その探偵さんは、いっぷう変わったものを探してくれるという。もっとも、その『変わったもの』だけでなく、一般的な探偵らしいこともするらしいけれど。私としてはそこがマイナスポイントだ。猫探しとか浮気調査とかのいわゆる俗世間な仕事ではなく、『変わったもの』をピンポイントで、それ専門の探偵事務所だったらもっと素敵なのに。
まあもっとも、『思い探し』だけで食っていけないのは、今どき小学生だって分かるだろう。ただでさえ大手ではない零細、それも個人事務所だ。人間、霞を食べて生きていけないのだ。
だが、私はこの探偵事務所に賭けることにした。なんてったって噂では、相当なイケメンが助手を従えて、あれよあれよと瞬く間に問題を解決してくれるというのだ。その助手もまた可愛い顔立ちをしているらしく、婦女子の方々から絶大な人気と甘いため息をたくさん頂戴していると聞く。有能なイケメン探偵。それだけでもう最高だ。私の理想とまさしく合致する。そしてそれに仕える助手もちょこまかと健気に立ち働くその仕草がたまらなく愛くるしいとも聞く。それが事実だとしたら、もう、最高どころか反則だ。最高に反則で合致だ。理想郷ということになる。
でも所詮、噂なんて他人からの又聞きみたいなものだ。有能という部分まで不当な評価だったら困るけれど、イケメン云々という口コミは変に期待すると後の落胆が怖いので、眉唾ものだと思っていた方がいいだろう。
梅雨に入った六月というのは、それだけで気分が鬱陶しくなる。だが今日は、昨日までの連日の雨が嘘のように絶好のお出かけ日和だ。今日の晴れのための雨だったのだと思えばそれだけ気分も上昇する。まさに私のための晴天。
それでも外を歩けば、雨の気配をそこはかとなく残した空気が身体を纏う。腰まで届く黒髪も、それに合わせて湿り気を帯びているようであまり気持ちの良いものではない。しかしコンディションはばっちりだ。白のワンピースとそれに合わせたフリル付きの日傘。湿り気をまとまりだと捉えれば、流れる黒髪もその光沢が一層増すというものだ。
丹念にセットした前髪。前髪は身だしなみの基本のキであり重要箇所。切りそろえられたぱっつんも日によって違う。常に同じぱっつんは存在しない。
うふふ。上機嫌だと自然と顔もほころぶ。鏡を見なくても分かる、完璧な私。容姿は武器だ。その武器を常日頃いかなる時も入念な手入れをしてきちんとした装備をすることで、どんな不意打ちの場面でも取り乱すことなく参戦することが出来る。
一組のカップルとすれ違う。それまで楽しそうに話していた女の表情が、私を見ることで歪められる。無論、私の装備に圧倒されて。対して私を見た途端に目を輝かせる男。彼の視線がすれ違ってからも私に注がれていたことは言うまでもない。うん、やはり。今日の私も最高みたいだ。
探偵事務所への道中、向けられた視線の温度が男女で冷温はっきり分かれることに痛快な気分を覚えた。まさに胸がすく。
これまた服に合わせた手提げからスマホを取り出して時間を確認する。約束の時間の10分前。それを確認してスマホから顔を上げる。
「ここだ」
思わず呟いてしまうほどに、その外観は私を魅了した。
魔女の館と言われてもしっくりくるほどの三角屋根に全面黒の外観。その黒は闇夜に溶け込んでしまうほどに艶やかだ。前面の左右対称に配置されている窓は扇形をしていて、窓辺に黒猫でもいればそれこそ魔女の住処である。
見た感じの感想。うん、まあまあ上出来。あとは中の住人次第といったところか。
シンプルだけれど歴史の感じさせる外観にぴったりの瀟洒な玄関扉。ドアノブのところにかけられている「ヒイラギ探偵事務所」のプレートだけがこの建物の唯一の情報だ。気弱な依頼人なら陰気な建物だと逃げ出すかもしれない。見ようによっては夜の入り口に立っているように感じるから。
磨きこまれているドアノブに手を掛けると、その世界は容易に開けられた。
