ゲームが終わった後の冒険譚 ~駆け出し冒険者と、トンチンカンな召喚者達~

力があれば無双できる? それってゲームの話だろ? 世の中もっと泥臭い。
蝉の弟子
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第四十話 飼われ職人

公開日時: 2025年2月3日(月) 11:48
文字数:10,868

 地位を利用し、他者に当たる事で己の劣等感を晴らそうとする人がいる。

 彼等は威張り、怒鳴りつけ、時には暴力をふるってまでマウントを取り、自身の劣等感を癒そうとする。

 それは傍から見れば醜く卑しい行為なのだが、悦に浸る彼等はなかなかその事に気づかない。彼等自身が自分を許し癒さねば解決しないというのに、他人を利用して劣等感を一時的に紛らわせることばかりに未だ夢中なのだ。

 無論、そんなものにイチイチ付き合う必要など、どこにもありはしない。


 ~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~



         §      §      §




 教会の戸まで夫の様子を見に来た女性と、恐る恐る自分を見上げるその子供。目を丸くして自分を見つめるこの男の子が、生前マーガレットさんが会いたがっていたお孫さんなのだと思うと、やるせなかった。


『全ては神の思し召しです。

 神は私達に苦難を与えられたが、同時になにか贈り物も与えてくださっている筈です』


 そして夜闇に紛れて立ち去ろうとする東風に、最後にロバート牧師が贈ってくれたその言葉……そこで回想を止め、東風はゆっくりと目を開けた。

 ゴトゴトと馬車が引かれる音とその振動が、明るさを取り戻していく世界と共に蘇る。ホロの隙間から入った光が目に入り、東風は目を細めつつ掌でそれを遮った。


 ゴータルートへの帰りに忍び込んだ馬車の中、背を丸めた東風は一人揺られていた。

 まともに頼んでもその巨体で怪しまれてしまうし、まだ冒険者ランクの低い東風が入れる街はゴータルートのみである。よって無断で忍び込む他、東風に馬車を利用術(すべ)はない。


「はぁ……」


 東風は、もう何度目になるかもわからないため息を吐く。何度思い返してみても、何度反芻してみても、別れ際にロバート牧師から贈られた言葉の意味が、東風にはどうしても理解できないのだ。


(私はリラルルの村で多くの友や恩人達を失った。しかし、その代わりに得られたものとはなんだろうか?

 村を襲撃した盗賊達から、我々をこの世界に呼んだフレイガーデンこそ、我々の敵であると知れたが、それが神からの贈り物なのだろうか?)


 東風に魂や神々を敬う気持ちはあれど、宗教自体には全く興味がない。そんな東風が、いきなりこの世界のソールスト教の教えを聞いてもピンと来ないのは、当たり前の事かもしれない。

 東風は諦めたかのように眉間のしわを解き、肩を少し落とした。


(それにしても、この世界は何と理不尽なのだ……。

 全員でリラルルを離れたのは確かに迂闊だったが、村が壊滅するフラグなど、どこにもなかったではないか。

 ドラゴン・ザ・ドゥームならば、メインストーリーさえ進めていれば、自然と必要な情報が集まり、全てが明らかになっていくというのに……)


 けれど、思い悩む内に東風はある事に気づく。


(いや、もしかしたら私には、あの村への襲撃を、事前に気づく機会があったのではないだろうか……)


 例えばオークと遭遇したあの時、マークやキース達は、まるでそれを気にしなかった。街道には盗賊が出るという事前情報があったにも関わらず、彼等は仕事の都合でゴータルートへ急いでおり、オーク達への違和感より無意識にそちらを優先してしまったのだ。

 ゴータルートの衛兵達は『オークから逃れようとした盗賊達が、結果的に街道にオークを誘い出してしまったのだ』と考えた。だがこれも、衛兵達がそうであれば好都合だと考えたシナリオに過ぎない。

 もしも東風が本当に村を守ろうと警戒していたのなら、オークを退治した直後に森に入り、その原因を調査したろうし、そうしていればあのやたらと目立つ盗賊砦を容易に発見できただろう。

