「ほら!席に着きなさい!」
体は小さいのに、良くそんな大きな声が出るもんだ。やっぱり、教師ってもんは声がでかい方がいいのか?
2-A組、担任の女性教師、福島先生の響き渡る声で静まる教室を見渡しながら、これからこのクラスの副担任となる俺は、生徒の顔を一人一人確認していた。
「今日から、産休に入られた小泉先生に代わって、副担をして貰う事になった沢谷敬介先生よ。残り数ヶ月だけど、沢谷先生と私を困らせないように、皆も頼んだわよ」
「先生からも一言どうぞ」と、福島先生が退いた教壇に促され、生徒達からの視線を一斉に浴びながら、ありきたりな言葉を吐く。
「もう2学期も終わりだし、短い期間だけど宜しくな」
教師1年目の俺は数学教師。
この学校では、同じクラスでも標準コースと特進コースに別れ数学の授業を受けることになっていて、二年の標準コースを受け持っている俺は、見知った顔も多い。
つまり、知らない生徒の殆どは、俺の受け持ちではない、デキの良い奴等だ。
中でも、一年の途中から都内でも有数の進学校と言われるうちの高校に転入して来て以来、常に学年トップをキープしていると言う、教師達からも一目置かれている奴がいる。
教師だけではない。そいつは、生徒達からも注目の的だ。決して、自ら前に出て行くタイプでもないのに、そこに居るだけで存在感のあるそいつ。
小さな顔に、吸い込まれそうなふたつのブラウンの瞳。スーッと通った鼻筋。色白のせいで余計に目立つ赤い唇。瞳と同じ色で、天使の輪がくっきりと浮ぶサラサラな長いストレート。
どれを取っても完璧な容姿。下手な芸能人より、よっぽど見栄えがいいそいつの名は……水野奈央。
水野奈央の存在は、教室を見渡し時に直ぐに気付いた。遠目から見た事はあったが、こうして近くで見るのは初めてだ。まあ、言われるだけの事はある。評判通り、いや、それ以上の美貌だといえる。
教師ですら水野に目を奪われてる奴もいるらしく、教頭自らが、くれぐれも恋愛感情など抱かないようにと注意してきたほどだ。
だが、綺麗なものは綺麗と認めつつも、それ以上の感情を探せと言われたところで俺には無理だろう。
「ねぇ、沢谷先生彼女いるの~?」
甲高い声で俺に向けられる女子生徒からの質問。その質問と同時に、そわそわし始める女子生徒を普通とするならば、確かに水野は違うタイプに見える。
「いきなりそんな質問かよ。ま、恋人ならいるけど」
と、普通とする女子生徒達に一応答えとく。不特定多数だけどな、って事実は胸にしまって。
俺の答えに一段と高い声でギャアギャア騒ぐ女子達に対して、男子生徒は呆れ顔だ。
そして……。まるで人形のように整った綺麗な顔で、静かに微笑するだけに留めている水野は、女子が騒ぐこの場では、別格ともいえる存在なのかもしれない。
福島先生の響き渡る声で再び静まり返る教室を後にすれば、またいつもと同じ日常が始る。
授業をして、休み時間には女子生徒に囲まれて……。午後からの授業が終われば、放課後には勉強を教えて欲しいと言う名目で言い寄って来る女子生徒を交わしながら、職員室では煩い教頭の話を上手く受け流す。
これが教師としての在り来たりな俺の日常だ。
別に、こんな毎日がイヤなわけではない。かと言って、満足かと問われれば、満たされない何かが常に燻っている気がする。
特別に望んで就いた職でもない。本来、教職者にあるべき人間じゃない自覚もある。ただ、昔から学校が好きだった。家にいるより学校に安らぎを求めた。だから大人になっても、その場所に逃げただけ。
生徒には戻れない俺は、教師となってこの場にいることを人生の選択肢としただけだった。
✢
俺が2-Aの副担になって五日が過ぎた。
特別変わった事は何一つないが、教師である以上、気を引き締めなきゃならない事も山ほどある。それを継続するってのは大変なわけで。他の先生や生徒の目を盗んでは、屋上の片隅で煙草を吸いながら束の間の休息を自分に与えていたりする。
普段から立ち入り禁止だと生徒達には口を酸っぱくして言っているせいか、この屋上に入って来る奴は殆ど居ない。⋯⋯居ないはずなんだが。
突然にバタン! と、威勢良く開かれた扉の音が響き渡る。
────誰だ?
