えない。シェリーの霊力を考慮した結果、誰もがマリアの意見に頷いたのである。飛行速度は生身より劣るものの、移動中の休養は欠かせないからだ。
クリーム色の紙にアウトプットしたところで手帳を閉じ、ボールペンと共に卓上に戻す。直後、通信機が木製の板を短く揺さぶった。
もしかして、シェリーだろうか……。罪悪感でざわつく心を押し殺しつつ、端末を開いてみる。すると、意外な人物からメッセージが届いていた。
<明日、アレックス様さえ良ければわたくしのお家に来て頂けませんか? 震えが止まらなくて、気が気ではないのです>
……この誘いを断る理由など無い。やましい流れもあり得るが、それ以上に『できる限りエレをケアしたい』という考えが勝るからだ。
返信して待ち合わせを決めると、溜まった汗や汚れをシャワーで洗い流す。本当はシェリーの事も気がかりだが、ひとまず頭の片隅に置いてそのまま眠りについた。
〜§〜
翌日はあいにくの雨だ。ルーンの月特有のジメジメした空気と相まって、必然的にストレスを感じてしまう。昼食を終えた俺はアパルトマンの階段下で紺の傘を開くと、光沢する石畳を静かに渡った。
いつものように長剣を腰に下げ、デニムパンツのポケットに片手を入れる。とりあえず白のTシャツに黒のテーラードを羽織ったが、早速肌に張り付く感覚が気持ち悪い。夏は好きでも梅雨が嫌いな俺は、思わず眉間にシワを寄せてしまう。
今日はエレと会うのだ。こんな顔を見せたら心配されるに違いないし、それは不本意である。だから彼女の力になれそうな事を必死に考えながら、待ち合わせの噴水広場まで歩いた。
「あっ……!」
その高い声は後ろから聞こえてくる。振り向けば、白い傘をさすエレが俺を見つめて佇んでいた。彼女の存在を認識した矢先、赤く染まった頬を隠すように傘を少し傾ける。
「何してんだ、行くぞ」
「え、っと……はい! ついていくのです!」
うーん、今日はやけにたどたどしいな。大丈夫か?
細い雫が降る中、エレの案内を頼りに彼女の家へ向かう。着くまでの間、聞こえてきたのは俺たちの足音と雨の音だけだった。
(第二節へ)
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