5th.Per, A.T.26
師匠にお願いして、剣の試し斬りをしてみた! といっても、想像以上に使いこなすのが難しいし重い……。それに、うっかり自分の指とか切ってしまわないか心配だわ。
あの人ったら、こんなものを平気で振り回してるの? やっぱり私には今の杖がちょうど良いわね。
そういえば彼って何て名前かしら? 今度会ったときは、もうちょっとお話したいかも……。
──夕暮れ時。ティトルーズ暦二十六年、十六のペリドット。
ギルドの任務は必ずしも一日で成し遂げられるとは限らない。時には数日──長くて一ヶ月なんて事もよくある話だ。
討伐任務の最中、疲れ果てた俺は森の中で一晩過ごす事にした。その辺にいたイノシシを狩り、ダガーを使って解体する。血生臭さが鼻腔を支配するものの、この肉に火を通せば食えなくはない。
木の棒に肉を刺して篝火の前で焼く間、アリスの顔が脳裏をよぎった。
彼女は何故俺に近づくのだろう。いつぞや会った貴族っぽい男が夫らしいし、相手にして貰えば良いのに。
確かそんな風に考えていたと思う。後は……『ちょっとイカれた女』ぐらいだろうか。
「こんばんは!」
……って、考えていたら早速聞こえてきやがった。背に突き刺さるような高い声は、反射的に俺の口を結ばせる。元はと言えば、あの女のせいで例の男らに絡まれたんだ。
しかし──彼女は黙って去るどころか、わざわざ俺の左側へ回り込んで怒鳴ってきたのである。
「ちょっと! 聞こえてますの!?」
「あーもう聞こえてるよ。いちいちでけえ声出すな」
「だってちっとも反応しませんもの!」
燃え盛る篝火が白銀の髪を照らす。彼女は頬を膨らませて俺を睨むが、愛嬌があってどこか憎めなかった。
例の如く素直になれない俺は、溜息をついて嫌悪の表情を見せてやる。
「……あのなあ。もしお前が峠に来なければあんな事にはならんかったんだぞ?」
「私だって、もう宮殿に引き籠るのはごめんですわ! それに、いい加減あなたのその態度を──」
その時、アリスの胃袋がきゅうと鳴った気がした。きっと、飯も食わずに宮殿を飛び出したのだろう。彼女は腹を両手で押さえ、恥ずかしそうに唇を噛みしめる。
「何もしねえからそこに座れよ」
「……ありが、とう」
餓死にさせたら面倒なので、左隣に座らせてやる。白いワンピース姿の彼女はスカートの広がりを押さえながら腰掛けると、興味津々といった様子で俺の手先を見つめた。
「お前もやるか?」
「はい!」
空いた片手で木の棒を手渡し、焼き方をざっくり説明する。アリスもイノシシの肉を篝火の前に差し出すと、穏やかに話しかけてきた。
「そういえば、あなたのお名前は?」
「アレクサンドラ。長いから“アレックス”で良い」
「アレックス、さん」
新しい知識を得たかのように復唱するアリス。この際なので、俺も彼女と色々話をする事にした。
「前から思ってたが、お前は天使なのか?」
「いいえ、あれは内なる力を解き放っているに過ぎませんわ。私は“ミュール”という神族の者ですから、いつもはあちらの浮遊島に住んでいますの」
「あー、そっちから来たのか」
彼女は、ちょうど西方の空に位置する浮遊島を指差す。流石に此処からだと小さくて細部が見えないが、そこにしかない建物やら何やらが色々と在るのだろう。
「でも、神族も俺ら魔族みたいに変身できるっけ? それとも、『ミュールの連中がそういう力を持ってる』ってだけか?」
「……どうやら、開花できるのは私と限られた人々だけのようで。何故あのような力を得たのか、今もわかりかねますわ」
「開花……」
「つまり『覚醒』ってところかしら。まあ、今は私しかいませんけどね……」
アリスが物憂げな横顔を見せる。不覚にも綺麗だと思ってしまった俺は興味に駆られるが、理性がその衝動を引き止める。
「そんなヤツが、なんでこの国の魔物を狩ってるんだ?」
「旦那さまの祖国を守るため。ただそれだけですわ」
「勿体ねえな。お前が変身できるってことは、それだけの力を持ってるってことだろ。お前と一緒に世界を回れば、面白れぇヤツといっぱい殺り合えそうなんだがね」
「……ホント、もっと色んな世界に行けたらいいのに」
アリスは寂しげな声音で話を続ける。
「本来のミュール族は、世俗や魔族と交わることは禁じられていますの。私たちが持つ霊力は純度が高い分、悪影響を受けやすいから。誰かを救うための奇跡を起こせる分、厄災も起こり得るんです」
「じゃあ、普段は監視されてるってか?」
「ええ。いつも霊力を高めるための修行をさせられますの。『いかなる時も皆さんのお力になれるように』──とね」
「んな窮屈そうな場所、とっとと抜けちまえよ」
「許されないから困っているんです。確かに私を助けて下さった事に感謝していますが……」
「助ける?」
「ああ、此方の話です」
慌てて首を振るアリス。それはさておき、まだ肉が焼けそうにないだろう。俺は焼き加減を見つつ、彼女に別の質問を投げてみる。
「旦那とはどう知り合ったんだ?」
「もちろん教皇さまのご判断ですわ。高貴な人間と契りを交わし、子孫を残す。それが……私の役目でもありますから」
