※この節より先は残酷な描写が含まれます。
リヴィの官邸から離れた町は、既に燃え盛っていた。多くのエルフは泣き叫び、『行く宛が無い』と言わんばかりに逃げ惑う。露店も建物も本来の形が失われ、あちこちで瓦礫と化す。空は煙によってどす黒く染まり、今にも世界の終焉を謳うかのようだ。
町を駆け回る魔物は一体もいない。その代わり、毛並みが揃った四本の柱が建築物を玩具のように踏み潰すのだ。
俺たちはその柱の正体を確かめるべく、今一度宙に羽ばたく。目の当たりにしたのは、獅子の胴体を持つ異形な存在だった。
──マンティコア。
グリフォンのように巨大な体躯を誇り、人間の顔で此方を睨む魔獣だ。おまけにコウモリのような翼と、サソリのような尻尾まで生えている。剥き出しの牙には鮮血がこびりついており、開閉する大きな口からは肉塊が垣間見えた。そいつが頬を動かすたび、骨肉を噛み砕く音が鼓膜にこびりついて吐き気を催す。
マンティコアは食事を終えると、尻尾を振りながら天に向かって咆哮した。管楽器を鳴らすような声がけたたましく響き、俺たちは反射的に耳を塞ぐ。
その時、ヤツは身体を縮こませた。
「何か来るぞ!!」
俺が花姫たちに呼び掛けると、マンティコアは針のような魔法を射出。左隣のマリアは杖を掲げ、即座に結界を張った。
「防御壁!」
結界が俺たちを包み込むと、魔法は電流が流れるような音を立てて弾かれる。程なくして針の雨が止んだ時、力を溜めた反動か頭を振って小休止に移っているようだ。
「アンナ、頼んでいいか?」
「うん!」
アンナは結界を抜けて俺らの前に移動すると、橙色に光る大剣で空を切り裂いた。
「光波!!」
切先から放たれる光の衝撃波。それは高速でマンティコアに迫り、栗色の毛に埋もれた胴体を抉る。
身体から血飛沫が舞い、よろめく魔物。
この機を逃さなかったのは、俺の真横にいる銃士だった。
「これ以上はやらせませんわっ!!」
シェリーの手中に収まる巨大な銃器──レールガン。彼女は裂け目の入った銃口をマンティコアに突き出すと、蒼い電流が流れ始めた。
トリガーを引いた瞬間、
剣のような閃光が魔物を捉え──
「えっ?!」
先程までよろめいたはずのマンティコアが大きく跳躍。同時に揺れ動く蝙蝠の羽根は電流を分散。閃光はただ地平線に向かって過ぎ去るのみで、シェリーが放った魔法は意味を為さなかった。
「まさか、当たらないなんて……!?」
「お嬢様! 伏せて!!」
その場で凍りつくシェリーに対し、叱咤するアイリーン。
マンティコアが着地する刹那、俺は大剣を構えて次の攻撃に備えた。
四足が大地を揺らし、俺らの平衡感覚を著しく惑わす。
そして高らかに吠えると、目に見えぬ衝撃が刃を小刻みに震わせた。
「「きゃぁぁああぁぁあああ!!!!」」
黄色い悲鳴が響き渡り、それぞれが遠方へ吹き飛ばされる。
幸い俺は僅か後ろへ動かされた程度だが、防がなければ彼女らと同じ状況になってたかもしれん。
大剣を下ろし、花姫たちと合流しよう。つっても、敵に背を向けたら何されるかわかんねえな。
……ならば、やむを得ねえ。懐から通信機を取り出し、偶然目についた名前──アイリーンにシグナルを送った。
俺が囮になることで時間を稼ぎ、彼女らと合流するのが今の作戦だ。
端末を片耳に当てつつ、マンティコアの元へ移動。もう片方の手で大剣を持つという不慣れな体勢だが、今はこれしか方法が無い。
早速魔物は俺に向かって爪を振り下ろすが、まずは後ろへ避けた。次にもう片足。それを右へ回避する間、アイリーンとようやく連絡が繋がった。
「自分は無事よ! 今そっちに向かうわ!!」
「おうよ!」
どうやらアイリーンは俺を目視できる位置にいるらしい。とりあえず一人の花姫と連絡がついたところで端末を戻し、余った手で剣の柄を握った。
マンティコアの口元から煙が立ち、熱気がこもる。……これは火炎放射だな。
──ガァァァアァァアア!!!!