 あるいは自分達がなぜこの世界に来てしまったのかを、もっと真剣に考えていたのなら、村が襲われる前に自分達を付け狙う何者かの存在さえ予見できたかもしれない。

 しかし、東風達は何も考えなかった。

 ルルタニアにいた時は、いつもマスター達の仕入れて来た攻略情報を元に、マスターの意志通りに行動するのが彼等の冒険の全てだったし、この世界に来てからもカイルやリラルルの村の人々が教えてくれる知識に頼るままだった。

 そして与えられた情報をただ受け入れるのみで、自身の手で確かめよう、疑ってみようという発想がなかった。

 そう、オンラインゲーム、ドラゴン・ザ・ドゥームのようにストーリを自然に進めていけば必要な情報が向こうから勝手にやってくるだろう、なんとかなるだろう……ただただそんな意識で東風はこの世界での冒険を続けていたのだ。

 それが原因で、ゴブリン達に騙されそうになった事もあったというのに……


「いつまでルルタニアで冒険しているつもりだったのだろうな、私は」


 うつむいたまま小さな声で東風は呟く。

 東風のジョブである忍者は、この世界でいうところのシーフクラスに相当する。そして、シーフクラスは、パーティのために各種情報を収集するのもその役目の一つなのだが、東風はその役割の重要性にすら今まで勘づいていなかったのだ。


(これから我々が相手にするフレイガーデンという組織は、カイルさんも知らぬ相手。今までのようにカイルさんの知識に頼る事はできない。

 今度こそ間違いのないように、私が奴等を調べ上げなければ……それが、この世界で私が果たすべき役割なのだ!)


 恐らくこの気づきこそが、ロバート牧師の言う東風への贈り物なのだろう。

 そして皮肉な事にこの贈り物は、東風がもう二度と味わいたくないような辛い体験をし、ロバート牧師に諭され、自ら思い悩まなければ決して東風の元へ届く事のない贈り物であった。



         ◇      ◇      ◇



 朝食の後、カイルは家の傍の路地裏にべべ王を呼び出していた。

 イザネの状況について報告するためでもあったが、カイルにはこの日のこの時間に家から離れたい理由も別にあった。

 今日はカイルが最も会いたくない相手、商人のロジャーがジョージの作った飾り細工の買い取りに来る日なのだ。


「精神的なショックで体調を崩すか……そんな状態異常までこの世界にあるとは思わなんだのぅ。

 しかし、おかしいのではないか? なぜわし等の中でイザネだけが、その状態異常に掛かるのじゃ?」


 カイルが一通りイザネが体調を崩した理由を説明しても、べべ王はイマイチ納得がいかない様子で首を傾げている。


「そりゃ、男より女の方が繊細だからな普通は」


「男女でそんなに差があるものなのか?

 ドラゴン・ザ・ドゥームでは男女でステータスの違いはなかったし、装備できる防具の見た目と、モデル体系の差ぐらいしかなかったんじゃがのぉ」


「へ?」


 キョトンとするカイルに、べべ王は更に追い打ちをかけるように言葉を続ける。


「ぶっちゃけ、男と女の差など、パイパイ付いてるかチンチン付いてるかの差しかないと思っておったわい」


(マジかよ)


 嫌な予感がしたカイルは、恐る恐るべべ王に問う。


「なぁ、どうやったら子供ができるかくらいは知ってるよな?」


「結婚すればできるのじゃろう?

 ドラゴン・ザ・ドゥームでも子供がいるのはNPCの家族だけじゃったから、そのくらいはわかっとるわい」


 胸を張って答えるべべ王を前に、カイルは頭を抱えた。


(マジだ! こいつら何もわかってねぇ!

 もしかして俺、こいつ等の性教育もしなきゃなんねーのかよ!? 冗談じゃねーぞ! どーすんだよぉぉぉぉっ!)