まず目に入ったのが衝立だった。木目調のダークな色合いは、うかつに人を寄せ付けないある種の凄みのようなものを感じた。単なる視線避けではなく、その衝立の前に立つことで、依頼人としての適性を試されているかのようだ。
「依頼人の方ですか?」
思わず立ち尽くしていた私にかかる声。催眠から解かれたようにその声に応じた。衝立を超え、その奥に入る。
まず目に入ったのが、一組のソファーとローテーブル。更にその奥にはゆったりとした空間が広がっている。
その空間には厚手の絨毯が敷かれ、中央には豪奢な椅子が置かれていた。座っている者の風格を表すかのような、歴史と品を感じさせる安楽椅子。そんな椅子に座っていてもなお感じる存在感。一瞬にして目を奪われたのは言うまでもない。
最初は精巧な人形が置かれているのかと思った。部屋全体が仄かな明かりに包まれているのもあって、それが人間だと気づくまで数秒かかった。
椅子に座る男は優雅に脚を組んでいた。左ひじを手すりにつき、その左手に頬を載せている。物憂げに首を傾げたその姿勢に、どうしたってくだけた姿勢であるはずなのにどこか神々しささえ感じるほどに圧倒されてしまう。密かな神秘を垣間見ているような背徳感さえ覚えるほどだった。そこに秘める一種の風格がにわかに漂ってくるような佇まい。いいもん見たわ、こりゃ眼福眼福。
安楽椅子の美形は私を見とめて淡く微笑した。それからくっきりとした二重からのぞく真珠のような瞳を横に動かして言った。
「花実。依頼人がおいでだよ」
低く透き通った声。男の視線の先を見る。部屋の左側は上に続くのだろう階段があった。その階段から、一定のリズムの足音が下りてくる。
「すみません。お待たせしましたー」
降りてきたのは柔らかな鈴の音を持つ青年だった。年のころは十代後半から二十歳。高校生の私より三つ四つ上といったところだろうか。
「どうぞどうぞ。お座りください」
花実と呼ばれたこの青年がおそらく助手の方だろう。私は勧められるままにソファに座って、助手青年を見るとはなしに見る。
まず目につくのが童顔だ。彼のこなれた対応を見て自分より年上だと判断したけれど、声だけを聴いたら年下だと思ったかもしれない。併せて男性にしたら小柄だから年齢不詳ともいえる。失礼だがジャージでも着ていたら学生だと勘違いされてしまうのではないか。
「ちょっと待っててくださいね」
助手君は私が座っていることを見とめると、ぱたぱたと動きながら階段を上がっていった。
「騒がしい奴ですみません」
美形様の言葉。私はふるふると首を横に振る。助手君の小動物チックな動きは見ているだけで目の保養だ。
安楽椅子の探偵様を見たいと思いながら、直視することが失礼な気がしてしまう。彼の頭上に目を向けると、振り子時計があった。おじいさんと一緒にチクタクと言われていそうなほど年季が入っているように見える。
その振り子時計が、一定のリズムを刻んでいる。
「…………」
沈黙だけが会話をしている。どうやら探偵様は依頼人を扱う気がないらしい。私は思い切って探偵様の方に顔を向けた。
「…………」
イケメン過ぎやしないかい? ぱっちり二重に細くて高い鼻。顔面のパーツをどのように配置したらそのような顔が出来上がるのだろう。人類の神秘を眺めているようだ。まさしくお手本の美形。
探偵様と目が合う。淡い微笑。はい、おなかいっぱいです。
「お待たせしました」
トタトタ、という効果音が似合いそうな騒がしさで助手君が下りてきた。手にはお盆。そこにはマグカップとお茶菓子が載せられている。
「どうぞどうぞ。粗茶ですが」
コーヒーも粗茶というのだろうか? 助手君はローテーブルにカップを二つ置いた。探偵様の分は、椅子の隣にちょうど良い高さのミニテーブルを取り出してそこに置いた。しかも置いたとき、お辞儀した。おお、きちんとした上下関係。いやこの場合は主従関係か。てきぱきと身の回りの世話をする助手と、それを当然のものとして受け取り鷹揚に構える探偵。うん、これは期待していいのかもしれない。
