騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第五節 決意

公開日時: 2021年7月5日(月) 12:00
文字数:5,213

 白い廊下に大理石の床──その造りはミュール宮殿に似るものの、一つ異なる点があった。

 太陽の光が挿し込む右手の窓、左手には銅像がいくつも並べられていた。その銅像はよく見れば顔見知りであり、花姫フィオラたちやジェイミー、ランヘルのマスターまでいる。誰もが苦しそうな表情のまま石化してしまったかのようだ。


 直進すると、大きな赤い二枚扉が立ちはだかる。ドアノブを回してみるが、幸い鍵は掛かっていないようだ。

 俺は両手で扉を押し、そのまま中へ入る。


 まるで蒼い水晶を随所に埋め込んだような神秘的な空間。その奥で、シェリーが寝台の上で仰向けになっていた。周囲には誰もいない。

 不気味な静寂に足を踏み入れた刹那、木の擦る音と共にバタンと扉が勢いよく閉まる。


 振り向いたときには扉が閉められ──って、……?

 それなら仕方あるまい。このまま前に進み、彼女に近づくことにした。


「シェリー!」


 儀式で見た白いドレスを身に纏う彼女。両手を腹の上で組み、目を瞑っているではないか。俺はそれを見てふと嫌な予感が過ぎったが、上半身をゆっくりと上下させる様子を見て一時いっときの安堵を覚える。

 思わず見惚れてしまいそうになるが、今はそんな場合ではない。


 彼女の肩を揺さぶると、瞼を開けて大きな瞳で俺を見つめる。

 だがその反応は、俺の予想を裏切るものだった。


「こ、来ないで!!!」


 え……? 何故俺がそう言われるのか、理解できずにいた。

 シェリーは咄嗟に上体を起こし、胸をシーツで隠して俺を睨む。それは恋人相手にするような反応というより、暴漢から身を守るような体勢だ。


「私は、『ジャックの妃としてルーセ王国の再建を支える』と決めましたの。貴方のような弱い方と一緒にいたのが間違いでしたわ」


 その言葉は俺の胸を突き刺し、立つ力を奪う。そのまま両膝が床に触れて四つん這いになると、どこからともなくあの男の高笑いが聞こえてきた。



「貴様が結ばれると思ったか? この女の全ては俺のモノだ!」



 見上げれば、いつの間にかジャックが寝台に腰掛け脚を組んでいる。その傍らにいるシェリーの背に腕を回すと、彼女も妖しい手付きでジャックの胸に触れていた。


「来い、我が妃よ」

「もう、待てませんわ……」


 やめろ。やめてくれ。

 こんなの絶対に現実じゃねえ。


 けれど、俺の願いを聞き入れる者は何処にもいない。

 二人は互いを見つめ合い、今にも唇が重なろうとしていた。


 そして──



「やめろぉぉおおおおおおぉぉぉお!!!!!!!!」






「んっ!?」


 ……もしかして、夢か? それにしては随分とリアルだったな……。例の儀式といい、さっきの事といい、何故こうも不吉な夢を見るものか。

 不快な目覚めを経た末、俺がまだ拷問室で囚われていることに気づく。猿轡さるぐつわは変わらず嵌められたままで。唾液と鉄のにおいが鼻腔に入り込む。


 ジャックとアマンダになぶられ続けたからか、こうも嫌な考えが過ぎってしまうものだ。

 彼女はまだ俺を愛しているか──と。


『貴様のような落ちこぼれに構うはずがあるまい!』


 あんなの脅しだ。シェリーはずっとずっと心身を捧げてくれたのだ。

 だが、離れ離れになった今ではどうだろう。もしかしたら洗脳されてしまったかもしれないし、本当に寄りを戻してしまったかもしれない。


 考えれば考えるほど不安が込み上がる。しかし何もできない以上は、衛兵が此処に来て俺を一時解放してくれるのを待つしかない。それからは──。

 ダメだ、『絶対に来ない』なんて考えてはいけない! あいつらなら、シェリーがそっちのモノになるさまを絶対見せつけるはずだ。


 それにしても、あいつらは今頃何を──。


「────」


 女の……嬌声……? その声は間違いなくアマンダのものだ。

 ジャックのヤツ、散々『シェリーは俺のモノだ』と言い張っておきながら、他の女ともじゃねえか。エレが自ら囮になったとき、少しでも救出に遅れていたらと思うとゾッとする。


 今は何時だ? シェリーは本当に無事なのか? こんな窓の無い世界で因われていると、マジで頭がイカれそうになる。全身の痛みはまだ治まらねえし、鉛のように重い。

 それに、胸に翡翠の宝石を埋め込まれてから喪失感が半端ねえ。まるで、自分が悪魔である事を否定されたような感覚だ。自分が如何にして大悪魔ヴァンツォの魂を呼び起こしたか思い出せずにいる。


