「結局、胸を痛める理由はわからなかったのね」
「俺が付いていながら、申し訳ない」
応接間のソファーで向き合う俺とマリア。テーブルに置かれた陶器の白いティーカップからは、まだ湯気が昇っている。彼女はソーサーをカップごと持ち上げ、口をすぼめてから湯気を逃した。静かに紅茶を飲む姿はまさに優雅で、俺には真似できそうにない。
彼女は口からカップの縁から離したあと、俺を一瞥しながらこう言った。
「いいわ。それよりもアンナを助けてから色々忙しかったし、みんなで食事なんてどう? 改めて説明する必要があるしね」
「確かに、せっかく五人揃ったのにきちんと話せてなかったもんな」
「ええ。覚醒したとはいえ、まだ呑み込めてないと思うから」
そうだよな。アンナが陽の力を解き放ってからは、友人ルナの介護に勤しんでいるようだし。ティトルーズ防衛部隊を辞めて早々にはなるが、そろそろ話すべきだろう。
「最近は隊員の皆も忙しいからなかなか会えないけど、大事なことだから来てもらうようにするわ」
「みんな揃って忙しいって……仕事でか?」
「そうね。でも、これにはワケがあるのよ」
「いったいどんな?」
しかし、マリアは答えようとせず、「ふふっ」と笑うだけだ。
「いずれわかるわ」
「はあ……」
~§~
花姫の皆が忙しい理由などわからぬまま、数日の時が経った。今度は俺がアンナを応接間に招く番で、アイリーンと一緒に彼女を案内する。
俺に付いてくるアンナの足音がやけに大きい。それだけ緊張しているということだろうか。まあ、無理もない。なんせ防衛部隊は男の方が多いし、(あんまり誇示したくはないんだが)俺みたいな隊長にいきなり呼ばれたら普通はビビる。なんとか解してやれたら良いんだけど……。
さて、辿り着いた。二枚扉の片側にあるノブを回し、扉を引いてみせる。俺は指先を揃え、「入っていいぞ」と内側へ通した。俺らしくなくてちょっと照れくさいが、女性にはこうでもしないとな。
アンナを先にソファーに座らせたあと、俺が彼女の真正面に腰掛ける。そしてアイリーンが俺の隣に立つと、クロエがティーセットを持ったまま入ってきた。彼女はテーブルに一式を置いたあと、俺たちにお辞儀してから去る。
アンナは目の前のティーカップを手に取ろうとしたが、礼節を必死に守るようにすぐ手を離す。
「えっと……」
「リラックスして聞いてくれ。その方が俺も話しやすい」
プライベートだとあれだけ俺を白い目で見てきたくせに、仕事となるとそうはいかないってか。公私を分けるのは良いことだけども。
まだぎこちないが、上がり切った肩を徐々に下ろしていくアンナ。両手を膝上に置いたまま、ゆっくりと俺の方を見てくれるようになった。
「お前の力について、マリアちゃんから話を聞いているか?」
「うん。ボクが持つエレメントの話、だよね」
「なら話が早い」
俺も少し緊張するが、本題に入ろう。
「改めて、純真な花の隊員……すなわち花姫になってくれないか? 俺たちはお前の力が必要なんだ」
「えっ……でも、ルナが……」
「安心して」
目を丸くするアンナに対し、はっきりと告げたのはアイリーンだ。彼女は静かに口角を上げ、話を続ける。
「自分たちに考えがあるから、彼女のことは任せて良いわ」
「考え……?」
「ええ」
その『考え』を隊長である俺が把握できてないのもどうかしているが、今は話を進めよう。
しかし、アンナは視線をやや下に落としながら話す。
「……都合が悪くなったら、ボクを捨てる気なんでしょ。みんな最初はそう言うの。『ボクの力が必要だ』って」
「んなこと言わねえよ。シェリーちゃんはもちろん、女王本人だって戦うんだ。キツいときは俺に任せればいい」
「…………」
自分の胸に手を当て、アンナに真剣な眼差しを送ってみる。
まだ信じてくれないか。いったいどうしたら……。
「倒したいんでしょ? あのジェシーって猫男を」
「!!」
アンナがアイリーンの言葉を受けて咄嗟に顔を上げる。
「銀月軍団を倒せるのは、自分たちしかいないの。今の防衛部隊じゃ歯が立たないってこと、貴女もわかったでしょ? 今こそ恨みを力に変える時よ」
