探索と魔物退治をある程度繰り返していれば、当然空腹になる。軽く腹を満たしたい気分に駆られるが、まだ大丈夫だろう。
俺たちは、枝分かれした焔の神殿を行ったり来たりしながらある場所に辿り着く。しかし、花姫たちは、嫌なものを見るように怪訝な顔をし出した。
「な、何これ……」
「これじゃ、通れないじゃありませんの……」
「アレックス様、本当に此処を抜けるのです?」
先に続く路は、何も無いように見える。
だが、少し待てばある仕掛けが妨げてくるのだ。
「それしか方法はない。どこも行き止まりか小さな部屋があっただけだろ」
俺がこう話す間に、床から炎が噴き上がった。
正確に言えば──床には、横に伸びた細長い隙間が等間隔で存在する。そこから炎が一定時間噴き出るため、消えている間に通らねばならない。
「此処はさっさと魔法や霊術で……と思いましたが、少し気持ち悪いですわ」
「ええ、あたしも……」
魔力を封じられたことによる吐き気。シェリーとアンナのみならず、他の者にも襲い掛かっていた。俺もその吐き気が無いわけではないが、魔力を半減させられた経験に助けられて軽度に済んでいる。
それにしても、これは一層だけじゃ無さそうだ。両脇の燭台が照らす限りだと、何度か炎と炎の間に留まらねばならない。しかも全員が横並びで入れるほどの幅は無いわけで。二人ずつ進む他無いな。
アイリーンも同じ事を思ったのか、俺より先に彼女が提案する。
「隊長、二人ずつ組んで突破しましょう。まずは隊長とお嬢様、次にエレとアンナ。そして最後に自分と陛下で組むわ」
「賛成だ。シェリー、くれぐれも焦るなよ。俺が合図を出すから」
「はい!」
彼女の提案に異論を唱える者は無く、早速二人組を作る。
俺はシェリーと組み、炎をじっと凝視する。それから「一、二──」と数えてみた。俺が数え終えると、彼女はこちらを見て首を傾げる。
「あの、何を数えていたんです?」
「炎が活発になる時間だ。ざっと五秒ぐらいで炎は消えるが、三秒後にはまた噴き上がる」
「そこまで考えていらっしゃるなんて……流石なのです!」
「大半の罠には法則性が付き物よ。皆も憶えておくと良いわ」
エレが俺を褒めるのに対し、アイリーンが補足する。アイリーンほど罠を見抜く事に長けてちゃいないが、探索において必要不可欠な知識を引っ張り出しただけに過ぎない。
若干の照れくささを隠し、この罠の法則性について花姫たちに伝える。これで怪我を負うリスクは軽減できるはずだ。
「それから、念のため手を繋げ。俺たちが進むまでは止まるんだ」
「では、今度こそ行きますわよ」
「おう」
炎が消えている間に──飛び込む!
「「はっ!!」」
掛け声が重なる刹那、細長い溝を跨いでいく。それから溝と溝の間に立ち止まり、次の炎を待った。
炎の壁が轟音を立て、俺たちを挟み込む。眼前の炎は後ろのそれとタイミングが異なるが、法則に変化はない。
ただならぬ熱気が、身体中の毛穴から汗を噴出させる。指一本でも差し出せば、あっさり焦げてしまいそうだ。
「三、四、五……」
今度はシェリーが数えると、再び炎が消えた。
もう一度飛び込む!
「ふんっ!」
危険な場所にいる以上、掛け声を出さないと平静さを保てない。この罠はあと何層続くのだろうか。炎がいくつも重なっているように見えるが、その先も続いているのか判らない。今はただ正確に進むことだけを考えよう。
ちょうど背後から聞こえる足音から、エレとアンナがいると判断。俺は彼女らに「待て」と指示を出したあと、再び炎の様子を伺う。
「それ!」
次に声を放ったのはシェリーだ。再び超えた先には、温かい風が流れるのみ。蝋燭の光を頼りに周囲を凝視しても、怪しげなモノは見つからなかった。この先に罠がないことを確信すると、後ろの花姫たちが着地できるよう数歩前進する。
炎の奥にはまだ四人の影がある。
だが炎が消えたとき、彼女らもまた最後の溝を飛び越えたのだ。少女たちの姿が視界に入った途端、胸の支えが下りていくのがわかる。
「あぁーー……つ、疲れたわ……!」
「お前たちもよく頑張った。今のうちに呼吸を整えておけ」
この手の罠をくぐったのは決して初めてではないが、俺も緊張してしまった。少し離れた場所でいったん小休止してから、また探索を再開しよう。
……相当エネルギーを使ったのか、胃の中が更に空になった気がする。ただ、憩いの場が見つかるまでは辛抱しなければならない。どうしてもヤバいときは、少しでも落ち着ける場所を確保するまでだが。
「うう、この先も罠があるのかなぁ……」
「判らないわ。でも、陛下のお身体を守ってくれてありがとう」
一同の呼吸が整い、探索を再開させる。だがその時、右方向から魔物の気配を感じ取った。
迫りくる様子は無い。むしろ地響きのような唸り声が立て続けに聞こえてくるだけだ。
「もしかして、いびきなのです?」
「このタイミングとは丁度良い。皆、そこで待っててくれ」
小声で彼女らに忠告すると、音の正体を探るべく徐々に近づいた。
一歩ずつ進むたび、姿が露わになっていく。
その正体は──豚のように太った生き物だ。折り畳まれた手足はひどく短い事から、四足歩行するタイプだと思われる。豚にしては随分と毛むくじゃらで、赤橙の毛並みに触れただけで火傷しそうだ。
「もしかして、猪?」
「かもな。炙って食えるかもしれんぞ」
「えっ? まさか炙るって……!」
マリアの言葉を気に留めず、長剣を静かに抜く。
夢に浸る魔物に向かって振り下ろすが──。
──サッ。
赤い軌道……逃げやがった!?
