騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第四節 怨恨

公開日時: 2021年7月4日(日) 12:00
文字数:5,348

【前回のあらすじ】

 ミュール島に到着したアレックスとシェリー。神官アマンダと教皇の力を経てシェリーの霊力が最大限まで解放されるも、アレックスはアマンダらに因われてしまう。

 シェリーと引き離された後、教皇の正体がジャックと判明。ジャックは恋人を奪われた恨みを晴らすべく、拘束中のアレックスに暴行を加えるのだった。

「今日こそ、その我が物顔を殴れると思うと清々せいせいする」


 関節を鳴らした末、鋼鉄の右手で拳を作るジャック。

 その拳は、俺の頬めがけて直進した。


「がはっ!!」


 肌と骨が激しく打ち付けられる音。共に伝う硬い衝撃が、俺に右を向かせた。左の頬に痺れと痛みが広がるも、彼が手を休めることはない。


「そういえば、俺とシェリーの会話を盗み聞きしていたよな」


 今度は左の拳だ。生身にして、おそらく非利き手であろう。しかし、その威力は直前の右ストレートに劣らない。歯が折れそうな衝撃に耐えきれず、俺はただ呻き声を上げるほか無かった。


「どうせ貴様のことだ。俺の女で勝手に妄想でもしてたのだろ」


 ジャックの義手が腹筋にめり込む。鉄の冷たい感触はたちまち熱を帯び、胃液が溢れそうな圧迫感に苛まれた。


「シェリーもシェリーだ。『今夜だけだから』と一時の迷いに身を任せたのだ。憶えているか? 貴様が酔った勢いで襲うとした晩の事だぞ」


 エレが初めて開花した日の晩、『夜は危険だから』とシェリーを家まで送ったのだ。『何もしない』と約束したにも拘らず、自分の気持ちに気付いてほしくて壁へ押しやった。

 だけど、触れる直前になって約束を思い出して……自分を恨んだのだ。


 あの時は俺と彼女しかいなかったはずなのに、こいつはどうやってそれを?


「俺はシェリーの全てを見ている。引き剥がされたあの三年前からな。無論、貴様との交合も知らぬわけが無い。あの女も随分と貴様に夢中のようだ。おかげで、俺との愛は泡沫のように消え去った」


 ジャックが放った言葉は、吐き気を催す程の真実だった。それは……恐怖を通り越して、憤りすら覚える。

 散々あいつを泣かせやがって、何が『俺の女』だ。監視なんて悪趣味をしたところで、彼女が戻ってくるとはとても思えねえ。


「その腐った脳髄に焼き付けろ」


 彼が右手を突き出し、再び殴る──かと思いきや、指を広げて俺に剣幕を見せる。


 思わず彼を見つめてしまったのが運の尽きだ。

 俺の意識が一瞬にして白くなり、ある光景が鮮明に映し出される──。


 やめて。

 そんな目で見ないでよ。


 私には、忘れられない人がいるのに。


 真っ直ぐな眼差しが胸を突き刺すせいで、息すらできないし顔だって熱い。

 もしこの息を吐いてしまえば、高い鼻筋が近づいて唇を塞がれるかもしれない。


 それから、厚い舌が入ってきて──。


 ……私ったら、何を考えているの?


 ──これは……彼女シェリーの意識? それも、ジャックがさっき話してた出来事だ。なあシェリー、そんな事を思ってたのか?


『お世辞だと思うなら、ここで証明しても良い』


 お願い。その低い声で囁かないで。

 左手を近づけないで。


 このまま身を委ねたら、あの人との約束を破っちゃうのに……!!


『何やってんだ俺は……』


 ……え?

 私を襲うんじゃ、なかったの……? じゃあこの疼きは、どうしたら抑えられるの?


