アビシニアンと狡猾狐

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第12話 犬好き猫好き

公開日時: 2021年3月21日(日) 12:18
文字数:3,572

途中で立ち寄ったレストランで軽く食事を済ませた二人は、商業地と住宅地の境界に位置する様な街並みのコイン駐車場に車を止め、目的地へと向かって歩き出した。周囲を見やりながら訝しげに和臣の後ろに付いて歩いていた幸恵だったが、和臣がスマホでのナビで場所を確認し、「着いたよ」と幸恵を振り返った時、その疑惑が最高潮に達する。


「……ここ? 周りの家よりは大きめだけど、普通の民家にしか見えないんだけど? それらしい看板も出ていないし」

「自宅をカフェとして開放している所だから、あまり派手派手しい宣伝はしない方針かもね。その分、結構穴場だよ? さあ、入ろうか」

 幸恵の疑わしげな視線をものともせず、和臣は機嫌良くインターフォンのボタンを押した。


「いらっしゃいませ。どちら様でしょうか」

「二名で予約している君島ですが」

「お待ちしておりました。少々お待ち下さい」

 そんなやり取りをしてから玄関のドアが開けられ、幸恵達の親世代だと思われる、快活そうな女性が姿を現した。


「どうぞお入り下さい。奥へどうぞ」

「失礼します」

 促されて、靴を脱いで勧められるままスリッパを履き、廊下を奥へと進むと、和臣が声を潜めて囁いてくる。

「ああ、言い忘れてた。貸切じゃなくて、部屋には俺達の他にもお客が居ると思うけど」

「この造りなら、お客毎に部屋が割り振れる事位分かってるわ。気にしないわよ」

「それなら良かった。俺としては二人きりの方が嬉しいんだけど」

 にこやかに告げる和臣を、幸恵が思わず冷たい目で見やる。


「……二人きりにならなくて却って良かったわ」

「酷いな」

 苦笑する和臣を意識的に無視し、幸恵は(さあ、どんな所かしら? しょうもない所に引きずり込んだなら、絶対文句を言ってやるから)と、期待半分苛立ち半分でリビングと思われる部屋に足を踏み入れたが、そこは良い意味で幸恵の予想を裏切った。


「うわぁ……、皆可愛い……」

 カーペット敷きの部屋の中にはパッと見ても六匹の小型犬が存在しており、積み上がったクッションによじ登ろうとして転がり落ちているもの、犬用のオモチャを一生懸命足と顔で構っているもの、かくれんぼでもしているつもりなのか、ソファーの陰からチラチラと人間達の方を窺っているものなど、それぞれリラックスして過ごしていた。それを認めた途端、幸恵が目を輝かせてカーペットに座り込んでしまった為、和臣は苦笑しながら相席する事になるカップルに向けて軽く会釈して挨拶をする。相手も幸恵の様子でその心境は分かるのか、気にする素振りを見せずに笑って会釈を返した。

 そして先程案内した女性が、呆けている幸恵に微笑ましい表情を向けてから、話になりそうな和臣に向かって一通りシステムについて説明し、和臣は一応幸恵に声をかけてみる。


「幸恵さん、ソフトドリンクは飲み放題だけど、何を飲む?」

「トイプードルにチワワ、シーズー、ダックスフントまで居る! どうしよう、皆触りたい……」

 和臣の言葉など耳に入っていないらしく、うずうずしながら犬達を凝視している幸恵を見た和臣は、苦笑して取り敢えず注文した。


「すみません、珈琲とホットレモンティーをお願いします」

「畏まりました。どうぞごゆっくり」

 そうして小さく笑いながら女性が出て行くと、和臣は幸恵に体を寄せて囁いた。


「幸恵さん、勿論触ったり、抱っこしても良いよ? 全て予防接種済みだし、手を洗う場所もあるし」

「本当に良いのよね? じゃ、じゃあ、あの子をちょっと抱かせて貰おうかな……」

 そう言って先程から気になっていたらしいシーズーに狙いを定めた幸恵は、1メートル位まで距離を詰めて手招きしてみた。


「おいで?」

 しかし慎重な性格の犬なのか、逃げはしないもののお座りの状態で小さく首を傾げ、幸恵を観察しているのか大きな目で見上げてくる。そのままなかなか動きが無い為、幸恵は小さく溜め息を吐いて俯いた。


「う~ん、いきなり抱き上げるとかは、やっぱり無理みたいね。犬様のおやつとか貰って、気を引かないと駄目かしら?」

「そんな事無いだろ」

「え?」

 気落ちしかけた幸恵だったが、笑いを堪えている感じの和臣の声と共に、幸恵の視界に犬の足が入った。慌ててほんの少し顔を上げると、キョトンとしたシーズーの顔と目があった。


