法定速度ギリギリで三品が文字通りかっ飛ばしたのか、空港から三十分強で目的地に到着した。ゆっくりと門から敷地内に入り、舗装された道を曲がって大きな車庫の前で停まる。
「それでは、荷物はこちらで運びますので」
「ありがとうございます」
スーツケースやボストンバッグを引き受けてくれた三品に礼を述べ、四人は手荷物だけ持って、建物の周りを回り込む形で移動を始めた。
「予想はしていたけど、広い敷地ね……。家もどれだけ建坪があるのよ?」
「ここら辺は市街地からは少し離れていますから、周りもゆったりとした敷地の家が多いんです。昔は庄屋だったそうですし」
「へぇ……、そうなんだ」
「あれ? ここから入るんじゃないのか?」
幸恵が相槌を打ったところで、綾乃が目の前の玄関を通り過ぎて尚も庭と建物の間に続く道を進んで行った為、祐司は不思議に思って問い掛けた。すると綾乃が事も無げに答える。
「はい、こっちは後援会の人達や、秘書さん達が頻繁に出入りしてる、仕事で使っている棟なんです。さっきのライトバンは、いつもこちらの車庫に入れてるので。中でも出入りできますが、この先のあそこの玄関からプライベートスペースに入りますから。それから、一番向こうに屋根だけ見えるのが集会場兼武道場で、地域の方に格安で貸し出ししてます。門は別に有りますし。あそこで剣道教室とか書道教室とか開催していて、お兄ちゃん達も教わっていました」
「は、はは……。そうなんだ」
各所を指差しつつスラスラと説明してきた綾乃に、祐司の笑顔が盛大に引き攣った。しかしそれに気づかないまま、大きな玄関に辿り着いた綾乃は、ガラガラと引き戸を開けつつ中に向かって声をかける。
「ただいま戻りました~」
声を張り上げて中に入って行った綾乃に、さすがに幸恵は当惑した。
「え? チャイムとかは」
「車を入れた段階で、奥の方に連絡は行ってるから」
「連絡ね……」
疲れた様に頷いてから和臣に引き続いて玄関に足を踏み入れると、彼が言った通り一行を待ち構えていたらしい面々が、広い玄関の上がり口に顔を揃えているのが目に入った。
「……和臣に綾乃、戻ったか」
「お帰りなさい! 綾乃ちゃん。お正月に来なかったから、和臣さんは久し振りね!」
「ただいま、お義姉さん!」
「ご無沙汰してます。それでこちらが電話でお話しした、高木さんと荒川さんです」
どうやら父親譲りであるらしい、いかめしい顔付きの三十代後半の男性と、全体的にほんわかした雰囲気の、美人と言うより可愛いと言った方がぴったりくる男女が長男夫婦だと、そのやり取りで分かった為、幸恵と祐司は気合いを入れ直して、神妙に頭を下げた。
「はじめまして。高木と申します」
「今回はお世話になります」
そこで嫌味の一つもぶつけられるかと、精神的に身構えた二人だったが、予想に反して篤志は口元を緩めて笑みらしき物をその顔に浮かべ、隣に立つ妻に声をかけた。
「お噂はかねがね。今回は母の見舞いの為に、わざわざ東京から出向いて頂き、感謝しております。泉、二人のお世話を頼んだぞ?」
「はい! 精一杯おもてなししますね! それではどうぞ、お上がり下さい」
「お邪魔します」
そして靴を脱いで上がり込む間に、よくよく見れば「泉」と呼ばれた女性の腹部は目立たない程度だが膨らんでおり、それを認めた幸恵は恐縮しながら尋ねた。
「あの……、泉さんは妊娠中なんですか?」
「はい、今6ヶ月です。少し目立ってきましたね」
「すみません、そんな時に押し掛けまして」
「あら、気にしないで下さい。家の中に人が多いので、私がする事なんて微々たるものですから」
明るく笑って先導する泉に、幸恵も表情を緩めたところで、三品が運んできた荷物を受け取った使用人らしい二人の女性が、断りを入れてきた。
「あの……、若奥様、お客様。荷物はこちらでお預かりして、先にお泊まりになる部屋に運んでおきますので」
「お願いします」
「はい。ありがとうございます」
泉は明るく了承し、幸恵も恐縮気味に頭を下げたが、何故かその二人の女性は物言いたげな表情で少しの間佇んだ挙げ句、互いの顔を見合わせてから一礼してそそくさと廊下の角を曲がって消えて行った。泉は全く気にしないで「さあ、こちらです」と声をかけて案内を再開したが、幸恵は眉を寄せて考えを巡らせる。
(何かしら? 何か使用人さん達が、挙動不審なんだけど……)
そこで彼女は、一番事情に通じていそうな人物に声をかけてみた。
「和臣?」
「何?」
「お兄さんが、妙に愛想良かったけど?」
それにピクリと顔を強ばらせて、和臣が呻く様に応じる。
「……絶対、何か企んでるな」
「でしょうね。それに反して、お義姉さんは大歓迎っぽいんだけど?」
すると和臣は、先程とは違った意味で、疲れた様に告げた。
「基本的に、あの人に腹芸は無理だ。本心から大歓迎してくれている」
「そうなの……。夫婦で随分タイプが違うのね。この場合、感謝しなくちゃいけないみたい」
苦笑いでその話を締めくくった幸恵に、和臣は横を歩きながら真顔で囁いた。
