「……またか」
馬車の中で揺られる俺は、硬い皮革の上で目を覚ました。
銀髪の女性が俺に別れを告げる夢。もう何度も見ているはずなのに、それが何を意味するのか全くわからずにいる。夢の中の俺はベッドの上で仰向けになり、ただひたすら泣くだけ。いつもそこで途切れるのだ。
あたかも本当に起きたことのように、五感もはっきりと憶えている。
美しい顔立ちと、雪肌が魅せる曲線。
弾けるような水音、禁忌で甘い歌声。
背徳的な匂いに、苦い味覚。
そして――
優しい感触と、唯一無二の湿潤。
この昂り具合、案の定……って感じだ。勘弁してくれよ、今から城に行くってのに誤魔化せねえだろ。
仕方ないから景色でも観て落ち着かせよう。深緑色のカーテンをめくると、暗闇を映す目が光で潰れそうになった。しかし、それはほんの一瞬。次第に目が慣れて、青空の下の景観を次々とキャッチする。
それにしても随分と景色が変わったもんだ。電車なんて誰かの魔力で動いてたはずなのに、今は筒みたいな形になっててさ。しかもそのてっぺんには煙突が付いてて、白い煙を出しながら走ってるんだ。俺がいた隣国もそういうのがあったし、とうとう蒸気を使うようになったのかな。
建物だって前と雰囲気が違う。以前は木とかレンガの家が多かったのに、鋼鉄っぽいモノもある。所々で回る歯車は、このティトルーズ王国を支えるための要なのだろう。
別に嫌いじゃないけどさ、ちょっと時代に置いていかれた気分だぜ。昔ながらの時計塔とパステルカラーの家々が、寂し気な心を潤してくれる気がした。
馬車は城下町フィオーレを抜け、緑豊かな平地へと向かう。此処から城までの間は僅かな木々と芝生だけで本当に何もない。いや、何も建ててはいけないのだ。この決まりが今も守られているのを見ると、少しだけ安心感を覚える。鳥たちの鳴き声はまるで俺を歓迎するようだ。
奥にそびえ立つのは、薄い桃色の花々が咲いた木。はらりと舞うそれは“桜”と云う。だが、東の国にあるモノと違って、花弁は丸みを帯びていてハート型に近い。あちこちで咲き誇っているのを見ると、今がダイアの月であることを再認識した。
さて、そろそろかな。尖塔を詰めた灰色の塊は、近づくにつれて威厳を増していく。平地の上で堂々と構えるこの建物こそがティトルーズ城だ。馬車が門扉の前に停まると、御者が扉を開けてお辞儀をする。僅かな段差を飛び降りると、澄んだ空気が口腔に入り込んだ。
いま俺の目の前にある鋳物門扉は、黒塗りのおかげで威圧感を体現している。両脇に立つ門番は鋭い目つきでこちらを見つめるが、御者が事情を話してくれたおかげで門番は扉に近づいた。
黒い隔ては鉄の擦れる音を鳴らし、内側へと開かれていく。
視界に広がったのは、緑と薔薇が調和する庭園だった。中央には大きな噴水があり、流れる音が癒しをもたらす。数日前まで過ごしてた所と違って華やかで、『俺とは無縁の世界だ』とさえ思う。その一方で『此処に住んでみたい』と願望を抱いてみるのだけど、それはそれで大変なのだろう。
この荘厳な世界に見惚れていると、給仕服を纏う女性が正面奥からやってきた。赤い縁の眼鏡に、一本の三つ編みで纏めた赤橙の髪。俺の目線より下とはいえ、女性の中では高身長な方だと思う。
彼女は俺の前に立ち止まると、艶のある低声で話し掛けてきた。
「ようこそお帰りなさいました。自分はティトルーズ家のメイド長“アイリーン”と申します」
アイリーンという名のメイドは深々と一礼する。一挙一動があまりに美しいせいで、思わずため息が漏れそうだ。