 ……本当に、ここで余生を過ごすのか? もし衛兵どもの守りが厳重で、明日の儀式に間に合わなかったら? 本当に夢そのものが実現したら、今度こそ俺がぶっ壊れるだろう。


 悪い方向に転べば、俺はいよいよ純真な花ピュア・ブロッサム 隊長を──



「……!」



 右手の甲から感じる淡い冷気。その正体は、清神せいじんウンディーネだ。

 宝石に封印された為か、魔力が半減したことを実感する。それでも彼女は、懸命に応えようとしているのだ。


 綺麗な声が脳に入り込み、俺に語り掛ける。



あるじ様、どうか諦めてはなりません。貴方には、“姫の救出”という大きな使命が残されております。今は機を待ちましょう。……悔しいですが、姫は貴方を信じている事でしょう』



 そう、だよな……。ウンディーネちゃん、お前の言葉を信じるよ。例え誰かが助けに来る事は無くても、俺の身が軽やかになる時は近いうちに訪れる。その時に反撃に転じよう。

 直後、かつてマスターが言い放った言葉を思い出す。


『良いか、アレックス。あんたの力が強いからって大悪魔の力に頼るな。器が小さく見えるぞ』


 それは、俺を牢獄から釈放した時の言葉だ。今では只の酒場のおっさんだが、昔は俺ですら敵わないくらいに強かった。何度戦っても歯が立たなくて。彼はそれでも『立て』としか言わなかった。

 そんなのと比べれば、ミュール族など俺の敵じゃねえ。例えマスターより強くとも、こっちは今更引き下がれねえんだ……!


 その想いが伝わったのか、今度は大切な存在が俺に語り掛ける。



『アレックスさん』



 聞こえる。

 シェリーが、俺を呼んでいる。


 なあ、お前は今どこにいるんだ? まさかジャックに捕まったとかじゃ、ねえよな……?


『……場所を明かせば、恐ろしい罰を受けてしまいます。ですが、何とか生きていますわ……! どうか私を助けて……今は、こうして霊力ちからを注ぐだけでも……』


 ……俺はバカだ。ジャックの言葉に惑わされ、僅かでも疑っちまったのだから。

 彼女もまた、あの男に苦しめられている。それでもまだ生きている事が嬉しくて、全身が温もりに包まれている気がしたのだ。何故俺の視界が滲むのだろう……。


 お前を苦しめちまって、ごめんな……。全て俺の責任だ。

 必ずお前を助ける。絶対に見放しはしねえからよ──!


『ありが、とう……。うう、もう限界ですわ……』


 意思疎通はそこで途切れ、シェリーの気配が薄れていく。もしかして、霊力の制御でもされているのだろうか。俺の想像つかない事をされてる気がして、吐き気を催しそうになる。

 だが、俺がそこで挫けてはダメだ。今もきっと泣いているに違いないのだから。


 嗚呼、早くこの手で抱き締めたい。

 例え全てを敵に回しても──




 〜§〜




「おい、起きろ」


 灼けるような痛みが、腹部に再び襲い掛かる。瞼を開ければ、鞭を持った衛兵が俺を睨みつけていた。


「下手に動けばどうなるか、判ってるだろうな?」


 ……それはこっちのセリフだ。

 予想通り、衛兵はこの枷を外そうと近づく。まずは両腕、その次に両脚だ。


「っ!」

 四肢が解放された直後、自身の身体が床へ倒れてしまう。きっと栄養失調だろう。たかが一晩飯を欠いたぐらいでこうなるとは、俺も弱くなったものだ……。


「誰が寝て良いと言った?」


 またしても振り下ろされる鞭。唸るような風と共に背中に打ち付けられ、じわじわと痺れが広がっていく。

 彼は俺の髪を乱暴に掴み、自分に視線を向けるよう仕向けた。もう片方の手で薄汚い布を持ちながら。


 彼が「これを着ろ」と言って投げつけてきたのは、無地の囚人服だ。汗などの臭いでせ返りそうになるが、上半身裸で動くわけにもいかない。俺は息を殺し、ボロ布に袖を通してみた。

 おそらく脱ぎたてだったのだろう。汗が染み込んでいてべったりと張り付く。それに寸法も合っていないせいで、どうしても胸元が目立つ。これじゃあ埋め込まれた宝石も丸見えじゃねえか。


「間もなく御神子みこさまの儀式だ。ついてこい」


 よし、衛兵が背を向けた。彼の腰には長剣があるし、全身は鎧で覆われている。


 手錠を嵌めようとする瞬間、

 マスター直伝の体術で腕を振り払う!


「な!!?」


 衛兵は腕を振り払われ、驚いているようだ。

 剣を奪うなら今!


 腰に下げた剣を引き抜き、交差するように斬りつける!


「ぐあっ!!」

 血飛沫が舞い、衛兵が倒れる。


 大丈夫だ、まだ誰も来ていない。

 俺は彼の身ぐるみを剥がし、猿轡とズボンを投げ捨てる。今度は俺が衛兵の姿をする一方、横たわる男はほぼ裸となった。


「……もう黙らねえぞ」


 俺がきちんと言葉を放ったのは、いつぶりだろうか。

 そう考えていると、複数の急ぎ足が近づいてくる。さっきのヤツの悲鳴で駆け付けたか──!