「どうしたんじゃカイル?」


 べべ王が心配そうにカイルの顔を覗きこんでいる。


「いや、みんなに説明しなきゃならない常識というか、ちょっと特殊な知識を思い出しただけだよ。

 ただ説明が難しくて、……いや本当にどう説明したらいいものか……少し考えを整理する時間が必要だな、これは」


「ほう、今度は何を教えてくれるのか楽しみじゃな」


 相も変わらず呑気なべべ王の前で、カイルはため息をついてうなだれる。


「まぁ、今すぐ必要な知識って訳でもないから、少し状況が落ち着いてから考えるよ」


 新しい宿題を抱えたカイルはポケットに手を突っ込んで背を丸め、そのまま路地裏を後にする。

 べべ王もすぐそれに続いて、家に戻ろうとするが……


「なんでしょうかね、特殊な知識って?」


 べべ王は足を止めて振り返る。


「帰っとったんか東ちゃん。随分早かったの」


 路地の奥で影が膨れ上がり東風が姿を現す。狭い路地にすっぽり挟まった東風の姿は、随分窮屈そうに見えた。


「どうじゃった、マーガレットさんの息子さんには会えたか?」


「ええ、怒られる事も覚悟して会ったのですが、逆に救われました」


 べべ王は片眉を上げて怪訝そうな顔をする。


「救われた?」


「私を諭し、心を救って下さったのです」


「そうか、流石はマーガレットさんの息子さんじゃ。優れた牧師のようじゃな。わしも会ってみたかったよ。

 ところで、他の遺族については聞けたかの?」


「それが、あの村に残っていたのは、もう他に頼れる親族のない人達ばかりだったそうで、そんな中マーガレットさんだけが、息子さんの誘いを断って残っていたというんです」


 東風の顔は、少し険しかった。


「そうじゃったのか……守ってやりたかったのう」


 べべ王は静かに拳を握りしめる。


「ええ、まったくです……」


 東風も黙祷を捧げるかのように、静かに目を閉じた。


「ところでイザ姐の様子はどうです?」


「今は眠っておるが、なんじゃ? イザネの話も聞いとったのか東ちゃん?」


「途中からですが」


「そんなに気になるなら、今からカイルの家に行って直接確かめればよかろう」


 呆れたように言うべべ王に対し、東風は困ったような表情を浮かべている。


「それが、ゴータルートに戻ってすぐに、ソフィアさんから呼び出しを受けてしまいまして、今から会いにいかなければならないんですよ」


「ソフィア嬢が? フレイガーデンについてなにか掴めたのじゃろうか?」


「そこまでは聞いておりませんが、急ぎの要件なのは確かです」


「わかった、休む間もなくて大変じゃろうが、頼んだぞ東ちゃん」


「ええ、任せてください」


 東風は再び路地裏の影の中に沈んでいった。



         ◇      ◇      ◇



「ジョージ! ジョージはいるかぁ!?」


 大きな腹をした商人が、ジョージの仕事場の前で大声を張り上げる。が、仕事場の開け放たれたドアからジョージの姿は丸見えなので、わざわざ大声を張り上げる必要などない。

 彼が大声を上げる理由は、この声で威圧され卑屈になるジョージを見たいがためであろう。


「ロジャーさん、そんな大声をださなくても……普通に声をかけてくださればすぐに出て参りますのに」


 大慌てでジョージが作業場から飛び出し、ロジャーを出迎える。

 ロジャーも既に中年に差し掛かっており歳を食ってはいるものの、二人が並ぶとジョージよりは一回り以上若く見えた。恐らくはロジャーの方が、覇気に満ちているからだろう。


「いいから、今週の分を見せてみろ」


 ロジャーはズカズカと仕事場に踏み込むと、ペッと唾を床に吐きかける。

 ジョージはロジャーに向けていた笑顔を僅かに硬直させたが、それ以上は抵抗せずに棚にしまってあった銅板を取り出してロジャーに差し出した。


「ふん」


 ロジャーは鼻息荒く、銅板に刻まれた天使達の彫刻を品定めする。


「この程度の作品ならこんなものか?」


 ジョージの差し出した掌の上に、ロジャーは革袋から鷲掴みにした銅貨を降らせる。


「これだけでしょうか?」


 手の上の銅貨を目で数えてから、ジョージはすがるようにロジャーに問う。


「不満か?」


「この前より2枚も多く彫りましたのに、銅貨の数が減っているではありませんか。

 それに元手があれば、もっと大きな仕事も私はできます。元手がこうも少なくては、職人として腕を振るえないではありませんか」


 今のジョージにはべべ王から受け取った4枚の銀貨があったのだが、それも借金の返済を考えると大きな仕事の元手としては心もとないものであったし、そんな一時的な収入に頼った生活設計をする訳にもいかなかった。

