休み明け初日。まだ松の内であり、開いている店も少ない為、昼休みに出向いた社員食堂は、いつもより盛況だった。しかし空いている席を探している最中、笑顔で手を振ってきた綾乃達と同席する事にしたのを、幸恵は食べ始めてすぐに激しく後悔した。
「それで、それからどうなったんですか?」
休み中に和臣と実家に帰った事を本人から聞かされていたらしい綾乃が、興奮を隠しきれない様子でしつこく尋ねてきた為、別に隠し立てする事もないかと幸恵は端的に順を追って説明する。
「それで……、初詣の後、紳士服店の初売りに行って、該当するサイズのワイシャツを買って渡したんだけど、ああいう所って最近レディースも結構充実してるのよね。『さっき引いた幸恵さんのおみくじが末吉で、俺が大吉を引いちゃったのが気が引けるから、お詫びに何か買ってあげる』とか言い出して、押し問答しているうちに、いつの間にかスーツとコートとブラウスを買って貰う羽目に……。その後開いているお店でお茶して帰ったら、尋ねて来ていた親戚と宴会になって、あの愛想の良さで和気あいあいと盛り上がってたけど……」
そこで話を区切った幸恵が定食のご飯と味噌汁を口に運ぶと、同席していた綾乃の先輩の公子と香奈が、小声で感想を言い合った。
「やるわね、君島さんのお兄さん。天然な妹を見てると想像できないけど」
「だけどカップルの一方が大吉で、もう一方が末吉って微妙ですね」
「本当ね。両方大吉だったら今年中にすんなり纏まりそうだけど」
「男の方は満願成就だけど、女の方は不本意な結婚とか?」
「まあ、ありがちよねぇ。価値観の違いって、深くてなかなか越えられない溝だし」
(変な憶測しないで頂けます? 丸聞こえなんですけど?)
言いたい放題言われて多少腹を立てたものの、香奈はともかく公子は星光文具の陰の実力者であり、文句を辛うじて飲み込んだ。そこで感極まった感じの綾乃の声が上がる。
「凄いです! それって、ちゃんとした恋人同士のデートみたい!」
「……あれはデートとは言えないわよ」
素っ気なく否定した幸恵だったが、綾乃のテンションは上がる一方だった。
「年末は一緒に広島に帰ると思っていたのに、都内に残るだなんて何をする気かと思っていたら、実は伯父さんの家で歓待して貰って、幸恵さんとデートして、ご親戚の方にもしっかり紹介して貰ってたなんて……。年末年始、知らない所で頑張ってたのね、ちぃ兄ちゃん。後で誉めてあげなくちゃ!」
「だからあれは、デートじゃないと言ってるでしょうが!」
ウキウキと話し続ける綾乃にイラッとして声を荒げた幸恵を、テーブルの向かい側から公子が宥めた。
「まあまあ、そう興奮しないで。……だけど客観的に見て、そう思ってるのは荒川さんだけだと思うけど?」
「そうですよね~。第三者が聞いたら、付き合ってる彼氏を実家に連れて行って、家族と一緒に仲良く、まったりしてきたとしか思えませんよね~?」
すかさず横から相槌を打った香奈を、幸恵は険しい表情で叱りつけた。
「だから、違うって言ってるでしょうが!? もうこの話題は終わりよ!!」
「こっわ~」
「素直じゃ無いわね~」
こそこそと香奈と公子が囁き合うのを完全に無視し、幸恵は無言で生姜焼きを頬張った。そしてそれを咀嚼して飲み込んだタイミングを見計らって、綾乃が恐る恐る声をかけてくる。
「あ、あの~、幸恵さん?」
「何?」
「今月の、お休みの予定とかは……」
「……まだ埋まって無いけど?」
今度は一体何を言い出す気かと、不機嫌さを隠しもしないで食べ続けている幸恵に、綾乃は幾分怖じ気づきながらも、予め用意していた誘いの言葉を口にした。
「ご一緒に、スキーに行きませんか? ちぃ兄ちゃんはインストラクター級の腕前で、滑っている所が格好良いって地元では評判」
「却下。私、滑れないの」
「え? そうなんですか? 意外です……」
台詞を遮られた事に対して気分を害した様な気配は見せず、綾乃は面食らった表情になって呟いた。それが妙に癇に障った幸恵が、刺々しい口調で問い掛ける。
「何? 私がスキーが出来ないのが、そんなにおかしいわけ?」
「いえ、おかしいなんて、そんな……。ただ幸恵さんって、何でもソツなくこなしてしまうイメージなので……」
そこで慌てて弁解してきた綾乃に、幸恵は冷たく言い放った。
「悪かったわね、イメージ倒れで。だけどどうして寒い時期に、より寒い所に行かなきゃいけなのか、理解できないのよ。好き好んで行きたがる人間の気がしれないわ」
「そうですか……」
そう言ったきりシュンとなって俯いてしまった綾乃を見て、幸恵は密かに後悔した。
(う……、たかがスキーなのに、言い方が少しきつかったかしら? 誘って来たって事は、この子も滑るんでしょうし)
そんな事を考えた幸恵が、食事を続行しながら悶々としていると、公子が苦笑いしながら声をかけてきた。
「荒川さん」
「……何でしょうか?」
「相変わらず言い方がキツいわね。気にする位ならさっさと謝った方が良いわよ?」
「別に気になんかしていません! 間違った事は言っていませんし!」
「強情ねぇ」
そうしてムキになって叫び、付け合わせのキャベツの千切りを口に入れて黙々と食べ続ける幸恵を見て、公子達は苦笑いの表情で互いの顔を見合わせた。
そしてその日の夜。早速綾乃から話が伝わったのか、和臣が幸恵に電話してきた。
「幸恵さん、綾乃から聞いたんだけど、スキーは」
「行かないって言ったでしょう!?」
「うん、だからスケートは?」
あっさりと話の内容を変えられ、幸恵は訝しげに尋ね返した。
「スケートだったらするけど……。何? スキーだけじゃなくて、スケートも上手なの? 殆ど嫌味ね」
「いや、全然やった事が無いから、滑れないんだ」
「は?」
「だからこの機会に、滑り方を教えてくれないかな?」
電話の向こうでは、いつも通りの平然とした笑顔を浮かべているであろうその声音に、幸恵はそれはそれは疑わしげな声を出した。
「……滑れないの? 本当に?」
「こんな事で嘘を言っても仕方がないよ。どう? 幸恵さんを思う存分、優越感に浸らせてあげるけど」
その笑いを堪えているかの様な口調に、幸恵は気分を害して叱りつけた。
「あのね! 一体私をどんな人間だと思ってるわけ!? そこまで性格は悪くないわよ!」
「ごめん。だけど本当に、教わるなら幸恵さんが良いな。どうしても駄目かな? 幸恵さんの休みに合わせるけど」
相変わらず穏やかに問いかけられ、幸恵は困惑したものの一応了承の言葉を返した。
「そこまで言うなら……。だけど教えると言っても普通に滑れる程度で、誰かに教えた事とか無いわよ?」
「勿論それで良いよ。じゃあ楽しみにしてる」
そうして通話を終わらせた幸恵だったが、受話器を元に戻したその顔は、疑いを払拭出来ずに微妙に眉を寄せていた。
「……滑れないって本当かしら? まあ、口からでまかせだったら、滑りを見れば分かるわね」
そうして自分自身を納得させ、取り敢えず久しぶりにスケートを楽しんで来ようと、スケジュール帳にその旨を書き込んだ。
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