ようやく一息つけるとばかりに、助手君がちょこんと私の向かいに腰を下ろす。
「それで、こちらにはご依頼があってこられたのですよね?」
助手君の心地よいハイトーンボイスが耳朶に響く。
「はい。依頼です。依頼があってきました」
「ご依頼を受けるかは内容を聞いてからになりますがよろしいですか?」
私は頷いた。その情報は事前にキャッチしていた。依頼内容によっては断られる場合もあるという。依頼を受ける基準は分からないけれど、きちんと内容を吟味するらしい。その証拠に依頼を受理するかの連絡は内容を聞いてから二、三日後なのだそうだ。
「ご依頼をお断りした場合、その時に話された内容を他言することはありません。その点はご安心ください」
手で促され、私はコーヒーに口をつけた。苦みの後にほのかな甘みが舌の上に広がる。向かいを見れば、助手君がマグカップを両手で包み込むように持って、一生懸命フーフーしていた。ブラックコーヒー、飲めるのだろうか。
「お名前を教えてください」
心なしコーヒーを飲んだ助手君の眉間に皺が寄った気がした。無理して飲んでいる気がしないでもない。
「相田あずさ。高校二年生です」
助手君はどこからかメモ帳を取り出していた。右手にはボールペン。そのことを確認するかのように私を一瞥する。少しばかり緊張を覚えたけれど、望むところだとばかりに目で応じた。
ここからが本番。自分で自分を鼓舞する。うまいこと探偵様にはご活躍いただきたい。
「それでは本題に入りましょう。ご依頼とはなんですか?」
私は控えめに居ずまいを正して、言った。
「彼の思いがどこにあるのかを探してほしいんです」
ぱちくり。助手君はそんな風に目を閉じて大きく開いて、同じようなまばたきを何度か繰り返した。驚きに満ちていますよ。そんなアピールをするかのように。
「……そちら側案件ですか」
どこか困ったように助手君は眉を顰める。おや? と私は疑問に思う。それをそのまま口にした。
「いけませんか?」
自然、語気が強くなる。この探偵事務所は「思い探し」をメインに扱っているのではないのか。喜ばれこそすれ、眉を顰められるような事態ではないはずだ。
「なにか問題でもあるんですか? 『思い探し』を依頼して」
あえて強調して言った。助手君の反応を見る。可愛い顔を困惑の色にして、私をじっと見つめ返す。探偵様を見れば、身じろぎひとつせずに成り行きを見守っていた。一切口出しをしてこないところから察するに、意思の疎通は計れているのだろう。それでいて今の状況に無頓着な構え。なんだか腹が立ってきた。
「私は依頼人よ。まずは話を聞くんじゃないの?」
「はあ。…………では聞かせてください」
まるで気が乗らないとばかりに素っ気なく応じる助手。その表情は困惑というより憂いているように見えてくる。私は苛立ちをぐっと押し殺して本題に入ることにした。依頼内容を聞けば飛びついてくるに違いない。
「私、今付き合っている彼がいるんです」
この一言で大抵の男は瞳を俯ける。単純に下を向いているというわけではない。感覚的なものなのだが、思うに失望しているのだ。私に恋人がいるという失望。相手によっては目の色を変えて私により熱心になる男もいる。
まあそれは当然のこととして。目の前の助手はどうしたかといえば、憂いの表情をさらに深めていた。
「彼とは仲が良いんです。それなのに最近になって彼の様子がおかしいんです。急によそよそしくなって。なんでだって理由を聞いても適当にはぐらかされるばかりで。私、彼の事なら分かるんです。どんなに見ていても見飽きないので。だから彼の怪しいところもすぐに分かって。だから彼が私に何を思っているのかを突きとめてほしいんです。彼の思いを探してほしいんです」
哀れみの表情で相槌でも打たれたらたまらない。数秒前までいらだっていたことも忘れて、私は一息に話した。自然と言葉に熱がこもってしまったのは無理からぬことだった。
