【前章のあらすじ】
ジャックとの戦いで気絶したアレックス。彼はシェリーと共に己の意識の中で彷徨い、かつて戦った強敵たちを撃破していく。その後は彼の兄ヘンリーとの激闘で勝利を掴み取り、現実へと戻る彼らであった。
アレックスが意識を失う間も数日が過ぎ、季節はルーンの下旬に至る。紆余曲折を経てようやくシェリーと恋人同士になれたが──。
暦はあっという間にルーンの下旬だ。あれだけジメジメしていた空気が一変し、カラッとした天気が数日以上続く。いわゆる梅雨明けと云ったところで、太陽が本気を出し始める時期だろう。空の報せに誤りは無い。
城内の医務室を出てから数日後、今日はティトルーズ騎士団長任命式が行われる日だ。アンナの親友であるルナが、陛下の意向によって騎士団長に選ばれたらしい。その後は夜宴があるため、俺はタキシードを着ていく事にする。
ワイシャツの上から薄地の黒ジャケットを羽織った後、蝶ネクタイを締めていく。こうして姿見の前で身だしなみを整えるわけだが、正直カチッとした格好は苦手だ。なんせこの時期は暑いし、窮屈である。
「……こんな感じか」
準備を終えたが、まだ時間はあるので今朝受け取った新聞を眺めるとしよう。コーヒーを淹れた後、食卓に着いて紙面を広げてみる。すると、この朝にうってつけな話題が目を引いた。
フィオーレにて相次ぐ連続殺人事件、犯人未だ見つからず
退院してからちょっと前にアイリーンから聞かされてはいたが、随分と物騒な事件を取り上げるものだ。モノクロームの写真は、警察が屈んで血痕を調べているところだろう。まあ、朝から誰かの死体を写されても困るしな。
さて、シェリーも準備を終えたのだろうか。あっちが時間を許す限り、気分転換に声が聞きたい。
俺と彼女は晴れて恋人同士になれたわけだが、以前こんなやり取りをしたばかりなのだ。
それは、城内の医務室で意識が戻った頃に遡る。見張りのクロエが去ってシェリーと二人きりになった時、俺は彼女のいる寝台に上がって抱き締めた。
シェリーの涙が落ち着いた後は、互いの指を絡ませつつキスを交わす。唇が離れると、彼女は長い睫毛を揺らしながら俺を見上げた。
『私達の関係は、内緒ですよ?』
……甘い声でそんな事を言われて、寂しくならないわけがない。だから俺は反論せざるを得なかった。
『それじゃあ、俺たちが悪い事をしてるみたいだろ』
『ですが、知られると花姫たちとの関係が悪化してしまいます。アイリーンさんもエレさんも、本当はあなたに恋しているでしょうし……摩擦を避けるためなら、肌を重ねる事も反対しませんわ』
『よせ、お前がいればそれで良いんだ。お前はずっと俺の事を見てくれてるのに、俺は他の女にも目を呉れるってのは後穢いぞ』
『良いんです、この国は重婚が許されていますから。……それに、私だけではきっと満足できない事もあるでしょう』
何故この女は此処まで遜るんだと云う疑問は晴れないが、仕方なく頷くことにした。
「……ひけらかしたいわけじゃないが、隠すのも大変なんだよな」
ほろ苦いやり取りが脳裏を過ぎったせいで、思わず独り言が出てしまう。
だが、ちょっとした不運は案外続くものだ。追憶を振り切るように端末を持ち上げ、彼女に発信してみるも……残念ながら信号が流れるだけだった。
奥まで続く空間に、複雑な模様が描かれた黄金の天井。巨大なシャンデリアの下で、ティトルーズ騎士団長任命式は開催された。紅い絨毯の先には二つの玉座があり、右にはルドルフ、左にはマリアが腰掛けている。
マリアは自身の正面奥に立つルナに対し、穏やかに呼び掛けた。
「さあ、前に出て」
「はっ!」
力強い返事と共に、白いドレスを纏うルナが俺と花姫たちの前を横切る。
真っ直ぐに伸びた鋼鉄の両腕は、今もなお切断された直後の出来事を思い出させる。それでも彼女は腕と背筋を伸ばし、交差するように絨毯を踏みしめるのだ。
大きく膨らんだ胸が本来の魅力的な体格を強調し、歩く度に揺れるブラウンのポニーテールが女性らしさを示す。それに加えて目鼻立ちも凛々しいのだから、いつ誰に見初められても可笑しくはない。
やがて両陛下の前で立ち止まる彼女は、栗色の瞳で彼らと目を合わせたあと粛々と跪いた。マリアは一瞬、戸惑いの表情を見せた気がするが、すぐに陛下の顔に戻る。
「これより、あなたをティトルーズ騎士団長に任命するわ。華麗な剣捌きで、これからも我が国を守ってね」