予想通り口から炎を噴く間、俺は飛行速度を上げて足元へ潜り込む。気づかれないのを良いことに、魔力を刃に注いだ。
思えば、清神から力を貰ってから初めての清魔法だな。
冷気を落とし込むと、疎かな脚に向かって大剣を振り上げる!
──オォォオオオアァァアアアアア!!!!!
前脚に深い傷が走り、紅い雫が舞う。同時に傷口が凍り付き冷気が入り込むことで、今度こそ体勢が崩れた。
「ていっ!!」
マンティコアの耳に走る三本の軌道。
力強い女声と共にその魔法を放ったのは、ほかならぬアイリーンだ。俺が彼女の元へ飛行すると、その証拠として左手が巨大な鉤爪に置き換わっている。
人喰いの片耳が赤く染まり、建物が崩れたように落ちる。
痛みに悶える中、顔面に迫る光球をこの目で捉えた。
──ズドォォオオオン!!!!!!
鼓膜が破れる程の爆音と共に砕け散る片耳。それは瞬く間に肉片と化し、マンティコアの顔半分が焼け爛れた。
「よ、良かった……!」
ロケット砲を構えたまま、安堵の声を漏らすシェリー。
ただちに真剣な表情に戻ると、後方にいる花姫たちに向かって叫んだ。
「エレさん! マリア!」
「任せてください!」
「このまま叩きのめすわ!」
エレが矢を構える傍ら、マリアが魔力を杖に注ぐ。
一本の矢に稲妻が走ると、射手は繊細な手先で異形の獅子を捕捉した。
「「放つ!!」」
エレとマリアが叫ぶと、矢が無数に分裂。マンティコアはサソリの尻尾で横に薙ぎ払うも、残った矢は弧を描いて体躯に突き刺さる。
その矢は同時に雷を放ち、魔獣を容赦なく焦がした。
──ヴォォオオオォォオ!!!!
ヤツが雄叫びを上げて後ろへ倒れる。その隙に俺は胴体へ飛び込み、クロスするように大剣で切り刻んだ。消化しきれてなかったのか、傷口からは大量の人体が漏れ出す。
「此処に心臓が無えってなると……」
未だ揺れ動く尻尾。しかし、花姫たちの猛攻によって逆襲は叶わぬだろう。
俺は瞬時で尻尾に向かい、大剣を振り上げる。先端がバッサリ切れ、断面と共に銀色の宝石が露わとなった。
そして──
「はぁぁああぁ!!!」
切先を銀の心臓に突き刺し、魔獣の生命を打ち砕く!!
マンティコアの肉体はたちまち花弁に代わり、町に再び静寂が戻った──。
「お願い、間に合って……!!」
霊力を込め、崩壊した町を修復させるシェリー。地で倒れた人々に魂が宿り、燃え盛る火は緩やかに鎮まる。
俺たちも町中に降り立ち辺りを見回すが、住民たちの曇った顔が晴れる事は無かった。
誰もが口にする。
『あの悪夢が再び訪れたのだ』と。
宰相も同じ事を恐れていた。その傍らで、メイドは『新たな純真な花がいる』と言ったのだ。
悲しみに包まれた空気の中で、マリアは歴史を語る。
「ご先祖様が生まれる三十年ほど前、リヴィは魔王に一度焼き払われたの。その理由は、『“純真な花”が敗北して追い打ちを掛けたから』らしいけどね」
「えっ! 純真な花って前も存在してたの!?」
「ええ。女神さまが当時の花姫たちを率いていらっしゃったの」
「女神様がそんな事をしてたなんて……」
アンナがマリアの話に反応する一方、シェリーは胸を押さえて倒れ込む。
「くっ……!」
「シェリー様!?」
真っ先に彼女の身体を支えたのはエレだ。
……これも、俺と同じような現象だというのか?