 この下町で作品を買い取ってくれる商人はロジャーのみ。ロジャーに職人としての自身の腕前を認めさせる以外に、自分が今後安定した収入を得続ける手段はないのだと、ジョージはそう考えていた。


「わかったわかった」


 ロジャーは再び革袋に手を突っ込み、ジョージは頭を下げて掌をロジャーに再度差し出すが、ロジャーがその掌に落としたのは銅貨一枚のみであった。表情を曇らせるジョージを眺めながら、ロジャーは口元を歪める。


「一枚では不満か?

 だが、勘違いするなよジョージ。お前程度の職人など、履いて捨てる程いるんだ。

 お情けで一枚でも余計に貰えただけ、ありがたく思う事だ」


 ジョージは屈辱に耐えながら、尚もロジャーに頭をペコペコと下げ続けている。

 今の自分が如何に惨めに見えるのか、それはジョージも自覚していた。家族にこんな無様な姿を見られたくはなかったし、カイルが家を飛び出した理由とも無関係ではないと分かっている。

 が、生活のためにジョージは長年この屈辱に耐えてきた。週一回ならば、ずっとこの屈辱に耐え続ける自信だって今のジョージにはあった。

 ロジャーはそんなジョージを見下すように、笑みを浮かべている。


「しかし、金がもっと欲しいというなら相談に乗らん事もない」


 ロジャーは1度自分から突き放したにも関わらず、再度ジョージにすり寄るように甘い言葉をかけた。


「ほ、本当でございますか?」


「おまえの家にファルワナ祭で注目を集めた、デブの巨人が来たという噂がある。

 これは本当か?」


「は……はい」


 ジョージは思わず肩を落とす。

 職人としての腕を見込んでの儲け話ならば、多少無茶な要求でも呑むつもりでいた。しかし、ロジャーの興味はまるで違う場所にあったのだ。


「よし、ならそいつに芸を仕込んで見世物にするから、俺に引き渡せ。そうすれば、銀貨を何枚かお前にくれてやってもいい。

 それに巨人が稼いだ金の1割もくれてやろう。どうだ、お前にとっては破格な話だろう」


「はぁ、確かにありがたいお話ですが、あの巨人は我が家の客でして、紹介する事くらいはできますが、果たして本人が了承致しますかどうか?」


 控えめに断るつもりで言ったのだが、ロジャーはジョージの肩を抱いて尚も圧をかけてくる。


「おいおいおいおいおいジョージ、ジョージ、ジョージィ! そんな事を本気で言っているのか!?

 いいか、お前は家を奴に貸してやっているんだ。巨人の奴に恩を売ってるんだぞ。

 だからお前の頼みなら、あの巨人だって断りにくいに違いないんだ。

 それにお前の息子……たしかカイルとか言ったか? あれが奴の仲間に紛れ込んで、手懐けてるっていうじゃあないか。

 カイルとお前の二人がかりで”金貨も貰えるくらい儲かる仕事だ”とでも説得してみろよ、必ず首を縦に振る筈だ」


「しかし、カイルはとんだドラ息子でして……あれが私の言う事を聞いてくれるかどうか……」


 顔を背け、尚も固辞するジョージの肩をロジャーは更に引き寄せ、耳元に口を近づけて囁く。


「おいおい、親父の威厳はどうした? ドラ息子なんてビシッ叱りつけてやればいいだけじゃねーか?