そろそろ食いついてくるんじゃないかな。そう思って探偵の方を見れば――
淡い微笑を浮かべていた。その笑みの名前を想像していると。
「失礼ですがそのような内容でしたら彼氏さんに直接訪ねてみたらいかがでしょうか」
したてには出ているが言外ににおわせている。わざわざウチでやることではない、と。
「なによそれ」
思わず吐き捨てた言葉に苛立ちが強く滲む。
「それが出来ないから依頼してるんでしょ? そんなことも分からないわけ」
あずさは本当に俺のことが好きなの? 俊哉は突然、そう言い放った。その答えは言うまでもないけれど、私は何も言えなかった。そ
れよりも驚きの方が大きかったから。どうして? どうしてそんなことを言うの。
「はあ。そうですか」
助手はまるで他人事のようにそう言った。随分と愛想のないことで。私は呆れを通り越して、どんな反応をすればいいのかさえ分からない。
憤りをそのままに大きなため息を吐く。これはとんだあてが外れたものだ。助手から目を逸らすと時計が目についた。振り子のリズムさえ今は耳障りだ。
向かいの可愛い顔の彼はウルウルとその瞳を潤ませ、上目遣いに私を見てくる。
コイツ、憎らしいけど可愛いな。そんなことを思う。そうすることで改めて、美が武器であることをまざまざと痛感させられる。そして同時に思う。当たり前か、そんなこと。余裕で人生左右されるんだから。
愛玩動物並みの甘い視線に耐えられなくなって視線を逸らす。逸らした先もまた美形。その探偵は神経を逆なでさせる笑みを私に向ける。
もういいや。帰ってしまおう。
そう思ったのは数秒の間だけ。次の瞬間には私は頭を下げていた。
「お願いします。彼の思いを。どこかに行ってしまいそうになっている彼の思いを私の元に戻したいの」
「心当たりはないんですか」
聞いてきたのはずっと黙っていた探偵だった。
「花実が指摘した通り。痴話ゲンカだと一蹴されてしまえばそれまでの代物です」
花実というのが助手の事を指していることに気づくまでに時間がかかった。
「『それまでの代物』に対してあなたがどれほど一途なのか。ぜひともお聞きしたい」
助手はともかく、探偵様はどうやら食いついてくれたらしい。なんだよ、見る目あるんじゃん。ここが肝心だと私は気を引き締める。
「正直、分からないんです。自分がどうしたらいいのか」
俊哉を思う。端正な顔立ちを頭に浮かべる。
「私は彼を独り占めしたい。そのためなら手段を選ばない。確かに痴話ゲンカと言われればそれまで。でも他に方法が思いつかないの。
聞きたくても聞けない。怖いから。もしも彼の思いが私から離れていて、そのことを直接言われるのが怖い」
怖くて怖い。怖くて怖い。俊哉が離れていく悲しみを思うと。
「もし直接訊ねられたとしても、その答えが本音だと思える自信が今の私にはない。それが私の求めている答えだったらなおさら。純真な目で彼を見極めることも出来なくなった。だって……好きだから」
チクタクの静寂がこの場を数秒支配する。
「思いの強さは目を濁らせる。それを理解しているだけ、あなたは利口かもしれない」
探偵は全てを、俊哉や私の思いまでをも見透かしているようにそう言った。その言葉に動揺しなかったといえば嘘になる。しかし、動じた態度は一切見せなかった。
「依頼を受けるかは後日連絡差し上げますので」
私はゆっくりと立ち上がる。そして。
「どうか。どうかよろしくお願いします」
大きく一礼した。頭をあげた時、おろおろと困惑している助手に対し、探偵様は私をしつこく観察しているように見えた。
だが私は確信する。助手の反応を見れば明らかだからだ。
これはイケるだろう。あとは連絡を待つだけだ。
私は笑ってしまいそうになるのを堪えながら、最後までしおらしい女を貫いて、探偵事務所をあとにした。
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