「シエ……ラ、さん……!」
「シエラ?」
「……かつて前線で戦っていた、樹の花姫ね」
彼女が紡いだ人名を俺が訊き返すと、マリアの口から再び歴史が明かされる。だが彼女は語るのをやめて片膝をつき、シェリーの頭を胸へ抱き寄せた。
シェリーの呼吸は未だ荒く、時に苦鳴を上げる。そのたびマリアは自身の手を背に回し、「ご安心なさって」と何度もさすった。
「私の、せいで……シエラさんが……皆さんが……!!」
「あの男が強すぎた……ただそれだけに過ぎません。女神様、どうか現在に目を向けて。ほら……あなた様のお傍には、彼がいるではありませんか」
「…………はい……」
シェリーは瞳を潤ませたまま俺を見上げる。その表情はどこか懐かしいものの、思い出そうとすれば頭痛が込み上がってきた。
俺が片手で頭を押さえると、シェリーは我に返ったように立ち上がる。それから俺に近づいて両肩に手を添えた。
「今は身体を休める必要があります。このまま遺跡に向かっても、私達がさらに疲弊するだけですわ」
「仰る通りでございます。それでは陛下、手配した宿へ向かいましょう」
──その日の晩。
俺たちが泊まった所は、ごく普通の宿だ。中は官邸の応接間のように天井と壁が石で造られており、踏みしめるたびに木の軋みが聞こえてくる。ただ、あっちと違ってカビ臭さは無いので快適な方だとは思う。
マリアとアイリーンを除けば、一人一部屋といった感じだ。夕食を終えた隊員たちは、中でひとり寛いだり他の部屋へ遊びに行ったりと思い思いに過ごす。そんな中、俺は明日の準備を終えてベッドに横たわった。
無地の天井を見つめ、直感に身を委ねる。
真っ先に脳裏を過ぎったのは、シェリーの儚げな表情だ。
昨晩から俺を避けてるかと思いきや、ついさっきは肩に手を添えてくれたんだ。女の子と接するのはこれが初めてじゃないが、それでも読めない時はある。好きな人相手なら尚更だ。
あと、あいつはやっぱアリスの生まれ変わりじゃねえのか? もしそうで無ければマリアの話で胸が痛む事はないだろうし、メルキュール迷宮で『あたかも私が思っているような』なんて言わない。……それでも思い出した記憶たちは、女神のほんの一部なのだろう。
そんな事より、今のシェリーとどう接したら良いか判らねえ。そっとしておいたら良いの? それとも、俺から話し掛けるべきなのか?
この疑問に答えるように、ちょうどドアを叩く音が聞こえてくる。俺が「開いてるぞ」と言い放つと、ドアの向こうから髪の長い少女の影が見えた。
「失礼、します……」
……って、シェリーじゃねえか。何を考えて俺の部屋へ?
彼女はドアを閉めて施錠すると、一歩ずつベッドへ近づく。だから起き上がってシーツの上であぐらを掻くと、改めて彼女を見つめた。
いつものように胸の上で両手を載せ、首を少し傾げるシェリー。ベッド脇に置かれた蝋燭は、赤みがさす彼女の頬を淡く照らした。
石鹸の香りが漂うので、目線を落としてみればやはりバスローブ姿だ。どうせ明日には発つので今の俺は何も羽織ってないが、女性はそうはいかねえよな。
「どうした?」
この状況で既に昂ぶってはいるが、敢えて平静を装う。すると彼女は、潤沢な唇を開けて思わぬ事を口にしてきた。
「その……眠れ、ないんです。色々な事を、考えすぎてしまうせいで……」
「さっきの事もあるもんな。なら、俺の隣に来るか?」
「あっ、いえ! 流石にそこまでは……!」
「だったらなんで鍵を閉めた? どうしても俺でないとダメな用事があったんだろ?」
「ひぇ、う……すみ、ません……ただの、習慣でして……」
おいおい、これじゃあ俺が責めてるみたいだろ……。当の本人は俯いちゃったし、無理やりベッドに引き込むのも気が引ける。この妙な沈黙は、ついさっきまで湧き上がる野生をすんなりと鎮めてしまった。
……あまり他の子を利用したくないが、一つ良いことを思いついた。
「特に用が無いなら、エレちゃんのとこへ向かおうと思ってな。お前も行くか?」
「あぁ! そ、それだけは……! 用が、無いわけじゃないんです……ただ……」
「ただ?」
「えっと……アレックスさんと、お話がしたくて。ほら私、昨晩からあなたとお話できていませんでしたから」
元々その流れにしたのはお前もだけどな。
今の言動が支離滅裂である事は否めないが、とりあえずまた横たわって一人分の隙間を何とか開けた。……自分の背を彼女に向けたまま。
「ほら来いよ。何もしねえから」
俺がそう放つと、背後で甘い気配が昇りベッドが軋む。同時に良からぬ選択肢が脳内に入り込むが、それを必死で振り切った。
……俺は絶対に振り向かねえ。あいつが求めてこない限り、俺からは
「あの、どうしてそちらを向いているんですか? ……やはり、私のことを」
「そうじゃねえ。お前、いま自分がどんな格好をしてるか気付いてねえのか?」
「えっ? だってお風呂に入ったらこの格好になりませんか?」
「その様子だと、前に言ったこと忘れ……ってお前、風呂に入れたのか?」
右手を頬に当てて寝そべるシェリー。気づけば俺は寝返りを打ち、目を合わせてしまったようだ……。その際、彼女の表情が少し柔らかくなったのはきっと気のせいではない。
「ついこの間まではシャワーしか浴びれませんでした。ですが、アレックスさんとメルキュールに行ってからは克服しようと思ったんです。……やっぱり、お風呂って気持ちが良いですわね」
「あ、ああ……その、怖くなかったか?」
「最初はとても怖かったです。でも少し慣れて、ようやく肩まで浸かれるようになったんですよ」
意外と早く克服できてるんだな。自分で言うのもなんだが、これは俺のおかげ……なのか?