「嬉しい! すぐ近くまで、自分から来てくれたわよ、ほら!」

「うん、良かったね」

 嬉々として自慢する様にシーズーを指差した幸恵に、和臣は満足そうに頷いた。そして幸恵はシーズーに向き直り、慎重にその子を抱き上げた。


「……よっ、と。大人しい子ね、この子。可愛いわ~」

 自分の腕の中に大人しく収まっている白い犬の頭を、幸恵が嬉しそうに優しく撫でていると、和臣がさり気なくデジカメを取り出した。

「一緒に写真、撮ってあげようか?」

 その申し出に、幸恵が目を輝かせる。

「本当? 良いの?」

「良いらしいよ? ただし犬を驚かせるから、フラッシュは使えないらしいね。ほら」

 壁に貼り出してある説明書きを示された幸恵は、納得して頷いた。


「なるほど。それもそうね。でもフラッシュを使わなくても、大丈夫でしょう?」

「ああ、任せて」

 それからは犬を替えながらの撮影会となり、一通り撮り終えたところで和臣が頼んでいた紅茶を勧める。

 興奮気味で喉が乾いていた幸恵はそれを嬉しそうに飲み干し、更に今度はチワワを膝に乗せて、満足そうにその体を撫で始めた。


「最高~、癒されるわぁ。どの子も可愛い……」

 先程から満面の笑顔である幸恵に、和臣は独り言の様に呟いた。

「本当に犬が好きなんだね」

 すると幸恵がチワワの頭から背中を撫でながら、それに応える。


「小さい頃から大好きで、実家で柴犬を飼ってたのよ。……大学生の時に死んじゃったけど」

「そう」

(犬の事までは報告書に無かったしな。でも急に話題を変えたりしたら、彼女の事だから「変に気を遣わないで」とか「余計なお世話」とか言って怒られそうだし、ここは一つ……)

 なんとなく沈んだ表情で黙り込んでしまった幸恵の気分を上向かせようと、和臣は些かわざとらしく、明るめの声で問いを発した。


「幸恵さんに可愛がって貰ってたなんて羨ましいな。因みに何て名前だったの?」

「名前……」

 名前くらいサラッと教えてくれるかと思いきや、何故か幸恵は和臣から微妙に視線を逸らしながら、素っ気なく答えた。


「名前なんて、どうだって良いでしょ?」

(何だ? この反応。何か外したとも思えないんだが)

 不思議に思ったものの、機嫌良く過ごしてくれていたのを、ぶち壊しにしたくないと思った和臣は、深く追及するのは思いとどまった。


「じゃあ、その柴犬って、どんな犬だったの?」

「頭が良くて、私の言う事をちゃんと理解して、いつも私の言う通りにしてたわ」

「犬だから、しっかり躾をしてたんだね」

 和臣としては、荒川家の飼い方を誉めたつもりだったのだが、幸恵は犬の性質について言及し始めた。


「きちんと教え込んだって事もあるけど、やっぱり犬は猫とは違うものね」

「どこら辺がどう違うと?」

「だって……、きちんと教え込んだ犬なら呼んだら一目散に駆けて来るけど、猫だと慣れてもそうはいかないんじゃない? 懐いた様に見えても気まぐれで、気が向かない時はいくら主人が呼んでも、プイッとそっぽを向きそうだもの。従順な犬の方が可愛いわよ」

 真顔でそんな事を言い出した幸恵に、和臣は控え目に自分の意見を述べる。


「それはそうかもしれないけど……、俺はどちらかと言うと猫の方が好きかな?」

「どうして?」

「すました顔をしながらも警戒して、距離を取って様子を窺っている相手を、少しずつ自分に慣らしていくのは快感じゃないかな?」

 人懐っこい笑みを浮かべつつそんな事を言った和臣を、幸恵は目を眇めて冷たく見やった。


「……やっぱりあんたは、私のそれとは相容れない価値観の持ち主みたいね」

「そんな露骨に嫌そうな顔をしなくても」

 苦笑しかできない和臣に、幸恵は多少皮肉っぽく問い掛けた。


「それで? 可愛い猫ちゃんを手なづけた後は、それ以上構う気が失せて放置状態?」

 それに和臣が両手を広げ、大仰に訴えてみせる。

「まさか。そんな事をしたら、愛想を尽かすのは猫の方だろう? それこそそっぽを向かれない様に、ご機嫌を取り続けるさ」

「あぁら、大変そうね。……あ、今度はあの子を抱っこしようっと!」

 それきり和臣には見向きもせず、犬を取っ替え引っ替えしながら抱き上げたり撫でたりを繰り返している幸恵を眺めながら、和臣は幾分悔しさが入り交じった声を漏らした。


「本当に、俺は犬以下の扱いだな」

 しかし軽く肩を竦めただけで、しょうがないという感じで微笑する。

「まあ、良いか。あんなに喜んでいるんだし。……出張お疲れ様、幸恵さん」

 その呟きは勿論幸恵の耳には届かなかったが、和臣はその顔に満足そうな笑みを浮かべながら、コーヒーカップを口に運んだ。


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