 ドアが蹴破られ、二人の衛兵が槍を向ける。うちの片方は唾液を飛ばす勢いで怒鳴り散らしてきた。


「悪魔め、観念しろ!!!」


 一応の防具と武器があれば此方のものだ。

 冷静に立ち回れば容易く捌けるだろう。


「来いよ」

「「うぉおおおおおおお!!!!!」」


 突進する衛兵たち。刃が近づくと共に前宙。後方に着地したものの、彼らはまだ気付いていないようだ。

 一人ずつ肩から斜めに掛けて斬り下ろせば、断末魔の悲鳴が響き渡った。血糊が鎧に張り付くが、気にする暇など無い。


 何やら外が忙しない。今頃、ジャックらは俺が動いた事に気付いたのだろう。それでも礼拝室へ向かうまでだ。

 拷問室を抜け、緩やかな螺旋階段を降りる。無論、そこにも衛兵共が待ち構えていた。


「勝手に抜けやがって! 俺達を敵に回せば──ぐあっ!」


「バカな、力は封印さ──うおぉあぁぁあ!!!」


「ああ、我らにミュールの御か──」


 一人、また一人と命の花を散らしていく。

 階段を降りてもなお、彼らは次々と押し寄せてきた。


「何だこいつ!? 凄まじい速さで──ッ!」


 運命も、信仰も、

 俺を阻むヤツは全部ぶった切る。


 いい感じだ、アレクサンドラ。

 このまま突っ切れば、もうすぐで礼拝室だ。


 ようやく例の廊下に辿り着く。横から兵士が現れ、眼前で曲剣を振り回してきた。

 だが、あまりに遅すぎる。剣ごと片腕を切り飛ばし、心臓を貫いてみせた。


 噴き出る人間の血は、俺を興奮の境地に至らしめる。

 もし今も覚醒できるなら、このまま喰らいそうな勢いだ。


「ほ、本当に……化け物だ……」


 近くでまた男の声。薙刀をこちらに向けるも、その手先は震えたままだ。


 神を信じる者が悪魔に許しを乞うなど、あまりに滑稽だ。

 宙を舞う彼の頭──それが俺の答えである。


 さて、二枚扉は数歩先だ。

 しかし、空を切る音が俺を振り向かせた。


 俺に迫りくる矢の嵐。順に弾き落とす度、甲高い音が鼓膜を掠めた。

 今度は此方の番だ。なけなしの魔力で応戦してみせる!


氷撃ギアーレ!」


 この氷の弾丸も随分と久しい。注いだ魔力が少ないからか、弾速の鈍さが目立った。

 だが十分に効いたようで、遠くから兵士どもの絶鳴が聞こえる。今度こそ気配が消えると、もう一度扉の方を向いて地面を蹴った。


 この足に怒りを込め、二つの扉を蹴破る!!

 扉の怒声が静寂を生み、群衆が振り返った。


 しかし──



「うふふ、随分とお盛んね。私に会いに来たの?」



 礼拝室に、シェリーも教皇ジャックもいなかった。

 聖書台を背に立つのは、一本鞭を握り締めるアマンダ。彼女は気味悪い笑みを浮かべ、こう続ける。


「でも、イイ事する前に前座──って言うでしょ? さあ立ち上がりなさい、迷える仔羊たち! この戦禍の元凶に裁きを!」


 アマンダが信者たちを一瞥した後、彼らが立ち上がる。誰もが殺意を瞳に込め、あらゆる武器を握り締めていた。

 俺のやるべき事は判ってるはずなのに……凍りついたかのように手足が止まり、息が詰まってしまう。情けない事に、柄を握り締める手も小刻みに震えだした。


「あら、どうしたの? 『あの女を助ける』とあれだけ息巻いてたじゃない」


 くそ、まさか民間人を相手にするとは思ってもみねえ。彼らを無視してアマンダを倒すか? いや、いくら民衆と云えど、これだけいれば俺が囲まれてしまう。


 ……どうせこいつらは、死に際を味わってるんだ。ならば答えは一つだ。

 静かに目を瞑り、深呼吸で気持ちを落ち着ける。


『俺たちの幸せを奪おうってなら……何もかもを棄てて、本当の悪魔になれる』


 例えこの島の連中に恨まれても良い。

 例え、あの少年を悲しませる事になろうと──!


 怯えるな、アレクサンドラ。

 此処でやらねば故郷を一生救えぬぞ。それはすなわち、彼女の救出を断念する事でもある。


 こんなとこで諦めてたまるかよ。

 瞼を開け、再び彼らを見遣る。そして俺は、迷える仔羊どもに誓いを立てた。



「安心しな。今から俺が救ってやるよ」



 男に二言は無い。

 今はただ──決意けんを握り締め、無情よろいをこの身に纏うまでだ。




(第六節へ)






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