 想像してみろよ、あの太っちょの巨人を見世物にしたら、どれだけの儲けになるのか? その儲けの一割だぞ一割。こんなチャンスはお前の人生で2度とないぞ!」


 無論ロジャーには、儲けの一割もジョージに払う気はないだろう。その程度は、長年の付き合いからジョージにも簡単に推測できる。

 最初の1~2回は正直に払っても、それ以降はあれやこれやと理由をつけて、ジョージの取り分をどんどん削っていくつもりに違いない。今までもそうやってロジャーは、ジョージに支払う筈の金を、どんどん削ってきたのだから。

 だが、立場上それを指摘する事もできず、断るに断れないジョージは、やむを得ず首を縦に振るしかない。


「わかりました。説得できる自信はありませんが、話だけはしてみ……」


「おいっ! そこのデブ! 俺の仲間を見世物にしようってのかっ!?」


 振り返れば、大声で怒鳴りながら、段が仕事場に入って来ていた。どういう訳か、いつも被っているつばの広い帽子はなく、禿げた頭が窓から入った光を反射している。


「デ……」


 驚いて言葉を詰まらせたロジャーに段は一直線に近づくと、その胸をドンッと掌で突き飛ばしてジョージから強引に引き離した。


「待ってくれ! 暴力はやめてくれ。

 その人は役人とも知り合いなんだ。下手に手を出したら、あんた逮捕されちまうぞ」


 今にもロジャーに殴りかかりそうな形相の段の腕に、ジョージがしがみ付く。


「暴力は振るってないだろ、まだ」


 段は未だにその表情を緩めておらず、またジョージの力では彼を抑えらないのは明らかだ。たが、最悪な事にメンツを潰されて頭に血の登ったロジャーは、その危険性にまだ気づいていない様子だ。

 顔を真っ赤にしたロジャーは、それでもなんとか余裕を示すようにパンパンッと服の汚れを払い、段を睨みつける。


「あんた、あの巨人の仲間なのか? んん?

 ならば話が早い。あんたからも私に協力するように、あの巨人を説得してくれ。

 もし私に力を貸してくれるのなら、先ほどの無礼は忘れてやろう」


 只でさえ不愉快な顔をしている段の額に、くっきりと青筋が浮かび上がる。


「無礼なのはテメーの方だ、このデブがっ! 誰が仲間を見世物にする企みなんぞに、力を貸すか!

 その汚い面を二度と俺に見せるなぁ!」


 慌ててジョージが二人の間に割って入る。


「許してやってくれロジャーさん! この人は異国から来た冒険者で、この国の事はまだよくわからないんだよ!」


 だが、ロジャーも引き下がらない。


「異国の者か……ならば文明の発達した、我がイラリアスについて来れないのも頷ける。

 未開人にも理解できるよう教えてやろう! 貴様はうっかり身分違いの大商人に喧嘩を売ってしまったのだ! このゴータルートの上流階級相手に取引する、大商人ロジャー様にな!

 もし私に素直に謝るのならば、特別に今回だけは許してやろう! さあ、私の機嫌が良い内に、地に頭を付けて謝るのだ!」


 段はその言葉を無視するかのようロジャーに背を向け、作業場の机の上にあった塗料まみれの皿を取り、そしてそのまま隅にむかって歩き出す。そこには昨日べべ王がこの家に運び込み、鎧を脱いだ際にそのまま置き忘れていた酒樽があった。

 段は片手て樽を傾け、皿になみなみと酒を注ぐと、ロジャーの前にそれを突き出す。


「飲め! 詫びの印だ」


「私をバカにしてるのか! こんな汚い皿で……むごぉっ!」


 段はロジャーの顔を押さえ、酒を強引にその口に流し込む。


「お詫びとして、上等な酒を奢ってやると言っとるんだ! まさか俺様の酒が飲めないとは、言わねーよなぁーーっ!」


「ゲホッ! ガハッ!……き、貴様……」


 咳き込みながらも尚も段に反抗しようと試みたロジャーだったが、皿を持った段が再び酒樽に向かうのを見て青ざめる。


「た、只で済むと思うなよ貴様ぁーーっ!」


 ロジャーは捨て台詞を残して、這う這うの体でジョージの作業場から逃げ出していた。


「ああ……なんて事を……」


 ジョージはその場にへたり込む。


「なんだよ? 暴力も振るってないし、飲ませてやったのは最高級の酒だぜ。なんの問題もないだろ?」


「そんな話じゃない!

 あの人の機嫌を損ねたら、俺の作品を買う人がいなくなるんだぞ! どうしてくれるんだ!?」


 全く悪びれない段に、ジョージが食って掛かる。


「どうするもなにも、どうとでもなるんじゃねーか?