ティトルーズ騎士団は、この国を脅威から守るべく腕利きの良い騎士たちが集結する。警察よりも強い権威を持つ彼らは、凶悪な事件が発生した時に出動することもあるのだ。
ギルドの上位互換である防衛部隊と違って探索や討伐に向かう事はないが、銀月軍団が攻め込む今、防衛部隊と共に出撃する機会が増えたと云う。
無論、このような栄誉を授かるなんて滅多に無い事だ。俺はルナと手合わせした事は無いが、きっと俺も驚く程の腕筋なのだろう。ぜひ一戦交えてみたいものである。
ルナが「お任せ下さい」と返事をすると、ルドルフが立ち上がり彼女の頭上に月桂冠を載せる。だが、この温厚そうな振る舞いからは、とてもシェリーを下に見ているとは思えなかった。
俺含め、両脇に立つ観衆から拍手が湧き上がる。……はずだが、俺の右隣に立つアンナは、眉を下げて目線を右へ左へと焦点が定まらない。
そんな彼女のドレスは、オレンジの果汁を落とし込んだような色で複雑な模様の刺繍を施している。肩先まで露わにしたネックラインはむしろ健康的な色気を表し、膝丈のスカートは魚の尾ひれのような広がり方を見せる。編み込んだ髪を向日葵の飾りで留める彼女は、南国の姫君を連想させた。
とりあえず俺は、周りに聞かれぬような声で「どうした?」とアンナに尋ねてみる。
「あ、えっと……後で……」
不安を抱えていそうな割には、気後れするような反応だ。それもそうか、今は式の最中だもんな。
平静を装い両陛下のお話を拝聴する傍ら、頭の片隅でアンナの不安について考えざるを得なかった。
陽が西に傾く頃、任命式の後は大広間で夜宴が行われた。弦楽団が優雅な旋律を奏でる中、俺たちは会話を肴にあらゆる人々と飲み交わす。
……それにしても、シェリーはやっぱモテるな。男性陣に囲まれる彼女は藍色のドレスに身を包み、首から胸元を灰色のレースで覆っている。露出度は控えめなはずなのに、あんなに肩をがっつり出してたらそりゃあ男が寄ってくるだろ……。パールのカチューシャもよく似合ってるし、もし許されるならずっと傍にいてやりたいさ。
しかもあの屈託のない笑顔だ。酒場で多くの男を捌く彼女なら慣れてるかもしれんが、どうも嫉妬心が拭えない。いくら俺が魔術戦隊の隊長だからって、貴族達なら二手三手と俺を出し抜けるだろうからな。
そんな風に燻っていると、アンナが俺に近づいてきた。二十センチ程目下の彼女は白いヒールに包まれた足で歩み寄るが、履き慣れていないのか何処かぎこちない。
柑橘の果汁で満たしたワイングラスを両手に持ったまま、彼女は「アレックス」と俺の名を呼ぶ。
「ちょっと来てくれる?」
あどけなさが抜けない声で話し掛けられた俺は、迷わず彼女の後をついて行った。
広々としたこのバルコニーは、以前アイリーンに連れられた場所でもある。けどアンナに関してはそういう目的では無いので、疎らに立ち尽くす男女に紛れて話す事にした。
彼女は何度か視線を泳がせた末、ようやく俺と目を合わせてくれた。グリーンアイのキワはほんのり煌めいていて、涙で濡らしたかのようにやや艶めしく見える。
「さっきの事だよな?」
「うん。……ここ最近、誰かに見られてる気がするんだよね。今日は居ないっぽいけど、フードを被った人がいつも居るんだ」
「性別は?」
「わからない。身体は大きそうだし、多分男かも。ルナに相談したんだけど、『変に刺激してはならない』って言うからさ……」
「彼女に守って貰うのも難しいってとこだよな」
「うん」
アンナに見惚れる男が身近にいるぐらいだし、そういう輩が何人存在しても全く違和感が無い。
『どうしたものか』と思考を巡らす中、俺はある提案が思い浮かぶ。
「ならば俺が見張ろう。『男がいる』と判れば、相手も諦めてくれるはずだ」
「えっ……ボクたちが、恋人のフリをするの?」
「ああ。でも、俺からは何もしないぞ」
「あ、えっと……」アンナの頬が赤く染まり、俺から目を逸らす。
「ボク、彼氏なんて作った事無いよ……何をするの? 手を、繋ぐとか?」
「繋がないカップルもいるんだ。お互いが一緒に居るだけでそれっぽく見える。まあ、そういう役目に相応しいヤツが他にもいるけど」
「……でも、その人がボクを狙う事も有り得るわけでしょ。だったらキミが良い」
「判った」
嫌悪。今のアンナの表情に適した単語がまさにそれだ。過去に彼女を家に入れた事があったし、その出来事が今の信頼に繋がっているのかもしれない。
ジェイミーには悪いが、隊長である俺が改めて引き受けよう。勘違いされた場合は、俺から説得するしかあるまい。