「力に……。ルナ……」
拳を握り締めるアンナは、しばらく黙ってからこう言った。
「戦うよ。あなたたちのおかげでボクたちは助かったんだから、今度はボクが手伝う番だ。ジェシーとの蹴りはまだ付いてないしね」
よかった……。アイリーンが促してくれたおかげで、何とか持ち込めた。にしても、他人の恨みを引っ張り出せるなんて俺にはできないぜ。
「ありがとな。せっかく来てくれたんだし、皆で昼飯にしないか?」
「そうね。お嬢様の他にも、貴女と仲良くなれそうな子もいるわ」
「うん、行く!」
ああ、やっと元気になってくれた。勢いよくソファーから立ち上がる様子からして、溶け込めそうだな。
俺も腰を上げたあと、食堂に向かうべく扉の方へ歩いて行った。
食堂に向かうと、既に花姫たちが俺らを待ってくれていた。皆の視線がアンナに集中すると、本人は顔を赤らめて彼女らから逸らす。
「アンナ様!」
最初に声を掛けたのはエレだ。手を振る彼女の隣は空いている。アンナもそれに気づいたのか、皆にお辞儀をしてから恐る恐る席に着いた。
「えっと、キミは……?」
「わたくしはエレと申します。よろしくなのですよ!」
「う、うん! よろしく……!」
アンナの両手を握るエレ。このエルフ、すっごく嬉しそうだし仲良くなるのも時間の問題だろう。ちなみに彼女は俺の真正面に座っている。
此処は相変わらず厳粛な空間だが、彼女らのおかげで緊張が和らぐ。差し込む陽の光が、昼の真っ只中であることを指していた。
「あの……陛下……ありがとうござい、ます……」
「アンナったら、そう固くならないで。あたしとも友達みたいに接してほしいくらいだわ」
「えっと……わかった! マリアさん!」
「ええ、それで良いわ。さて、もうすぐ来るわよ」
数名の使用人たちが食堂に入る。料理が次々と置かれるたび、感嘆の溜息が微かに聞こえてきた。野菜のパスタに、玉子とハムが入ったガレット。もちろん肉料理やパン、トマトスープだってある。あらゆる料理の香りが鼻腔をくぐるたび、食欲が掻き立てられた。
「今日は純真な花のメンバーが初めて揃ったお祝いよ。いっぱい食べてね」
「「はい! いただきます!!」」
少女らの声が響き渡ったあと、誰もがカトラリーを手にして思い思いに食事を始める。ある者は肉をほお張り、ある者はパンをスープに浸していた。アンナもその一人で、フォークにパスタを巻き付けては口に運んでいく。あれほど顔が強張っていた彼女だが、噛み砕くたび緩んでいく。
アンナはパスタを呑み込んだ後、シェリーに向かって話し掛けた。
「こないだシェリーが勧めてくれた服だけど。その恰好でジェイミーと会ってみたら、ずっとぎこちなかったんだよね。やっぱり変だったのかな?」
「違うわよ、あなたがとっても可愛いから。ただそれだけ」
「えぇ!?」
「わかります、わかりますっ!」
アンナの問いに答えたのは、シェリーではなくアイリーンだった。エレもまた、メイド長に同調するように身を乗り出す。
「だって、アンナ様はとっっっっても可愛らしいもの……。ねっ、リーダー?」
「えっ、ああ……」
いきなり話を振ってくるな、ビックリするだろ。確かにアンナはすごく可愛いと思うけど。
「というか、お前らいつの間に会ってたんだな」
「『どうしても電話番号が知りたい』って言うから」
なんだかシェリーの写真をねだった俺みたいだ。ったく、あいつも人のこと言えねえじゃん。
「あの人、ちょっと変だけど友人のことを話したら真剣に聞いてくれてたし。悪い人じゃないんだと思う」
「まあ……確かに変だよね」
シェリーからすればそうだろう。事故とはいえ、ジェイミーはマリアの衝撃写真を持ち出したわけだから。
ちなみにマリアはあまり会話に入ってこないが、楽しそうに聞いている様子。女王という立場上、安易に加わらないのだろう。(でもいじる)
「いちばん変なヤツはこいつだけどな」
「なんであたしを見るのよ」
「否定はいたしません」
「アイリーン!!」