 金だったら俺達に余裕があるから分けてやってもいいし、別にあのデブ以外にだって売ろうと思えば、どこでだって売れるだろ?」


「話にならん!」


「おい、どこに行くんだよ?!」


 仕事場から飛び出そうとするジョージの行く手を、段が塞ぐ。



「ロジャーさんを追いかけて謝るんだ! なんとか機嫌を直して貰わなければ、商売が続けられなくなる! 早くそこをどいてくれっ!」


「やめとけ! あのデブはお前の事をいたぶって楽しんでたんだぞ!

 あんな奴と付き合い続けても、お前が酷い目に遭うだけじゃねーか。いっそ縁を切ちまえ!」


「いたぶ……いや、それは……」


 ジョージは思わず声を詰まらせる。

 意地の悪い人だとは思っていた、商売のためなら汚い真似もする人だとも知っていたし、立場を利用して支払う金を渋っている事も分かっている。

 だが、自分をいたぶって楽しんでいるなどとは、そこまでジョージは想像していなかった。

 もしそれが本当であるならば、今からジョージのやろとしている事……つまりロジャーの情けにすがって許して貰おうという考えは、ロジャーに自分を痛めつける機会をわざわざ与えているのと同義なのだ。


「……」


 結局ジョージは黙したまま段の脇をすり抜け、ロジャーを追いかけ始めた。

 ジョージに他の選択肢がなかった訳ではない。例えば、段の言う通り当面の生活費はべべ王達の資金を頼りにして、仕事を新たに探す事だってやろうと思えばできる。

 しかし、この道をジョージは選ばない。

 ここいら職人達を束ね、貴族達に美術品を直接売りさばいているのはロジャーなのだ。よってロジャーと縁を切るのなら、職人以外の仕事を探す他ないが、ジョージにはそれが怖いのだ。

 長年培ってきた職人の技術を手放して自分が食っていけるのか、家族を食わせていけるのか、不安で不安で怖くて怖くてたまらない。

 だが、このまま仕事を続けてもロジャーは可能な限りジョージを痛めつけ、賃金も減らし、どんどんどんどん状況は悪化していく。

 どちらを選んでもリスクはあるのだし、むしろ今後の希望があるのは前者なのだが、生き方を変えるのが怖いジョージは、それを選べない。

 そしてジョージの様に、それが自分にとってどんなに不利なものであろうと、出来上がってしまった体制にただしがみ付く人間は、その体制を利用して儲ける者を結果的に助け、益々その不公平な状況を固定化してしまう。

 恐怖に支配され、ただただ自分にすがりつこうとしてくるジョージは、ロジャーにとって放っておいても尽くしてくれる、見えない鎖に繋がれた奴隷なのだから。


「カイルがなぜこの家を飛び出したのか、わかった気がするぜ」


 一人残された段は、地面に転がっている銅板の一つを拾い上げる。

 ジョージの彫った天使の彫刻が浮かび上がったその銅板は、ロジャーが逃げる際に落としたものに違いなかった。


(要するに、こいつが売れれば何の問題もないんだろ)


 段は地面に転がっている銅板を全て拾い上げていた。


「かっこよかったぜ、おっさん」


 声のした方を振り向くと、カームが立っていた。どうやらさっきの騒ぎを覗いていたらしい。


「ありがとよ。

 ところで俺様の帽子を知らねーか? 随分前から探してるんだが見つからねーんだ」


「それならグリムが持っていったんじゃないか?

