樹の神殿 中枢部にて、俺たち純真な花はついにアーサーと対峙。始めに俺が挑むも、彼は持ち前のスピードを活かして凌いできた。彼の標的は、自身を城内の地下牢に閉じ込めたマリアだ。俺はすぐに立ち回り、彼女へのダメージを肩代わりした。
シェリーはそんな俺を受け止め、霊術で傷を癒してくれた。その一方、声を取り戻したエレとその妹ヒイラギがアーサーの前に立ちはだかる。
「お主らの信念、この武で推し量ってしんぜよう」
左に立つヒイラギは刀を構え、隣のエレが翠の翼で羽ばたく。先手を打ったのは、封印を解いたダークエルフだった。
「やぁぁあぁああ!!!!」
ヒイラギが突進し、刀を素早く振り回す。その傍ら、エレは一本の矢を射た。矢はたちまち分裂し、弧を描きながらアーサーの元へ向かう。しかし彼は姉妹の攻撃をことごとく躱し、四肢から風の弾を幾つも放った。
ヒイラギは、自身らに迫る前に全ての弾を分断。時にエレの放つ矢は爆風を起こしたものの、標的を挫く事は決して無かった。
「くそ、なんて素早いんだ!」
「アレックス様を凌ぐだけの事はあるわね……! でも、絶対に負けられない!」
エレが着地すると、今度は姉妹でアーサーを囲う。彼が「ほう」と鼻を鳴らす中、エレたちは呪文を詠唱した。
「風の炸裂!」
「疾風の爆裂!」
エレが先に風の球体を、ヒイラギは後から同様の魔法を放つ。タイミングを遅らせる事で混乱を招くはずが、結果はさして変わらず。それから二人は複数の刃を撃って弾幕を張るが、アーサーはエレの異変を見逃す事は無かった。
「くっ……魔力が……!」
「エレ! 受け取って!」
魔力を消費したエレがふらつくと、マリアは声を張り上げ魔力回復剤を放り投げる。だが放物線を描く瓶は、獅子男の鉄拳によって粉砕されてしまう。瞬時に移動する彼は、そのままヒイラギたちを回し蹴りで蹴飛ばした。
「うあぁぁあぁぁ!!」
「きゃぁぁぁあぁ!!」
二人は離ればなれとなり、各々の背が石畳に打ち付けられる。衝撃が強すぎたせいか、彼女らが立ち上がる気配は無かった。
アーサーはスピードのみならず、力も持ち合わせている。仮にマリアが防御壁を張ったとしても、場合によっては打ち負けてしまうだろう。展開する範囲も限られており、現状では誰かが犠牲になってしまう。
その懸念を実現させるように、彼は拳で地を強打。周辺にある瓦礫が浮遊すると、直線状に向かって破片たちがこちらに襲い掛かってきた。
「危ない!!」
シェリーが声を荒げ、片手を前に突き出す。いくつかの瓦礫が彼女の眼前に迫る刹那、空間が波紋を描いて襲撃を阻んだ。
それはマリアやエレ達を襲う瓦礫も同じであり、全ての破片が一時停止してから静かに落下。この間に俺は起き上がり、シェリーの前に立って長剣を構えるが──。
「ぬあぁっ!!」
風となったアーサーが俺を、そしてシェリーの身体をも吹き飛ばす。俺が受け身を取って彼女の方へ視線を向けた時、最悪な光景が広がっていた。
獅子男がとめどない速さでシェリーを殴打し、真下へ叩きつける。その瞬間、彼女の身体から骨を折るような音が響き渡った。
「う……ぐっ……!!」
「シェリー!」
どうやら彼女は、右腕を骨折したようだ。俺は高度治癒薬を差し出そうと真っ先に彼女の元へ降り立つが、突如出現した岩の壁によって阻まれてしまう。
しかし、強敵の攻撃をも凌ぐ女はまた一人いた。
「あたしが行くわ!!」
岩の壁に向かって全力疾走するマリア。四肢に宿る炎は、焔神フラカーニャから得た契約奥義。それは彼女の敏捷性を高め、壁を易々と飛び越えさせた。
俺はその隙にアーサーとの距離を詰め、剣を斜めに払う。案の定彼は後方へ跳躍するが、刃は数本の毛束を切り裂く。再び大樹を操る事で無数の枝が俺を襲うが、同じ手に何度も嵌まる自分なんかではない。
「どうした? さっきもそれやったよな?」
俺は次々と枝を分断し、時に氷撃を混ぜ込む。氷の弾を不規則に放つ事で、一応は牽制として成立しているようだ。
ようやく此処で形成逆転か。シェリーの治療を終えたであろうマリアは、音も無くアーサーの背後に回る。そのまま拳を突き出すと、彼の全身が焦がれ始めた。
「おぉ……っ!」
「まだまだよ!」
アーサーが怯むうちに、マリアは次々と武術を繰り出す。焔のエレメントが宿るそれは、アーサーをさらに焼き尽くしたのだ。
俺は、花姫の魔法が味方に効かないのを良い事に再び彼の元へ接近。ついに彼の腹筋に傷を刻む事に成功した。
「ぐふぅ!!」
腹部に走る傷から血が流れだす。それから左胸を切先で貫くと、生臭い飛沫が俺の顔に掛かった。
「俺らの力、これで判ったろ。さっさと降参して牢に戻るか、此処で生き地獄を味わうか選びな」
「……儂は、決して……」
吐血しながらも言葉を発するアーサー。その時、背後にいるシェリーが俺たちを呼び止めた。
「下がって!!」
けたたましく響くアーサーの咆哮。
それは俺とマリアの身体を吹き飛ばし、全身にただならぬ樹の氣を纏い始めた。
「い、て……」
「もう、しぶといわね……!」
石材によって擦れた衝撃が、痛覚に訴え掛ける。俺たちが痛みに悶える中、アーサーは追い打ちを掛けようとしていた。
「何度挑んでも無駄だ。お主らは此処で果てるがよい」
くそ、何でこんな時に身体が動かねえんだよ!