「もうここの奴らは知ってるだろ、お前の嗜好品」
「だから何も嗅いでないって!」
「あの……」エレがマリアを見つめ、首をかしげる。
「陛下って何かおくすりをキメてるのですか?」
「そんなところだ。それもシェリーの……」
「「説明しなくていいからっ!!」」
マリアとシェリーの怒声が重なる。ちょっと面白くて可愛い。
「エレちゃんもそのうちわかるさ」
「まあ! 楽しみにしてるのですー!」
「こらー! あたしの趣味は見世物じゃないのよ!?」
アイリーンとアンナが笑いをこらえているようだ。シェリーは赤面して睨んでるけど。
……こうして食堂が温かい空気に包まれると、ほっこりするな。それに、美女が五人もいればその分華やかになるし。俺にはもったいないけど、女子に囲まれるのも悪くな
「アレックス様! あーんっ」
えっ、ここで? 『あり得ない、何かの間違いじゃないのか』と思ったが、確かにエレは俺の方にスプーンを差し出している。それもグラタンだし、熱を逃がしてたから自分で食うのだとてっきり……。まあ……選択の余地はなさそうだし、流れに身を任せよう。
「な、何をして……!?」
ああああああああああああああシェリーに気づかれた!!!!!!!!!!!! 違うんだよ!!!!! 決して浮気なんかじゃないんだって!!!!!!!!!!!!! でももう口の中に入っちゃったし、口の中でとろけて無駄に美味いし、マジで不可抗力!!!!!!!!!!
なあアイリーンちゃん、そこでニヤニヤしてないで助けてくれないか?
「やっぱり貴方たちはラブラブなのね」
「はいっ! これからもアレックス様とずっと一緒なのです♪」
違うんだってばーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
食堂を離れるときも花を咲かせる各々。そんななか、俺はアイリーンと一緒に廊下を歩いていた。
「隊長、最近幸せそうですね」
「そう見えるか?」
「ええ。お嬢様と何か進展が?」
あるとすれば――。
「家に行った」
「もうそこまで行ったの!?」
「違う! あと声でけえ」
女性陣が一気に振り向いたので、俺は「こっちの話だから」と手を強く振った。
「これは失礼いたしました。あまりに性急だと思いましたから」
「そうじゃねえんだよ……まあ、抱き着きはしたけどさ」
というわけで、シェリーの家で起きた出来事を簡潔に話した。
「もしかしてプールでの一件と関連しているのでは……?」
「俺もそんな気がする。でも、結局細かいことはわからなんだ」
これ以上続きがないので、話題を変える。
「ところで、皆して忙しそうだが、何してるんだ?」
「それは……秘密です」
「なんだよ、お前までそう言うのか! つれねえなあ」
「うふふ、何とでも言いなさい」
武術を抜きにしても、この女性には敵わねえ。仮に『実はどこぞの女王でした』なんて言われても全く違和感がないし、それぐらい威厳がある。
しゃあねえ。エレにでも聞いてみ――
「大変です、ブリガで清竜が暴れています!」
一人の騎士が俺たちの前に駆けつけ、力強く叫ぶことで明るい空気が破れる。息を切らす彼は、マリアの問いに対し次のように述べた。
「被害状況は?」
「既に街中が凍り付いております! 敵の動きがあまりに速く、対応が追いつきません!」
「みんな、出撃よ! ……アンナ、これが花姫として初めての戦いになるけど頼んで良いかしら?」
「もちろんだよ!」
「ブリガ……そこがフィオーレの隣町なのは知ってるが、何か引っかかるな……」
「アレックスさんも、ですか?」
「ああ。何度もあの街には行ってるが、ずっと思い出せないままでね。そこで気に入ってる店は知ってるのに……不思議な感覚だ」
俺とシェリーはブリガって街に縁があるということか?
ただ、今は討伐の方が先だ。俺たちはすぐさま屋上へ向かい、グリフォンに乗って例の場所へ急ぐ。
(第五節へ)
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