ヴェステル迷宮三階。俺とマリア・アイリーンはついに、シェリー・エレ・アンナとの合流を果たす。陽の紋章を模った扉に向かおうとした矢先、ジェシーとその手下たちと戦う羽目に。手下の寝返りもあって彼の捕縛に成功したほか、銀月軍団の本拠地を聞き出すことができた。
ようやく扉を開けたとき、俺たち純真な花は銀月軍団の一人ヴィンセントと──狼のような幻獣と対峙することになる。
此処はこれまでの場所と違って空間が奥に伸びるほか、柱が等間隔で設置されている。正面奥には大きな格子窓があり、ガラス越しで夕陽が差し込んできた。
黒染のコートに身を包む、ブラウンヘアーの眼鏡男。鋭い目つきで此方を見る隣の狼は、幻獣フェンリルだと思われる。全長三メートルは誇るであろうその体躯は、青紫の毛並みで覆われていた。
ヴィンセントは縁の無いレンズで俺らを見遣ると、珍しいものを見たかのように話し掛ける。
「思ったほか早いですねぇ。現代人である貴方がたでしたら、一日以上は掛かるかと思っていましたよ」
「俺たちを舐めてもらっちゃ困る」
「おや……?」
ヴィンセントは、俺の横にいるアイリーンを見つめた。
「せっかくの再会だというのに、私から逃れる気ですか?」
「はあ。『おかしな男に興味はない』って何度言えばわかるのかしら」
「おかしな男、ですか……くく、ならば……その認識を改めて頂きましょうか」
明らかに脈無しだというのに、眼鏡の鼻当て部分に指を添えて嗤う彼。
背丈と同じ長さの杖を振り下ろすと、フェンリルが牙を剥き出してアイリーンに迫る!
俺は背負っていた大剣を直ちに取り出し、彼女の前に立つ。
剣身を前に出して構えたとき、漆黒の軌道が目の前で降りた。
「お前、ねちっこいんだよ」
もし力無き者がフェンリルの攻撃を受け止めれば、後ろに大きく下がっていたことだろう。ヤツの身体こそ大きいが、俺自身の筋力に助けられたお陰で煽る余裕が生まれる。
力を込めて押し返すと、フェンリルが地面を引きずって後退した。幻獣が犬歯を軋ませる辺り、余程悔しいんだな。
「貴方のように時代に染まった輩では、彼女を幸せにできません。ましてや悪魔など、誰が好きになるというのですか」
「おいおい、彼氏面もいいとこだな」
今度は残像が見える程の速さで柱を蹴り、三体に分身して跳躍。彼らは一斉に俺を狙うが、気配を感じるのは右からだ。
両手で今一度柄を握りしめ、勢いよく持ち上げる。
横に大きく振ると、「キャン」と甲高い声を上げて転倒した。この狼、人間なら簡単に襲えるようだが、俺からすれば犬も同然だ。石床の上で泡吹いてやがる。
「残念だが、アイリーンちゃんには指一本触れさせねえよ。妙な男から守るのも隊長の役目なんでね」
背後で複数の奴らが息を呑んでた気がするが……まあ、気のせいだろう。ヴィンセントの口角は上がっているものの、目までは笑っていないようだ。
「よくそんなこと言えますねえ。蒸気で頭が沸いてしまったのでしょうか。……ならば、全てを以ってして魔術で叩き込むまでです!」
「あたしたちも行くわよ!」
「「はい!!」」
マリアの言葉を受けて、声高らかに応える花姫たち。俺たちは二手に分かれて戦うこととなった。俺とエレ・マリアはフェンリルを、シェリー・アンナ・アイリーンの三人はヴィンセントを狙う。
遠距離を得意とするエレらは、フェンリルと距離を置いて武器を構えた。
起き上がった青紫の狼は俺を捉え、再び飛び掛かる。
人間の頭一つは飲み込めそうな口。しかし、それは暴食の為では無く威嚇の為に開かれたようだ。
──ギャオォォオオォォオ!!