彼女が顔を上げたとき、彫りが深い顔立ちと透明感のある碧眼が視界に飛び込んだ。足首までのスカートで脚を覆っても魅惑的な体型がよく目立つ。これで『ファッション誌モデルを兼業してます』なんて言われても全く違和感がない。今までにどれほどの男を虜にしたことだろう……。
上品な出で立ちのメイド長は紅い唇を薄く開き、こう続ける。
「早速ですが、只今より両陛下にお会い頂けますでしょうか? 自分がご案内いたします」
「良いぜ、よろしく頼む」
『綺麗な人に惹かれる』という男の性を隠すべく平静を装う。幸い気づかなかったのか、彼女は三つ編みを揺らして背を向けた。
ヒールを鳴らす音が石床に響き渡る。ピンとした背筋はまさに淑女と呼ぶほかない。春風が流れるおかげで、シトラスの香りが彼女から漂ってきた。
いよいよエントランスに入る時だ。先とはまた別の門番二人は頭を下げたあと、本国の紋章を刻んだ二枚扉を開放させた。
広々とした空間で最初に目についたのは、モノトーンで菱形模様のフローリングだ。足元にある縦長の赤い絨毯は正面階段まで伸びている。天井を見上げれば、真鍮で造られたシャンデリアが一定間隔で設置されていた。使用人が行き来する様子も含めて、此処も相変わらずって感じだな。
俺たちは絨毯の上を歩き、一段ずつ階段を昇っていく。それから窓のない廊下をずっと歩くわけだが……彼女の背からはどことなく緊張感が伝わってきた。
氷のように張り付いた空気を和らげるべく、俺から話し掛けてみることにした。
「なあ」
「何でしょう?」
間髪入れずに振り向くアイリーン。眼鏡越しで伝わる冷徹な視線は、軽率な俺の胸に深く突き刺さった。緊張感がさらに高まるおかげで、思わずどもってしまう。
「あっ、そんな大した用事じゃなくて、だな……」
「……くれぐれも陛下の前では慎みなさい。まだ貴方を認めたわけじゃないのよ」
『認めたわけじゃない』
彼女は、これから俺に訪れる責務を知ってるのか?
いずれにせよ、迂闊に話し掛けたら会わせてもらえない気がする。俺が「すまん」と一言謝ると、アイリーンは再び向き直って歩を進めた。
しばらく歩くと、ひときわ大きい二枚扉の前に立つ。扉を開けてもらうのはこれで三度目だ。重厚な赤い扉が開いたとき、黄金の世界が広がった。
奥へ伸びた部屋の両脇は、白い柱が何本も連なる。複雑な模様を金で描いた天井からは、巨大なシャンデリアが一灯吊るされていた。
だが視線を正面に戻したとき、奥で腰掛ける男女の影が俺の背筋を引き延ばした。
紅い椅子に座る御二方は、最後に謁見させてくれた国王たちとは全く違う。右に座る男性は長い金髪を後ろで纏め、緑色の貴族服に身を包んでいる。切れ長なブルーアイズと左の泣きぼくろで、多くの女性を惹きつけたかもしれない。
もう片方はおそらく妻だ。桃色の髪を二つに分け、耳の上で結い上げている。髪の長さは肩までで、綺麗に巻かれていた。白と赤で構成されたフリルだらけのドレスは、少女が着るような令嬢服を彷彿させる。……というか、少女だよな?
アイリーンは玉座の階段を昇ると、少女に対し「陛下」と呼びかけて耳打ちする。今の国王は女性と聞いていたが、まさかこの人が……。
釣りあがった大きな瞳は、髪とほぼ同じ色を持つ。その上、珠の肌に色づく桜色の頬と深紅の唇は色気をもたらした。体型は服のシルエットでよくわからないが、顔立ちはどことなく前王妃にそっくりである。
一見少女なのにどこか妖艶で、仕草が情欲を掻き立ててくる……。もし彼女が遊び人なら、俺は間違いなく――
「本当に来たのね」
えっ……?
なんでそんなに嫌そうなんだ?