「まあ、よくある話だな。お前が何度も抜け出す辺り、満足してなさそうだが」
「そ、そんな事はありません! ラウクさんは優しくてカッコ良いですし……この指輪をしている以上、『愛してない』なんて事は……」
「この際だから本当の事言えよ。俺は友達いねえから誰にも話さないし」
「それは…………」
俺は、彼女を『バカ』と思わざるを得なかった。本当はやりたい事があるはずなのに、周りの目を気にする余り行動がちぐはぐだ。どうせ種族も異なるのだからどうでも良かったはずなのに、苛立ちすら覚える。
「……好きでもないヤツとくっつけられて、何が愉しい?」
「き、決めつけないでくださいっ! あなたが思うほど、彼に不満などございませんわ!」
「んな事があり得るか。そんだけ一緒にいたら喧嘩の一つや二つぐらいするだろ」
「そんなこと、しませんわ……喧嘩、なんて……」
「それも、お前が我慢してるだけだな」
「うっ……」
図星、か。
さて。ようやく焼けたところで木の棒を火から離す。先程の肉は赤みが薄れ、程よく茶色がかっていた。
だが俺がその肉を口の中に放り込もうとした時、アリスの目つきが突然鋭くなった。
「アレックスさん。命を“いただく”のですから、一言告げるべきですわ」
「……わかったよ」
旦那にはぜってえ言わねえくせに、なんで俺には煩く言うんだよ。
癪ではあるが、理にかなってない事は無いので仕方なく聞き入れた。
「いただく」
今度こそ口の中に入れた時、不思議な気持ちが溢れ出した。いつもは黙って喰ってたのに、命を“もらった”という感覚が俺の全身を駆け巡る。噛めば噛むほど、そいつの魂が組み込まれる気がするのだ。
それなら……悔しいが、これぐらいの挨拶はしようと思ったよ。悔しいが。
「それでは、いただきます」
アリスが持つ肉もちょうど焼けたようで、唇を尖らせてから息を吹き掛ける。熱を逃した矢先、口を大きく開けて豪快にかぶりついた。
それから幸せそうに頬を動かし、最後はごくんと飲み込む。頬が桃色に染まっているのは、おそらく火熱のせいだろう。それも相まって、彼女のラフな一面が垣間見えた気がする。
「美味しい!」
「だろ?」
その頃の俺は、余った肉をもう一度焼いていた。ひと通り焦げ目が付くと、肉を刺した木の棒をアリスに差し出す。
「ほら」
「良いんですか?」
「ああ、今日の俺は機嫌が良いからな」
彼女の事だ。きっと串を両手で受け取──
「えっ?」
「ふぁああ!! はふぃっ!!」
こいつ、そのまま頬張りやがった!? 熱を逃さなかったせいで、瞳に涙を浮かべる彼女。それでもなお頬を上品に動かし、咀嚼音をはっきりと響かせる。
程なくして飲み込む音がまた聞こえると、すぐに笑顔に戻ってこう言った。
「これ……好きです」
刹那、俺の胸が弾けた気がした。
その無邪気な表情は、まるで己の責務を忘れたかのよう。何なら、その『好き』が俺への告白だと錯覚してしまう。
ついに串が手から滑り落ち、距離を詰めてしまう。彼女も此方に気付いたのか、大きな碧眼で俺を見つめてきた。
流れるような白銀の髪を持つ女──アリス。
女を知らないできた俺にとって、そいつがどれだけ美しかった事か。
だけど、灯りは彼女の左手を輝かせた。
薬指に嵌められた銀の指輪は、あの篝火のように嫉妬心を燃え上がらせる。
耐えきれなくなった俺は。
彼女の肩にこの手を載せ、綺麗な顔に近づいた後──
「それだけは……ダメ!」
アリスの頬がさらに赤くなり、俺の手を振り払う。けれど、この時だけは彼女の高鳴る心臓音が聞こえた気がした。
そして──
「あっ、おい!」
彼女は何も言わぬまま、俺の前から走り去ってしまう。俺は引き留めようと立ち上がったが──その頃には影が小さくなり、最奥の森に呑み込まれる。
此処で力を使えば追えるのに、何故か足が棒のように動かない。横に伸びる天の川の下、ぱちぱちと小枝を燃やす音が聞こえるだけだ。
俺は、こう口にせざるを得なかった。
「いくじなし」と──。
「くっ……!」
追憶の反動か、再び頭痛に苛まれる。片手で頭を押さえる傍ら、俺はある直近の出来事を思い出した。
『アノ人と私ノ邪魔ヲすル人ハ、皆許サなイ!!』
それは、シェリーがティトルーズ城の庭で暴走した事だ。『純度が高い分、悪影響を受けやすい』というのが本当なら、シェリーが壊れるのも納得いく。
三年もの未練が災いと為したのか、俺らに銃を向けたシェリー。思い出しただけで今でも胸が痛む。今度は俺のせいで同じようにならないか、少し気がかりでもあった。
「……うん?」
指の腹をふと紙面に滑らせた時、強い筆圧が触覚に訴え掛けた。
何かに執着するような走り書きが、俺に興味と不安をもたらす。果てまでは脂汗が皮膚を伝い、指先を小刻みに震わせた。
だが、葛藤も束の間だ。ついに興味が勝り、恐る恐るページを捲ってしまう。
そしてそこには──目を見張る語句が隙間なく羅列されていた。
(第五節へ)
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