用件を終えて中へ戻ろうとした時、アンナの足首が思わぬ方向に曲がってしまう。
「うわっ!!」
彼女の手から滑り落ちるグラスをよそに、俺は真っ先に小柄な身体を支えた。直後、石床に打ち付けられたグラスは高い破裂音を立て、橙色の液体が血の如く撒かれる。
それよりも、彼女が転ばない方がずっと大事だった。俺がアンナの肩に手を回す中、使用人たちが駆け付けて掃除を行う。うち一人であるクロエはアンナの前で跪き、片手を足元に当てて回復魔法を使う。
「アンナ様、いま手当てを行います」
「クロエさん、ごめんなさい……」
少ししてから花姫たちも駆け付けてきたが、俺の方から「大丈夫だよ」と安心させてやった。
無事広間に戻った俺達は、弦楽団の演奏に合わせて舞踏を行う事に。偶然エレと組むことになった俺は、彼女の腰に手を当てて抱き寄せるようにステップを踏む。
深碧色のドレスを身に纏うエレは、足下までのスカートを揺らしながら俺に尋ねる。
「さっき、アンナ様とどんなお話を?」
「まあ色々あってな」
「色々……ですか」
「別にやましい事じゃないよ」
少し寂しげな表情を見せるエレ。……本人に無断で話すわけにはいかないし、トラブルを避けるには誤魔化すしか無いのだ。
ふと外側を見遣ると、アンナはルナと一緒に肉料理を頬張っている。ああして見ると微笑ましいが、舞踏に参加しないのにはそれなりの理由があるのだろう。
エレなら何か知っているだろうか? 交代までまだ時間があるし、彼女に尋ねてみよう。
「なあエレちゃん、もしかしてアンナちゃんって男が苦手なのか?」
「うーん、そんなお話は聞いたことが無いのです……。だってジェイミー様とも普通にお話しているのですし」
なるほど。ジェイミーとはそこそこ仲が良くなってるけど、他の男にはまだ簡単に心が開けないってところか。これ以上勘ぐってもエレに失礼だし、舞踏にせんね──
「きゃっ!」
って、何やってんだ俺! 思わずエレの足を踏んじゃったじゃねえか……。
「悪い! 大丈夫か?」
「はい。もう、アレックス様ったら……わたくしと組むのがそんなに嫌だったのです?」
「そういうわけじゃないんだ。ホントに、ごめんな……」
……小さい不運は続くものだな。
〜§〜
翌日の夕方。俺はアンナの買い物に付き合うべく、噴水広場で待ち合わせをする。相変わらず人が絶え間なく行き交うが、今のところ問題の人物はいないようだ。
いつものようにズボンのポケットに両手を入れて一望していると、奥からショートヘアの少女が此方に駆け寄ってくる。曖昧な輪郭は段々と鮮明になり、それがアンナである事はすぐに判った。
「ごめん! 待った?」
「ちょうど来たばかりだよ」
……いくら夏だからって、随分と刺激的な格好だな。デニムのホットパンツってだけでもヤバいのに、シャツの裾が短いせいで臍に目が行ってしまう。俺の中で彼女は『男が苦手』という認識なんだが、本当にそうなのか怪しくなってくる。いやまあ、『周りの目を気にせずにそういう格好がしたい』ってのも判らなくはないんだが……。
アンナは、目の前にいる男がそんな葛藤と闘っている事を知らないだろう。『純真無垢』という言葉が似合うくらいの表情で首を傾げてくる。
「どうしたの?」
「何も。さあ、行こう」
これ以上はジロジロ見ちゃいそうなので、俺が先んじて市場へと足を運ぶ。それから彼女もサンダルを踏み鳴らして俺に付いていくのだった。
今日の自分は外食で済ませるとして、アンナが市場で買ったのは主に夕飯の食材だ。『牛乳はまだ残ってたよね』と呟きつつ、果物やパン・チーズなど次々と編み籠に入れていく。
一通り買い物を終えた彼女は市場を抜けると、朗らかな笑顔を浮かべて俺に話し掛けた。
「今日はありがとう! キミのおかげで気持ちよく買い物できたよ」
「それなら良かった。今日は何作るんだ?」
「えっとね──」
その時、背後から歪な気配を感じ取った。
それはアンナも同じようで、恐る恐ると振り向いてみる。
露店が向き合うようにそびえ立つ中、フードを深く被る人物の視線が突き刺さる。黒いマントに包まれたそのシルエットはやや大きく、確かに大柄な男である可能性も否めなかった。
「そ、そんな……!」
いくら剣士と云えど、動揺を隠せないアンナ。
そんな彼女を前に、俺はある行動に出る。
(第二節へ)
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