高い声でありながら、嫌疑を込めたトーンで俺を見つめてきた。俺は下心をすぐにしまい、彼女らの前で片膝をつく。
この凍った空気の中で次に声を発したのは隣の男性だ。立ち上がり、一礼する彼の声から温厚さが伝わってきた。
「初めまして、私がルドルフ・アングレス・ティトルーズだ。まず、我が国に戻ってきてくれてありがとう。君が此処に来るということは、『先日のお願いに承諾した』と解釈して良いんだね?」
「はい。ティトルーズ王国は当方の故郷でもありますから」
「さすがヴァンツォ殿だ。君なら純真な花の隊長が務まりそうだよ。そう思わないか、マリア? アイリーン?」
「……あの子に手を出すなら、即刻クビよ」
マリア国王、いや陛下は苛立つように答える。……よくよく考えれば彼女らと俺は初対面だし、知らない男が指揮を執ることに不安を感じているのだろう。それに、今ここで跪いているのは魔族だ。例え隣国で騎士を務めてたとはいえ、本来の俺を見れば殆どの人が怯えるのだから。
そんな中ルドルフ皇配殿下は、妻をたしなめるように言葉を続けた。
「そう怒らないでやってくれ。彼は大悪魔の息子だけど、防衛部隊としての経験を長く積んでいる人だ。人間以上の実力と寿命を誇る魔族は沢山いるけど、彼ほどしっかりしてるヤツを見たことがない」
「あなたがそこまで言うなら、仕方なく受け入れるわ」
陛下も立ち上がり、ツンとした声で自己紹介を始めた。この気迫は、前国王に通ずるところがある。
「あたしはマリア・ティトルーズ。これより、あなたを魔術戦隊“純真な花” 隊長に任命するわ。女しかいないからって調子に乗らないでよね」
「重々承知しております。この命、我が国に捧げるまで」
「よろしいわ。では、名を名乗りなさい」
「はっ。へプケンより参りました、アレクサンドラ・ヴァンツォと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「十分だ、ありがとう。顔を上げて良い」
皇配殿下の言葉通り顔を上げると、次のような説明が行われた。
“ピュア・ブロッサム”は、王室専属ギルド“ティトルーズ防衛部隊”の上位互換に当たる部隊だ。並々ならぬ魔力と美しい心を持つ隊員たち――花姫とも云う――は、エレメントの女神たちが認めた存在でもある。
エレメントは焔・清・樹・陽・月の五つ。しかし、清に関しては訳あって存在しないらしい。加えて樹と陽の花姫については、まだ見かけていないそうだ。
なぜこのような部隊が結成されたのか。それは、謎の組織“シルバームーン”が投下する魔物たちが防衛部隊以上の強さを誇るからだ。
「今の隊員たちはマリアにアイリーン、それに……あの厄介者だ」
「殿下! お嬢様をそのように呼ぶなど……」
「許せ。……今は彼女の力に頼るしかない。そう言い聞かせてはいるけれど」
何の話をしているんだ? アイリーンの剣幕で殿下が怯んだ気がするが、何か確執でもあるのかもしれない。
居心地が悪いのは否めないが、今の俺に首を突っ込む権利などない。殿下の説明が終わると、別の使用人が迎えに来てそのままお暇することになった。
「さて、久しぶりにあっちに顔でも出そうかねぇ」
陽が沈み、夜の始まりを迎えた頃。俺は自身の家――陛下が住まいを提供して頂いた――に荷物を置いたあと、ある場所へと足を運ぶ最中だった。辺りの街灯は既に淡く灯っていて、街中を明るく照らす。
しばらく歩いていると、ひと目見ただけで懐かしい景色が目の前に在った。
土色のレンガで造られた壁に、玄関近くにまで及ぶ黒い屋根。右側には大きな長方形の窓ガラスがあり、窓越しで野太い喧騒が聞こえてきた。その先のカウンターで背を向けるのは一人の狼男。白銀の美しい毛並みと筋肉質な身体を持つ彼こそが、店主のランヘルだ。
此処は元防衛部隊のヤツらもよく通うんだ。みんなどうしてるかな?
期待に胸を膨らませながら、年季の入った木製の扉を開ける。
だが、俺の視界に入ったのは店主でも客たちでも無く――。
蒼い髪を一つにまとめ上げる少女だ。
桃色の制服と白のエプロンドレスに身を包む彼女は、俺を見つめたまま笑顔でこう言う。
「Benvenuto, signore! 《いらっしゃいませ、紳士さま!》」
天使の笑みを浮かべ、高らかに声を上げる乙女。
彼女の全てに心を奪われた俺は、その場で立ち尽くすほかなかった。
(第二節へ)
◆アレクサンドラ・ヴァンツォ(Alexandra=VANZO)
あだ名:アレックス
・外見
髪:ブラウン/マッシュウルフ・スパイラルパーマ
瞳:髪の色に近い
体格:身長186センチ
備考:羊のようなツノ(白)/やや尖った耳
・種族・年齢:悪魔/若く見える(少なくとも500歳以上)
・職業:純真な花 隊長/騎士
・属性・能力:無/???
・武器:大剣/長剣
この度はお読みいただき、ありがとうございます! 次のエピソードから作者黙るから今回だけ許して♡
本作は美女多めのハーレム系でもありますが、男女問わず個性的なキャラが勢揃いです。ささやかな励ましが超・超・超欲しいので、ティトルーズ国民の皆様はブクマ及び各エピソードごとに☆を入れて頂けますと大変嬉しくなります♡♡♡ もちろんコメントもレビューも応援も大歓迎!! 「あの子がかわいい」とか「主人公が変態」とか、そんな思いが承認欲求MAXな自分を救います!!!
(☆はコメント欄上部にございます!)
ゼロ年代のラノベライクなテイスト、そしてアッパー系な展開が魅力の作品です!
今後とも、作者ともにどうぞよろしくお願いいたします。
というわけで、励ましてくれる方はみんなあいしてる!!!!!!!!!!!
叫んだらお腹空いたわ。
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