「できるだけフォローする。色々腹の立つ言動があるかもしれないが、滞在中はできるだけ堪えてくれ」
その悲壮感さえ漂ってくる物言いに幸恵は半ば呆れ、安心させる様に片手を伸ばして相手の手を軽く握りつつ言い聞かせた。
「一応、大人の対応は心得ているつもりよ。好き好んで揉め事を起こすつもりはないから、そんなに心配しないで。らしくないわよ?」
「ああ……、信用している」
そして幸恵が握ってきた手を、和臣がもう片方の手で軽く握り返してから、二人はどちらからともなく手を離した。そして無駄話はせずに、磨き込まれた廊下を進む。
(元々、あの時私が門前払いを食わせたせいで、お兄さんの態度が硬化しちゃったんだし、いわば自業自得よ。頭くらい、幾らでも下げてあげようじゃない)
そんな覚悟を決めつつ、幸恵は泉に促された客間に足を踏み入れた。
「さあ、どうぞ。お座り下さい。長旅お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「失礼します」
「あ、和臣さんと綾乃ちゃんは、お二人の横に座ってね?」
「はい」
「いま、お茶を淹れて貰ってますから」
床の間を背にした長方形の座卓の長辺に篤志と泉、その向かい側に幸恵と祐司、更に短辺に和臣と綾乃が座るという配置を泉から指し示され、幸恵は何の疑問も感じずに座布団に腰を下ろした。
(お義姉さんは、ほんわか癒し系の優しそうな人だけど、長男はなにを考えているか良く分からない、不気味な笑顔よね。まあ、政治家なんて、そんなものだろうけど)
「……いっ!」
何気なくそんな事を考えながら正座した幸恵だったが、予想外の痛みが両脛に生じ、思わず小さな呻き声を上げる。
「幸恵?」
「どうかされましたか?」
斜め前で胡坐になった和臣と、正面の篤志から怪訝な声で問いかけられたが、篤志の口元が僅かに面白がっている様に歪んで見えた事で、負けず嫌いな幸恵の闘争心に火が点いた。そして笑顔を取り繕って平然と言い返す。
「いえ……、なんでもありません」
「そうですか。普段正座し慣れていない方を座敷に通すのは、足を痺れさせるのがオチだから、どうかと思ったのですが」
「……お気遣いなく」
(この野郎……、変な物が入っているって訴えても、使用人の不手際で申し訳ないとか何とか、しらばっくれるつもりだったわよね、絶対。そして交換用の座布団にも、ろくでもない仕掛けをしている筈。これ位で負けたりしないわよっ!!)
こめかみに青筋を浮かべながら正座して微笑んでいる幸恵を、和臣が若干険しい顔で観察していたが、その反対側では彼の兄夫婦が軽く言い合いをしていた。
「まあ、篤志さん失礼よ? それに、まだ大して座ってもいないじゃない」
「いや、都会暮らしだと部屋が狭そうだしな。普通に座る事も少ないんじゃないかと」
「それこそ、親切の押し売りと言うものだわ」
「確かに、気の回し過ぎだったな。すまん、和臣」
「俺は別に……」
(見た目は一見ふかふかの座布団なのに、これの中に何を入れてるの!? ビー玉? パチンコ玉? それにしても上に乗っても転がって移動しないなんて、何つまらない手をかけて固定させてるのよ!? やっぱり大人しくしてないで、文句言ってやろうかしら?)
向かい側のやり取りを聞き流しながら、幸恵がふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じていると、ここで唐突に斜め前から和臣が声をかけてきた。
「幸恵、ちょっとこっちに」
「え? 何?」
笑顔で軽く手招きされた為、幸恵は何事かと座卓に両手を付いて軽く腰を浮かせた。するとすかさず和臣がその手を力一杯引っ張り、必然的に幸恵の身体が彼の方に倒れ込む事になる。
「きゃあっ!! ちょっと!! 何するのよっ!?」
そこで幸恵が抵抗できないでいるうちに、素早く身体の向きを変えさせ、自分の膝の中にすっぽり収まるようにした。そして半ば抱きかかえている様にして、清々しく笑いかける。
「やっぱり幸恵の定位置はここだろう」
「あっ、あのねえぇぇっ!」
幸恵が周囲の目を気にして真っ赤になっているのとは対照的に、篤志の表情は苦虫を噛み潰した様な表情になった。しかしその横で、泉が楽しげな声を上げる。
「まあ、和臣君ったら、幸恵さんの事がよっぽど好きなのね?」
その問いかけに、和臣は平然と笑い返した。
「勿論です。義姉さんは、兄貴にこういう事はして貰ってないんですか?」
「や、やだ! まさか! 恥ずかしいわ!」
「そうだな……。義姉さんが恥ずかしがる前に、兄貴が恥ずかしがるか」
今度は泉が真っ赤になって、ぶんぶんと勢い良く手を振って否定すると、和臣はどこかせせら笑う様な口調で続けた。すると篤志から、恫喝する様な声が漏れる。
「減らず口を叩くな。和臣」
「あれ? それなら兄貴は、しようと思えばそうすると? もしくは二人きりならしてるとか? このむっつりスケベ」
「……黙れと言っている」
(えっと、ひょっとして、座布団の異常を察したわけ?)