『貴様の不躾な行為が、あの女の心に火を点けた。その後、彼女が何をしたかもはや判っているだろう?』


 てめえ、勝手に入り込んでくるな! いくら好きな女でも頭の中まで知りたいわけじゃねえのに……なんで俺は浮ついてるんだ……。


『この光景、淫魔に耐えられるか?』


 ジャックが次に映し出したもの。

 それは俺の本能を煽るには十分すぎた。


ゆるして……今夜だけだから』


 此処はシェリーの自室、それも一人きりだ。彼女が俺の名を呼び、拒絶を示すように何度も首を振る。だが、その口ぶりとは裏腹に蠱惑こわく的な反応を見せていた。

 ……違う、見せているのでは無い。この男に見られているのだ。本人は気付いていないし、そんな激しい姿を見てしまったら、俺は──。


「予想通りだ」


 刹那、言葉にならぬ衝撃が俺の急所に襲い掛かる。

 意識は彼女が叫ぶ寸前で途切れ、ジャックが鬼気迫る表情で何度も蹴り上げる。両肩を押さえられる以上、俺はただ激痛に悶えるしか術がない。


「ぬぅうううううううう!!!!!!」

「貴様でもこれは堪えるだろう?」


 全ての体液が溢れ出そうな苦しみ。

 せめて……せめて尊厳を失うわけには──!


 ジャックは息を切らしてもなお構える。

 直後。彼は右の踵を上げ、怒号と共に追い打ちを掛ける──!


「『女に囲まれてるから』と良い気になるな!!!!!」

「ぐぉ……おあぁっ……!!」


 張り裂けそうな痛みが全身に広がり、何も考えられなくなる。

 その時、尊厳が体内から僅かに漏れた気がした。


ざまだ」


 ……こんなの、屈辱どころじゃねえ。誰かに見られれば、笑われ者として世間を渡り歩かねばならぬだろう。


 今度こそジャックは距離を置くと、胸ポケットから小さな紙箱を取り出す。その箱から一本の紙たばこが現れると、オイルライターで火を灯した。

 煙草を吸い込み片手を離すと、俺に向けて紫煙を吐き出す。甘い煙が鼻腔をくぐる中、隣に立つ女神官を呼びつけた。


「アマンダ」

「はっ」


 アマンダは短く返事すると、すぐさま俺の前に立ち一本鞭を振り下ろす。


「喜びなさい。私が遊んであげるのよ?」


 革製の紐がくうを切り、俺の上半身を打ち付ける。

 灼けるような痛みが何度も襲い、めまいすら込み上がる。


 だが、ジャックは自分語りを止めなかった。


「せっかくだから、俺とあいつの昔話でもしてやろう」




『放してよっ! あなたなんて、大嫌いですわ……!』

『ならば何故抗わぬ』

『それは……』


 俺が外科医だった頃の話だ。母親にそっくりの女が、邪神の子を孕んで入院してきた。そいつは並々ならぬ霊力を有していながら、随分と嘘が下手だ。己を蔑む奴は嫌いだが、機嫌が良かった俺は特別に生かしてやったよ。