咆哮と共に、爪が降り掛かる。軌道も予測通り、右手からだ。俺は反対側に避けると、フェンリルは捕まえんと躍起になって何度も振る。左に右、時に柱へ引き付ければ、滑らかな表面には三本の大きな傷が走った。
動きが素早いフェンリルにとって持久戦は不利だ。獲物を捕らえられないフラストレーションと疲れが増したせいか、舌を出して息を切らし始める。
紅の目で俺を追う中、幻獣にはさらなる仕打ちが待っていた。
「雷撃!」
そう、マリアらによる援護攻撃だ。マリアの声が響くと共に音速の稲妻が巨体の上に落ち、激痛と麻痺を身体の芯にまで及ばせた。
フェンリルの悲鳴はこの広い空間を轟かせるが、使役者であるヴィンセントは今頃助けに行けないかもな。
俺を横切る柳色の影。薄白の金髪を揺らす彼女は地面を蹴り、優雅に羽ばたく。
片脚を曲げ、大弓を構えるエルフは今──一本の矢を指から離す!
「これで、どうですか!?」
放たれた矢は瞬時で二本、三本と分裂。瞬く間に大量の矢へと変化。
鋭利な雨は射手の眼下──痛みに悶える狼の喉奥を次々と突き刺した。口元から大量の鮮血が噴き上がり、幾分か若葉色の鎧に付着する。それでも彼女は動じることなく後方へ転回し、元の位置へ戻った。
「まさか、フェンリルが……!?」
流石に気付いたか。今度は俺が追い打ちを掛ける番だ!
俺が跳び上がる瞬間と、ヴィンセントがシェリーらに抵抗するタイミングが重なる。
「「きゃぁぁああ!!」」
彼が何らかの魔法で彼女たちを吹き飛ばしたようだ。
上級魔術師のあいつなら回復魔法もこなせるだろう。
その詠唱が終わる前に大剣の切先を下に向け──
銃声と金属音。
どうやらシェリーが杖を弾き飛ばしたようで、片隅で感じていた嫌な予感はすぐに拭われた。
ならば……このまま!
──グシュッ!!
魔力の込もる剣は毛皮を、肉を──そして骨をも貫く。頬に張り付く生温い感触に意識を向ける前に、フェンリルの身体が粒子となって掻き消えた。
「アイリーンさん、アンナ! 大丈夫ですか!?」
「ありがとう。ボクは大丈夫だよ」
シェリーが花姫たちに手を差し伸べ、立ち上がらせる。その間、ヴィンセントは杖が落ちた方に向けて手を広げ、杖を浮かせていた。浮いた杖は自我を持つように持ち主の元へ移動すると、彼の手中に収まる。
彼はまたもや鼻当てに指を添えてずり上げると、深刻な顔つきで俺たちを見つめた。
「少々甘く見てしまいましたか……ならば、これはどうです?」
ねじれた角に囲われた、透明の水晶。それが光ると、六つに並ぶ人影が俺たちの前で形成されていく。その影たちは武器を持つ者とそうでない者の二種類に分かれるほか、鎧やローブなどあらゆる防具に身を包んでいるようだ。
戦斧を持ち、剛腕を誇る大男──戦士。
身軽な服装を纏い、ダガーを片手に持つ女──暗殺者。
鎧姿で長剣を握りしめる青年は剣士か? 違う。剣身に清のオーラを宿すこいつは間違いなく魔術剣士だ。
その隣にいるヤツも鎧姿で、槍と盾を構えている。彼は俺と同じく騎士なのだろう。
擦り切れたローブを羽織る男──これは呪術師だ。
最後に、何も武器を持っていない女──武闘家か、武闘魔術師と思われる。
もしかして、差し向かいってことか? 上級魔術師なら幻影を出せることもわかっちゃいたが、これは予想外だ。それに……早く始末しねえと、ヴィンセントが何かやべぇモノをぶっ放してきそうだ。
その時、戦士は大きな斧を両手で持ったまま此方へ接近。ってことは……俺の相手はこいつか!
斧を振り上げた刹那、俺は屈んで足を払う。戦士はバランスを崩して尻餅をつ……いたと思いきや、受け身を取ってきやがった。
立ち上がった戦士は変わらず斧を持ったままだ。今度は横に一振りしてきたため、前方へ転回。二人分の距離を取ったおかげで回避に成功した。
狙いを外し、よろける戦士。その隙に大きく踏み込み、戦士との距離を一気に詰める。それから剣を握り締めたまま、大男を打ち上げた!