このままじゃ、俺たちが全滅しちまう……!
アーサーの身体が宙に浮き、両手に氣を収束させる。風圧が拳に集まる事で、空気も獣の如く唸り始める。
そして風の力が振り下ろされようとした時──二つの影が急速に降りてきた。
「そこまでよ!!」
……声の主は、アイリーンだ。しかし、彼女はアンナと一緒に城で療養していたはず。それが何故……?
この地に降り立った存在たちこそが、答えだった。
「後はボクたちに任せて!」
「……此処に来て、救援とはな」
俺から見て右に立つのは、何も持たぬままのアンナ。
隣には、赤橙のウェーブヘアーを揺らすアイリーン。
開花した花姫たちの後ろ姿は、強い意志を秘めるように堂々としていた。
その際、アイリーンはエレに向かってこう訴える。
「エレ、樹神様に強く願いなさい。『邪悪な存在を滅ぼすための力が欲しい』と──!」
「……はい!」
エレは痛みを堪え、両足で地を踏み締める。それから両手を重ね天を仰ぐと、必死そうに瞼を閉ざす。彼女はきっと、アイリーンの言葉通り樹神に祈っている事だろう。
願いが届いたのか、女神像に埋め込まれた深緑のオーブは輝きを増し、麗しき声が頭上から響き渡る。あらゆる攻撃を凌いできたアーサーでさえ、その奇跡を止められぬようだ。
「貴女の勇姿、この眼で見届けさせて頂きました」
緑がかった黄金の髪を揺らし、白のドレスを身に纏う女性。彼女こそが樹神ウェンティーヌだ。閉ざされた瞼も、エルフのような長耳も、扉に刻まれた肖像とほぼ一致している。このような光景を目の当たりにしたのはもう三度目だが、未だ慣れず仲間ともに唖然とする他無かった。
その一方、アイリーンたちは樹神の存在に揺さぶられる事無く、アーサーと対峙する。
「もう十分に暴れたでしょう? アンナ、自分たちの手であいつを止めるわよ!」
「うん!」
「相手にとって不足なし。掛かって参れ」
「言われずとも!」
普段は物腰柔らかなアイリーンだが、元々は勝気な性格である事が窺える。草木を揺らす程の速さで突進──したと思えば、視界に違和感が生じる。彼女が繰り出したのは、月魔法による分身だった。
二人のアイリーンは酷似しており、どちらが本体か俺も判らずにいる。挟撃されたアーサーは籠手や義足を用いて攻撃を受け止めるが、曖昧なリズムによって徐々にペースを崩されているようだ。
「喰らえぇ!!」
「これは陛下たちの分よ!」
アンナが陽魔法を放ち、アーサーの頭上に雷を落とす。
彼が感電した瞬間──アイリーンは分身を消し、全身に拳を叩き込んだ!
時を同じくして、エレもそろそろ契約を結ぶ頃だろう。
視線を移すと、代償の痛みに耐え切れず跪くエレの姿が在った。樹神は変わらず使役者を見つめ、穏やかな声音で言葉を紡ぐ。
「《柳緑の花姫エレ。貴女に私の力を授けましょう》」
「っ……!!」
エレが助けを求めるように片手を伸ばす。……否、収束する光の筋を見る限りだと、何かを召喚しているようだった。
光の粒子は一本の巨大な矢に変わり、姿を現す。金色の鏃に土色と白の羽根を持つ矢には、生命が宿っている気がした。
「貴女の手で射止めなさい。眼前の邪を……この世に蔓延る、恐怖を……」
その言葉を最後に樹神が掻き消え、エレが立ちあがる。
アーサーが未だ感電に苦しむ最中。エレは大きく前方へ跳躍し、矢を放った!