『俺だけを見ろ。いずれ貴様が去ろうとも、俺は永遠に見放すまい』

『……っ、せん、せ……』


 あれだけ俺を『嫌い』と言っておきながら、すぐに泣き出す。しまいにはその身を俺の胸に預けてきたのだ。


『私の霊力ちからを受け入れてくださるのは、あなたしかいません。退院しても……どうかお傍にいさせてください』

『言わずとも、俺が管理してやる。他のヤツのために使われても困るからな』


 この時の俺は、母親の面影を勝手に重ねていただけに過ぎない。しかし、この抱擁があいつにとって大きな拠り所となったそうだ。


 そいつの退院が迫る冬、俺から飯に誘った。するとどうだ? あいつは次々と俺に質問攻めをしてきた。


『先生はどういう物を読まれるのですか?』

『史実と魔導書以外の書物に興味はない』


『では、趣味は?』

『刃物の蒐集をしている』


『は、刃物って短剣とか鋏とか……ですか?』

『ああ。手の込んだ包丁やメスも集めがいがある。見た目も良いし、よく切れるからな』


 いったい何のつもりだと思ったが、あの表情が俺から拒否権を奪ったのだ。“母親以上の存在”という認識が生まれ、やがて男と女の関係に至る。


『ジャックさん……。このまま、私を──』

『……痛がってもやめないからな』


 十四歳の身体に男のさがを叩き込み、俺だけの女に仕立て上げた。都合が悪い日は、『お詫び』と言って自ら尽くしてくれた──と言っても、貴様は信じられぬだろうな。


『貴様はもう落書きするな』

『むー! 一生懸命描いたのにー!』


 言っておくが、俺は高級なうまい飯しか食わない。庶民の飯など家畜の餌に過ぎないからな。

 だが、そんな俺でも例外は二つある。うち一つは、あいつの作る飯だ。あの女にケチャップを持たせればロクな盛り付けにならぬ。それでも最後まで食えたのは、彼女の飯が美味かったからだ。


 柄にもないが、あの女は俺を狂わせる程の力を秘めている。赤子のうちに親を亡くし、友に裏切られた俺にとって唯一無二の存在だったからな。


 俺もあいつも孤独だったのだ。

 だから、ある時は手を取り合ってやった。


 だが、やがて俺たちの愛を阻む者が現れる。

 ヤツの名は──マリア・ティトルーズ。


『何故貴様が此処にいる』

『彼女には指一本触れさせないわ。それ以上近づくつもりなら……』


『やめてマリア!!』

『シェリー、これは避けられない戦いなの。あなたは離れていなさい』

『そんな…………』


 なぜ俺は仇に阻まれねばなるまい? いくら束になろうが無駄だと云うのに、奴らは執拗に噛み付いてきた。


『ルーセの遺族め! 抵抗しても無駄だ!』

『……失せろ』


 その時、彼女と会えぬ覚悟が芽生えていた。今でも憶えている──あいつの泣き叫ぶ声をな。


『いや! 行かないで!! ジャック!! ジャックぅぅぅぅうううぅぅうう!!!!!』




「……もし故郷を再建し威光を取り戻せば、あいつとの愛を取り戻せるだろう。そして、魔族を本能のままに生かす──それが俺の望みだ」


 無理だ。

 その考えを否定するように鞭がしなり出す。


「んうぅ!」

「うふふ、感じてもらえた?」


 もうこれで何度目だろう。皮膚に幾ら傷ができようと、アマンダは悦楽に浸って鞭を振り回す。


 しかしジャックは一服を終えたのか、アマンダに「もういい」と命令した。


を用意しろ」

「はい」


 聖職者が一旦部屋を去り、再び入れ替わる。ジャックは煙草を片手に歩み寄ると、俺の首筋に熱い何かを押し付けてきた。


「んぐぅうう!!! んぅぅぅうう!!!」


 煙草の赤く灯る先が痕を刻む。

 とめどない熱さに抗うべく、必死に鎖を揺らした。


「そもそも、あいつが本当に貴様を愛していると思うか? この傷だらけの身体を見れば失望するだろう」


 違う、シェリーはそんなヤツじゃねえ……!