この勢いで高くジャンプした俺はそのまま片脚を伸ばし、壁に向かって巨体を蹴飛ばす。
「ふっ!」
壁に激突する間、翼を広げて切先で胸を突き刺した。出血こそないものの、骨を断つ感触は生身にそっくりだ。
これで一つ人影が消えたが、あと五体か。
真っ先に目についたのは、呪術師と戦うアンナだ。彼女は大剣を地面に突き刺し、跪いた状態で苦しんでいるように見える。向かいを見てみると、禍々しい結界が呪術師を包み込んでいた。
俺が彼女のもとへ向かう矢先、彼が左手を突き出し黒い粒子を収束させる。
そこから現れたのは、目にも留まらぬ速さで迫りくる無数の触手だった。
……ならば。
大悪魔の魂、いま解き放たん!
飛行速度が格段と上昇した今、触手が到達する前に着地。
眼前で蠢くもの全てを、この鋭い爪で千切ってみせた。
「アレックス……!?」
アンナの声に応える暇など無い。
呪術師がたじろぐ合間、翼を活かして急接近。
結界の中に飛び込むと、自身の魔力がたちまち奪われていくのを感知する。
けれど、それがどうした?
次の呪術が放たれるまでに殺れば良いじゃねえか。
伸び切った爪を幻影の喉に突き刺したとき。
粘膜に包まれた指先は、熱を帯びた液体でドロドロになっていく。
喉を破られし呪術師は、何の意味も為さない。
ローブ姿の人影は脱力して倒れたあと、戦士同様呆気無く消えた。
「こ、来ないでくださいっ!」
左方からエレの声──彼女は騎士の攻撃を躱し続けた末、壁に追い込まれてしまったようだ。
幸い騎士は俺らの存在に気付いていないらしい。潰すなら今のうちだな。
素早く、静かに騎士の背に迫り──
己の左腕で、彼の身体を貫く。
エレは目の前で広がる光景が信じられないようだ。自身に迫る騎士の胸部から、俺の腕が突き出ている事に。
幻影が消えると、彼女はそのまま座り込んでしまった。
「立て」
「アレックス様……ごめんなさいです……」
俺が手を差し伸べると、優しい温もりが握り締めてきた。彼女は恐る恐ると立ち上がるも、大弓を構え直す。『問題ない』と判断した俺は、今一度周囲の様子を確かめた。
アイリーンの相手はやはり武闘魔術師か。月のエレメントに対し、舞のような動きと共に陽の魔法が放たれる。今は拮抗しているようだが、いずれ彼女が勝つことだろう。
シェリーは暗殺者に向けて銃を乱射している。時に拳銃、時に小型機関銃と使い分けることで相手を翻弄させているのが判った。いくら迅速で頭の切れる暗殺者とはいえ、シェリーの思考までは予測できないらしい。その証拠に片脚を負傷したのか、何処かおぼつかない様子だ。
この二人は問題なかろう。後は──マリアだ。
彼女がいくら魔法を撃とうと、剣によって全て弾き飛ばされるのみ。余裕をかましているようだが、俺からすればあいつも隙だらけだ。
なぜなら──
「え!?」
黒の衝撃波を放つだけで、いとも容易く吹き飛ぶのだから。マリアも俺の援護を予想していないらしく、あっさりと散る魔術剣士をただ眺めるだけだ。
「あの魔族の強いエネルギー、やはりあなただったのね」
「そこまで力を入れてないはずなんだがな」
援護はこんなところだろう。アイリーンとシェリーもちょうど決着がついたようだ。
残る敵はヴィンセントただ一人だ。
杖の先端は大きな炎に包まれている。まるで松明にも似たそれだが、天にかざせば──。
「この迷宮を焼き尽くすつもりよ!」
「いいえ、あの規模は国全体を巻き込むわ! あたしが止めなきゃ……」
「その必要はない」
アイリーンとマリアの狼狽を尻目に、俺は直ちにヴィンセントの元へ飛躍。
「やり直せば良いのです……この国も、彼女との愛も!!」
焦がれるような熱気。
文化への憎悪。
そして──過去への執着。
魔術師が宿す怒りの炎と、悪魔が突き出す爪。
二つの要素は、奇しくも瞬間が重なった。
(第十節へ)
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