横抱き状態で和臣の腕の中に収まりながら、幸恵は半ば呆然としてそんなやり取りを聞いていた。そんな中、使用人がお盆を抱えて入室して来た為、会話が一時中断する。その隙に、和臣が幸恵に小声で囁いてきた。
「悪い、大丈夫か? 座布団の中に何か有ったな?」
「ゴロゴロしたのが幾つも」
それを聞いた和臣が、小さく舌打ちする。
「……全く。後から高木さんにも謝る」
「そうね……」
この間、座布団に座ってから一言も発していなかった祐司は、未だに姿勢を崩さず引き攣った笑顔で座り続けており、それを確認した幸恵は思わず彼に憐憫の視線を送った。そんな中、各人にお茶が配られる。
「お茶をお持ちしました」
「片倉さん、ご苦労様」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「いただきます」
そして不自然に抱っこされたまま、慎重に茶卓から茶碗を取り上げて一口中身を口に含んだ幸恵は、あまりの衝撃に固まった。
(うっ……、な、何、この味!? この苦さと甘さと渋さと酸っぱさが混然一体となった、どうにも形容しがたい天地がひっくり返っても飲食物とは認めたくない代物は!? 見た目はどう見ても普通のお茶なのに、逆に凄いわ)
しかしそんな幸恵に、泉は和やかに声をかけてくる。
「滅多にいらっしゃらないお客様だから、片倉さんに一番良い茶葉を使って下さいとお願いしたの。お口に合いますか?」
「泉……、都会の独り暮らしだと、普段まともに茶を淹れて飲んだりしないのじゃないか? 珈琲とか紅茶の方が良かったかもしれんぞ?」
夫に突然そんな事を言われ、泉は明らかに狼狽し、謝罪の言葉を口にした。
「え? そんなものかしら? ……あの、ごめんなさい。気が利かなくて。お好みでないなら別の物を」
「いえ、普段良くお茶を飲んでますから」
「実家で暮らしていた時から、珈琲や紅茶より、お茶派でしたから」
「そうですか? それなら良かったです。遠慮なくお代わりして下さいね?」
慌てて幸恵と祐司が断りを入れると、にこやかに微笑んでいる泉の隣で、篤志がニヤリとほくそ笑んだ。それを見た幸恵は、力一杯湯飲みを握り締めて何とか怒りを堪える。
(こんの狸野郎……。完全に理解できたわ。この人の良さそうな奥さんに言ったら反対されるからって、この人には内緒で使用人を使って嫌がらせってわけね!? どこまで性根が腐ってるのよ! 洗いざらいばらして、夫婦争議のネタを提供してやろうかしら!? それともいっその事、『こんな不味いのを飲んだら、てめえみたいな根性曲がりになるに決まってんだろ!』って言いながら、顔面にぶちまけてやろうかしら?)
幸恵がそんな危険な内容を考えていると、いきなり和臣が部屋の隅の方を指差し、大声で叫んだ。
「あ!! あんな所に座敷童が居る!?」
「え?」
「座敷童?」
「どこに?」
反射的に篤志が身体を捻って言われた方向に顔を向け、祐司も怪訝な顔をしながらも、素直にそちらに視線を向ける。しかし綾乃と泉は、途端にテンションを上げた。
「きゃあ! どこどこっ!? 座敷童が居る家って、裕福になるんだよね!?」
「そうそう! 見た人には幸福が舞い込むって言われているわよね!」
(この義姉妹、同じ系統の人間だわ……。話が合いそう。え? 和臣?)
うんざりとしながら浮かれている義理の姉妹を眺めた幸恵だったが、室内の殆どの者がそちらに視線を向けた隙に、和臣が素早く自分の湯飲み茶碗と幸恵のそれを、有無を言わさず交換した。そしてすぐに向き直った綾乃が、和臣に問いかける。
「ねえねえ、ちい兄ちゃん。どこに見えたの? 全然分からないんだけど?」
「う~ん、一瞬座敷童かと思ったんだけど、光線の加減と壁の色の濃淡の見間違いだったみたいだ」
「うもぅ、ちい兄ちゃんったら!! いつもつまらない事で騒ぎを起こすんだから!」
しらばっくれた和臣に、綾乃は本気で腹を立てたが、ここで泉がクスクスと笑い出した。
「でも和臣君は、騒ぎを起こしたその中心で、一人だけ平然としているのが常だったわ。昔から、本当に変わってないわね」
そう言われた和臣は「参ったな」と苦笑いし、篤志が益々顔を顰めたところで、幸恵は控え目に尋ねてみた。
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