 あいつ、気に入った物はすぐ勝手に持ってっちゃうんだよ。注意しても全然いう事きかなくて、お袋も親父もまいってるんだ」


「グリムが? で、そのグリムはどこに行ったんだ?」


「知らないよ。

 さっきどっかに出かけてったみたいだけど、あいつが黙って外に出た時は、ろくな事しないからなぁ」


「じゃあグリムが帰ったら、俺の帽子を取り返しておいてくれ」


 段は拾った銅板を懐にしまうと、そのまま町に向かって歩き出す。


「どこへ行くんだよおっさん?」


「お前達の親父さんの彫ったものが、どのくらいで売れるのか試してくる。

 それと、”おっさん”じゃなくて”ジョーダン”と呼びな小僧」


「”小僧”じゃなくて”カーム”って呼べよジョーダン」


「わかったぜカーム」


 段はカームに軽く手を振ると、そのままカイルの家を後にした。



         ◇      ◇      ◇



 誰もいない古い倉庫の中、キセルを吹かすソフィアの眼前で、立ち塞がるかのように影が持ち上がり、東風が姿を現した。


「お待たせしましたソフィアさん。ご用件はなんでしょうか?」


 ソフィアはキセルを口から離し、タバコの灰を地面に落とす。


「赤猫亭が放火されたわ」


「えっ!

 大丈夫なんですか? 赤猫亭のマスターにお怪我は?」


 東風が驚いて身を乗り出すが、ソフィアは平然としている。


「大丈夫よ。正確には放火未遂で済んだから。

 あたしへの警告でしょうね」


「警告?」


 ソフィアは傍にあった空の木箱に腰かけ、足を組んだ。


「盗賊ギルドでフレイガーデンについて聞き込みを始めたら、すぐにあたしの悪い噂が出回りだしたのよ。たった一日足らずでよ。

 そして今日は赤猫亭への放火未遂。どう考えても、”これ以上調べるな”っていうサインよね、これは」


「それにしても、敵の動きが早すぎませんか?」


 東風が首を傾げる。


「ええ、だから盗賊ギルド内に複数……恐らく幹部クラスにも、フレイガーデンの協力者がいると考えるべきかしらね」


「では、盗賊ギルドの幹部を締め上げれば、フレイガーデンの手がかりが掴めるかもしれませんね」


「盗賊ギルドの幹部が何者かなんて一部の人しか知らないから、それを探るとこから大仕事になるわよ。

 それに下手な真似をして盗賊ギルドに目を付けられたら、この街の裏社会全てが敵になっちゃうわ。そんな危険な事できる訳ないじゃない。

 ここは手を引いたフリをして、こっそり調べるしかないわね、その分時間は掛かるだろうけど」


「しかし、それではソフィアさんの身が危険ではありませんか? 万が一バレてしまったら、どうする気なのです?」


 東風はソフィアの身を案じたが、口元に笑みを讃える彼女自身には、まるで危機感がない。


「それは大丈夫よ。バレたらあたしが東風さんを裏切ればいいだけだから。

 すぐ降参して、東風さん達の事を洗いざらい吐いて、協力するって言えば、命くらいは助けてくれる筈よ。大抵の場合はね」


 平然と裏切りを口にする女盗賊に目を丸くする東風を、ソフィアは冷ややかに見つめている。


「これでキースとフィルが、なぜアタシを嫌っていたかわかった?」


「でもガフトさんは、あなたの事が好きなようでしたが」


「あたしがこういう女だと知ったうえで割り切っているからね、ガーフは。

 あなたはどうなの東風さん? いつ裏切るか分からない女と組む勇気はある?」


 ソフィアは、そのまま東風の瞳を覗き込む。


「私にはあなたの力が必要です、例え裏切られる危険があるとしても……」


「そういうのは止めた方がいいわね」


 東風の言葉を遮りながら、ソフィアはキセルにタバコの葉を詰め直す。


「不本意だけど仕方ないから手を組む……とかね、そういう妥協した決断は後悔するわよ。

 あくまで自分の意志でどうするのか、ちゃんと肚を括ったうえで決めるべきだわ」


 ソフィアはキセルを咥え直し、じっと東風の出方を観察している。狭い倉庫が、徐々にタバコの臭いで満たされていった。


「ソフィアさんはお優しい。

 もし他の者ならば、黙って私を裏切っていたでしょう。恐らくあなただけですよ、そんなに親切なのは。

 そしてそんなあなたが警告して下さる意味も、私は理解しているつもりです。

 ですがご安心ください、私はこの街に戻る際、既に覚悟を決めて参りました。裏切るというのであれば、裏切らせないようにするだけです」


 ソフィアはキセルから口を離し煙を吐き出すと、その返事に満足したかのように、もう一度微笑む。


「合格よ。ようこそゴータルートの裏社会へ……歓迎するわ東風さん」

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