タンクの裏にいる俺からは、入って来た人物が誰なのか視界に入らない。それでも、相手は俺が此処にいるのを知っているかのように、その足音はどんどんとこちらへと近付いてくる。
「先生、見っけ!」
ニッコリと笑い俺を指差す女子生徒の足が、俺の目の前でピタリと止まった。
「何やってんだよ、お前は」
「えへへ。先生の後つけてきちゃった!」
えへへ、って可愛さをアピールしているつもりかもしれないが、後をつけて来たというだけで引いたのは確かだ。
「授業はどうしたよ?」
「自習になったんだよね。だから抜けて来た。これもサボりになる?」
「何で疑問系にするかが疑問なくらいだ! 間違いなくさサボリだろ!」
「だって⋯⋯」
モジモジし出したこの生徒は、うちのクラスの確か⋯⋯川島? だったと思う。
「とにかく、今は授業中だ。直ぐに教室に戻りなさい」
クラスの生徒の名も、まだあやふやにしか覚えてないな癖して、教師らしい振る舞いで宥め聞かす。
「先生もさぼってるんでしょ?」
「俺はこの時間授業ないんだよ。一服終わったらまた資料作りに戻るし。だから、お前も早く戻れ」
「だって、こうでもしなきゃ先生に近づけないじゃん! いつもいつも周りには他の子達がいるし」
イヤな状況だ。教師と生徒なんだから、必要以上に近付く意味も理由もないのだと、何故分からない。
「お前、特進コースだろ? 分かんない所は、特進担当の先生に聞けよ」
吸いかけの煙草を携帯灰皿に擦りつけ、こいつが授業の事で聞きに来たわけじゃないのを知りながら、この場から離れようと足を踏み出した。
「待って、先生!」
「悪いけど、待てないな」
川島の声には振り返らず、扉に向かい歩いていた俺の腕に力が加わる。
───引き摺って歩くか? って、まさかそんな事も出来ねぇし。
「この腕、離して貰えるか?」
「イヤ」
俺の左腕に自分の両腕を絡ませ顔を埋める川島に、立ち止まってお願いしても、こいつも必死らしく離して貰えそうにない。
「一体、どうした?」
本当なら聞きたくなんかない。どっちみち聞いたところで、こいつの願いは叶う筈もない。
「わ、私ね? 先生が⋯⋯好き」
やっぱりな、と何の捻りもない展開すぎて、内心で嘆息する。
「悪いが、その気持ちには応えられない」
「今すぐ返事しないで! 先生、私の事なんて何も知らないでしょ? だから、ゆっくりこれから私を見て欲しい」
何も知らない? あぁ、知らないなかもな。だが、たった一つ分かることがある。それは、お前も俺を知らないってことだ。教師って面をつけた俺しか、生徒であるお前達は知らないんだ。
でも、それが普通だ。
教師なんて職業、生徒の前で言える本音なんて限られている。そんな大人に憧れるのは自由だが、それを自分の願望に乗っけて恋愛まで持っていくな。
生憎、教師以前に俺は、いくら想いをぶつけられても何の感情も湧いてきやしない。
それでも、こうやって言われてしまえば教師の立場を盾に答えるしかない。
「これから先も、お前を特別な目で見ることはない。俺は教師だ。可愛い生徒の一人としか見れない」
こうしてまた、本音を伝えず教師として振舞う。
本当は、恋愛なんか出来ない欠陥人間なんだと、内に隠して。
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