「本当はあなたとお会いするまで何回か挑戦したんですけど、足の小指を入れるだけでも怖くなっちゃって。もしあなたに過去を打ち明けなければ、今もビクビクしていたと思うんです」
「……それなら良かったよ」
自然に手を伸ばし、シェリーの頭を撫でる自分が不思議でならない。でも彼女はまんざらでも無さそうだから良いか。
俺が撫でて、彼女は幸せそうに微笑む。……どこからどう見ても恋人同士だってのに、彼女からすればただの仲間なのだろうか。
だが、シェリーは突如眉を下げて表情を曇らせる。それから右手で枕を強く握り締め、悲しげな声音で言葉を紡いだ。
「昨晩は、返信できなくてごめんなさい。あの青い傘は私のなんですが、あの時──」
「わかってる。だから、俺も誤解を招いてごめんな」
「誤解……?」
「ああ。昨日は家に誘われて、帰ろうとしたらエレがキスしてきたんだ。中ではクッキーを食わせてもらっただけで、それ以外は何もしてねえよ」
「そう、だったんですね……。でしたら、尚更ごめんなさい」
「良いって。それと、今は周りに誰もいねえんだからもうちょっとリラックスしろ」
「……はい」
ああ、やっと笑ってくれた。ここのところ胸につっかえがあったし、気分が一気に晴れたよ。流石に耳掃除してもらった事は内緒だけど。
ならば、今こそ伝えるときだ。抱く前に、自分の言葉できちんと安心させてやらねばならねえ。
「シェリー、一度しか言わねえからよく聞け。俺はお前の──」
──トントントン。
だああああああああ!!!!! 誰だこんな時にノックするヤツは!!? シェリーが布団の中に潜っちまっただろうが!!
「……もう少し空気読めよ」
舌打ちを堪えたのはこれで何度目だろうか。仕方なく上体を起こし、ただちにドアの方へ移動する。
シェリーの存在がバレぬようドアを少しだけ開け、無粋な来訪者の顔を見る。その正体は、乳がバカでけえピンク髪の女王だ。
「何の用だ?」
「これを届けに来たの。女神さまの日記帳よ」
「アリスの……?」
「ええ。……辛いとは思うけど、最後まで読んでほしいの」
なんでよりによってそんなものを……。皮革で作られた深紅の表紙には、太陽を模ったような印──ミュールの紋章が刻印されている。それを彼女から受け取ると、普通の本並みの重量はあった。
「と言っても、彼女の人生全てが書かれているわけじゃないわ。ちょっとずぼらな女神さまだから、『晩年にようやく筆を執った』って感じね。じゃ、おやすみなさい」
マリアは俺の反応を聞かずに部屋へ戻る。俺もドアを閉めて鍵を掛けると、例の本を持ったままベッドへ向かった。
「シェリー、悪い。マリアのヤツが用あるって──」
「すう、すう……」
ね、寝てやがる……。いや、さっき『眠れない』って言ってたから結果オーライなんだ。
でもよ。
「……神って意地悪だよな」
この最悪な筋書きに仕立て上げた時の神を、しばらくベッドの上で恨み続けた。
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