「皆様、伏せてください!」
……矢から生命を感じる理由が判った。
そう、彼女が放つ契約奥義は──
「《鷹神よ! 疾風となり、彼の者を吹き飛ばせ!!》」
矢がエレの指先から離れた刹那。シャフトが鳥のような姿に、羽根部分が翼に変わる。脚部に鋭い爪を持つ巨体は、鷹そのものだった。
鷹神に姿を変えた矢は、アーサーに向かって猛突進。これはもはや、隕石が落ちるような速度だ……!!
「皆、早くこっちへ!!」
俺たちはマリアの指示に従い、一斉に彼女の元へ駆け寄る。エレを除いた全てのメンバーが結界の中で集った瞬間、鼓膜が張り裂けそうな轟音が塔内に響き渡った。
まさに鷹の咆哮。
並々ならぬ風圧は獣人を打ち上げ、壁の随所に亀裂が走る。マリアは「絶対に離れないで!」と叫ぶが、早速耳を持たぬ者が現れた。
「ベレさん! 何処へ行くつもりですの!?」
シェリーは結界から飛び立つヒイラギに向かって叫ぶが、当の本人は一切答えない。暴風の中でもがくヒイラギは、扇子を片手に力強く振り下ろした。
「ヤツを……捕えろ!!」
石畳が崩れ、露わとなる土から蔓が芽生える。蔓は風に煽られながらも触手のように生え出し、未だ宙に浮くアーサーの身体を縛り付けた。
どうやら、アーサーに抗う力は残っていないらしい。四肢を縛られた彼の首がだらりと下がり、身体を包み込む樹の氣はとうに消えていた。
ヒイラギは彼に近づき、刀を引き抜く。刃を水平にして彼の顎を持ち上げると、勝ち誇るように問いただす。
「さあ、どうしてくれようか?」
相手は不死の武闘魔術師だ。そのまま首を貫けば、更なる生き地獄が待っているやもしれない。
ダークエルフが刀を顎から離し、両手で柄を握り締めた時だった。
「もういいわ、ベレ」
妹を諭すように、静かに呼びかけるエレ。彼女は慈悲深い表情をアーサーに見せ、獣の手を優しく取る。それを見たヒイラギは、どうやら納得が行かない様子だ。
「な、何でだよ! 元はと云えば、こいつが姉貴の声を──」
「良いの。彼もきっと、暗闇の中を走っていたでしょうから……」
エレは、自分たちの境遇を思い出したのだろう。異端者扱いされた妹と共に故郷を抜け出し、オークの暴行から逃げ切った過去を。妹を持つからこそ、亡くした悲しみを汲み取ったに違いない。
アーサーが次に放つ問いは、復讐に対する諦念とも取れた。
「……お主、何故とどめを刺さぬ?」
「あなた様は、妹様の分も生きねばなりません。ただそれだけなのです」
果たしてアーサーは降伏を決意したのか。
それとも──。
「…………恩に、着るぞ。吟遊詩人……」
漢の震える声に偽りは無い。エレは温かな眼差しを獣人に向けた後、ヒイラギに解くよう指示をした。
アーサーが地に落ちそうになった瞬間、シェリーが霊術で受け止める。解放された彼は満身創痍の状態で立ち上がると、何も言わずに忍のように去っていった。
「彼にはもう、枷など必要無いでしょう」
「そうね。あの感じだと、銀月軍団に戻る事も無いはず」
アイリーンやマリアを始め、空を見上げる一同。あれだけ圧し掛かっていた雲はいつの間にか去り、水色と乙女色のグラデーションが広がっていた。
暫しの無言が続く中、アンナがある異変に気付く。彼女が見つめる先──壁に彫刻された樹神像の前でオーブが浮遊していたのだ。
「み、見て!」
「まさか、オーブが自ら使役者の元へ……!?」
シェリーが驚くのも無理もない。これまでのオーブは、彼女を介する事で回収することができた。だが、樹のオーブは意志を持つようにゆらゆらと舞い、エレの手元に収まる。エレは深緑の宝石を握り締めると、俺たちの元へ降り立った。
「……そろそろ、参りましょう。これ以上長居しては、樹神様の邪魔になってしまうのです」
「そうだな。今晩はこの周辺の宿に泊まるぞ」
「城下町ほど豊かじゃないけど、あなた達にとって居心地の良い場所になるはずよ」
「じゃあ、楽しみにするね! はぁ、疲れちゃったから美味しいのいっぱい食べるぞー」
アンナが伸びをする事で、張りつめた空気が一気に朗らかになる。……特に俺とシェリーは、過去の世界に放り込まれてシエラや兄貴と戦ったんだ。一緒に風呂に入ってゆっくりしたい。
俺たちは翼を翻し、鉄塔を抜け出す。
向かう先は風の町ウェンティーヌ。そこで待つのは、フィオーレには無い美しい景色と──新たな厄災の予兆だった。
(第十節へ)
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