「何度も口づけを交わせば利用するだろう。その甘ったれた根性をな。本気で受け止める貴様の顔ときたら、なんと無様なことよ」


 ……これまでの記憶も、全部あいつに見られてたってのか? 冗談じゃねえ。勝手に覗いてイラつくなど、マゾ以外の何者でもねえだろ。


「ジャック様」

「ご苦労」


 冷徹な女の声が戻ってくると、煙草を床に棄てて踏みにじる。

 彼女の両手にあるのは、翡翠色の丸い宝石だ。てのひらぐらいの大きさだろうか。それが何に使われるのか、全く見当がつかない。


「この顔に傷をつけたのも、右腕を食いちぎったのも全て貴様だ。アレクサンドラ、相応の報いを受けてもらうぞ」


 ジャックがアマンダの手中から宝石をぶん取ってもなお、彼女は微動だにしない。一方で彼は懐から一本のメスを取り出し、胸の中心に押し当ててきた。

 そして刃が皮膚に食い込み、ギチギチという音を立てながら徐々に下がっていく──。


「ごぁぁぁああ!!!!!」


 抉られる痛みが押し寄せ、身体が勝手に暴れだす。俺の身体は、何世紀もの間で刃の味を覚えてきた。しかし苦痛がこうも積み重なると、精神が崩れてしまいそうだ……。


「もしあの狼が貴様を拾わねば、こうして出会えなかっただろう。大人しく俺の家畜になれば楽に生きられたものを……」

「んふっ!!!!」

 両手で傷をこじ開けられ、鮮血がはじけ飛ぶ。


「どうせ許しを乞うわけでも無いのなら、こうするしかあるまい」


 硬質なものが傷口に入り込み、異物感に苛まれる。俺の身体に埋め込まれたのは先程の宝石だ。


 翡翠の宝石が灯る刹那。

 邪悪な氣が全身に行き渡り、針で突き刺すような痛覚に駆られる──!


「おぉぉおおおおおぉぉおお!!!!!!」


 その痛みは、末端や脳髄・眼球にまで広がりを見せた。どんなに瞼を固く閉ざしても、決して逃れる事などできない。

 耐えがたい痛みがしばらく続いた末、徐々に収束していく。まるで優越感に浸るように、ジャックは悪意ある笑みを浮かべるだけだ。


「どうだ? “人間でも悪魔でもない存在”になれた気持ちは? 貴様は己が悪魔である事を恨んでいただろう? 望むならそのツノを壊してやってもいいぞ?」

「!!!」


 そんなの願い下げだ! 確かに俺は自分の種族を恨んだ。でもそれは昔の事だ!

 俺はティトルーズ王国の平和を取り戻し、シェリーを幸せにするって決めてるんだ!! こんなところで余生を過ごすなど、絶対に……!


「加えておくが、くれぐれも『ミュール島の連中を救おう』とは思わぬことだ。降伏勧告に従わなかった報い、つまり因果応報だ。如何なる奇跡を以ってしても、奴らの身体や肉親は決して戻らない」

「あの女ったら、『もし奇跡を使わねば付き人は始末される』と脅すだけですぐ呑んでくれたもの」


 アマンダは俺に視線を移し、言葉を続ける。


「アレクサンドラ。明日はその目に焼き付けておきなさい。花姫フィオラとしての生を捧げ、銀月軍団シルバームーンの一人となる彼女を!」


 こいつら、どこまでも腐ってやがる……。何としても彼女を助けねば!!

 なあシェリー、お前は今どこにいるんだよ……!


「全てのミュール族が兵器になる日は近い。もはやシェリーも貴様のような落ちこぼれに構うはずがあるまい! ふははははは!!」


 許せねえ。絶対に許せねえ!!!!

 こんな事して、タダで済むと思ってるのかよ!


「悪魔ならざる者よ、今後はが調教してやろう。今宵はそこで余韻に浸っていろ」

「じゃあね。また遊んであげる」


 おいお前ら、どこへ行きやがる!!


 くそっ、くそ!!!

 今すぐにでも行かねえと、あいつがどうなっちまうのか判らんってのに……。


 俺の生き様は、此処で途絶えるのか? 


 お前、『彼女を守る』って決めただろ!

『この力を国や皆のために使う』って決めただろ!?


 こんなとこで良いのかよ……。

 そんなの、良いわけが……。


「────っ」


 視界が滲み、涙が零れゆく。男の俺がこんな事で泣くなど、本当に無様だな……。


 ごめんな、シェリー。

 俺は、隊長──いや、専属騎士として失格のようだ。




(第五節へ)






 ジャックが愛する庶民の味──もう一つは、今は無きカフェ“ルミノーソ”の料理だ。決して高級食材を用いては無いものの、革新的なファッションセンスを持つオーナーに惹かれて訪れていたと云う。

 孤高を貫くジャックにも気さくな態度を見せたオーナー。しかし、シェリーと別離を経てからの交流関係は明らかになっていない。

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