ヤツの毛が逆立つと、身体を一気に燃え上がらせる。炎のような毛の色は気のせいじゃなかったのか。
猪は気配を察したのか、花姫たちの方へ駆け寄っていく──!
襲撃でエレとシェリーが硬直する中、マリアが前に立ってこう叫んだ。
「ここはボクに任せて!」
猪との距離は既に一人分。
大きな火の塊がマリアの拳に迫る中、彼女は強い光を放った。
「光破!!」
乾いた衝撃音。
双方の瞬間が重なり、眩むほどの爆発が起きる。
光が止んで瞼を開けてみると──太く大きな身体が、火の粉をまき散らしながら吹き飛んでいたのだ。
猪は地面に打ち付けられ、口から血を大量に吐きだす。
その隙に俺は駆け寄り、今度こそ深く突き刺した。
──ブモォ……ッ……。
短い脚を痙攣させながら上げるも、ただちに勢いを失う。剣を引き抜くと血しぶきが舞い、粗目の床に紅い水溜まりがじわじわと広がっていった。
しばらく沈黙が続く中、口を開いたのはエレだ。
「これ、毒とか入ってないのでしょうか……?」
「まずは俺が試す。それで問題なかったら喰おう」
「いいえ、毒味は私がしますわ」
シェリーが凛とした声で言葉を続ける。
「このようなことで誰かが倒れてはなりません。でも、私でしたらどんなに毒が回っても生きていられますから」
「いくらあなたが……判ったわ」
アンナはおそらく“不老不死”を口にしようとしたのだろう。俺としても恋人に毒味させるのは気が引けるが、本人がそう言うなら託すしかあるまい。
俺は剣で猪の毛皮を剥ぎ、骨と肉を手短に離す。
「エレちゃん、矢を人数分貰って良いか?」
「あっ……はい!」
こんなことで矢を召喚させるのは滑稽だが、やむを得ない。彼女から六本の矢を受け取ると、大まかに裂いた肉に突き刺す。刺してはシャフトの中心までずらし、次々と重ねていく。まるでバーベキューのように串刺しにしたあと、彼女らにそれを渡した。
「さっきのとこへ戻るぞ」
「ちょっと、本当にやる気?」
怪訝な表情を見せるアンナはさておき、先程罠があった場所に戻らねばならない。
実際に戻れば、相変わらず噴出と消失を繰り返している。火傷をしないよう矢羽の付近を持ち、肉を思いっきり炎の中にかざす。鼻孔をくぐる香ばしい匂いが、食欲をそそってきた。
俺やアイリーン・アンナが粛々と肉を焼く一方、背後に立つエレらがクスクスと笑い始める。
「ふ、ふふふふふふ……」
「え、エレさんっ、笑っちゃダメですよ……!」
「だって、罠を使って焼くのですから……」
「ボクも釣られて……あははははっ」
「この身体で焔魔法を使えたら、格好がマシだったかもね」
「そうですね……」
「こればかりはしゃあねえさ……って、前も言った気がするぞ」
皆で肉を焼く傍ら、花姫たちの笑い声につられて俺も顔が綻んでいくのがわかった。
さて焼き終わったし、少し落ち着く場所で食うとしよう。……と思ったが、毒味する必要があるんだっけ。
振り向けば、既にシェリーが頬張っている。彼女は肉を飲み込むと、幸せそうな笑顔が溢れ出した。
「んーっ! おいしーー!! ……って、皆さんどうしたんですか? 私をそんなに見て……」
「いや、『毒味する』って言ったのはお前だろ」
「ああ、そうでしたわ! えっと、大丈夫っぽいですわ!」
「相変わらずの肉食女子ね……あなた、食べてみてもらえる? あたしの身体なら平気だから」
「わ、わかった!」
アンナがマリアに目線を送る。マリアは熱気が籠もる肉に息を吹き掛けた後、小さくかぶりついた。微かに舞う肉汁の飛沫が、俺らの食欲をさらに加速させる。
「おいしい……じゃなくて、問題ない!」
「ありがとう。そろそろ俺たちも食おう」
ようやく毒味が終わったところで、昼食にありつける。茶色くて薄切りの塊が視界に入るたび、唇から涎が垂れそうになる自分がいた。
彼女らの「いただきます」という声が聞こえたあと、上部にある肉を咥え、ゆっくりと噛み砕く。
やべえ、口の中で脂が一気に広がっていく……。柔らかい触感も味わいも豚肉にそっくりだ。あの猪に遭遇したのは初めてだが、つい最近湧き出した魔物だろうか? もしこの肉を扱う店が城下町にあれば、是非とも立ち寄りたい。
ふと隣を見れば、皆が嬉しそうに食べているではないか。特にシェリーは肉が大好きだし、探索中とは思えない程あどけない。
「パンが恋しくなるわね!」
「ふふ、この時のためにスープ缶もご用意すべきでしたね」
「王室のスープ缶……それも気になるのです!」
喉を通る脂が全神経に行き渡り、力が湧いてくる。ここ最近はレーションしか食べていなかったし、かけがえのない満足感を肉が与えてくれたのだ。ヤツの命に感謝しなければならない。
数枚の肉が刺さってたはずのに、いつのまにかただの矢に戻っていた。串の代わりに使った証拠として、矢じりからシャフト部分に血痕がある。本来はこういう汚れも除かねばならないが、戦場では細かい作業をする余裕などない。この矢はまだ使えそうなので、エレに持ってもらうことにした。
(第六節へ)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!